井上陽水について書こうと何度も思って、その度に筆が止まる。難しい。
吉田拓郎と並ぶフォークソング界の巨頭、と書き始めてもいいのだが、そうすると「陽水の音楽は果たしてフォークなのか?」という問いに繋がり、フォークとは何なんだ、から書き起こしたくなる。カテゴライズすら難しい。じゃ個々の音楽について語ればいいか、と言えば、それもまた困難だ。
楽曲が「理解」しにくいのではないか、とも考えてみる。それはひとつ言えそうだ。身近に迫り来るわけではない。「共感」から来る感動とは何かが違う。どうも超越している。手の届かない場所に存在しているのかもしれない。
この「手の届かない」というのは、心に響かないという意味ではない。僕は陽水のコアなリスナーではないが(アルバムをフルで聴いているのは「9.5カラット」までであり、その後はメディアで流れる程度でしか聴いていないのだが)、浮気性の僕にしては比較的聴き込んでいる方ではないかと思う。にもかかわらず、手が届く感じがしない。
この感覚をどう言えばいいのか困るが、傲慢な言い方を許してもらえれば、僕は絶対に井上陽水に成れないということがよく分かっているからだろうと思うからだ。僕は悪声で音痴で歌など人前で歌うには憚りがあり、楽器も才能がない。作曲能力も無い。だが、言葉は日本人なので綴ることは出来る。しかし、陽水の書く言葉の数々は、ひっくり返っても自分には書けない。
さらに傲慢な言い方を許してもらえれば(許されないかもしれないけれど)、人生経験を積み恋をし辛酸を舐め、さらに本を山ほど読み言葉を練り上げることを続け習熟していけば、もしかしたら小椋佳やさだまさしや谷村新司にはなれるかもしれないのでは、と勘違いをしてしまったりすることもあるのだが(間違いなく勘違いだが)、井上陽水にはどう逆立ちしても成れないのだ。それがつまり「手が届かない」ということの意味である。
しかし、手は届かないにも関わらず、その楽曲のひとつひとつがどうにもこうにも耳から離れない。なんだこれは。これが芸術の持つ力なのか。
だから陽水を書くのは難しい。いや、ブログなんだもの、書けないわけじゃないと思う。しかし、書き始めると論文のようになってしまわないかという危惧がある。分からないのに惹きつけられるとは何事か。なので分析し、その凄さを何とかして伝えたくなってしまうだろう。
理屈ばかりだな。人の意見を聞こう。
陽水は福岡の出身。この地出身と言えば、語り部は武田鉄矢さんだが、彼はチューリップを語るのと同様、陽水のこともネタにする。
陽水は博多の音楽シーンの中では、まず一番に頭角を現した人なんだけど、なんと言っても暗かった、と言い、必ず一曲の歌を引き合いに出す。それは「たいくつ」という曲の一節。
アリが死んでいる 角砂糖のそばで 笑いたい気もする あたりまえすぎて
これは凄いでしょう、と鉄矢さんは言う。確かにシュール過ぎて凄い。このあと鉄矢さんの話は「傘がない」の無常観の話に続いていく訳だが、人生幸朗の漫才風の鉄矢さんの話はさておき、陽水の描く世界は凡人にはなかなか理解に屈するものが多い。
幻想的である、とか不条理、とか前衛的とか言葉を並べることは出来るがどうも本質を突いているような気がしない。形式や約束事などに囚われないその世界は、思った通りを言葉にしているようにも思えるし、文学的技巧の限りを尽くしているようにも聴こえる。魂の赴くままにひたすら煌めく言葉を羅列しているのか。それとも…。
帽子を忘れた子供が道で直射日光にやられて死んだ
僕の目から汗が滴り落ちてくる 本当に暑い日だ
いやな夏が 夏が走る (かんかん照り)
電車は今日もすし詰め 延びる線路が拍車をかける
満員 今日も満員 床に倒れた老婆が笑う
だからガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ (東へ西へ)
「本当は怖いグリム童話」を思い出す。これは果たして何の比喩なのか。陽水の深さは底が無い。
僕が陽水に出会ったのはやっぱり深夜放送で、当時「心もよう」「闇夜の国から」「白い一日」「青空、ひとりきり」なんかが流れていた。子供ながらそのメロディーラインの美しさに幻惑されていたけれども、今思えば「言葉の軽さを二人で笑い続けて/俺の腕枕お前は眠れそうかい」なんて言葉はマトモに咀嚼してはいなかった。子供だったからしょうがないとも言えるけど。
初めて向き合ったのは、アルバム「氷の世界」である。
この日本で初めて100万枚を売り上げたというLPは、今の100万枚とは比べ物にならない程人口に膾炙していると思うけれども、中身は確かに凄い。「あかずの踏み切り」「はじまり」「帰れない二人」と続くオープニングは組曲であり、「目の前を電車が駆け抜けて行く」から始まるその組曲は、様式を自ら作りつつ「帰れない二人」の地の底から湧き上がるようなドラムスの音で昇華していく。凄まじいまでの芸術だとも思う。「チエちゃん」「小春おばさん」「桜三月散歩道」と傑作ぞろいのこのアルバムは、その金字塔に相応しい。
僕は井上陽水を漁って聴くようになった。子供のこととてアルバムを大人買いするわけにはいかなかったけれど、幸いなことにこれだけ売れている人のレコードは誰かが持っている。「断絶」「センチメンタル」「二色の独楽」「招待状のないショー」と聴き及んだ。きれいなきれいなメロディーラインと伸び渡るヴォーカル。溢れる美意識。そして刻み付けるひとつひとつの言葉。時に理解に苦しむこともあったけれども、それでも心を動かされるのは何故なんだろうか。そう自問しながら。
井上陽水は1972年にデビューする以前に「アンドレ・カンドレ」なる芸名で「カンドレ・マンドレ」という曲で一度デビューしている。この伝説の曲がとあるオムニバスアルバムに入っていたのを当時聴いたのだが、それはまた驚きの曲だった。広がるリリカルな世界。美しくも儚いメロディーに乗せて恥ずかしいほど素直な言葉を繋ぐ。
一緒に行こうよ 私と二人で愛の国 きっと行ける 二人で行けるさ夢の国
「アンドレカンドレサンタリワンタリ…」と二人で愛の呪文を唱えようとするこの歌のヒットを陽水は確信していたのだと言う。だが意に反して全く売れず、井上陽水名義で(本名は陽水を「あきみ」と読む)「人生が二度あれば」で再デビュー。アンドレカンドレとは一転してこの背筋が伸びるほどに内省的な歌は、広く人々に知れ渡ることになる。この歌をご存知の人は多いと思うが、救いがない。淡い恋や甘い感傷などどこかへ飛んでいってしまう。
この「人生が二度あれば」や「傘がない」などの作風。そして「待ちぼうけ」や「夢の中へ」等のアンドレカンドレ以来の軽快で流れるメロディー。「愛は君」「氷の世界」「夕立」等の叩き付ける楽曲。分類などとても出来ないが、それらを共存させ重なり合わせて井上陽水の世界は重層的になっていく。いずれも根底に流れるのは美しい旋律と、何かを超えた言葉の数々。
僕がリアルタイムと重なるのはアルバム「white」からである。このLPは例の事件後であって、セールスは伸びなかったらしい。しかし、このアルバムは実に格好いい。冒頭の「青い闇の警告」にはシビれた。
星の零れた夜に 窓の硝子が割れた 俺は破片を集めて 心の様に並べた
後期の高村光太郎を連想させる詩。そして力強い旋律。陽水の格好良さはそれまでも例えば「ロンドン急行」の「恋人よ/行く先は/着いた時に知らせる」などで十分発揮されていたとは思うが、やはり何か経験が加味されたのかもしれない。
以後陽水は、「スニーカーダンサー」で復活し、名盤「LION&PELICAN」を経て「9.5カラット」で二度目のミリオンセラーを叩き出し、シングルも「なぜか上海」「ジェラシー」「リバーサイドホテル」とヒットを連発させ再び黄金時代を到来させる。僕は社会人になってしまったりで以降それほど熱心なリスナーではなくなってしまったのだが、その活躍ぶりは凄い。現在でも無論第一線である。
井上陽水について書きたいと思って、昔のアルバムなどを折に触れ聴きなおしていた。ブログではたいてい表題に一曲選んでそれについて書く形式を採っているので、どの曲にしようかと考えつつ。
友人のよぴちさんは「からたちの花」をピックアップされている。なるほどそういう切り口もあるなと思う。
実にシンプルに「陽水さんの初期、というのは、いつ頃までを言うのか」という言葉で集約して提示されている。僕のようにクドクド言わない。この曲は歌謡曲風に仕上げてあるが、「あんたとあたい/運も悪いし身体も弱い」などと切り込んで行くあたり、陽水の凄さがやはりある。
どの曲が一番好きか、というのは愚問中の愚問だとは思うが、あえて自分にしてみる。しかしやはり答えは日替わりになってしまう。
しかし、その中でも例えば「いつのまにか少女は」なんて曲は、いつも心に引っかかり続けているような気がする。その独特の美しい調べ。いい曲だなーといつも思う。
君は静かに音もたてずにおとなになった
燃える夏の太陽はそこまで来てる
だけど春の短さを誰も知らない…
最後の「大人になった…」というフレーズでメジャーキーに展開するのかと思わせてそのまままた静かな旋律へと戻っていく。やさしくてきれいだな。
「ゼンマイじかけのカブト虫」では、うたの持つ怖さと深さがよく分かるような気がする。
カブト虫 こわれた 一緒に楽しく遊んでいたのに
幸せに糸つけ 引きずりまわしていてこわれた
この歌は四番まであり、全部聴かないと真意が伝わらないというのもまた当時にしては実験的だったと思うけれども、全てをここに書くわけにはいかない。また、この歌の中に流れるある種の「無機質な不気味さ」というものについて言及したいのだが、それを書き出すと無限に話が延びるので別にひと記事書くことにする。(→別記事)
ともかくも、言葉を削ぎ落としながら歌は進む。
君の顔 笑った なんにもおかしい事はないのに
君の目が こわれた ゼンマイじかけのカブト虫みたい
こうして歌は終わる。これは単なる失恋の喪失感を歌ったものだろうか。それだけでは、この胸に残るもやもやした感情を僕は整理できない。わざと言葉足らずにして余韻を生み出し、何か聴いた後に得体の知れないものを生み出させる。そんな歌は他にないぞ。
もう書き出すとキリがないのだ。「能古島の片思い」について書きたい。「ミスコンテスト」について書きたい。「冷たい部屋の世界地図」「帰郷(危篤電報を受け取って)」も語るに値する。
終わりが見えないので思い出でも書こう。
中学三年の時だったと記憶している。多感な時期だった。僕はクラスの友人たちと放課後、誰もいない体育館に居た。確か、文化祭か何かに催されるクラス対抗の英語劇の練習をしていたのだったと思う。男子三名、女子三名。ひとり帰国子女の女の子が居て彼女がリーダーだったのだが、僕を含む男三人は全然モノにならず足を引っ張り続けていた。
全くうまくならないので飽きてしまい、いつの間にかダベリングに替わっていた。思春期のガキにはこういう時間がたまらなく楽しい。帰国子女の優等生彼女も呆れたのかもしれないが笑いながら話に興じていた。
体育館は講堂も兼ねていて舞台があり、そこにピアノが一台ある。鍵もかかっておらず、帰国子女が蓋を開けて音を奏でだした。それが陽水の「おやすみ」だった。
あやとり糸は昔 切れたままなのに 想い続けていれば 心がやすまる
陽水にはこういう抒情的なうたが時々ある。「Fun」「家におかえり」「眠りにさそわれ」「月が笑う」等々、しなやかな感性が溢れるような曲。多くの不条理な歌と違ってこうしたリリカルな調べは万人の共感を得るはずだ。
僕は、帰国子女に声を合わせた。お、知ってるの、と言わんばかりに彼女がこちらを見る。そりゃ知ってるよ。英語は不得手だけど陽水は好きなんだ。あっ帰国子女がハモり出したぞ。音痴の僕はつられないように必死である。
二人だけの世界に入ってしまってはクラスでウワサになってしまうので(こういうところ15歳だな)、その後メンバーの一人のヤローの家にみんなで練習のために集まった時、僕はLP「氷の世界」を持ち込んだ。オリジナルをみんなに聴かせてやろう。
そして、「氷の世界」を英語劇班のメンバー全員がカセットにダビングして僕は洗脳に成功するわけなのだけれど、集まったヤツの家は金持ちで応接室にやっぱりピアノがあり、そこでもまた帰国子女が弾いてくれた。いいなやっぱりピアノが弾けるって。僕はギター少年だったけれども、猛烈に「おやすみ」を自分でも弾いてみたくなった。
深く眠ってしまおう 誰も起こすまい 暖かそうな毛布で 体をつつもう
その英語劇は大した成績にはならず終わってしまったのだけれども(みんな足引っ張ってゴメンな)、僕はその後、電器屋の特売で単三電池6個で鳴るカシオの小さなキーボードを見つけ、ごく廉価だったので衝動買いしてしまった。中学生が小遣いで買える値段だったと思う。
僕の頭の中には帰国子女が弾いた「おやすみ」と、もう一曲彼女が弾いたRCの「スローバラード」しか無かったわけで、端的に言えば「おやすみ」と「スローバラード」を弾くためにキーボードを購入してしまったとも言える。自分でもどうなのかとは思うのだが、ギターと異なり鍵盤は難しくそんな一朝一夕には弾けない。今の僕であれば、帰国子女に教えてくれと頼み、同時に仲も深めようとするところだけれどもそこは15歳、そんなことは口に出せない。そうこうしているうちに受験の季節を過ぎ、僕は公立高へ、彼女は国際科のある私立へ進学しもうそれきりになった。
結局、イントロしか弾けるようにはならなかったと思う。そして人前で弾くことなど全くなくそのまま挫折した。けれども、そのキーボードは処分もせず今も部屋の片隅にある。押入れにしまう事もせず、電池さえ入れればまだ鳴る。けれど、全然手には取っていない。
もうすべて終わったから みんな みんな終わったから…
なんだか懐かしいな。あの頃の自分が。淡き想い。駄弁っているだけで感じるときめき。そんな人を想い初めし感情なんてどこ行っちゃったのかな。すっかり鍵盤の運指など忘れてしまった僕は、陽水の「おやすみ」を聴きつつぼんやりとそんなことをまた思っている。
吉田拓郎と並ぶフォークソング界の巨頭、と書き始めてもいいのだが、そうすると「陽水の音楽は果たしてフォークなのか?」という問いに繋がり、フォークとは何なんだ、から書き起こしたくなる。カテゴライズすら難しい。じゃ個々の音楽について語ればいいか、と言えば、それもまた困難だ。
楽曲が「理解」しにくいのではないか、とも考えてみる。それはひとつ言えそうだ。身近に迫り来るわけではない。「共感」から来る感動とは何かが違う。どうも超越している。手の届かない場所に存在しているのかもしれない。
この「手の届かない」というのは、心に響かないという意味ではない。僕は陽水のコアなリスナーではないが(アルバムをフルで聴いているのは「9.5カラット」までであり、その後はメディアで流れる程度でしか聴いていないのだが)、浮気性の僕にしては比較的聴き込んでいる方ではないかと思う。にもかかわらず、手が届く感じがしない。
この感覚をどう言えばいいのか困るが、傲慢な言い方を許してもらえれば、僕は絶対に井上陽水に成れないということがよく分かっているからだろうと思うからだ。僕は悪声で音痴で歌など人前で歌うには憚りがあり、楽器も才能がない。作曲能力も無い。だが、言葉は日本人なので綴ることは出来る。しかし、陽水の書く言葉の数々は、ひっくり返っても自分には書けない。
さらに傲慢な言い方を許してもらえれば(許されないかもしれないけれど)、人生経験を積み恋をし辛酸を舐め、さらに本を山ほど読み言葉を練り上げることを続け習熟していけば、もしかしたら小椋佳やさだまさしや谷村新司にはなれるかもしれないのでは、と勘違いをしてしまったりすることもあるのだが(間違いなく勘違いだが)、井上陽水にはどう逆立ちしても成れないのだ。それがつまり「手が届かない」ということの意味である。
しかし、手は届かないにも関わらず、その楽曲のひとつひとつがどうにもこうにも耳から離れない。なんだこれは。これが芸術の持つ力なのか。
だから陽水を書くのは難しい。いや、ブログなんだもの、書けないわけじゃないと思う。しかし、書き始めると論文のようになってしまわないかという危惧がある。分からないのに惹きつけられるとは何事か。なので分析し、その凄さを何とかして伝えたくなってしまうだろう。
理屈ばかりだな。人の意見を聞こう。
陽水は福岡の出身。この地出身と言えば、語り部は武田鉄矢さんだが、彼はチューリップを語るのと同様、陽水のこともネタにする。
陽水は博多の音楽シーンの中では、まず一番に頭角を現した人なんだけど、なんと言っても暗かった、と言い、必ず一曲の歌を引き合いに出す。それは「たいくつ」という曲の一節。
アリが死んでいる 角砂糖のそばで 笑いたい気もする あたりまえすぎて
これは凄いでしょう、と鉄矢さんは言う。確かにシュール過ぎて凄い。このあと鉄矢さんの話は「傘がない」の無常観の話に続いていく訳だが、人生幸朗の漫才風の鉄矢さんの話はさておき、陽水の描く世界は凡人にはなかなか理解に屈するものが多い。
幻想的である、とか不条理、とか前衛的とか言葉を並べることは出来るがどうも本質を突いているような気がしない。形式や約束事などに囚われないその世界は、思った通りを言葉にしているようにも思えるし、文学的技巧の限りを尽くしているようにも聴こえる。魂の赴くままにひたすら煌めく言葉を羅列しているのか。それとも…。
帽子を忘れた子供が道で直射日光にやられて死んだ
僕の目から汗が滴り落ちてくる 本当に暑い日だ
いやな夏が 夏が走る (かんかん照り)
電車は今日もすし詰め 延びる線路が拍車をかける
満員 今日も満員 床に倒れた老婆が笑う
だからガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ (東へ西へ)
「本当は怖いグリム童話」を思い出す。これは果たして何の比喩なのか。陽水の深さは底が無い。
僕が陽水に出会ったのはやっぱり深夜放送で、当時「心もよう」「闇夜の国から」「白い一日」「青空、ひとりきり」なんかが流れていた。子供ながらそのメロディーラインの美しさに幻惑されていたけれども、今思えば「言葉の軽さを二人で笑い続けて/俺の腕枕お前は眠れそうかい」なんて言葉はマトモに咀嚼してはいなかった。子供だったからしょうがないとも言えるけど。
初めて向き合ったのは、アルバム「氷の世界」である。
この日本で初めて100万枚を売り上げたというLPは、今の100万枚とは比べ物にならない程人口に膾炙していると思うけれども、中身は確かに凄い。「あかずの踏み切り」「はじまり」「帰れない二人」と続くオープニングは組曲であり、「目の前を電車が駆け抜けて行く」から始まるその組曲は、様式を自ら作りつつ「帰れない二人」の地の底から湧き上がるようなドラムスの音で昇華していく。凄まじいまでの芸術だとも思う。「チエちゃん」「小春おばさん」「桜三月散歩道」と傑作ぞろいのこのアルバムは、その金字塔に相応しい。
僕は井上陽水を漁って聴くようになった。子供のこととてアルバムを大人買いするわけにはいかなかったけれど、幸いなことにこれだけ売れている人のレコードは誰かが持っている。「断絶」「センチメンタル」「二色の独楽」「招待状のないショー」と聴き及んだ。きれいなきれいなメロディーラインと伸び渡るヴォーカル。溢れる美意識。そして刻み付けるひとつひとつの言葉。時に理解に苦しむこともあったけれども、それでも心を動かされるのは何故なんだろうか。そう自問しながら。
井上陽水は1972年にデビューする以前に「アンドレ・カンドレ」なる芸名で「カンドレ・マンドレ」という曲で一度デビューしている。この伝説の曲がとあるオムニバスアルバムに入っていたのを当時聴いたのだが、それはまた驚きの曲だった。広がるリリカルな世界。美しくも儚いメロディーに乗せて恥ずかしいほど素直な言葉を繋ぐ。
一緒に行こうよ 私と二人で愛の国 きっと行ける 二人で行けるさ夢の国
「アンドレカンドレサンタリワンタリ…」と二人で愛の呪文を唱えようとするこの歌のヒットを陽水は確信していたのだと言う。だが意に反して全く売れず、井上陽水名義で(本名は陽水を「あきみ」と読む)「人生が二度あれば」で再デビュー。アンドレカンドレとは一転してこの背筋が伸びるほどに内省的な歌は、広く人々に知れ渡ることになる。この歌をご存知の人は多いと思うが、救いがない。淡い恋や甘い感傷などどこかへ飛んでいってしまう。
この「人生が二度あれば」や「傘がない」などの作風。そして「待ちぼうけ」や「夢の中へ」等のアンドレカンドレ以来の軽快で流れるメロディー。「愛は君」「氷の世界」「夕立」等の叩き付ける楽曲。分類などとても出来ないが、それらを共存させ重なり合わせて井上陽水の世界は重層的になっていく。いずれも根底に流れるのは美しい旋律と、何かを超えた言葉の数々。
僕がリアルタイムと重なるのはアルバム「white」からである。このLPは例の事件後であって、セールスは伸びなかったらしい。しかし、このアルバムは実に格好いい。冒頭の「青い闇の警告」にはシビれた。
星の零れた夜に 窓の硝子が割れた 俺は破片を集めて 心の様に並べた
後期の高村光太郎を連想させる詩。そして力強い旋律。陽水の格好良さはそれまでも例えば「ロンドン急行」の「恋人よ/行く先は/着いた時に知らせる」などで十分発揮されていたとは思うが、やはり何か経験が加味されたのかもしれない。
以後陽水は、「スニーカーダンサー」で復活し、名盤「LION&PELICAN」を経て「9.5カラット」で二度目のミリオンセラーを叩き出し、シングルも「なぜか上海」「ジェラシー」「リバーサイドホテル」とヒットを連発させ再び黄金時代を到来させる。僕は社会人になってしまったりで以降それほど熱心なリスナーではなくなってしまったのだが、その活躍ぶりは凄い。現在でも無論第一線である。
井上陽水について書きたいと思って、昔のアルバムなどを折に触れ聴きなおしていた。ブログではたいてい表題に一曲選んでそれについて書く形式を採っているので、どの曲にしようかと考えつつ。
友人のよぴちさんは「からたちの花」をピックアップされている。なるほどそういう切り口もあるなと思う。
実にシンプルに「陽水さんの初期、というのは、いつ頃までを言うのか」という言葉で集約して提示されている。僕のようにクドクド言わない。この曲は歌謡曲風に仕上げてあるが、「あんたとあたい/運も悪いし身体も弱い」などと切り込んで行くあたり、陽水の凄さがやはりある。
どの曲が一番好きか、というのは愚問中の愚問だとは思うが、あえて自分にしてみる。しかしやはり答えは日替わりになってしまう。
しかし、その中でも例えば「いつのまにか少女は」なんて曲は、いつも心に引っかかり続けているような気がする。その独特の美しい調べ。いい曲だなーといつも思う。
君は静かに音もたてずにおとなになった
燃える夏の太陽はそこまで来てる
だけど春の短さを誰も知らない…
最後の「大人になった…」というフレーズでメジャーキーに展開するのかと思わせてそのまままた静かな旋律へと戻っていく。やさしくてきれいだな。
「ゼンマイじかけのカブト虫」では、うたの持つ怖さと深さがよく分かるような気がする。
カブト虫 こわれた 一緒に楽しく遊んでいたのに
幸せに糸つけ 引きずりまわしていてこわれた
この歌は四番まであり、全部聴かないと真意が伝わらないというのもまた当時にしては実験的だったと思うけれども、全てをここに書くわけにはいかない。また、この歌の中に流れるある種の「無機質な不気味さ」というものについて言及したいのだが、それを書き出すと無限に話が延びるので別にひと記事書くことにする。(→別記事)
ともかくも、言葉を削ぎ落としながら歌は進む。
君の顔 笑った なんにもおかしい事はないのに
君の目が こわれた ゼンマイじかけのカブト虫みたい
こうして歌は終わる。これは単なる失恋の喪失感を歌ったものだろうか。それだけでは、この胸に残るもやもやした感情を僕は整理できない。わざと言葉足らずにして余韻を生み出し、何か聴いた後に得体の知れないものを生み出させる。そんな歌は他にないぞ。
もう書き出すとキリがないのだ。「能古島の片思い」について書きたい。「ミスコンテスト」について書きたい。「冷たい部屋の世界地図」「帰郷(危篤電報を受け取って)」も語るに値する。
終わりが見えないので思い出でも書こう。
中学三年の時だったと記憶している。多感な時期だった。僕はクラスの友人たちと放課後、誰もいない体育館に居た。確か、文化祭か何かに催されるクラス対抗の英語劇の練習をしていたのだったと思う。男子三名、女子三名。ひとり帰国子女の女の子が居て彼女がリーダーだったのだが、僕を含む男三人は全然モノにならず足を引っ張り続けていた。
全くうまくならないので飽きてしまい、いつの間にかダベリングに替わっていた。思春期のガキにはこういう時間がたまらなく楽しい。帰国子女の優等生彼女も呆れたのかもしれないが笑いながら話に興じていた。
体育館は講堂も兼ねていて舞台があり、そこにピアノが一台ある。鍵もかかっておらず、帰国子女が蓋を開けて音を奏でだした。それが陽水の「おやすみ」だった。
あやとり糸は昔 切れたままなのに 想い続けていれば 心がやすまる
陽水にはこういう抒情的なうたが時々ある。「Fun」「家におかえり」「眠りにさそわれ」「月が笑う」等々、しなやかな感性が溢れるような曲。多くの不条理な歌と違ってこうしたリリカルな調べは万人の共感を得るはずだ。
僕は、帰国子女に声を合わせた。お、知ってるの、と言わんばかりに彼女がこちらを見る。そりゃ知ってるよ。英語は不得手だけど陽水は好きなんだ。あっ帰国子女がハモり出したぞ。音痴の僕はつられないように必死である。
二人だけの世界に入ってしまってはクラスでウワサになってしまうので(こういうところ15歳だな)、その後メンバーの一人のヤローの家にみんなで練習のために集まった時、僕はLP「氷の世界」を持ち込んだ。オリジナルをみんなに聴かせてやろう。
そして、「氷の世界」を英語劇班のメンバー全員がカセットにダビングして僕は洗脳に成功するわけなのだけれど、集まったヤツの家は金持ちで応接室にやっぱりピアノがあり、そこでもまた帰国子女が弾いてくれた。いいなやっぱりピアノが弾けるって。僕はギター少年だったけれども、猛烈に「おやすみ」を自分でも弾いてみたくなった。
深く眠ってしまおう 誰も起こすまい 暖かそうな毛布で 体をつつもう
その英語劇は大した成績にはならず終わってしまったのだけれども(みんな足引っ張ってゴメンな)、僕はその後、電器屋の特売で単三電池6個で鳴るカシオの小さなキーボードを見つけ、ごく廉価だったので衝動買いしてしまった。中学生が小遣いで買える値段だったと思う。
僕の頭の中には帰国子女が弾いた「おやすみ」と、もう一曲彼女が弾いたRCの「スローバラード」しか無かったわけで、端的に言えば「おやすみ」と「スローバラード」を弾くためにキーボードを購入してしまったとも言える。自分でもどうなのかとは思うのだが、ギターと異なり鍵盤は難しくそんな一朝一夕には弾けない。今の僕であれば、帰国子女に教えてくれと頼み、同時に仲も深めようとするところだけれどもそこは15歳、そんなことは口に出せない。そうこうしているうちに受験の季節を過ぎ、僕は公立高へ、彼女は国際科のある私立へ進学しもうそれきりになった。
結局、イントロしか弾けるようにはならなかったと思う。そして人前で弾くことなど全くなくそのまま挫折した。けれども、そのキーボードは処分もせず今も部屋の片隅にある。押入れにしまう事もせず、電池さえ入れればまだ鳴る。けれど、全然手には取っていない。
もうすべて終わったから みんな みんな終わったから…
なんだか懐かしいな。あの頃の自分が。淡き想い。駄弁っているだけで感じるときめき。そんな人を想い初めし感情なんてどこ行っちゃったのかな。すっかり鍵盤の運指など忘れてしまった僕は、陽水の「おやすみ」を聴きつつぼんやりとそんなことをまた思っている。
トラックバック、ありがとうございます。
今日の綴りは、なんだか「秋深し…」という気持ちで落ち着いて読ませていただきました。
陽水…。私も、この人には絶対になれないと思う人のひとりです。
この感性は時に理解できなくて、その理解できなさを「狂気」などという言葉で表現して誤魔化したくなってしまう。寺山修司さんなどにも言えます。
私は、最初にひっくり返ったのは、「御免」でした。
何にもないけど水でもどうです、って、こんな歌詞あるかな、と思った。実際に、客に水をすすめる人の存在さえ、ちょっと想像がつかなかった。
理屈抜きで、最初にほれ込んだのは「能古島の片思い」です。高1の時、中学の時のクラス会で近くの海にキャンプに行った時、夜、砂浜で一人ギターで歌ったなぁ…。この曲と、さださんの「夕凪」でした。
最近いつも思うことですが、陽水さんにせよ、みゆきさんにせよ、さださんにせよ、その曲を作ったのは若い時なのに、私は40過ぎた今になってはじめて、咀嚼し始めてる気がします。まだ、咀嚼できたというのは許されない気がしてる。
彼らって、いったい何なのでしょう。「才能」というのはそんなものをいうのでしょうか。
同じよに 言葉を読むヒトにとってもとくべつになったのかも。
陽水さんは歌うだけのヒトじゃなくて 言葉を表現するだけのヒトでもなかった。
そういうふうにおもってます。
僕もつい「狂気」とか書きたくなるんです。しかしその狂気が計算づくであったとしたらそれも怖い。詩人の言葉の紡ぎ方というものは解釈するもんじゃないのかもしれませんが、どうしてもいろいろ考えてしまう。そして考えても到達できない。「狂気」よりも簡単な言葉に「才能」或いは「天才」つーのがありまして、言わばブン投げてしまうわけですけど、もうしょうがなくて僕はその言葉は採用しています。分かりやすいですからね。逃げですけど。
「御免」ぶっ飛びましたね。僕は「感謝知らずの女」でもぶっ飛んだ(笑)。聴き込んでいくとそんなのいっぱいありますなあ。この感性はなんでしょうかね本当に。
「能古島の片思い」も書きたかったんですよ!ありゃいい曲ですねー。やっぱり書けばよかったかな。もうね、ホント溢れちゃうんですよ。よぴちさんは「帰れない二人」も確か書かれましたよね。僕なんかは長くなっちゃうんであれもこれもと書き出すと無限、ということになりかねませんのでどう〆るか、が課題なんですよ。
僕は以前別ブログで、中島みゆきさんの「親愛なる者へ」について「若いときはこのアルバムの、100あるうちの20しか分からなかったことが10年経てば40分かるようになってくる。それをまるでアルバムの方が進化したように勘違いしてしまう」と書いたことがあります。これは陽水大先生もまっさんも同じことです。この人たちはなんでこうも老成しているのでしょうね。やっぱり「才能」と書いてブン投げてしまいたくなりますよねどうしても(笑)。
陽水氏は、お医者さんになってたかもしれないんですよね。でも受験というもんがあって、そんなのに妨害されちゃって、んで何年かして歌を歌うようになったと聞きます。
まあ、僕らにとっちゃシンガーになってくれて有難かったですね。このとくべつな人がうたの世界を選んでいなかったとしたら惜しいですよそりゃ。
さっき食事しながらTV見てましたら、筑紫哲也さんの追悼番組で陽水氏が歌っていました。もう還暦なのにハンパじゃない声でしたね。まだまだ凄いですよ。
谷村さんより、井上陽水さんのほうが書けるんじゃyないかという大きな錯角を抱きます。(錯角ですが)
それはシュルレアリスム的であったり、相反する思想が交錯するように書かれている点です。
医大受験の頃までの抑圧された精神が、枯渇しない創作欲求の源なのかもしれませんね。
p.s
プロレス画は、最近めっきり描いていませんが、「井上陽水さんの似顔絵」は描きましたので、よろしければのぞきに来て下さいませ。
小技さんのご活躍は時々拝見させていただいています。僕は素人なので、画家としての小技さんの凄さにはただただ感嘆するばかりです。
絵というもの、ことにイラストには、僕などが見ますとやはり現実を増幅させた創作によって伝わる部分が多い。それはデフォルメと僕らは簡単に言ってしまったりしますが、作家の意思が突出していく部分が感じられた方が分かりやすい。
その、通常瞳に映じる部分を超えて表現するのがシュルレアリスムなのかもしれませんし、対象物への愛情と少しの悪意(本当に悪い意味ではないつもりで)が交錯すると僕らシロートが見ても面白く感じるわけで、そういう意味においては、小技さんと陽水さんにはどこか共通点があるのかもしれません。だから、おっしゃることは錯覚ではないのではないでしょうか。
小技さんにも、枯渇しない何かがあるように思えてしかたがありません。
小技さんとは、もうブロガーとしてのお付き合いをするのは失礼かなとも思い(それ相応の手続きも踏まずにイラストレーターの作品を勝手に参照するという行為において)、イラストにリンクを貼ってTBするのも控えていましたが、プロレス画もまた見たいなぁという気持ちはファンの一人としていつも持っています。コメントいただき本当にありがとうございました。
「おやすみ」にまつわるお話に、思わず切なくなってしまいました・・・。
個人的に、井上陽水はベスト盤だったりパフィーの「アジアの純真」の作詞だったり奥田民生との共作等々でしか触れていませんが、陽水さんの詞は、発想が尋常じゃないなと思ってました。
記事を読ませていただいて、オリジナルアルバムをちゃんと聞きたくなりました。
ちなみに僕の父親もよく井上陽水を聞いてました。
が、筋肉少女帯がカヴァーした「氷の世界」を聴いたとき「こん~なの『氷の世界』じゃねえべよ~」て怒っていたのが印象に残ってます。(笑)
しかし「北京 ベルリン ダブリン リベリア、美人 アリラン ガムラン ラザニア」とはいったい何でしょうかね(笑)。もうあそこまでくると理解を超えていますねー。韻は踏んでいますが。
でも、そうですよね。陽水氏の全盛期ですと、もうrollingmanさんのお父様世代ですよね。僕は筋少の氷の世界は知らないなあ。大槻ケンヂとは同世代なんですけど(笑)。
イントロしか弾けない一曲
もし、全部弾けたなら…弾けるようになっていたら何かが変わっていたのか…
今なら穏やかな気持ちで想える幸せ。
歳を重ねるって案外悪いことばかりじゃないと想える瞬間。
陽水の詩の世界はまだまだ理解できないまま…です。
魔法を自由にあやつれる魔法使いと同じような“言葉使い”って感じがして…。憧れでもあります。不良になれないくせに不良の自由な振る舞いに憧れる感じ。
淡い想いの残り香が微かに私にも伝わりました。
幼い日に、ピアノを習うチャンスがあったのです。実家の斜め向かいにピアノの先生が住まれてましてね。その人に可愛がられていたもんで、「やってみない?」とずっと言われていました。でも、ヤンチャなガキでしたのでその時は全く興味が湧かなかった。
あの時ピアノに親しんでいたら、何かが変わっていたかもしれない。こんなささいなことでも、分岐点があったのかもしれないと思ってしまいます。
もちろん、今はそんなことを「穏やかな気持ちで」ぼんやりと考えているだけですけれどもねー。淡い想いもいったい何処へ行ってしまったのか(笑)。
「おやすみ」…
かんかん照り、かぶと虫、東へ西へ…
こうして、文字で歌詞を読むと本当にシュール?ですよね。
何気なく聞いて覚えて歌うってのとは、やはり違って頭に入ってきますね。
ピアノは激しく同意って気持ちですね!
姉が習っていたので、「ついでに僕もっ」て話があったのですが、その時には食指が動かなかったのですよねぇ。
今思えば、あの時に習っておけば、楽譜が読めるようになっていて、耳コピなんかもできるようになっていたりして…なんて考えてしまいますね!
しかしながら、中学2年の時に「スローバラード」を弾いた彼女って、どこで聞いたんでしょうかね!?
まだ、RCってメジャーになっていない頃ですよね!?
きっと、「帰れないふたり」なんかのピアノも弾けたのかもしれない。
ご存知の通り、この曲は清志郎と陽水の共作!
この曲ではシングル(B面)と氷の世界で当時全然金が無かった清志郎に「大金」が舞い込んできたそうですね!
ピアノに関しては、無理にでも通わせなかった両親を逆恨みしている僕なのです。
もっとも「スローバラード」といえばマイナーの部類に入っているかもしれません。「おやすみ」と言えばもっとマイナーでしょうね。いくら大ヒットアルバムの一曲とはいえシングルではありませんから。
両方を知るさくぞうさんならおわかりいただけると思いますが、この二曲のイントロのピアノのリリカルな旋律といったらもう…(笑)。
「帰れない二人」ですとピアノもそうですが、あの沸き起こるドラムが印象的だなあ。あれポンタさんでしたっけ?ちょっと忘れたんですが。
それにしても、ピアノやっておけばよかったっすよね(笑)。
私は小学校5年生の秋に「夢の中へ」に出会い、井上陽水を知りました。
雑誌「明星」や「平凡」に付録の歌の本に載っていて、ギターのコードも書いてあるんですよね。
父が買ったステレオセットのおまけで貰ったギターで、そのコードを見ながら弾いていたものです。
誕生日プレゼントに陽水のレコードをお願いし、
母がレコード屋さんに相談して買ってくれた、初めての陽水のレコードが「招待状のないショー」でした。
1曲目が「Good,Good-bye」。
なんてかっこいい曲なんだろうってスッカリ心奪われて、
このレコードの虜になっちゃって、毎日毎日ヘッドフォンで聞いてました。
あらぁ~懐かしい~♪
「White」では「愛の装備」です。
♪もうすぐ君のエリアに入る 今は家路を急いでいる♪
ってトコロが好きでした。
あの事件が全て済んで、家に帰る時にきっと作ったんだって、中学生の私はそう思って聞いていました。( *´艸`)クスクス
でも陽水で1曲選ぶなら、実は「あどけない君のしぐさ」です。
こんな何気ない日常を切り取ったこの歌の、好きな人と一緒に暮らしている様子に憧れました。
それから「海へ来なさい」も好きな曲です。
♪魚に触れるようなしなやかな指を持ちなさい♪
なんてステキな表現なんだろうって…
ああ、こうして書いていたら聞きたくなります。
波の音が聞こえそうな、南の国を感じる曲が好きなので、「summer」や「I氏の結婚」も好きです。
長々と語っちゃいたくなっちゃうので、そろそろ失礼します。(既に長いか…)
忘れていた色んな事を思い出して朝jから胸がいっぱい。
そうでした、「ある日の午後」1曲買いしました。
今は便利ですね。
1曲だけ買えるなんて。
こんぶさんのような筋金入りの陽水ファンの方に読んでいただくにはあまりにも恥ずかしい記事なのですが、「中三の想い出」という共通項があっためについ。
「あどけない君のしぐさ」はいいですね本当に! 心が疲れたときに聴くと、じんわりと溢れてしまいます。
こんぶさんが「長々と語っちゃいたくなっちゃうので」と書いてくださったので、それに便乗して。
陽水さんが好きとおっしゃる方は、たいてい語られるのです。それはマニアの領域に入る方でなくても、昔アルバムを2~3枚聴いたことがある、くらいの人でもそうなんですね(「少年時代」しか知らない「陽水ファン」のことは措きます)。
で、一番好きな曲を挙げる場合、たいていそれはシングル曲ではなくアルバムから一曲を選び出してくる。そして、いちばん好きな曲はこれだと言っておきながら、挙げる曲が一曲でおわらないところもまた共通しているかも(笑)。
これは、陽水の多様性、裾野の広さをあらわしているとも言えます。またそうでありながら、誰もが「自分だけの陽水」を持ちたいと思ってしまうようにも感じます。そんなことを考えると、このひとは凄いなとホント思ってしまうのです。
1曲買いされたのですか。最近は本当に便利になりましたよねー。レコード屋さんに行かずとも手に入ってしまところも。(^^)