凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

僕の旅 島根県

2006年09月03日 | 都道府県見て歩き
 鳥取県の旅の続きになる。朝、大山に登った後、島根県へと入った。

 島根県に訪れるのもむろん初めてではない。最初に来たのは20年以上前の自転車旅行の際だったが、そのときは松江で時間をとり、松江城や小泉八雲旧宅などを観光し、少し走って出雲大社へ。そして傍にある出雲の阿国の墓などに詣で、日御碕まで行った。この日御碕には白亜の東洋一とも言われる灯台が聳え、一級の景勝地である。ここまでは自転車で訪れた。しかし、その後は出雲から山口県の萩まで一気に走ると言う愚行をやってしまい(人力移動の旅 3)、あまりあちこち見てはいない。
 その後、津和野へピンポイントで出かけたり(この城下町は本当にいい。西周と森鴎外の旧宅が残るが、この津和野藩が明治の言語発信基地を担ったということがわかる)、また結婚してから妻と同じような足跡を辿ったりで、いまいち深め切れなかったとも言える。あとは通りすがりとか、そんなことばかりだった。もう少し出雲の国をしっかり歩きたい。そんな望みをずっと持っていた。

 今回は、もう少し細かに歩きたいと思う。テーマは「神話と金属」である。
 島根に入ってまず訪れたのは安来の「和鋼博物館」である。良質な砂鉄を産した出雲は鉄の文化圏。古来から製鉄が連綿と続けられていた。その歴史は、神話時代まで遡ることが出来る。大陸と近いこの出雲の地は、古くから製鉄技術が発達した。あるいは良質の砂鉄を求めて大陸から技術者が渡来したとも考えられる。その「たたら製鉄」は、素盞嗚尊に天叢雲剣(草薙剣)を与え、大国主命率いる出雲王国を造り出した。国譲り神話は鉄を求めてのことであったかもしれず、出雲製鉄を少しでも垣間見たい。
 「和鋼博物館」はなかなかに凄い展示物が多い。もちろん古代の製鉄のことなどは分からないことだらけらしいが、近世の「たたら製鉄」については実に詳しく解説してくれる。砂鉄採取法である「鉄穴(かんな)流し」や、原始的溶鉱炉である「たたら吹き」の手法。近代以前の製鉄法がよく理解できる。そこにある「天秤ふいご」はそれは見事なもので、この仕組みを大掛かりにして表現したのが「もののけ姫」に登場する。
 すっかり勉強になって製鉄にグンと興味がわく。

 その後、ちょっと寄り道して広瀬の月山富田城へ。テーマとは逸れるが、山陰の覇者、尼子氏の本拠となった城は是非訪れておきたかった。ここは一見の価値がある。なかなかにすごい。
 さて、その後「八雲立つ風土記の丘公園」へと行く。このあたり一帯は出雲文化の中心地。ここの資料館には、様々な興味深い遺物が展示されている。
 早速、銅鐸や銅矛、銅剣に目が行く。荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から出土したもの、その他である。鉄ではなくてここでは銅である。
 熱心に見ていると、ボランティアガイドのおじさんがやってきて、あれこれ解説してくれる。こっちもある程度は勉強してきた。なので話が弾んでしまう。
 「これはどうもこの地で作られたものではない可能性が高い。畿内から持ち込まれたのでしょう」
 「いやそう決め付けるのはどうでしょう? 出雲王国は銅も産出するし、この地で作られたかもしれないじゃないですか」僕は食い下がってみる。出雲王国を過小評価したくない。
 「しかしここは銅鐸文化圏じゃないこともあるし」
 「いや、ここから畿内へ伝播した可能性もあるのでは? 」
 おじさんと話が弾むが、それをここにいちいち書くわけにはいかない。
 ここには例の「景初三年」の三角縁神獣鏡や、「額田部臣」銘の刀もある。国宝、重文だらけだ。すっかり堪能すると、おじさんは敷地内にある岡田山1号古墳の鍵を開けるから見て行けと言う。それは重畳、と有難く拝見する。
 石室に入ると、実に小さい。石棺は子供用のようだ。おそらく、もがりを済ませて骨だけ収めたのだろう。
 「石室が畿内に比べて狭いでしょう」おじさんはどうも卑下する。
 「いや、そんな石舞台などと比べてはいけませんが、この時代なら立派ではないですか。天石も3つで出来ていたし。だいたい前方後方墳なんてすごいと思いますよ。さすが出雲だ」
 出雲を誉めるとおじさんは喜んでくれる。礼を言って資料館を辞す。
 ここのまわりは遺跡と神社だらけだ。神魂神社や八重垣神社、また出雲国庁跡や国造屋敷跡、そして山代二子塚古墳などあちこち回る。楽しい。

 しかし、朝には山登りをしているのである。さすがに疲れて、玉造温泉に行き一浴し、松江泊。
 ここでまた美味い魚で一杯やるわけであるが、ちょっと食べたいものもある。それは「鯛めし」。松江の老舗旅館、皆美館では、鯛めしを供してくれる。これは鯛を炊き込んだものではなく、また刺身を飯にのせる「鯛茶」でもない。鯛のそぼろを、温かいご飯の上にのせて、ゆで卵のみじん切りや海苔、山葵などの薬味をのせ秘伝の出汁をかけて食べるもので、これはなかなかに美味い。泊まらなくてもレストランを併設しているので、そこへ行き何杯もおかわりした。いやあちょっとこれはイケますよ。

 翌朝、今度はまず加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡を回る。昨日の風土記の丘資料館で出土したものを見たばかりだ。
 加茂岩倉遺跡は、全国最多39個の銅鐸が出土した場所。そして荒神谷遺跡は、全国最多358本の銅剣と、そして銅矛・銅鐸が同時に出土したところである。
 何故こんなところから、ということはさておき、よくぞ発見したものだなと思う。重機で掘り返して見つかった岩倉遺跡はともかく、荒神谷遺跡は、ふと拾った土器から発想して、考古学的にトレンチを入れて発見されたのである。その慧眼。洞察力。感嘆する。出雲の国の実力を知る思いがする。
 荒神谷の博物館はまた充実している。訪れるに値する。

 さて、ここまで来れば出雲大社に行かないわけにもいかない。もう4度目か5度目ではあるけれど。
 以前訪れた時から変わったことと言えば、あの「雲太」32丈とも言われる高層建築であった神殿の心御柱が発見されたことだろう。もう既にその発掘現場は埋め戻されてはいるが、神殿の前に「ここで心柱が発掘されましたよ」という解説があり、その跡はここであると、石畳上に色をかえて示してある。分かりやすい。
 稲佐の浜にも寄る。ここは「国譲り」伝説の当地だが、特にそれを伝えるものはない。しかし、遥かに見える三瓶山は、何か浜に神々しさを与える効果がある。
 大社前で「出雲そば」の昼食。この出雲そばは、割り子と呼ばれる器に盛られ重なって供される。新潟の「へぎそば」と並んで僕が日本で最も愛しているそばと言っていい。ああ美味い! 思わず割子をお代わりする。

 昼からは、ちょっと出雲を離れて石見の国へ。進路を西にとる。目当ては「石見銀山」である。
 この石見銀山、世界遺産指定に王手がかかっているらしい。行った事がないのは残念なので一度訪れようと思っていた。鉄・銅に続いて今度は銀である。
 さすがに世界遺産目前ということもあり、よく整備されている。江戸時代の街並みを残す大森地区を歩く。代官所跡が資料館になっていて、ここでしばし涼みながら資料を鑑賞。石見銀山が初期の頃、いかに力を持っていたかがわかる。歴代代官を見ると、初代が大久保長安である。またこの人か。佐渡金山も長安だった。この、武田領の鉱山開発者をルーツとする彼の生涯は実に数奇だ。
 長安について語る場ではないので、次へ進む。この奥には、間歩(まぶ)と呼ばれる坑道が到る所に残されている。穴だらけだ。その中で龍源寺間歩というのが入ることが出来るので、覗いてみる。この坑道を人の手で掘ったのか。実に恐れ入る。
その他長安の墓や、吹屋跡(精錬施設)などあちこち歩いて、銀山を後にする。
 歩いて疲れたので、すぐ近くにある温泉津(ゆのつ)温泉で一浴。いいお湯ですなあ。出雲市に戻って泊。

 さて、最終日。出雲の鉄関連の史跡を見て回る。
 まずは細い山道をクネクネ行き、菅谷高殿へ。ここには、近世に行われていたたたら製鉄の跡が唯一、現存している。高殿とは、たたらを吹くと炎が高く上がり、建物に燃え移ってしまうため屋根を高く上げた建造物である。ここの山内(たたら村のことを山内と呼ぶ)には、高殿だけでなく元小屋や水車を付けた大銅場、様々な製鉄に関わる建造物が残されている。たたら製鉄の一級の史跡である。ここは大正時代まで稼動していたという。
 その菅谷山内の持ち主だった田部家屋敷(蔵がずらりと並ぶ)、そして鉄の歴史博物館、可部屋集成館などに車を走らせる。みんな山の中だ。斐伊川とその支流に沿って、緑があくまで豊かな山々。この山々の森がなければ、炭も作れず強い火力を必要とする製鉄は出来なかった。弥生式農業と違う文化を持ったたたら人が、古代からこの山々に跋扈していたのだ。それが、出雲の力でもあり、神話を担った人々なのかもしれない。

 途中、出雲湯村温泉に寄って一浴。ここの共同浴場は趣がある。露天風呂もいい。その後、JR亀嵩駅による。この松本清張「砂の器」で高名な亀嵩の駅は、蕎麦屋を兼業している。ここで割り子そばを食べたのはもう10何年前だったか。久しぶりに立ち寄る。
 以前、この駅の蕎麦屋には映画「砂の器」の写真が多く飾られ、丹波哲郎や松本清張の顔が目立ったものだが、今は渡辺謙一色だ。時代が変わったなと思う。
 出てきたそばもまた以前とはちょっと違う趣だった。以前は太打ちで、蕎麦の香りが強い、どちらかといえば蕎麦掻きを連想させたそばだったが、今回食べたのは包丁捌きも鋭い細麺だ。職人さんが変わったのかな。しかし香りは相変わらず高い。

 さて、旅も終わりに近づいている。金屋子神社、奥出雲たたらと刀剣館と回り、最後に、昭和になって昔のまま復元され開設された日刀保たたらへと行く。現在唯一、日本古来のたたら吹き製鉄法で玉はがね鋼を生産しているところである。見学などは叶わなかったが、その前に立てたことだけで十分である。
 ここは、県境である船通山のふもと。砂鉄を運び続けた斐伊川の源流でもある。遥か船通山を仰ぎ見る。この山はかつて鳥髪山と呼ばれた。神話では、素盞嗚尊が降り立った場所でもある。ここで、あの八岐大蛇と戦った。素盞嗚は鉄とどういう関係があったのか。八岐大蛇とは何物か。
 空は少し曇り加減だったが、その厚い雲の切れ間から幾筋も光線が延びてあたりを照らす。神々しい風景だ。山も川もみんな神さびて見える。船通山に光が差す。神話の世界の人々も同じ風景を見ていたに違いない。

 僕は莞爾として、帰路につく事にした。山を越えれば、中国自動車道で一気に帰れる。名残は惜しいが、これで旅を終わる。

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8 コメント

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最近の私の興味♪ (jasmintea)
2006-09-04 21:21:56
「鉄」と「水軍」(船かな?)にハマっています。

この二つは「神話」と並んで畿内の王権確立のポイントのような気がして。

でも古代の水軍を書いた本ってあまりないのでただ今悪戦苦闘中です。



>「いや、ここから畿内へ伝播した可能性もあるのでは? 」



このお話は伺いたいです~!

畿内の文明より先に出雲でなければ話がつながらないことも多いですよね。

先日島根県の砂鉄のことを書いた本も読んだばかりなのでゴックンものの話題です~。

この話でゲップが出ちゃうほどお腹いっぱいになりたいなぁ



PS 今回は食べ物の話題も満載でこちらも「うらやまし~」のひとことです
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>jasminteaさん  (凛太郎)
2006-09-05 22:59:05
出雲の青銅器は、大和で造られて出雲に運びこまれたというのが定説となっていますね。兄弟銅鐸(同じ型で作られたもの)なんかからの推測もありますが、しかしねぇ…。出雲は鉄と同様有数の銅山をかかえていますね。そこいらへんから、出雲から青銅器文化が始まったという考えもありかなと。楽浪郡との交流も言われていますし、辰韓(新羅)との繋がりもあります。素盞嗚は新羅から来たとはよく言われる話。ちょっとコメントでは書きつくせませんけれどもね(笑)。



あと、本文で書き漏らしたのですが石見の物部神社にも行ったのですよ。何故この神社が石見の一宮なんでしょうね。妄想が走り出しますね。



食べ物は鯛めしと蕎麦しか書いていませんが、出雲の割子そばは大好きなのです♪
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もののけ姫 (アラレ)
2006-09-08 00:48:14
まだ一度も行ったことがない場所ってたくさんあるなぁってしみじみ思います。たたら…という言葉を改めて知ったのはもののけ姫でした。出雲大社は縁結びの神様ですよね。

茨城県にも分社?があり、そちらには行きましたが…。



旅に出たいなぁ~

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>アラレさん (凛太郎)
2006-09-08 23:07:08
ありがとうございます。

古代製鉄とか出雲神話とかそういうことについては趣味の範疇なので置いておいて、なんで出雲大社は縁結びの神様になったのでしょうね?(笑)。

主神である大国主命と、八百万の神が集まって話すことは「縁結び」であると言われますが、そもそもは男女の縁結びではなく国家間の連合を示しているのでは、というのが僕の想像です。国譲りの怨念がまだ残っているという解釈ですが…殺風景すぎますよね(汗)。



さて、出雲大社では5円の賽銭です。これは「ご縁」から当然来ているわけですが、昔はともかく貨幣価値の変わったこの時代それでは神社の収入に係わりますので、45円(始終ご縁)などとインフレ化が進んでいるようです。が、それでも少なく、50円、500円と倍数で御利益倍増を目指す賽銭も増えている由。いろいろですね(笑)。
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みな美の鯛めし (pipi)
2008-01-10 19:16:49
昨夜に続いての書き込み、失礼致します。しかも一昨年のものなのに、スミマセン。

実は松江在住なんです~

みな美の鯛めし&割子がお好きとうかがい、のこのこと。。。。(^_^;)
鯛めし、私も大好物なんです。
みな美は夜はさすがにお高く、めったに行きませんが
お昼はお手ごろですものね。
松江のお殿様(茶道で名高い松平不昧公)が、汁かけご飯がお好きだったとかで、考案されたとか。
具のバランスを考えながら、何杯も食べてしまいます。
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>pipiさん (凛太郎)
2008-01-11 22:54:41
あーほかの記事も読んでいただいてありがとうございます。うれしいなぁ。都道府県別の記事はもう三年書き続けているのにまだ終わらなくて、ようやく今九州にまでたどり着いたところです。今年中に沖縄まで書いて完結できるかなぁ(汗)。
松江の方でしたか。いいところですねー。街に気品と趣きがあって。
みな美は以前昼間に行ったことはあったのです。お手ごろですよね。比べて夜は確かに高い。鯛めしだけでなく刺身や天ぷらも供されますので、昼間の二倍以上しますから。もちろん僕の場合夜は酒も呑んでしまいますのでもっと…まあしかし旅行はエンゲル係数が高いほど充実するという自論がありまして(笑)、満足しています。本当は皆美館に泊まってゆっくり温泉に入って…が望ましいのですがそこまではさすがに出来ません(汗)。でも鯛めしはうまい! 呑んだあとだとさらに美味さが倍化するような気が(僕だけ? ^^;)。
割子そばは全国のそばの中でも出色だと僕は思っているのです。素朴なのに力強く品がある。これもたまりませんねー。
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古事記シンボルの極秘 (十神山)
2012-05-25 22:56:05
 実はそういう分野は出雲地域でもたぶん安来市あたりが充実しているように思います。そこにある日立金属という会社に社用で行った帰り、思い切ってレンタカーを借りて半日色々と行きましたが、不思議な古社があってとても楽しいでした。
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>十神山さん (凛太郎)
2012-05-29 05:46:30
やはりあちらのほうが本場ですかねー。僕も最近そんな気がしているのですよ。古跡といい、川といい。あの頃(6年前)は少し勉強が足らなかった(偏ってた?)ようにも思うわけです。
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