凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

永井龍雲「問わず語り」

2011年04月30日 | 好きな歌・心に残る歌
 日本のフォークソングは、最初はやはり洋楽の影響から始まったと聞く。それは、ピーター・ポール&マリーであったりキングストントリオであったり、またジョーン・バエズ、ボブ・ディランなど、プロテストソングの系譜がある。僕はまだ生まれていない。そういった音楽があって、日本のフォークというものが誕生してくる。
 僕が生まれた'65年あたりから、関西にフォークの萌芽があらわれる。高石友也や岡林信康、西岡たかし等の大御所が登場し、東京では小室等先生らが活動を始める。僕は言葉もまだ覚えていない頃。
 僕が初めてそういう音楽に触れたのは、三歳のときのシューベルツ「風」であり、また意識したのはTVで流れていたガロの「学生街の喫茶店」であることは、以前にも書いたことがある。
 ラジオの深夜放送を聴きだしたのは、特に早熟というわけではなかったと思うけれども小学校5年くらいであり、その時に僕の中にフォークソングという音楽がどっと入ってくる。まさしくいちどきに、来た。なので、高石ともやも吉田拓郎もかぐや姫も、NSPもふきのとうもみんな既存であり、横一線。時間に差がない。したがって、時系列を追えない(資料的には追えるけれども)。
 だから僕にとってはこの人たち全てが第一世代である。上の世代の人から見れば、高石ともやと山木康世や天野滋が同じくくりとは阿呆かと言われるだろうが、これはもうしょうがない。
 そうして、エアチェックを重ねカセットテープのライブラリーを増やしていた少年時代。そういう'70年代後半に、新たにデビューしてくるフォークシンガーがいる。ここからが、僕の中では第二世代になり、頭の中でも時系列を追って登場してくる。
 僕がラジオを聴いていた頃、「大型新人」としてまず現れたのは、松山千春だった。「デビューの時から知っている」と言えるのは、この人が僕にとっては最初ではないか。
 そういう僕の中のくくりだけで「第二世代」としてしまうのは甚だ恐縮な話ではあるのだが、もうひとつ言えるのは、松山千春は「岡林信康や加川良に影響を受けて音楽を始めた」と公言している。それより上の世代は、だいたいが前述のPPMやボブディラン、またS&Gもあるだろうし当然ビートルズもあるが、やはり洋楽から出でて、自分達で日本のフォークという音楽を作ってきた人たちだろう。そして、そういう「日本発のフォーク」の影響下で音楽を始めた、というのは、やはり第二世代と言ってもいいのではないかと思えてくる(さだまさしが加山雄三の影響を受けた、というのはひとまず措いて)。
 このあと、新人がぞくぞくと現れてくる。
 ここからは時系列で僕の記憶にあるのだが、その翌年あたり、鹿児島出身の歌手が出てくるのではなかったか(僕はこの吉田拓郎に影響を受けたという、今もカリスマ的人気を誇る歌手を全く受け付けないのだが…公けのブログでこういうことを書いてはいけないとは思うのだけれど、だんだんそういう気遣いが面倒になってきた。あくまで僕の好みだと受け取って欲しい)。
 そしてまた翌年くらいに、永井龍雲が出てくる。円広志もそうだったかもしれないが。

 永井龍雲を最初に聴いたときは、なんてきれいな声の人だろうと思った。もちろん、松山千春という人も抜群の歌声を持った人だが、チー様が朗々と歌い上げるのに比べ、もっと脆さを内包した、少年が胸を遠慮がちに張りつつ歌う声。チー様はもう既に老成していたかのような完成した歌声だが、永井龍雲の歌声はまだ途上の、みずみずしさあふれる叫び。
 当時、まだ20歳だったんだな。永井龍雲は。
 そしてその曲が、また不思議な魅力を持っていた。デビュー曲の「想い」。

  どうしたらこの苦しみを逃れることができるのか

 なんでデビュー曲の詞の冒頭が、こんな「一握の砂」みたいに辛いのか。ところが曲調は「永井節」とも言える晴れやかかつ伸びやかなメロディ。しかしこの曲が徐々に進行するにしたがい、まるでグレープの曲のように寂しく終わる。あまりこういう曲調をしらなかったので、少年の僕にはとても印象深かった。
 当時、僕が便宜的にそう書いた「第二世代」は、やはり「○○二世」的な評価のされ方もしていた。マスコミというのはすぐにそんなふうに例えたがるのだが、松山千春が岡林二世だとすれば、あの鹿児島出身の歌手(ゴメンナサイ検索避けです)は拓郎二世、そして永井龍雲は「井上陽水二世」だと言われたのを聞いたことがある。なんだそれは。
 共通項は、同じ福岡出身だったということと、名が「陽水」「龍雲」とまるで僧侶か書道家のような名前であったこと、そして、髪型が似ていたくらいだっただろう。音楽性は僕の判断で申し訳ないが、異なると思う。ただ、陽水になぞらえられるほど嘱望されていたのは確かだ。 

 永井龍雲は翌年「つまさき坂」を経て、「道標ない旅」がヒットする。この曲は、グリコアーモンドチョコのCMソングになったから、僕と同世代、もしくは上であれば知っている人が多いと思う。

  大空に群なす鳥達よ 君の声を見失うなよ
  青春を旅する若者よ 君が歩けば そこに必ず道はできる

 名曲の誉れ高い「道標ない旅」。希望に満ち溢れている。青春とは何と素晴らしきものか。
 話がずれるが、今もそうかもしれないけれど、当時はCMソングってすごかったなぁということを思い出す。CM使用曲はヒットが約束されていた。このグリコのCMも、前年に使用された曲は松山千春の「季節の中で」だ。これがチー様の大変な出世作になったのはいうまでもない。
 その「季節の中で」に劣るとは思えない「道標ない旅」だけれども、そこまでは売れなかった。これは、流されていた期間の問題だった、とも言われている。
 この永井龍雲の曲が採用されたCMがオンエアされていた時、山口百恵・三浦友和が恋人宣言。グリコはこの話題を逃さず、「道標ない旅」CMを打ち切って百恵友和が共演していた過去のCMに切り替えた。よって、「道標ない旅」はオンエア期間が短い。
 この曲がずっと茶の間に流れ続けていたら、とifを考える。そうすれば「季節の中で」や「愛のメモリー」みたいな認知度になっていたかもしれない。であれば、この青春賛歌は、例えば合唱コンクールの課題曲になったり、卒業式で歌われたり…もっと違う残り方をしたかもしれない。永井龍雲その人も、また違った道が出来ただろう。

 永井龍雲は、この「道標ない旅」に続くシングルとして「悲しい時代に」をリリースする。
 僕はこの曲を聴いたときに「道標ない旅」を超えた、と思った。これはいい曲だと思った。しかし予想に反して、それほど話題にはのぼることがなかった。そういうもんなんかな。

  なんて悲しい時代に生まれて来たんだろう 目に見えぬ物に怯えつつ生きている
  せめてお前だけは惑う事なく 僕と歩いてほしい

 この曲には確かに、朗々と青春を賛美した「道標ない旅」とは違う「影」がある。その影が何に起因するのかは、わからない。「人の流れの中で僕たちは同じ型に個性(いろ)を無くした」というその悲しい時代の中でなんとか主人公は希望を見出そうとするけれども、それは「せめてお前だけは裏切らないで」という痛切な叫びとなっている。
 以後、永井龍雲は鮮烈なスポットライトを浴びることはないけれども、音楽活動を今でも続けていってくれている。先日、偶然TVで龍雲さんを観た。年齢を重ね、味わいを増している。今は沖縄在住らしい。なんと羨ましい。そういえば龍雲さんのご母堂は、確か奄美の方だったはず。

 当時僕が好きだった曲に、「問わず語り」という曲がある。3枚目のアルバム「暖寒」所収。

  向かい風に逆らうようにして今日まで俺は生きてきた
  道の小石に足をとられても黙って埃を掃った

 この曲が、なんだか歳を重ねた自分に妙に沁みいる。
 そもそもおっさん対象のうたなのかなとも思うけれど、永井龍雲が当時21歳であったことに気付き愕然とする。まだ「今日まで俺は生きてきた」というほど生きてないだろ。でも、ミュージシャンってそんな感性くらいは持ってるんだな。そういえば河島英五が「酒と泪と男と女」を作ったのも19歳だったというからね。
 そうやって思えば、これは演歌だな。演歌とフォークの違いなんて、編曲と歌唱法くらいだから。

  言い訳じみた強がり吐いてはこっそり震えているのさ
  問わず語りで独り言みたいにこれでいいんだとそっと呟く

 酒をガソリン代わりに呑む、なんてのはさすが九州男児だなと思うけれど。僕にはそんな呑み方は無理かなあ。
 それはともかく、だいたい男なんてのは、こういうものだと推測。観測範囲は、自分を含む狭い範囲だが、多くはこっそり震えていると思われる。ブログ書くのも「問わず語り」であるのは、間違いない。

  コートの襟を立て隠れるように今は風に追い立てられてる

 追い立てられても、なんとか生きていけるよ。そう自分に言い聞かせながら、今日もぽつりぽつりと歩いている。


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2 コメント

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鳥のようなもの (よぴち)
2011-05-19 14:28:14
凛太郎さん

同い年で、「マセ具合」も似ていたと思われる、凛太郎さんの「凛太郎音楽系譜」は、ホントに実感を伴って読めますね。

永井龍雲さん、数年前、NHKでやっていた音楽番組「フォークの達人」に、出演されてたんですよ。
私は、当時まだ、DVDレコーダーなるものを持ってなかったんですが、妹に頼んで毎回録画してもらい、今も、堪能させていただいてます。
他にも、加川良さんなど、シビれる方々が揃っていたのですが、なぜだか、永井さんのを観ると、歌が始まると必ず、条件反射のように泣けて仕方ありません(他の方は、必ずしもそうではないのに)。

私も永井さんとの出会いは「想い」。この曲は、福井のローカルラジオ番組「キャンパス・ヤンヤン」で、「愛の伝書鳩コーナー」なる、リスナーからの告白ハガキを読むコーナーのBGMに使われていました。毎週、この曲を聴くのが楽しみでした。もちろん、自分で弾き語りもしました。

最近のアルバムはあまり聴いてなかったのですが、「フォークの達人」で歌われた「鳥のようなもの」という曲が、「想い」「悲しい時代に」に並んで、私のベスト3です。
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>よぴちさん (凛太郎)
2011-05-21 05:40:15
なんだかね、この時代のことばかり繰り返し書いているような気がします。このブログの題材って、他のカテゴリも含め小学校高学年、中学校くらいからの10年間が核ですね。
共通する部分もやっぱりあるでしょうね。(*^-^)

しかし「鳥のようなもの」という歌は知らなかった(汗)。
僕は、いまどき珍しいBS視聴可にしていないDVDレコーダー持ってないという化石のような人間なので、こういう抜けも生じています。(←それと歌知らないのは関係ない)
龍雲さんは、声がいいんですね。少年のような声。やっぱり「想い」が原点。当時に引き戻されるようです。
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