ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

ベリーダンスにヨガ、深層美容術、トータルであなたの人生をサポートします。新しい自分を再発見してみませんか。

せっちゃんの明るい「かきくけこ」

2007-04-14 23:59:59 | まちづくり
環境・教育・暮らし・健康・子育て

環境
観音山と烏川を愛し、地球環境を想う

 毎年、観音山と河川敷の桜が咲くたびに、嬉しくてなって浮かれてしまいます。春夏秋冬という素晴らしい四季が身近にあります。私たちは、大宇宙の自然に愛されて生かされている!それだけで感謝の気持ちでいっぱいになります。
 身近な自然を慈しむことから始めましょう。地域の豊かな自然を大切にし、教育・暮らし・健康・子育てにも活かし、地球温暖化などの世界的な環境問題にも、貢献できるモデルとなるような街づくりをしていきましょう。

教育
教育格差をなくしやる気を引き出す

 自分の可能性にチャレンジすること、未来に希望を持つことは、すべての子どもたちの権利です。 大人社会の経済格差を、子どもの教育の格差、希望の格差につなげてしまうことは、絶対にいけないことです。子どもたちがそれぞれに、やりたいことを見つけ、頑張れるように、大人は力をあわせましょう。
 また、教育は学校だけのものではありません。食育、趣味、仕事、地域の風土、国際、文化、いろんな場面で教えあい、学びあって、自分を高めていきましょう。


暮らし
いろんな暮らし、いろんな気持ち

 せつ子にはたくさんの友人、知人がいます。
失恋君、色ボケちゃん、ちょい悪主婦、女将さん、大学教授、ひきこもり、一人者、4世代大家族、母子家庭、盲目の音楽家、元海軍さん、平成生まれギャル、同性愛者、中卒社長、院卒ニート君、いろんな国の外国人・・・とてもココには書ききれません。みんな、すてきな命です。それぞれに違う暮らしのなかで、泣いたり笑ったりして、生きています。
 せつ子は、いろんな人の暮らしを見つめ、声を聞いていきます。これを読んでくれた、あなたのことも、良かったら聞かせて欲しいです。市民のいろんな暮らしの声を、せつ子は市政に届けていきます。

健康
健康づくりで医療にゆとりを

 病は気からといわれています。
 生活習慣病は、食事と身体を動かすことを見直して防ぎましょう。
高齢になった人を医療介護の施設に閉じ込めず、多様な活躍できる場を皆で考え、老人力を地域づくりに活かして欲しいです。生きがいがあれば、軽い病気は吹き飛ぶでしょう。
 欝になりがちな真面目な人が、自傷に走る繊細な若者が、未来に希望を持てる社会を作りましょう。
 笑いは人の免疫力を高めるといわれています。みんなが笑っていられる社会を作りましょう。
 そうして医療にゆとりができたら、本当に病気や障害で大変な人は、安心して必要な医療介護を受けられる、そんな社会を皆さんと一緒に作っていきたいです。

子育て
地域で力をあわせて子育てを

 せつ子は2男3女の母親です。
 自分のことで精一杯なダメ母ちゃんでありましたが、子どもたちは健やかに育ってくれました。これはひとえに地域の皆様の暖かい愛情と、群馬の豊かな自然に育まれた子ども自身の「生きる力」のおかげと、ありがたく思うばかりです。
 いま、孤独な子育てに追い詰められた、子どもの虐待や育児放棄など悲しい事が沢山おきています。命の大切さが、見失われていないでしょうか。
 未来を担う子どもたちは、社会全体の宝です。本来、子育てはとても楽しいものです。
 社会全体で協力しあい、楽しく子育てをしていきましょう。

(坂口せつ子)


最後まで読んでくれてありがとう!
もしも、共感してくれたなら、あなたのお友達にも「せっちゃんつうしん」を紹介してください。
http://blog.goo.ne.jp/p-madonna/







坂口せつ子 プロフィール

2007-04-14 23:58:00 | プロフィール
坂口せつ子
健康づくりスタジオ「ぱわふるマドンナ」代表
 (ベリーダンス、エアロビクス、ヨガ、玄米菜食指導など)
高崎市民新聞に、私のであった「すてきな命」連載中


プロフィール
1953年 桐生市生まれ。
 自然豊かな梅田の山奥で育ちました。

中学、高校とソフトボール部キャプテンでした。
 城南球場では逆転満塁ホームランを打ちました!

19歳で結婚。
 大家族の中で、大姑の介護、出産、育児生活のなかから、健康の大切さに目覚め、玄米自然食、マクロビオティック、ヨガの勉強を始める。

29歳で離婚。
 いろんな人に助けられ高崎で暮らし始める。
保育園での玄米給食、自然派化粧品販売、エアロビクスインストラクターなどを経て、健康づくりスタジオ「ぱわふるマドンナ」を設立。

33歳のとき、交通事故で頸椎骨折するが、奇跡的に回復。

18年間、精神病院で出張エアロビクス教室を開催。

人権擁護の世界組織 アムネスティ活動10年。

食の安全、環境、人権問題などに実践的に取り組む。

近年はベリーダンサーとして、骨髄バンクチャリティーや、福祉施設の慰問にも活躍中。

2男3女の母。(実は孫も4人)

せっちゃんの明るい「かきくけこ」


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坂口せつ子 事務所
健康づくりスタジオ『ぱわふるマドンナ』
〒370-0862
群馬県高崎市片岡町3-17-10
TEL/FAX 027-327-0824
mail: p-madonna@mail.goo.ne.jp
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すてきな命 vol.41

2007-04-14 22:04:01 | すてきな命
 医師の国家試験は、赤ちゃんを背負って合格した。益永陽子さん、十五年勤めた病院を五月でやめた。精一杯働いた。「母の生まれ故郷、大分の医者のいない過疎の村で仕事をしよう」。そう決めて先月二十五日、自動車に身の回りの物を積み、横浜港からカーフェリーで大分へ向かった。

 六月末に三日間、大分医大で研修後、緒方町着。七月一日から緒方総合病院で勤務が始まった。「彼女から手紙が届いた。「田んぼの中に滝があり、鹿、狸、イノシシがその辺に居て、空気がおいしく、仕事はのんびりでラッキーです」との事。

 人は人生の中で何度か大きな生活の変化をする。人生は短い。今ある命を、精一杯生かすためには、理論を並べるのではなく、彼女のように自分の直感を信じ、どんどん行動してゆくことだと思う。もともと大分は、益永さんのお母さんが生まれた地。きっと運命に導かれたのだろうと思う。お母さんは助産婦だった。母子で命を扱う仕事に就いた。陽子さんの娘も医者になった。二人の子どもが成人した益永さんは、自分の身を新たな環境に置き、スタートした。責任ある命を扱う仕事にふさわしい益永さん。新たな人とのつながりを深めて年齢を重ねていく。人生っていい。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2002年7月18日)

せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
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すてきな命 vol.40

2007-04-14 22:03:29 | すてきな命
 愛知県蒲郡市で経営コンサルタントの会社を経営している吉見典生さんは、年間の三分の二を旅行している。中国の奥地に行った時「せっちゃん子供達の目が輝いていてね、年間四千円の所得で、仲良く平和に暮らしているんだよ」と語り、「僕の仕事のいらない、こんな社会を創造してゆくことが理想なんだ」と彼の目も輝く。

 昨年他の用事で、私が蒲郡市に行った時、吉見さんはネパールから帰って二日目だった。私の突然の訪問にもかかわらず、午後二時位から夜半までつもる話をとぎれもなく語り合ってしまった。吉見さんが旅行している間、家と社員二十人ほどの会社を守っているのが奥様。この奥様が「あなたは、私とたくさんお話ししないのに坂口さんとはずいぶん楽しそうにお話しするのね」と言って部屋に入ってきた。「すてきな奥様」私は、帰りに吉見さんの車で送ってもらう時、つぶやいてしまった。

 彼は旅行のたびに本を出している。彼の本を読んでいると自分が旅行している気分になる。近年は愛知大で中国をまたまた学んでいる。「ごみ拾いピックに来ないか」などと手紙をくれる。自由人をふるまい幸せな吉見さんには、冷めていない夫婦愛がありました。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2002年7月4日)

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すてきな命 vol.39

2007-04-14 22:02:48 | すてきな命
 三人に一人は老人になるといわれる今、六十代後半の杉山圭子さんを見ていると、若い頃からの多様な経験とセンスが、人生の今のステージで生かされているなあとつくづく思う。

 東京生まれの東京育ち。子どものころ、捨て猫、犬を十数匹も連れてきて、母に「捨てないでね」と約束をして学校へ行った。母は約束を守ってくれた。そんな母を杉山さんは絶対的に信頼していたという。社宅のまかないで大忙しの四十九歳の頃、夫の猛反対をおして自動車の免許を取得。十年前に、お酒で体を悪くした夫を見送った。一人息子も結婚し、別に暮らしていた。一人になった杉山さんは、東京よりも暮らしやすいと思われた群馬にマンションを購入した。自家用車も自分で働いたお金で購入。群馬に来てすぐに、学童保育の仕事をした。子どもたちと折り紙を折ったり、本を読んだり楽しかった。

 数年前に体をこわし、三つの手術をした。普段は混み合う近くのお風呂で、元旦私と杉山さんだけだったのでいっぱい話をした。「やはり人と話したい」と言っていた。杉山さんは今、とても元気になり、友達づくりを楽しんでいる。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2002年6月20日)

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すてきな命 vol.38

2007-04-14 22:02:12 | すてきな命
 私たちの車の前から、暴走族と言われているバイクが何台もこちらに向かって走ってきた。後部座席にいた私は、「キャーたいへん」と声を出した。すると前に座っていた鈴木憲保さんは「あいつら何にもしやしねえ。みんないい子ばかりだよ」。

 彼は意外にも包容力があってやさしい。七月二十日に新しい若者向けの踊れるスペースを前橋のド真ん中にオープンするための視察で、真夜中に伊勢崎のお店に行った時の話だ。彼は前橋の寿司屋の四代目。三年前、前橋の六供町にバリアフリー寿司店「初日」をオープンした。若い女性や高齢者、身障者も回転寿司でない寿司屋を楽しんでもらいたい。そしてより多くの人に寿司を普及したい。食べ放題コースが大ヒットしているのも彼の人柄に引きつけられ、苦しみも楽しさも共感できる家族の応援と、総勢三十人のスタッフがいる結果だと思う。

 「ブロンクス」という今度のお店で、前橋に火をつけると言う。前橋の街を元気にしようということだ。親の七光りでダメになる後継者は多い。彼は少なくとも、今に甘えず、未来を創り出していく勇気とアイデアと元気を持っている。彼の「いい奴」ぶらないところが私は大好きだ。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2002年6月6日)

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すてきな命 vol.37

2007-04-14 22:01:39 | すてきな命
 今のるり子さんは、私が初めてお会いした十七年前に比べて百倍も暖かく美しく見える。十七年前は事務長として仕事をバリバリやっていて、その仕事への自信にあふれていた美しさだった。今は痴呆になった夫の幸せのために、あれやこれやと気配りをし、おいしい食べ物を用意し、しものお世話をする愛にあふれた一人の人間としての美しさだ。

 るり子さんは、何をするにも、夫の顔色や様子を見て行動する。夫には、何度か説明し、やっとわかって、いい顔になる。「いい顔」で物事を進めないと、後でさらに手間のかかることになる。夫の世話をする人間は、自分しかいないのだという責任感が、るり子さんの心に、さらにリンと張りを作る。るり子さんは自分が健康でなければと玄米を食べている。夫は小学校の校長先生だった。定年前に発病し、退職したとたん、さらに症状は悪化した。

 時には、るり子さんは夫をデイケアにあずけて日本舞踊をやったりする。夫を愛するエネルギーを培うために、ちょっとわがままして心のバランスをとっている。夫が喜ぶ様子を話するり子さんは、一番輝いている。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2002年5月23日)

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すてきな命 vol.36

2007-04-14 21:57:42 | すてきな命
 筑波大学在学中のスリランカ人アトさんは、朝九時、藤岡の高山家に着いた。軽自動車で筑波を五時に出てきた。アトさんの母国語である「シンハラ語」を熱心に学んでいる高山晴美さんが待っていた。土曜日に五時間、日曜にも五時間。トイレと食事以外は勉強をする。アトさんは新聞広告の裏を使って文字や単語のカードを作ってきてくれる。スリランカに家族のいるアトさんは、何をするにも真剣だ。その真剣さをしっかり受けとめる晴美さんがいる。

 晴美さんは五十七歳。通信会社に三十七年勤めた。定年まであと六年の時、脳の大手術をした。元気になった晴美さんは、定年まで仕事をするよりも、思いっきり自分の生き方をやってみようと退職した。縁あって、知り合いの仏教者がスリランカに学校を作るという活動に参加した。何度かスリランカに行っているうちに、さらに、スリランカの本当に貧しい人たちのために自分の情熱やエネルギーを使いたいと思うようになった。それには言葉を学びたい。晴美さんは生き生きと勉強している。

 「私は百歳までいきる気がするの!だからまだまだこれからよね!」こんなすてきな、わたしよりちょっと年上のお姉さまが身近にいて、せっちゃんはとてもうれしい。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2002年5月9日)

せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
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すてきな命 vol.60

2007-04-14 21:56:38 | すてきな命
 三ヶ月に一度、私のスタジオに磯部煎餅を売りに来るおばあちゃんがいる。腰を曲げて、日よけ帽子をかぶり、乳母車に磯部煎餅をたくさん乗せて押してくる。どこから来るのかわからないが、もう何年も来ている。年齢を聞いたら八十四歳。

 「先生こんにちは。マァいつ見ても先生はキレイでうらやましいですねェ」とか「そちらの人は先生の娘さんですか」などと私よりも十歳も年上の人に、まじめな顔で聞いてくる。「やだぁ、おばあちゃん、私は先生よりもずっと年上よ」と言って、「おばあちゃん、もう一つ磯部煎餅もらうわ」ということになる。おばあちゃんの名前は、わぐりさんという。

 「みなさんはいいですねぇ。私なんか顔も悪いし、頭も悪いし、名前も悪いし、親を恨みますよ」と力を込めて言う。

 煎餅にちょっとかけたところがあった。「先生、少しで申し訳ないけど十円まけさせてもらいます」。おばあちゃんの笑顔と、人を立てる人蕩術から宝物を学ぶ。

 私は、おばあちゃんが来たら、三百円の磯部煎餅を必ず買う。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2003年5月)

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