おじいちゃんは、六人の子供達がお見舞いに来ると、痰を取る穴に器具を入れてもらい「原山に帰る」と繰り返し、やっとの思いで言っていた。子供達は、その命の叫びをまともに聞かず、「わかったよ、今、タクシーを呼んだから」などどウソを言って、「じゃあ、また来るよ」と言って帰っていった。
私が交通事故で首の骨を折り、寝たきりで一ヶ月過ごした時、二人部屋の隣のベッドのおじいちゃんは、家に帰って死にたいとずっと訴えていた。私は隣のおじいちゃんの様子をうかがいながら話しかけた。おじいちゃんは、のどに穴を開けていたので声を出せなかったが、私の問いかけに是か非かを答えていた。手術をしたおなかから毎日コップ一杯の膿が出ていた。ある日、家政婦さんが、おじいちゃんに優しく「おやすみ」と声をかけ、電気を暗くし、付き添い者の簡易ベッドに横になった時、おじいちゃんはウチワで顔をあおいだ後、全身の管を抜いた。
医者や看護婦がバタバタとしていたが、そのまま帰らぬ人となった。私は、自分の父はこんな死に方は絶対にさせないと心に誓った。私が三十三歳の時のことだ。この二年後に父は逝った。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2003年5月)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」
私が交通事故で首の骨を折り、寝たきりで一ヶ月過ごした時、二人部屋の隣のベッドのおじいちゃんは、家に帰って死にたいとずっと訴えていた。私は隣のおじいちゃんの様子をうかがいながら話しかけた。おじいちゃんは、のどに穴を開けていたので声を出せなかったが、私の問いかけに是か非かを答えていた。手術をしたおなかから毎日コップ一杯の膿が出ていた。ある日、家政婦さんが、おじいちゃんに優しく「おやすみ」と声をかけ、電気を暗くし、付き添い者の簡易ベッドに横になった時、おじいちゃんはウチワで顔をあおいだ後、全身の管を抜いた。
医者や看護婦がバタバタとしていたが、そのまま帰らぬ人となった。私は、自分の父はこんな死に方は絶対にさせないと心に誓った。私が三十三歳の時のことだ。この二年後に父は逝った。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2003年5月)

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