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小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

甲斐和里子さんの和歌

2011年12月17日 | 素敵な文章・言葉

 御遠忌のとき、紙に書いて本堂に貼っていた4首の和歌です。

うれしさを やらむすべなき 我はただ
  泣くのみならむ 礼ものべずで

泣きながら 御戸をひらけば 御仏は
 ただうち笑みて われをみそなはす

御仏の み名なかりせば かかる時
  ただ泣くのみの わが身ならまし

御仏をよぶ わがこゑは
 御仏のわれをよびます御声なりけり

2011susuki

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人目を気にせず

2011年12月11日 | 素敵な文章・言葉

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味でみんなに喜ばれる人間になれる。(岡本太郎『自分の中に毒を持て』)

 人に好かれようとすれば、誰からも好かれなくなります。

 なぜなら、人に好かれようとするのは、「人によく思われたい」からであり、他人の評価が自分の行動を決めていることになるからです。そういう行動はぶれて芯がなく、誰にも信頼されません。

 それに対して、自分はこういう人間でありたいという思いがあり、そのために行動しているならば、自分が自分の行動を決めていて、その行動はぶれることなく、人からも信頼されます。

 お釈迦さまは、こうおっしゃっています。

この世では自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自分の身をよくととのえるとき、人は得がたいよりどころを得る。

自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりにしてはいけない。
法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしてはいけない。

 たとえば、電車でお年寄りに席を譲ろうとして、断られたとします。

 人によく思われたい人は、よく思ってもらえなかった結果に悲しみます。さらに、まわりの目が気になり、そわそわしだすでしょう。

 人に優しくありたいという信念を持った人は、相手が断ったことを素直に受け取り、それ以上に、お年寄りが前にいる時に席を譲ろうとした自分であったことを、うれしく思います。だから心静かにそのまま座っていることでしょう。

 阿弥陀仏は、私をそういう人にさせようとはたらいています。

 私は、人の目が気になる愚かな人間です。仏の教えを聞こうともしない人間。それが、阿弥陀仏のはたらきによって、仏の話を聞くようになり、そこで自分の愚かさに気づかされます。しかし、なかなか自分をよりどころにできない自分です。けれども、阿弥陀仏は、「だからこそおまえを救う」とおっしゃいます。自分をよりどころにできないあなたであるからこそ、私はあなたを救いたいんだ、と。だからこそ、今現に、救おうとはたらいているんだ、と。この自分が阿弥陀仏の目当てであったことに気づかされた時、ありがたく、もうしわけなく、ただ、自分ができることをやっていこうと思わされます。人目を気にせず、ただ、やるべきことをやっていこう、と。阿弥陀仏に見守られて、心静かに、自分のやるべきことをやれる人間に転じられるのです。

 その時、人に好かれようとすることの愚かさがよく分かります。

 ただ、自分のやるべきことをしていけばいい。

 大丈夫、阿弥陀仏の光が、照らしてくれています。

 あたたかく包み込んでくれています。

 南無阿弥陀仏。

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祝婚歌

2011年05月07日 | 素敵な文章・言葉

 16日に短大で「生まれてきたことの意味」について話すので、どういう話にするか、考えていました。

 ふと、吉野弘さんの「 I was born 」という詩を思い出しました。

 そして、岡山の叔父からもらった詩集を思い出しました。

吉野弘の詩集

 そして、この本を叔父からもらったときのことを思い出しました。

 それは、私の結婚式の後の披露宴の時でした。

 叔父には、親戚代表としてスピーチしてもらいました。

 スピーチの最後に、吉野さんの「祝婚歌」を読んでもらいました。

 そして、披露宴の最後に、この本をいただきました。

 その2年後、叔父は、60歳で、亡くなりました。

 今日は、叔父からの最後の贈りものであった「祝婚歌」を紹介します。

  祝婚歌     吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

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いのち

2011年05月03日 | 素敵な文章・言葉

 追悼法要の時に用意した東日本大震災の写真を貼ったホワイトボードは、今もそのままにしています。

 今日は、焼香台の横にある書見台に、相田みつをさんの文章をコピーして置いてみました。

Photo

 これに加え、このブログでは、次の文章を紹介したいと思います。

 韓国の趙 昌仁の小説「カシコギ」に出てくる言葉です。

あなたが空しく生きた今日は、

昨日死んでいった者が、

あれほど生きたいと願った明日

 二度とない今日という一日を、大切に、生きましょう。

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涙の溶けたやさしさ

2011年04月24日 | 素敵な文章・言葉

 父が亡くなるまでは、父と分担して法事に行っていましたが、今はすべて自分が行かなくてはなりません。そのため、日曜日は、忙しくなることが多く、今日も、ちょっと疲れを覚えてました。

 そんなとき、あるお宅で、「一人になって、大変でしょう」と言っていただきました。そう言っていただくと、疲れも軽くなります。

 そこはご主人の17回忌でした。50歳でお亡くなりになったのでした。

 お勤めの後、息子さんに「亡くなられたとき、おいくつでした?」とお聞きしました。「26でした」とのことでした。

 大変だったことでしょう。私なんかよりずっと大変だったと思います。でも、だからこそ、父を亡くした私をねぎらってくれるのでしょう。

 谷川俊太郎さんの詩に、こんな詩があります。

  黄金の魚   谷川俊太郎

おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

 最後に「どんな喜びの深い海にも 一粒の涙が 溶けていないということはない」とありますが、そういう一粒の涙があるからこそ、喜びを感じたり、人に対してやさしくなれたりするのでしょう。

 そして、一粒の涙があるからこそ、上から目線の憐れみではなく、同じ地平での共感としてのやさしさになるのでしょう。

 こんな自分をねぎらってくださる方がいらっしゃることをありがたく思いました。そして、そのやさしさが涙のとけているやさしさであるからこそ、もっとがんばろうと思わされました。ありがとうございました。

Tree

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和歌

2011年04月19日 | 素敵な文章・言葉

201104hana01_2

 いずくにも 我はいかまし み仏の

      いましたまわぬ ところなければ

                   (岡本かの子)

201104hana02

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いつも見てくれている

2011年04月06日 | 素敵な文章・言葉

 今日、「ブログ、読んでいます」と声をかけていただきました。うれしかったです。見てもらっているということは、ありがたく、うれしいことですね。

 『涙が出るほどいい話』という本があります。

Hon001

 その中に、こんな話がありました。

 学生の頃、いじめられていた女の子の話です。つらい日々でしたが、自分の机の中に、こんな手紙が入っていたそうです。

 「独りだとは思わないで。みんなあなたを心配していても、一部の暴走者のために言葉にできないだけなのだから」

 同級生の女の子からでした。その子から、何度となく、そういう手紙をもらったそうです。時間がないときでも、

 「ファイト!」

というメモを残してくれたそうです。

 そのおかげで、どんなにいじめられても、

 「分かってくれている人がちゃんといてくれている」

と思うことができ、ずっと支えになってくれたそうです。

 この優しい同級生の存在は大きかったでしょう。見てくれている人がいてくれていると思えることは、とても大きなことですよね。

 誰もが、いつも、見てもらっています。阿弥陀さんに。そして、お浄土に往生された方々に。

 え、見えないって? 見えなくても、ありますよ。

 そういうわけで、今日は、金子みすゞさんの有名な詩を紹介します。

 星とタンポポ  金子みすゞ

青い お空の そこ 深く
海の 小石の そのように
夜が くるまで 沈んでる
昼の お星は 目に見えぬ

  見えぬけれども あるんだよ
  見えぬものでも あるんだよ

散って すがれた タンポポの
かわらの すきに だぁまって
春の くるまで 隠れてる
強い その根は 目に見えぬ

  見えぬけれども あるんだよ
  見えぬものでも あるんだよ

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ほんとうの幸せ

2011年03月28日 | 素敵な文章・言葉

 今日は、郵便局へ行きました。

 すると、こんなパンフレットがありました。

Ehon01

 順番を待ってる間、ペラペラ見ていると、「こぶたくん」という絵本の話がいくつか載っていました。こぶたくんと、妹のアマンダと、その家族の話です。

Ehon02

 なかなかよかったので、ちょっと紹介してみます。

おかしを やく日

「きょうは、そとは だめよ」とかあさん。

「さむいし 雨がふってるじゃない」

「だいどころへ いらっしゃいな」

「きょうは おかしを やく日だから」

かあさんが いいました。…。

「こぶたくんは、クッキーが やけているあいだ なにをしていたい?」

かあさんが たずねました。

「なにもしないで いようよ」とこぶたくん。

「できたてが たべられるまで まってようよ」

こぶたくんと かあさんと アマンダは、

台所のテーブルに すわっていました。

そして、雨のおとを きいていました。

クッキーのやける おいしいかおりが、

ぷーんと ただよってきました。

「ぼく、いま しあわせ」とこぶたくん。

「あら、どうして?」と かあさん。

「かあさんが そばに いてくれるんだもの。

アマンダもいるし、それに ぼく さむくもないし、

雨にぬれてもいない。あたたかい」

すると かあさんも いいました。

「ほんと。そのとおり。だからね、

かあさんも クッキーを やく日が すきなの」

 

 静かな雨の音と、クッキーの焼ける香りが、届いてきそうです。

 幼い子供にとって、母親と過ごす静かなあたたかい時間は、何よりも幸せな時間なのでしょう。子供だけでなく、好きな人と過ごす静かなあたたかい時間は、素敵ですよね。

 ほんとうの幸せとは、そういう素敵な時間が、実はかけがえのないありがたい時間であることに気付いていることではないでしょうか。

 そのことに気付いていれば、その素敵な時間を、大切に、いとおしく過ごすと思います。

 二度と戻らないこの今を、大事に大事に味わって過ごしていくと思います。

 何気ない日々が、実はとても幸せな日であることを知っていることこそ、ほんとうの幸せではないかと思いました。

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