シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
足漕ぎカヌー(スワンじゃないよ)と自分の足で、陸上、海上、遊びあるき

大坂城をてくてく

2020年04月05日 | 散策

午後、兵庫県に行ってから直帰。

途中、JR大阪城北詰から地下鉄森ノ宮まで、大阪城を抜けて帰る。

造幣局の通り抜けは、早い時期から中止なので、桃園だけでも見ておきたい。

桜になれた目では、桃のカチッとした色は新鮮です。

2色の桃。接ぎ木かな。

続いて大阪城へ。

天守閣の中は入れません。インバウンド、観光客はちらほら。

ピンクの桜が良い。

ここにも、明智光秀ゆかりの地が。

武家、公家、寺家と、3つの大勢力がせめぎ合っていた信長の時代。

大阪の寺家として、繁栄したのが石山本願寺。

以下、ウィキペディア引用。

戦国時代最大の宗教的武装勢力である本願寺勢力と、天下布武を目指す織田信長との軍事的・政治的決戦であり、石山合戦の終結と同時に各地の一向一揆はその勢いを著しく失った。

下の説明には出てきませんが、織田信長方の家臣として明智光秀も、アチコチ戦いながらこっちも参戦。

過労?で倒れたりしてました。

石山本願寺一帯は、立地条件として小山と川に囲まれて軍事的に優れており、信長・光秀が相当手こずったとのこと。

秀吉がこの地に大阪城を作ったルーツは、武装勢力・本願寺らしい。

森ノ宮に抜けるところで、写真でわかりにくいものの、様々な種類の桜が咲いてました。

マスクと3密回避は守ってます。ガラガラですが。

翌日、会社に出てみると、東京本社の決定で、4月いっぱい在宅勤務となりました。

お客様とは、なるだけメールでやり取りしろと。国より早い、緊急事態宣言でありました。

確かに、地方出張が多い自分達。良かれと思って出張しても、加害者になりかねない。

個人PCの持ち帰り、データ共有方法、会社提供のスマホとのデザリング・・。

細かいところはDIY。良い方法が見つかったら共有していく。

新年度始まりと同時に、一気に目の前にやってきた、新型コロナでありました。


哲学の道から銀閣寺をてくてく

2020年04月05日 | 散策

平安神宮に舵を切ろうと思ったけど、ベニ枝垂れ桜はまだ蕾。

スマホで色々検索したけど、結局、哲学の道へ。

桜はほぼ見頃でした。

16時半。

本日ラストは、久々の銀閣寺へ。

結構疲れて座りたい・・。

で、2度目のスイーツ。

ハチミツ旨し。

出町柳までは、バスでワープ。

久々にがっつり散策した東山でありました。


インクラインから南禅寺水路閣をてくてく

2020年04月05日 | 散策

続いてインクライン。

桜と線路跡。あったかくて、思い出作りのアベックだらけ。

ねじりんマンボ。テレビが取材に来てました。

水路閣。学生は学校休みなんで、毎日日曜。

23日まで自粛、24日から一旦解禁になって、27日からまた自粛の隙間の26日。

入ったことのない寺の中に入ってみましたが、自分を含めて3人でした。

東山の各寺には、小さな滝がありますが、延々、琵琶湖からきた水です。

ポンプで回してはいません。

源泉かけ流し?なんで、公園の人工の小川みたいに緑色にはなりません。


知恩院から明智光秀の首塚をてくてく

2020年04月05日 | 散策

続いて知恩院。

バカデカ三門の桜が見頃。

続いて、明智光秀ゆかりの地に寄り道。

琵琶湖疎水のほとりの柳の新緑が綺麗です。

疎水脇に、明智光秀の首塚。

民家の間にこじんまり。

光秀の要望は知恩院に収めてほしかったそうですが、首を持った家臣も目前で打たれたようです。

家臣ともども、首を晒されたあと、この地に埋められたとのこと。

襲われた明智藪、持っていけない同体の埋められた胴塚は、京都の南、醍醐駅近くなんでまた今度。

首と胴、バラバラに墓がある人はなかなかいない。

直ぐ近くに、坂本龍馬とお龍さんの結婚式場。

お龍さんは京都出身です。