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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

いろりの会

2018-04-21 19:27:13 | 集会の報告

今日のいろりの会は6月に行う研修会の準備の話し合いでした。

いろりの会の常連はどのくらいだろう、という話が今日も出ましたが

いつも思うことは、その常連さんが実に多様だということです。

今日の出席は12名でしたが欠席の方などを数えると17,8名はおられるのです。

その中身は当事者の方が6,7人、お寺の住職ご夫妻、運営メンバー4,5人

他にも時々来てくださる市会議員だとか、福祉施設の方も来られて

意見も豊富に出てきます。

運営メンバーの一人はパソコンで会のチラシを作るのがお上手ですし

会の代表者は当事者ですがしっかりとこの会をまとめられます。



今日は近江湖西会家族会からのメッセージを伝える用事があって

少しお話ししました。それは社協からの注意事項で

2月に催したお楽しみサロンの中身のことでの手落ちを指摘され

そのサロンの出席者全員ににそのことを伝えるようにと言われていました。

このいろりの会からもかなりたくさん出席してもらったので

そんことを伝えたのです。

そうしましたらみんなが、そうか、そうだったんやね、とか

いろいろ反応してくれたし、一人などは自分も以前それに似たことをして

やはりちょっとと問題になった、とか言ってくれたりして

声や態度に表して答えてくださったことが

何とも言えずうれしく、温かい気持ちを感じました。


やはりご住職夫妻が精神的な中心になっておられるのかもしれません。

指導的な発言はされませんが皆が温かい気持ちになれる何かがあるのでしょう。



快晴のこの日、お寺の庭でみんなで戴いた野草のてんぷらや

誰ともなく持参のおいしいものがたくさんあってそれに舌鼓を打ち

心は晴れ晴れとした日でした。

もう一つ書くとすれば私個人にちょっとしたメッセージをもらって

それが何とも言えずうれしく、心の中にふんわりととどめておく

喜びの日でもありました。

このブログを書く気持ちに一層励みが出てきました。

今日のうれしさのエネルギーを家族会のみんなへの

何か役に立つものにしていかねばなりません。



希望の集い

2018-04-15 19:37:26 | 集会の報告

「希望の集い」の集会に行きました。

このグループの魅力は当事者がすべて計画し段取りをつけているところでしょう。

しっかりした方が多いと言えますが

あまりお話されない人も違和感がなく集まれるのは

当事者の代表者を始めとする人達がが醸し出している雰囲気が

ホンワカとした温かいものだからではないかと思います。



今日はランチタイムをしました。

集会場近くの喫茶店の奥に丁度の大きさの部屋があり

そこを総勢8名で使えました。

おいしかったです。

代表世話人さんはそれはいろいろ気を使ってくださいましたが

その他の我々はのんきに好きなものを頼んで

和やかムードでゆっくりしました。

こういうのもいいですね。

そんなに難しい話もせず寛いで、笑いあう。

今日も希望の集いに出て本当に癒された思いです。



それと、会のあるたびに頂く次回の案内書。

これがまたとてもすばらしいので毎回楽しみにしています。

案内書には次回の日時と場所や内容が書いてあるのですが

それに加えて毎回テーマの異なる文章があり

それは心を打つものです。


今回は題名はなく、いきなり「心がKOノックアウトされた状態で」

始まっています。

今日の文章を読んで初めて分かったことがあります。

それは書いておられるのは一個人の方でしょうけれど

中身は精神疾患のみんなの気持ちを総合して表現しておられるのだということです。

自分のことも含めて周囲にいる当事者の仲間たちみんなの気持ちを

書いておられるのだなぁとわかりました。



病気はよくなったりぶり返したりで長く長く続きます。

その中で「私たちは今現在、心の悲痛が溢れかえって、こらえることが困難過ぎて、

どうする事もできないまま、世間一般の常識に取り囲まれ、

ノックアウトされた状態にも関わらず、抵抗も出来ないまま、

ボロボロのグシャグシャのズタズタに、打ちのめされて、

見えないエアサンドバック状態のようで、

さらし者状態に置かれているのが現実です。」
と書かれています。

これは筆者が最近そういう状態に置かれたのか

または、現実としてたびたびこうなるのだということを表現されているのか

それとも、誰かお仲間の一人がこういう状態なのだ

ということを書いておられるのか、それは分かりません。

けれどもエアサンドバック状態にいるときには、書こうとしても書けません。

書ける状態にいるときに、そういうことを文章で伝えること、

これは難しいことですが、誰にでもわからせるには大事なことだと思います。


後半には、「しかし、くよくよと泣いている訳にはいきません。」

力強い記述があります。

「夢中になれる日課や心境や環境をこしらえて、

それをこなして人生を楽しむことが一番大切なことです。」


難しいことかもしれませんが、本当にそれが一番大事でしょう。

病気になっていない人間にも大事なことではないでしょうか。

「うっぷんを吹き飛ばすような、自分らしい心地よい疲れの汗を流せる、

遊び感覚的な運動レクレーションもよいと言われています。そういったことが

一番の特効薬と言われています。」


これも本当にそうだと思います。

心の病は真面目でがんばる人が良くかかると言います。

そういう人が病気になると、よけいに真剣に悩み自責の念にとらえられます。

適当に遊び怠けること、これは確かに必要なことです。

ですが、それを理解できない人は世の中にたくさんいます。

それを知っている筆者は、最後にこう結んでいます。

「精神疾患に、疎い人からすれば、遊ばないと治らないなんて、

何て怠慢な話だと呆気にとられる方も多々おられると思いますが、

同じ疑問を持たれている方を見つけたら、精神疾患とは遊ばないと治らないんだよ

と教えてあげて下さ。」




いつのころからこうした文章を付けて、次回の案内を配られたのかはわかりませんが

これは素晴らしい啓蒙書だと思います。

多くの人に読んでほしい、病気が辛すぎて思っていることを

しゃべることも書き表すこともできないみんなを代表して

書いてくださったこの文章の数々を

多くの人に読んでほしい、そう思います。




福祉課長を迎えて

2018-03-28 16:13:01 | 集会の報告

先日になりますが

障害福祉課の課長が話をしに来てくださいました。

1月に予定をしていたのに こちらの家族会の都合で延びていたものでした。

快く日延べの時間を取ってくださって

出席者9人でしたが 本当にうちうちで 家族会メンバーだけで

いろいろとお話が出来ました。

行政から見た市民病院の事 訪問看護の事など

気さくにお話してくださいました。

それから何よりよかったのは 出席した家族の個々の

問題点を聞いてもらったことでしょう。

課長に聞いてもらったからと言って すぐに解決の目途が

立つわけではありません。

ですが 家族の中にはこんな問題を抱えた人がいるのだということを

課長に知って頂いておくのは何か安心感を覚えます。

この街に住んでいる数百人の精神疾患の人の中の

たった数人の家族のことではありますが

目の前で相対してさまざまな問題を相談されると

課長としての立場におられても

当事者や家族のことを実感としてわかってくださったのではないかと思います。


いつもこのコミュニティセンターを使う時に思うのですが

終わりの時間を設定するのが難しいと感じます。

テーブルを動かしたり お茶のポットを使ったりしたときは

元に戻し後片付けをする時間を考えねばなりません。

話が佳境に入ると終わる時間がぎりぎりになりあわてます。

今までは自分達だけの建物を使っていましたから

何時に終わろうが自由だったので

よけいにそういうことに慣れていないのでしょう。



また話し合いに出席してあげる と言ってくださった課長の

気持ちに感謝して 甘えて またお願いできるときには

みんなが先日のように課長と直接

いろんな話ができる日があれば家族会の励みになります。



少しづつ小さな家族会が発展していくことを願っています。


お好み焼きサロン

2018-03-18 15:45:38 | 集会の報告

お好み焼きを作って食べるという「希望の集い」に参加させていただきました。

東コミセンの調理室と和室<小>を借りておられて、

いつか家族会でもこのようなことをしたいね、と話が出ていたので

ははぁこんな風にして使うのかと、とても勉強になりました。

参加者は少なくて当事者の方5名と家族会から1人、という構成です。

代表の方が材料その他すべてそろえて持ってきてくださったようです。



広い調理室に6人で粉を入れ水で溶き、卵を入れて混ぜ、

さらにサクラエビも入れフライパンで焼きます。

6人だけど二人は小食なので5枚焼いて丁度です。

トッピングはそれぞれ自分で焼いたものに好きなだけ掛けて

自分用のお好み焼きが出来上がります。

和室の方へもっていって「いただきます」。


非常に無口な方を含めておおむねみんな静かな人たちで

温かいふんわりした雰囲気で食事をしました。

もし家族会のものが参加しなかったらどうだったでしょうか。

とても無口な方はもっとおしゃべりだったでしょうか。

そこらへんは分かりません。

でも決して不愉快そうではなかったし、参加した家族会の1名も

こういう静かな会が好きであることもあって

このような集まりはいいなぁとすっかり癒された気持ちになったそうです。

4月の案内もいただきました。

「話し合い」があるそうです。

何がテーマかはわかりませんが、ぜひ出席して

食べる代わりにおしゃべりを、どんなふうにするのか

聞いてみるのが楽しみです。


4月の案内書にはまた代表者の考えが詩のようにして書かれています。

今日はその代表者からここで勝手に発表することを

許してもらえたので、また書かせていただきます。

それは社会に対する熱い思いで、

こういう思いが実際に実現すれば

精神保健の世界もどんどん良くなるだろうなーと

将来に少し明るさが見えてきました。











最後の場所での家族会集会

2018-03-13 16:16:10 | 集会の報告

サロンの日から2週間以上が経ってしまいました。

その間 今後のことなどで忙しくしていたので それほど経ったようには思えません。

ですが日は容赦なく過ぎていき 4月の新年度に向かって決めねばならないことはたくさんあります。


今日はいつも皆で集まる場所での最後の集会ということで 欠席が2名ありましたが

ほぼ全員が集まりました。

それに今日は予定外の飛び入りのお客さんが来てくださったので

まるでその方との話し合いの日のような様相を呈しました。

お客さんは他県から研修にこの市の訪問ステーションへ来ておられる訪問看護師さんです。

うちのメンバーの一人の家に息子さんの訪問をしてくださっている人で

家族会を見学したいとのことで 来てもらったのですが

皆がその方を取り囲み質問をし 思いを述べたりで

とても活気のある集会になりました。


こんなに皆が生き生き発言するのは やはり自分が一番心にかかっていることを

しゃべれるからでしょう。それに訪問看護というのは当事者や家族にとって

通院よりも日常的で大事なものだと思っているからに違いありません。

もう一つはこのお客さんが比較的新人で話しやすい雰囲気だったこともあるでしょう。

お人柄もやさしくソフトな感じがにじみ出ていました。

その方が来られたことで何かが決まったとかいうことはありませんが

皆が晴れ晴れとまるで変化が起きたような顔をしていました。



そんなハプニングのため 新年度からのことを話し合うのは30分しかありませんでした。

それでも予定よりも1時間オーバーした集会だったのですが。

この家族会を細々とではあってもこの先もめげずに続けよう!

こんな声が全員から出たのも 障がいの子供を抱える思いを

話し合えた後だったからかもしれません。


ともかく家族会はこれからも続けていきます。

今日の集会所とはお別れして 次からは コミュニティセンターが

集会場所になります。時間が5分超過すれば1時間分の料金を取られたり

自分たちの薬缶や湯飲みもありません。

お茶菓子をストックしておくこともできません。

少しはよそよそしい気分になるでしょう。

それでもそういうものはすべて慣れてしまえば何ともありません。

精神障害の当事者はもちろん 家族ができだけ生きやすい世の中になるように

自分ひとりで考えるのではなく 皆で話し合い協力し合うこと

そうしようという想い それが何より大事なことです。

小さな積み重ねの行動でも いつかはきっと良い日がやってくることでしょう。





「希望の集い」

2018-02-19 14:14:03 | 集会の報告

「希望の集い」は当事者の集まりで、代表も当事者がなさっていて、

そういう点では「いろりの会」と似ています。

けれどもいろりの会は支援者がたくさんいて、かなりお手伝いができますが

希望の集いは、まだよく知りませんが、たいていのことは当事者だけでされているように思います。



昨日初めて参加させていただきました。

社協から支援者が特別に来てくださって、そのほかには当事者5人でしたが

欠席の方もいるので7人くらいの会だそうです。

社協から来ていただくという要請などもたぶん代表の方がされただろうと思います。

書類作りなども自分でされているようです。



こういうグループならば、例えば一般の人としゃべるのは気が進まない当事者などは

とても来やすいのではないかと思いました。

そして今日の話し合いテーマはまさにそれでした。

精神障がい当事者が自分から世の中に出て行くにはどうすればいいのか。

すでにこうして世に発信している者たちが、家にこもっている当事者を

どうサポートすればいいのか。その方法にはどんなものがあるのか。


顔見知りの当事者の方々に参加を勧めるというのが

一番早道なのでしょうけれど、引きこもっている人にとって

すぐに出かけて行こうというのは、大変な決心が要ります。


ですから最初は「公的機関を通してお手紙を届けてもらう。

受け取った人は返事を出してもいいし出さなくてもいい。

手紙を書いた人の顔が見えないので圧迫感がない」

このようなやり方もあると社協の方が提案してくれました。

そのうち返事を書く人が出来て会合にも出席する気になるかもしれない。

これを実行するにはどこかの公的機関への相談が要ります。

しかし少しずつでも出てくる人を増やしていって

「精神障がいとは特別なことではなく、4人に一人が何らかの障害になる

世の中なのだ」ということを市民に分かってもらうことがいま必要だ、

との話し合いがありました。

また世の中には「差別」ということが当然のようにはびこっている、

自分は差別意識がないから、といって済ませるのではなく

差別意識のある人はどうしてそうなのか、そもそも差別とは何なのか

歴史的にどうしてそういう世の中になっているのか、

そんなことをちゃんと考えていかねばならない。

そのようなことを特別に出席してくださった社協の方が熱く語られて

この田舎町にも素晴らしい人材がおられると思いました。




小さなグループ同士でときには合同で活動し、当事者や家族や支援者が一緒に

力を合わせてゆけば、

「特別なことではない、誰でもが罹りうる精神障がい」

のことを市民に知らせ、障がい者や家族が少しでも生きやすい

世の中を作れるのではないでしょうか。


























いろりの会定例会

2018-02-17 19:03:34 | 集会の報告

いろりの会の会場にいつも使わせてもらっている北の方の山に近いお寺は

いま雪に閉ざされています。1メートル数十センチはあるそうです。

ですから今年に入ってからの集会場は街中のコミュニティセンターになっています。

今日は少し少なめでしたけれどもいつものメンバーで和やかに進められました。


いつも思うのですが、やはりこの会の代表である方が、当事者ではありながら

実に上手に司会進行してくれるというのが、この会の成功しているところです。

それにこたえてやはりしっかりした考えを持っている当事者の方々の

意見の出し方、それが素晴らしいです。

すべての当事者がそうなれるわけではありません。

ですがそれをかげから上手に支援するお寺のおかみさんや他の支援者がいて

ごく自然に成り立っているのです。

これからもこうした当事者がどんどん育って行って、自分から問題提起をし、

行政側に要望をしていく、そんな風になっていくとどれほどいいでしょう。



今日は3月の活動の段取りのほかにも、来年度の大きな事業の予定など

かなりいろんなことが決まりました。



お寺のいろりを囲んでご住職を中心に

暖かな木炭の火を見ながら座ったり低い椅子に掛けたりするから

いろりの会はいつも温かい雰囲気で和やかなのだと思っていましたが

今日は、古い公共の建物の、エアコンがゴーゴー唸る中でも

やはり同じ雰囲気でした。

環境も大事ですが、一番大事なのはやはり人と人とのふれあいなのですね。










家族会定例会

2018-02-15 10:44:11 | 集会の報告

2月13日の定例会はかなり議題が多くなることが予想されていました。

時間が長引くことを思って、会員のうちの二人が手分けして

出席予定者11人分のおにぎり、粕汁、デザートなどを手作りで持ち寄りました。

コンビニなどの商品のようではありませんが

手のぬくもりを感じて思わず笑顔が出て、おしゃべりも弾みました。

前半は2月25日(日)に予定している「お楽しみサロン」の準備打ち合わせをしました。

家族会員のみんなが自主的に自分のできることを担当するというやり方が

ずいぶん浸透してきたように思えます。

11時半ごろ早目のお昼にして30分あまり楽しみ、

そのあとは今日の主要議題である事項について話し合いました。




家族会員の一人が退会されることが決まり、

これからの家族会をどのようにしていくか、ということが話し合いの議題です。

もちろん会員の中にはお仕事が忙しくめったに出てこられない方もいます。

お仕事を持っていてもやりくりして参加される方もいます。

そういうやり方でだいたい12人前後でいつもやっていました。

しかし今回、遠方へ転居のため退会される会員は

この家族会を立ち上げた人であり、福祉の専門家でもあるので

この後どのようなやり方で家族会を運営していくかというのは

とても大事なことです。



しかし残される会員が全員、言ったことは

ここまでせっかく家族会員が一緒にやってきたのだから

ぜひとも続けて行こう、ということでした。

その発言には先日の精神科医師の講演の際の言葉が

大きく影響しているでしょう。

つまり、家族会というものは非常に大事なものだということです。



どこまでできるかはまだわかりません。

ですがとりあえず専門家である会員にばかり依存しないで

自分たちで行政や公的機関にも相談し

精神障がい者本人やその家族が少しでも生きやすいものになるよう

自分たちでやっていこうということになりました。




ひょっとしたら家族会の名前も変更になるかもしれません。

このブログはですから終了するかもしれません。

けれども名前が変わったとしても、家族会は自分たちで

一生懸命やっていくでしょう。

何もしないで困っているだけでなく

ほんの少しでもできることを

考えながらやっていきます。







家族会講演会

2018-02-02 17:18:04 | 集会の報告

去年からの念願であった「精神科医の講演」というものを

ようやく今日開くことが出来ました。

会員の一人が保健所に相談してくれて、この近辺におられない医師に来てほしい

つまり、いつもかかっている病院の先生では話し難いということで

こちらのお願いに合わせていい先生を派遣してもらったのです。

参加者も23人で思っていたよりも多く、あわてて椅子の追加に走りました。

家族会の会員は13名が参加し、お客様として会員の連れ合いの方、今度家族会に入りたいご夫婦、

それから昔から障がい者の福祉に活躍されているお寺のご住職にも来ていただけました。

公的機関からは保健所から2名、二種類の支援センターからそれぞれ2名ずつでした。


二つ隣の市から来てくださった医師はとても気さくで話上手な方でした。

家族会から提出しておいた質問4項目に丁寧にお答えしてくださり、

そのあと1時間ほどは家族からの質問が飛び交い、

講演会というよりは懇談会でした。



今日とくにうれしかったことは

家族会会員のうち9名が発言してくれたことです。

公のコミュニティセンターで、公的機関からの方々もいられる中で

医師という立場の人に発言できるのだろうか、

そう思っていましたが、2名はちょっと別にして、

7名が質問するというのは大変な快挙です。

精神科医の雰囲気がそうさせたのでしょうか。

公的機関の方々からの発言もありました。



もう一つうれしかったのは

精神科医が「家族会というものは非常に大事だ」ということを

強く言ってくださったことです。

行政にしろ、公的機関にしろ、そのことをなかなか分かってもらえないように

感じていましたが、

医師からそういわれると、ほら、やっぱりそうなんだ、と心強く思います。



崩壊するかもしれないこの家族会を

どんなに困難でも継続したいものだと

今日は心を固めた日になりました。













いろりの会特別集会

2018-01-13 17:50:03 | 集会の報告

「いろりの会」というのは当事者の人が代表を務めていられる会で

会員の中にも当事者が大勢いるのです。

これはなかなかできない事ではないでしょうか。

もちろん会を運営していくうえで、支援する方々は大勢います。

これもまたすばらしいことです。



その「いろりの会」の特別な会合がありました。

特別というのは、会員の一人が昨年12月にある資料をまとめてきて

提示してくださったことから始まったそうです。

その資料を見せていただきましたが

A4数十ページに及ぶさまざまな内容で

おもに精神障がい者の就労に関するものでした。



出席者はいつものメンバーに加え、行政からは福祉課課長、

公的機関の人や、施設運営にかかわっている人、

訪問看護師、引きこもりの若い人を支援している団体の方、

福祉に関して活動を進めている市会議員など

30人くらいも集まったでしょうか。

2時間余り実に様々な発言が飛び交いました。



その中で、やはり当事者から声を上げていくことが大事だと

そういう意見が出ていました。

実際この会に参加する当事者の方々は自分の考えを持ち

それを発信する力があります。

こういう声を行政や市民に届けていけば

少しでも良い方向に行けるのではないかと思いました。

それは簡単なことではないし、声を上げたからすぐに良くなるとは限りません。

でもきっと少しづつ、よくなることは確かです。

目の前が少し明るくなったように思いました。



その反面、家族会というのはなぜかなかなか発展しません。

どうしてなのだろうか、と思い悩んでいます。

そうしたらこの前、家族会にはかかわっていないけれども

精神障がいに関心があるというある人が言いました。

「それは(当事者の)家族というのは何か自分が悪いと思っていて

世間に対して引け目があって、

表に出ていろいろ言えない気持ちがあるからではないか」と。

そうかもしれません。

家族会のみんながそうとは言えないでしょうけれど

いつも控えめにしている人がほとんどです。

そして親の立場の人の多くが、当事者である子供が

家族会に出て親がいろんな(自分の)話をすることを

あまり喜んでいないと言います。

そのうえ、子供が世話になっている福祉の専門家に対し

遠慮があってはっきりものを言えない人ばかりです。



けれども当事者の親がどのような気持ちでいるか

そのことが子供に影響するという学説があります。

親が(家族が)少しでも明るい気持ちでいられるように、

という目的で作られた家族会ですが、それは本当に難しいことです。



でもめげずに家族会を続けねばなりません。

すでに親から気持の上でも独立できているような当事者ではないし

ましてや家から外に出て何かの会に参加する元気のない当事者の

まず親の方から元気を持てる、何かを発信できる親になれば

少しは良い方向に向えるかもしれません。



いろいろな会をまとめて一つにまとまり

声を上げていきましょうという今日のいろりの会の結論は

本当に力強いものです。

これから先いいことが待っているようなそんな気がします。