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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

ホームページができました

2020-10-01 09:12:29 | いろんな想い
この度、近江湖西会のホームページができました。
oumikoseikai.jpで見てください。
ホームページがあると多くの人に見ていただけて、
家族会もますます発展するでしょう。
家族や当事者が生きやすい世の中に
少しでも早くなることを願っています。

1年が経ちました

2019-10-31 09:26:33 | いろんな想い

このブログが書かれなくなって1年たちました。

ブログには書かれなくとも家族会は順調に活動をつづけています。

当事者の人たちもいい方へ向かっている人もあれば

停滞している人もいます。

お一人は前よりも状態が悪くなり、会合に出席する事さえも困難で、

欠席が続いています。

ですがそういう仲間を何とか手伝いたいとみんなが思っています。

そういうことが家族会が活動することの意義なのではないでしょうか。



そのほかにも、精神福祉の経歴も経験も深い専門家が

いよいよこの家族会をもっとよくするために動いてくださっていて、

会員のみんなと一緒に先日も話し合いの為に役所に行ったということを

家族会の一人から聞きました。

障がいの者たちやその家族が安心して集え、そこで過ごす時間ができるのは

どれほど生きていくのに重要なことか知れません。

家族会の全員というのところまで行かないにしても

何人かでも行政と相談し、施設を起こすのは素晴らしいことです。


いま、その中心として働いてくれる専門家の参加も実現し

その方を支える何人かの家族もでき、

精神の障害を持つ人たちが住みやすい街になろうとしています。

もちろんまだ先のことでしょうけれども

少しずつ進めていけばきっとそれは叶うはずです。



障がいのあるものが住みやすいわが街になることで

世の中が少しでも良くなるのではないでしょうか。

障がい者が住みにくい街は決していい街とは言えません。

そう遠くない時期にこの専門家の活躍をみんなで支えて

いい施設ができ、みんなが少しでも明るい気持ちになれるよう

心より祈っています。








10月の家族会

2018-10-20 08:35:53 | 集会の報告

今週の火曜日に今年度第7回の家族会がありました。

家族会と省略していうのが普通になっていますが

これは精神障がい者を家族に持っている者たちの会です。

たいていの会員は子供が障がい者である両親です。

欠席が多いのですが兄弟姉妹が当事者という会員もいます。



ここ2年半ほどこの家族会は独立した形でやってきました。

以前はNPO法人として作業所も同時に運営し、

公の援助も受けて事務所を立ち上げていました。

いろいろな事情から家族会が独立して運営するようになり

家族の者たちがみんなで協力し合ってやってきています。



それでも前年度と前々年度は市や社協の補助金をもらい

いろいろな事業、例えば他市の施設を訪問する研修会、

お楽しみサロンという、当事者も大勢企画参加するパーティ、

精神福祉の専門家を招いてお話を聞く会、などを催していました。

しかし今年度になってからは、それらの事業を計画してくれていた会員が

退会され、ではどのような家族会にするか、と皆で話し合った結果、

家族が寄り合って自分の思いを気兼ねなく話すのが一番、

という全員の希望で、ほとんどの場合は「話し合い」をするようになっています。

その月に一番問題を抱えている会員の話を中心に

お互い知恵を出し合い、こうすればいいのではないか、など喋っていると

時間は瞬く間に過ぎていきます。

そしてほとんど全員が、こういう時間が一番癒されると言います。




今月の家族会もそのようにそれぞれの話をして過ぎていきました。

会員の一人が遠くに移転するということで、

ある会員がちらしずしを手作りして持ってきてくれました。

こうして後半の時間は心のこもったお別れ会も出来、

家族会というものが今後ますます気持ちの繋がったものになるだろうと

いう予感がしています。



障がいを持つ当事者はもちろん大変な生活をしています。

そしてその家族というのは実際にはそれ以上につらいものではないかと思います。

それが親である場合にはかなり深刻な気持ちになるのですが、

子どもが病気になったことで自分を責める親が多いのは仕方のないことでしょうか。

いいえ、親の責任というのは間違っているでしょう。

親のつらさというものに対して一般にはかなり理解されていない面があります。

親が辛い気持ちでいると、子供である当事者はもっとつらくなります。

当事者の親兄弟が出来るだけ辛さを減らすことが大事です。



この家族会をもっといいものにするために

今月の家族会では、40年以上も前にこの家族会を作られた方が出席され

またみんなでやっていこうという約束をしてくださいました。

それから、この家族会の会員でありながら、本職の忙しさもあり

なかなか出席されなかった方も、もうすぐ定年を迎えられ、

そうなれば家族会にも協力できるとのことです。



なんと心強いことでしょう!

この数年に一番変わったのは、なんといっても家族のみんなが

下を向かずに顔をあげて、自分の思い、

自分の意見をはっきり言えるようになったことです。

これは大事なことです。



この先、家族会の成長がどれほど進むのか、

努力もし、楽しみながらみんなでやっていきます。

















映画の準備会-その3

2018-09-15 20:38:54 | 集会の報告

今日の準備会はそれは熱のこもったものでした。

街の中のコミュニティセンターの会議室。

人数は20数名だったでしょうか。



この日が正式には「映画『あい』を上映する会」と名付けられたグループの

第1回目の集会でした。

映画上映事業というのはそれは大変手間のかかることです。

何から何までこのメンバーで計画しなければなりません。

この前の準備会で誰かが言ってました。

「あれぇ~、映画ってそんなにいろいろしなくてはいかんの。知らんかった。

日にちと場所を決めて、あとはよろしくと映画の関係の人に言えばいいのかと思ってた」

そうなのです。日にちや場所はもちろんですが、他にも基本的なさまざまなことを

考えねばなりません。

前回では場所と日時、入場料のこと、お金はいくら必要なのか。

ポスターやチラシの注文。チケットの作成。などに関して決まりました。

今日はプログラムなどの作成。準備に関する役割分担。当日の役割分担。

たとえばチケットには飲み物付にするとすれば、

それを誰が用意するのか、当日誰が接待するのか。

ちょっとした思い付きのサービスには人の手が要ります。

そして一番手間のかかるのが事務を担当する方々です。

たとえば今日の会議の為にたくさんの用紙を作って文書化し、

印刷して持ってきてくださいましたが、

それはすべてボランティアですからご自分の家が事務所化します。

紙代やインキ代は事務費から出るとしても、労力代や電気代は出ません。

ましてや同居の連れ合いの方がその会の代表だとすればどうでしょう。

気持ちの上だけでも追いつめられるような気分がするでしょう。

もちろん他にも大勢の人が一緒に事業をやろうとしています。

ですが人はどうしても能力のある人を頼ってしまいます。

一番重い役になってしまった人は多分投げ出してしまいたいと

思うことが何度もあるでしょう。

大変なことですが、しかし、この状態はずっと続くのではありません。

映画上映が成功裏に終わり、打ち上げをすればそのあとには

えもいわれぬ達成感が待っています。

そしてその人は人間として一歩も二歩も先んじて成長した人に

なるに違いありません。蛹が成虫になるようでしょう。

あとふた月です。

細かいことを考え、決めるのは面倒で気疲れがします。

会議中じっとうつむいて気持ちを落ち着かせていた表情は

何にもまして美しく見えました。。



今日はたくさんのことが決まりました。

社協からも強力な手助けの方が参加してくださったし、

他市の福祉施設の長も駆け付けてくださいました。

いろいろな人がこの映画の上映事業を成功させようと願っています。



なぜこのように一生懸命になるのでしょうか。

それは世間ではいまだに誤解された状態が続いている

精神疾患のことを理解してほしいという願いがあるからです。

会議の終わりの方で代表者である彼女は言いました。

「できれば半分以上は一般の方々が見に来てほしい!」

その気持ちが伝わってきっとそうなるでしょう。


















「私達の反乱軍アンケート」

2018-09-14 22:03:40 | いろんな想い

「明るみに出ていない事」のその2とその3を書かれる前に

「私達の反乱軍アンケート」という題名で書かれています。

これは今月開かれる集会の案内文です。

この案内書という文面には、今までのものには、私が感じることですが、

おおむね諭しや憤りという雰囲気があります。

ですが今月のこれには、何かちょっとおどけた感じが出ていて

援助の立場の人たちに対して、軽くいなしている、

または明るく諦めている、そういう印象を受けるのです。

ピントのずれた感想かもしれません。まあ読んでみてください。



まず、「私達の反乱軍アンケート」の題名の後に

~皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?~

と書かれています。反乱軍アンケート、だけでもドキッとする上に

本心ではどんな思いをしているか?と聞かれるとちょっと心臓に来ませんか?

その下の行にはけれどもカッコ付きで

(私たちが社会からかけ離れすぎているといった疑問や偏見)とあります。

とてもまじめな論点で、これでかなりほっとします。



本当はこんな御託を並べないで、

全文をあっさりここに書き写すのが一番いいことなのですが…



次の行から始まる本文はまたかなり強烈です。

これを書いておられる方はたいていの場合長文です。

それはまるでトーマス・マンのようで、マンの愛読者である私には

うれしく読ませてもらう瞬間です。

本文の最初の1文は170字ほどあります。すごいです。

そしてその内容というのが、

模範的なアドバイスや助言などの指導をいただいても、それが

善意ではあっても「案の定、適合せず」何の参考にも励ましにもケアにもならない、

とバッサリ切っておられるものです。

この1文の最後には「皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?」

と結んであります。



この「皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?」というのが7か所あり、

これが、だからアンケートになっているのですね。

二つ目の「皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?」

の前文は、皆さんが万が一精神疾患に侵されても、今まで通りの日常を送る自信をお持ちか

という疑問や偏見に対して、「皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?」いうものです。

三つ目は、(ここは全文を書き写します)

私たちの心の、異なった摩訶不思議な世界に、どうかして陥って、同じ体験をしてくださってから

的確な助言を頂戴したいという、無駄なお願いをしている疑問や偏見に、

皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?


というものです。「無駄なお願い」というところがすごいです。

四つ目は、「誰もあなたのこと障がい者扱いみたいな風には思ってないよ」

という上から目線な言われ方に対する疑問や偏見に、


「皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?」というものです。

次の五つ目から七つ目まではどんどん鋭くなっていきます。

そのまま書き写します。

五つ目、社会と合口が悪く、掛け離れ過ぎていて、適業が見つからず世間から

私たちが漫然としているような誤解だけがあるといったような疑問や偏見に

皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?


六つ目、精神患者の立場だけに限って、急にガラッと変えられないような、

度の過ぎる優越感で、私たちが下等人間視されるといった、疑問や偏見に

皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?


七つ目、社会に対して、私たちが啓発的な、活動に時間を費やしているといった、疑問や偏見に

皆さんどんな思いをされているのが本心ですか?



この七つのアンケートに答えられる人がいるでしょうか。

本心を語れる人がいるでしょうか。

答えられない人に対して、その代わりに著者は次のようなことを

書いてくれています。



精神疾患のことをどんなに神経を研ぎ澄まして

考えて感じようと試みてもほんの数百分のひとかけらすら

分かってあげられないという答えに行きつく人たちのことを私達は責めません

むしろこの上ないハートフルな型だと私達は敬意を払います



人は皆、この今月の案内書を、いえ、啓発書を

いつも読むのがいいと思います。








「明るみに出ていない事」その1

2018-08-31 15:40:10 | いろんな想い

「集い」の案内書に書いてくださる800字前後の文章を

いつもドキドキしながら読んでいます。

これを読むとなぜドキドキするのかというと

論点が鋭く、障がいを持たない一般人に対して

厳しい啓蒙となっているからです。

この文章をご本人は案内書と称されていますが、

論文というと学術書のようですし、文書というとお役所のようです。

ですからこの文章の数々を私は「啓蒙書」と呼ぶことにしています。



今回ここに紹介するのは3枚に分けて書かれた

つまり2400字にもなる、原稿用紙で言えば6枚の

まさに論文と言えるものではないでしょうか。

「その答えを知る前に…明るみに出ていない事」の1~3

というのが今回の題名です。



「明るみに出ていない事」ってなんでしょうか。

ここでこのシリーズ1を読んでいくとわかってきます。

私の解釈によれば心の病に関してまだ明るみに出ていない

問題や理屈が大事なことだ
、と著者は言っているのです。

心の病になれば症状などを見てまず病名が決まります。

それから薬が処方されます。それも必要なことでしょう。

ですがそれで簡単に治るものではありません。

回復にためには遊ばなければなりません。

著者は「遊ぶ」ということがを使っていますが

遊んでいると実感できることは人によって異なります。

いろんな遊び方があります。

どんな風に遊んだにせよ、病人が調子よくしている様子を見て

心の病に疎い方が遊んでサボっているのかとか、治ったのかと誤解されます。

(太字の部分は著者の言葉です)



精神疾患の病人にとって大事な第一のことは

治療を施されることよりも世間の人が病気について理解する事なのです。

この啓蒙書の前半には、そのことが述べてあります。

心のケアを一生懸命努力している最中に、思い違いや否定をされ、

追い打ちをかけるような言動を周りから浴びせられると

今まで努力してケアしたことが、私たちにとっては、

それが粉砕されるどころでは済まされないのです。」


ここを読むと心ある一般人は自分もそのようなことをしてきたと

反省させられるでしょう。

「重傷どころじゃすまされないのです。目に見えない悲痛この上ない大事件です。

振り出しどころか、マイナスからまた心のケアのやり直しで、

社会との不快で悩ましい誤答の仕合と、繰り言が続きます。」




こういうことを病人自身が書いたことが今までにあったでしょうか。

なかったと思います。

いかに努力すれば精神疾患はよくなるか、ということを

病人だった人が書いたものはよく目にします。

けれども今現在病気と付き合いながら、こういった告発を

書いて世間に訴えるものは多分ありません。



ですからこれらの文章を読むとギクッとして

自分のことを言われたような気持ちになるのは

決して私だけではないのではないでしょうか。

しかし著者は決して世間の人たちを誹謗しているのではありません。

こういうことを解かってほしい願いを込めながらも

「先決なのは、どこまでも深く自分の疾患を追求し、理解し、洞察することを

惜しまない事です。地に足を付けた、ゆとりが沸き立つような、

なんといっても自分にとって大規模なスケールの広い、

自分らしく伸び伸びできる安心に繋がる生活を見出すしかありません。」


と、前向きな考えを示しています。

そして最後にこう結んであります。

「私たちが世間となぜ両想いになれないのか?多くの人に深く悟ってほしい。

長い理屈っぽい見えない事件たちと向かい合いながら、

そして遊び楽しみあいながら、切り替えて両立していくことを一興と受け止める事も、

私たちの自慢できる、人生の貴重な一場面です。」









希望の集い案内書いろいろ

2018-08-24 20:34:06 | いろんな想い

去年の9月以来ずっとこの毎月の案内書を読ませてもらってきました。

先月には8月の案内書もいただき、9月から11月までの分ももう書けたと

言われたので、それも下さいと貰ってしまいました。

その中の3か月分には「明るみに出ていない事」として1~3までが綴られています。



当事者が自分たちの思いを書いたものは他にもいろいろあるのかもしれません。

あるとしてもそれは別の面で社会人として活躍していられる方々で

そういう人を何人か知っていますし、その方たちの本も読みました。

比べるわけではありませんが、ほとんど病気が癒えてその上で

自分の病気時代のことを回想または告白された本では

何か差し迫ったものが欠けるような気がします。

それに、誰かが言っていましたが、それらの本を読むとまるで

「見習って頑張ればこのように治る」と言われているようで

よけいにつらくなる、ということでしたが、そうだろうと頷けます。



この集いの案内書に書かれた文章は

ご自分が現在、精神疾患という病に苦しんでおられる

まさにその状態の中で書かれたものです。

ですからその一語一語には重みがあります。

もっとも周囲の人から見ればこの著者のことを

「とても立派で、うちの息子もこの方のようだとどんないうれしいことか」

と母親たちはときどき噂をしているほどです。

ですがやはりこの著者も病気の中におられるのです。

だからこそこの、原稿用紙1,2枚の中に

あふれるような思いを、今現在の事として

表現されているのでしょう。



この前、「去年の7月に書いた案内書の文が

支援センターの通信冊子に載って好評だった」と聞きました。

その頃はそういうことも全く知らなかったので

その文章も見せてもらったのです。

聞けばそのころからこういう長い案内書を

書くようになられたのでしょうか。

主題や主張は同じでも、それ以来どんどん筆が伸びて

最近のものはもう、一つの論文と言ってもいいようなものになっています。

著者の特徴は、自分のことを書いているのではなく

精神疾患を持つ人間全般について書いているところです。

もちろんご自分の経験の沿って書いておられるのですが

周囲の友人や知人の思いを総合してまとめておられるのだと思います。



「明るみに出ていない事」とは何なのでしょうか。

当事者でなければ書けないこと、その思いを文章に現わしてこそ

第三者に伝えられることがあります。

この「明るみに出たいないこと」のシリーズも読み応えがありますが、

その合間に書かれた「私達の反乱軍アンケート」というのもまたすごいものです。

病気でないものに対する鋭い問いが迫ってきます。



これらの文章を、これらの告発を、ぜひ大勢の人に読んでもらいたい

そういう思いでいっぱいです。

このささやかなブログも最近では数十人が見に来てくれているようですが

あまりにも小さな世界です。

いつか数限りない多くの人が読んで精神の当事者についての

本当のことを知る事が望まれます。



昨日もらった12月の案内書には「…それは病気のサインかも!」という

病気の初期について書かれたものでした。

これらの文章を集めて本にしようという人が出てくるまで

せめてこの欄に内容を書きとめておきたいと思っています。



前説が長くなってしまいました。

この後時間を追って「集いの案内書」と称する

「精神疾患についての考察」を紹介していきます。













映画の準備会-その2

2018-08-21 20:30:41 | 集会の報告

社協から映画会の準備についての説明に来ていただけるというので

急遽呼んでいただきました。

大勢が集まり映画の上映に向けて熱心に聞き、討論も盛んでした。

精神障がいの当事者と一口に言っても一人一人は

異なった個性を持った人間です。

けれどもここに集まった当事者の方々は

それぞれが個性を持ちながらも何かを一緒にやっていこうという

前向きな積極性がある人たちで

代表を務める彼女などはこういった会合の間にも

公的機関に交渉に行ったり電話で問い合わせをしたり

大変な活躍をされています。

障がいがほとんど治っているという訳ではありません。

自分ではしょっちゅうしんどくなったりつらい気分になったりされているはずです。

それでも会合のときには決めるべきことを決めています。

そうして他の障がいの当事者も意見を出し、討論をして進めていきます。

今更のように思うのですが、これだけ当事者が主体になって

会の運営を進めているところはないのではないでしょうか。



しかしもう一つ言えることは、それを支える支援者たちも大勢いるということです。

支援者という言葉は間違っているかもしれません。

なぜならその人たちは支援してあげているという気持ちがないからです。

みんなで一緒になって自分たちの事としてやっていこうと思っているのです。

いつだったか代表の彼女に言ったことがあります。

「いいよね、ここには支援者がいっぱいいるもんね」

彼女は反論しました。

「え? 支援者とは違うよ、一緒にやっている人だから」

そうなんです、彼女言うとおり、障害のあるなしにかかわらずみんなでやっているのです。



今日は社協の方が来て映画の上映会の初歩を教えてくださいました。

この社協(社会福祉協議会)というのもまた半官半民で

ボランティア精神なくしては務まらない仕事です。

今日こられた方もその精神でやっておられます。

そして今日は、時々参加してくださる市会議員さんで

福祉に力を入れておられる方も来ておられたりして、

いろいろな知恵を提供してくださいました。



けれどもなんといっても、何の見返りもなく、

いえ、気持ちの充実ということはたくさんあるにしても

仕事ではないのでお給料が入るわけでもないのに

全身全霊でお世話している支援者が、

ああ、やっぱり支援者と書いてしまいました。

そういう方々がたくさんおられるのがやはり大きな土台となっているのです。

一番にはこの会の会場としていつもお世話してくださるご住職夫妻です。

気負いなく実に淡々とこまやかな心遣いには表現する言葉がありません。

それと、事務的な用事を一手に引き受けてくださってる方、

会の進行表を書いてプリントアウトしたり、いろいろなデータを印刷してくださったり

今度の映画会に関しては調査の上、表を作成したり、チラシやチケットを

さりげなく作って皆に提案してくださる、そういう人がいなければこのような

事業はできません。

もちろん他にもいろいろお手伝いする人もいます。

いろんな人の集まりで成り立っています。それはどのような会でもそうでしょう。

しかしここの会ほどそれが絶妙に絡み合い溶け合っているところは他にはないと

そう思うほかありません。



そういう訳で今日の会合もかなりいろいろなことが決まりました。

この調子でいけば映画の上映は成功するに違いありません。



そしてこの会にも代表者の次に熱心に出席しておられる当事者の方からの

「当事者に関する考察」とも呼ぶべきものが手に入りました。

これに関してもまたここに書きたいとわくわくした気持ちになっています。



この会を運営している当事者の方たち、10人ほどもおられるでしょうか、

障がいのことをあまり知らない一般の人を啓もうする、そんな意気込みで、

でも頑張りすぎないで、楽しみながらやってくださることを祈り、

心よりエールを送ります。



















いろりの会「映画会の準備」

2018-08-11 19:25:27 | 集会の報告

いろりの会が社協のプレゼンテーションで

多くの発表者の中から合格をいただきました。

映画「あい」をぜひこの街の人たちに見ていただきたいという

熱意が実ったのです。

プレゼンテーションの日はいろりの会の代表の方と

会員である2人を含めて3人が発表されました。

3人ともに精神障害を持っておられる当事者です。

同行された支援者の人はその場にいて

これが合格しない訳がないと思われたそうです。

それほど3人の発表は心のこもったものであったのでしょう。



映画「あい」の上映に向けて

今日はいろりの会メンバーが集まり

熱心な意見や提案が行き交いました。

いろりの会は研修会に関してはもう何度も経験がありますが

この街のどこかの会場を予約しポスターを作りチラシを配り

たくさんの人に見ていただくための行動を起こすのは初めてのことです。

確かに大変なことかもしれません。

ですが考えてみればこのいろりの会には

そういうことをしようという気持ちのある人がいっぱいいて

プレゼンテーションで発表する力のある人

それも当事者である人が3人もいたということは

本当はチャンスさえあればこういう事業をする力は

以前からあったに違いありません。



「これはそんな大それたこと、びっくりするようなことではないと思う」

いみじくも会員の中からそんな声も出ました。

いろりの会には多くの当事者の活動に対し、それをぜひ支援したい

という人たちがいます。

いま、こうしてその熱意を生かすときに恵まれました。

いろりの会の主たる活動の場はお寺にあります。

きっと仏様のお導きだったのでしょう。

皆でこの映画上映を成功させようと

エイエイオーとときの声をあげました。

今日は本堂で会合をしましたから仏様も

びっくりされたことでしょう。



映画「あい」は精神障害を持つ人の物語です。

この街はおろかこの県の中でも初めて上映されるものだそうです。

近年精神疾患ということに対して少しずつ理解が深まってきています。

けれどもまだまだ偏見が多く、一般には自分とは関係のない世界だと

考えている人が多いのです。

今この社会では4人に一人が何らかの精神的疾患にかかる時代です。

この映画は精神疾患を理解してもらうためではなく

誰にとっても他人ごとではないのだということを一般の人に分かってもらう

そういうためにとても大切で必要なことなのだと思います。



代表者の彼女が言いました。

「しんどいけどやっぱりこういう事業をするんは

私らのことを理解してもらうために大事なことやろね」

「そうやね、それも大事やし、一般の人が精神障がいが何かということを知り

偏見をなくすことは人間としての義務やと思うよ」



この映画を大勢の方が見てくださって

心に何かを感じてくださることを信じたいです。









第5回家族会

2018-07-24 14:22:56 | 集会の報告

今年度5回目の家族会をしました。

以前から念願だったある施設の施設長に来ていただき

その社会福祉法人が担っているいろいろな施設についてお話を伺いました。


施設長は50代半ばの女性で、温かい親しみやすい方です。

今日もやさしく丁寧にお友達のような雰囲気で

いろんなことを説明してくださり、考えを述べてくださいました。

パンフレットや説明書をたくさんいただいたりもして、

家族の立場としてのこれからの生き方の指針になりました。

何よりも家族の者たちが遠慮なく話が出来て

勉強にもなった上に楽しく発散できたのではないでしょうか。


障がいを持つ当事者にとっても、一緒に生きていく家族にとっても

大きく包み込んでくれるような協力者を必要としています。

通院しているときの医師や看護師の方々もそうですし、

自宅に来てくださる訪問看護師の方もそうです。

そして施設長のように常はあまりお話しする機会のない方でも

たまにお会いすることがあって、その方が温かい方であれば

誰でも何とも言えない安心感と信頼感を覚えます。



今日は出席者が8人ということで

それぞれの抱えている問題を一人づつ検討し解決の糸口を探しました。

問題なく仕事をしている当事者のいる家族も何らかの心配はあります。

そのことを話し、考えを聞き、何か納得した気持ちになったりもできました。



「危険な温度」という新しい言葉ができるほどのこの頃ですが

その「危険」を冒してでも出席した8人にとって

大きな収穫のあった今日だったと確信します。