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近江湖西会家族会へようこそ!

精神障がい者の家族と支援者の集まりです。

10月の家族会

2018-10-20 08:35:53 | 集会の報告

今週の火曜日に今年度第7回の家族会がありました。

家族会と省略していうのが普通になっていますが

これは精神障がい者を家族に持っている者たちの会です。

たいていの会員は子供が障がい者である両親です。

欠席が多いのですが兄弟姉妹が当事者という会員もいます。



ここ2年半ほどこの家族会は独立した形でやってきました。

以前はNPO法人として作業所も同時に運営し、

公の援助も受けて事務所を立ち上げていました。

いろいろな事情から家族会が独立して運営するようになり

家族の者たちがみんなで協力し合ってやってきています。



それでも前年度と前々年度は市や社協の補助金をもらい

いろいろな事業、例えば他市の施設を訪問する研修会、

お楽しみサロンという、当事者も大勢企画参加するパーティ、

精神福祉の専門家を招いてお話を聞く会、などを催していました。

しかし今年度になってからは、それらの事業を計画してくれていた会員が

退会され、ではどのような家族会にするか、と皆で話し合った結果、

家族が寄り合って自分の思いを気兼ねなく話すのが一番、

という全員の希望で、ほとんどの場合は「話し合い」をするようになっています。

その月に一番問題を抱えている会員の話を中心に

お互い知恵を出し合い、こうすればいいのではないか、など喋っていると

時間は瞬く間に過ぎていきます。

そしてほとんど全員が、こういう時間が一番癒されると言います。




今月の家族会もそのようにそれぞれの話をして過ぎていきました。

会員の一人が遠くに移転するということで、

ある会員がちらしずしを手作りして持ってきてくれました。

こうして後半の時間は心のこもったお別れ会も出来、

家族会というものが今後ますます気持ちの繋がったものになるだろうと

いう予感がしています。



障がいを持つ当事者はもちろん大変な生活をしています。

そしてその家族というのは実際にはそれ以上につらいものではないかと思います。

それが親である場合にはかなり深刻な気持ちになるのですが、

子どもが病気になったことで自分を責める親が多いのは仕方のないことでしょうか。

いいえ、親の責任というのは間違っているでしょう。

親のつらさというものに対して一般にはかなり理解されていない面があります。

親が辛い気持ちでいると、子供である当事者はもっとつらくなります。

当事者の親兄弟が出来るだけ辛さを減らすことが大事です。



この家族会をもっといいものにするために

今月の家族会では、40年以上も前にこの家族会を作られた方が出席され

またみんなでやっていこうという約束をしてくださいました。

それから、この家族会の会員でありながら、本職の忙しさもあり

なかなか出席されなかった方も、もうすぐ定年を迎えられ、

そうなれば家族会にも協力できるとのことです。



なんと心強いことでしょう!

この数年に一番変わったのは、なんといっても家族のみんなが

下を向かずに顔をあげて、自分の思い、

自分の意見をはっきり言えるようになったことです。

これは大事なことです。



この先、家族会の成長がどれほど進むのか、

努力もし、楽しみながらみんなでやっていきます。

















映画の準備会-その3

2018-09-15 20:38:54 | 集会の報告

今日の準備会はそれは熱のこもったものでした。

街の中のコミュニティセンターの会議室。

人数は20数名だったでしょうか。



この日が正式には「映画『あい』を上映する会」と名付けられたグループの

第1回目の集会でした。

映画上映事業というのはそれは大変手間のかかることです。

何から何までこのメンバーで計画しなければなりません。

この前の準備会で誰かが言ってました。

「あれぇ~、映画ってそんなにいろいろしなくてはいかんの。知らんかった。

日にちと場所を決めて、あとはよろしくと映画の関係の人に言えばいいのかと思ってた」

そうなのです。日にちや場所はもちろんですが、他にも基本的なさまざまなことを

考えねばなりません。

前回では場所と日時、入場料のこと、お金はいくら必要なのか。

ポスターやチラシの注文。チケットの作成。などに関して決まりました。

今日はプログラムなどの作成。準備に関する役割分担。当日の役割分担。

たとえばチケットには飲み物付にするとすれば、

それを誰が用意するのか、当日誰が接待するのか。

ちょっとした思い付きのサービスには人の手が要ります。

そして一番手間のかかるのが事務を担当する方々です。

たとえば今日の会議の為にたくさんの用紙を作って文書化し、

印刷して持ってきてくださいましたが、

それはすべてボランティアですからご自分の家が事務所化します。

紙代やインキ代は事務費から出るとしても、労力代や電気代は出ません。

ましてや同居の連れ合いの方がその会の代表だとすればどうでしょう。

気持ちの上だけでも追いつめられるような気分がするでしょう。

もちろん他にも大勢の人が一緒に事業をやろうとしています。

ですが人はどうしても能力のある人を頼ってしまいます。

一番重い役になってしまった人は多分投げ出してしまいたいと

思うことが何度もあるでしょう。

大変なことですが、しかし、この状態はずっと続くのではありません。

映画上映が成功裏に終わり、打ち上げをすればそのあとには

えもいわれぬ達成感が待っています。

そしてその人は人間として一歩も二歩も先んじて成長した人に

なるに違いありません。蛹が成虫になるようでしょう。

あとふた月です。

細かいことを考え、決めるのは面倒で気疲れがします。

会議中じっとうつむいて気持ちを落ち着かせていた表情は

何にもまして美しく見えました。。



今日はたくさんのことが決まりました。

社協からも強力な手助けの方が参加してくださったし、

他市の福祉施設の長も駆け付けてくださいました。

いろいろな人がこの映画の上映事業を成功させようと願っています。



なぜこのように一生懸命になるのでしょうか。

それは世間ではいまだに誤解された状態が続いている

精神疾患のことを理解してほしいという願いがあるからです。

会議の終わりの方で代表者である彼女は言いました。

「できれば半分以上は一般の方々が見に来てほしい!」

その気持ちが伝わってきっとそうなるでしょう。


















映画の準備会-その2

2018-08-21 20:30:41 | 集会の報告

社協から映画会の準備についての説明に来ていただけるというので

急遽呼んでいただきました。

大勢が集まり映画の上映に向けて熱心に聞き、討論も盛んでした。

精神障がいの当事者と一口に言っても一人一人は

異なった個性を持った人間です。

けれどもここに集まった当事者の方々は

それぞれが個性を持ちながらも何かを一緒にやっていこうという

前向きな積極性がある人たちで

代表を務める彼女などはこういった会合の間にも

公的機関に交渉に行ったり電話で問い合わせをしたり

大変な活躍をされています。

障がいがほとんど治っているという訳ではありません。

自分ではしょっちゅうしんどくなったりつらい気分になったりされているはずです。

それでも会合のときには決めるべきことを決めています。

そうして他の障がいの当事者も意見を出し、討論をして進めていきます。

今更のように思うのですが、これだけ当事者が主体になって

会の運営を進めているところはないのではないでしょうか。



しかしもう一つ言えることは、それを支える支援者たちも大勢いるということです。

支援者という言葉は間違っているかもしれません。

なぜならその人たちは支援してあげているという気持ちがないからです。

みんなで一緒になって自分たちの事としてやっていこうと思っているのです。

いつだったか代表の彼女に言ったことがあります。

「いいよね、ここには支援者がいっぱいいるもんね」

彼女は反論しました。

「え? 支援者とは違うよ、一緒にやっている人だから」

そうなんです、彼女言うとおり、障害のあるなしにかかわらずみんなでやっているのです。



今日は社協の方が来て映画の上映会の初歩を教えてくださいました。

この社協(社会福祉協議会)というのもまた半官半民で

ボランティア精神なくしては務まらない仕事です。

今日こられた方もその精神でやっておられます。

そして今日は、時々参加してくださる市会議員さんで

福祉に力を入れておられる方も来ておられたりして、

いろいろな知恵を提供してくださいました。



けれどもなんといっても、何の見返りもなく、

いえ、気持ちの充実ということはたくさんあるにしても

仕事ではないのでお給料が入るわけでもないのに

全身全霊でお世話している支援者が、

ああ、やっぱり支援者と書いてしまいました。

そういう方々がたくさんおられるのがやはり大きな土台となっているのです。

一番にはこの会の会場としていつもお世話してくださるご住職夫妻です。

気負いなく実に淡々とこまやかな心遣いには表現する言葉がありません。

それと、事務的な用事を一手に引き受けてくださってる方、

会の進行表を書いてプリントアウトしたり、いろいろなデータを印刷してくださったり

今度の映画会に関しては調査の上、表を作成したり、チラシやチケットを

さりげなく作って皆に提案してくださる、そういう人がいなければこのような

事業はできません。

もちろん他にもいろいろお手伝いする人もいます。

いろんな人の集まりで成り立っています。それはどのような会でもそうでしょう。

しかしここの会ほどそれが絶妙に絡み合い溶け合っているところは他にはないと

そう思うほかありません。



そういう訳で今日の会合もかなりいろいろなことが決まりました。

この調子でいけば映画の上映は成功するに違いありません。



そしてこの会にも代表者の次に熱心に出席しておられる当事者の方からの

「当事者に関する考察」とも呼ぶべきものが手に入りました。

これに関してもまたここに書きたいとわくわくした気持ちになっています。



この会を運営している当事者の方たち、10人ほどもおられるでしょうか、

障がいのことをあまり知らない一般の人を啓もうする、そんな意気込みで、

でも頑張りすぎないで、楽しみながらやってくださることを祈り、

心よりエールを送ります。



















いろりの会「映画会の準備」

2018-08-11 19:25:27 | 集会の報告

いろりの会が社協のプレゼンテーションで

多くの発表者の中から合格をいただきました。

映画「あい」をぜひこの街の人たちに見ていただきたいという

熱意が実ったのです。

プレゼンテーションの日はいろりの会の代表の方と

会員である2人を含めて3人が発表されました。

3人ともに精神障害を持っておられる当事者です。

同行された支援者の人はその場にいて

これが合格しない訳がないと思われたそうです。

それほど3人の発表は心のこもったものであったのでしょう。



映画「あい」の上映に向けて

今日はいろりの会メンバーが集まり

熱心な意見や提案が行き交いました。

いろりの会は研修会に関してはもう何度も経験がありますが

この街のどこかの会場を予約しポスターを作りチラシを配り

たくさんの人に見ていただくための行動を起こすのは初めてのことです。

確かに大変なことかもしれません。

ですが考えてみればこのいろりの会には

そういうことをしようという気持ちのある人がいっぱいいて

プレゼンテーションで発表する力のある人

それも当事者である人が3人もいたということは

本当はチャンスさえあればこういう事業をする力は

以前からあったに違いありません。



「これはそんな大それたこと、びっくりするようなことではないと思う」

いみじくも会員の中からそんな声も出ました。

いろりの会には多くの当事者の活動に対し、それをぜひ支援したい

という人たちがいます。

いま、こうしてその熱意を生かすときに恵まれました。

いろりの会の主たる活動の場はお寺にあります。

きっと仏様のお導きだったのでしょう。

皆でこの映画上映を成功させようと

エイエイオーとときの声をあげました。

今日は本堂で会合をしましたから仏様も

びっくりされたことでしょう。



映画「あい」は精神障害を持つ人の物語です。

この街はおろかこの県の中でも初めて上映されるものだそうです。

近年精神疾患ということに対して少しずつ理解が深まってきています。

けれどもまだまだ偏見が多く、一般には自分とは関係のない世界だと

考えている人が多いのです。

今この社会では4人に一人が何らかの精神的疾患にかかる時代です。

この映画は精神疾患を理解してもらうためではなく

誰にとっても他人ごとではないのだということを一般の人に分かってもらう

そういうためにとても大切で必要なことなのだと思います。



代表者の彼女が言いました。

「しんどいけどやっぱりこういう事業をするんは

私らのことを理解してもらうために大事なことやろね」

「そうやね、それも大事やし、一般の人が精神障がいが何かということを知り

偏見をなくすことは人間としての義務やと思うよ」



この映画を大勢の方が見てくださって

心に何かを感じてくださることを信じたいです。









第5回家族会

2018-07-24 14:22:56 | 集会の報告

今年度5回目の家族会をしました。

以前から念願だったある施設の施設長に来ていただき

その社会福祉法人が担っているいろいろな施設についてお話を伺いました。


施設長は50代半ばの女性で、温かい親しみやすい方です。

今日もやさしく丁寧にお友達のような雰囲気で

いろんなことを説明してくださり、考えを述べてくださいました。

パンフレットや説明書をたくさんいただいたりもして、

家族の立場としてのこれからの生き方の指針になりました。

何よりも家族の者たちが遠慮なく話が出来て

勉強にもなった上に楽しく発散できたのではないでしょうか。


障がいを持つ当事者にとっても、一緒に生きていく家族にとっても

大きく包み込んでくれるような協力者を必要としています。

通院しているときの医師や看護師の方々もそうですし、

自宅に来てくださる訪問看護師の方もそうです。

そして施設長のように常はあまりお話しする機会のない方でも

たまにお会いすることがあって、その方が温かい方であれば

誰でも何とも言えない安心感と信頼感を覚えます。



今日は出席者が8人ということで

それぞれの抱えている問題を一人づつ検討し解決の糸口を探しました。

問題なく仕事をしている当事者のいる家族も何らかの心配はあります。

そのことを話し、考えを聞き、何か納得した気持ちになったりもできました。



「危険な温度」という新しい言葉ができるほどのこの頃ですが

その「危険」を冒してでも出席した8人にとって

大きな収穫のあった今日だったと確信します。


















希望の集い6月集会

2018-06-30 14:00:50 | 集会の報告

「希望の集い」は特別の意味で毎回楽しみにしている集会です。

今月は「学ぼう会」というテーマでした。

支援センターが作ってくださったDVDをそのセンターで鑑賞しました。

会場がいつもと違ったせいか、ちょっと集まりにくかったようですが

それでも7人が出席しました。

精神に障害を持っている人たちがどのようにして

一人暮らしをしているか、住居の問題、お金の問題

そして人とのかかわりの問題をうまくまとめてありました。

音声がもう少し鮮明だったらもっと聞きやすかったかもしれません。



その中に不動産屋さんのお話が出てくるのですがそれが印象的でした。

精神障がい当事者の方が数名とそれにかかわる

専門家の方々の登場される中で不動産屋さんは一般市民です。

よく聞き取れなかったのですが精神の人にも理解を持ち

部屋をあっせんしてくださっているようでした。

こういう人々が一般に当たり前に存在する世の中はいつごろ来るのでしょうか。



例によってこの会には段取りを仕切る雰囲気はありません。

なんとなく始まりなんとなく終わる、そんな感じがとても良いのです。

今日は午後から同じセンターで別の集まりがあり

それに出席する人がほとんどだったので

じゃあどこかでご飯でも食べてこようか、ということで

なんとなく集会が終わり、ゆったりとした落ち着いた

いつも通りの静かな集会は終わりました。






6月の家族会

2018-06-30 13:36:55 | 集会の報告

ちょっと前のことになりますが

6月も家族会の集会はありました。

やはり少しだけでも記録しておくことは大事なことでしょう。

最近家族会の雰囲気がとても変化しています。

以前、福祉関係の専門家の方が家族会を取り仕切ってくださっていました。

不明なことを解決し、必要な手続きをして

何でも頼れる状態でした。

今はそういうことはありません。

分からないことは公的機関に出向いて聞かねばなりませんし

個人的に解決してもらうこともありません。



けれども家族会だよといってみんなが集まれば

話がものすごく弾むのです。

家族である当事者のこと、自分のこと、知り合いの事

誰ひとり黙っている者がなく、

次から次へと話題が出てきます。

6月の家族会では寮のお祭りに出た人からの感想を聞き

また出られなかった人がそれを熱心に聞きました。


「へえ~、楽しかったんやね~」

「大成功やったのね」

「来年はこれをこうすればいいわ」

などと意見も出ました。

「今日来たら聞いてもらおうと思ってたんだけど」

と話題提供する人もいて2時間余りはあっという間に過ぎました。



公共の部屋を借りているので終わる時間が過ぎないよう

皆であわてて片付けて

事務所にカギを返した時間が秒単位でぴったりという離れ業でした。

受付のお姉さんが笑っておられました。



ずっとこんな調子で言いたいことが

何でも言える集会だといいですね。












希望の集い

2018-05-21 10:26:59 | 集会の報告

5月の希望の集いは昨日いつものところで催されました。

8人の参加で、新しい参加者が一人ありました。

60代の方です。奥様を亡くされた後、うつを発症したとのこと。

現在おひとりで暮しておられるそうですが、ずいぶんつらいこともおありでしょう。

それでもこうしていろいろな会合に出て話をすることで癒されるととのことです。

これからはこの方からいろんなお話を聞いて私たちも癒されるだろうと思います。


昨日もこのように大きな実りがありました。

少しずつ実っていって少しでも生きやすい状態になればいいですね。

でも急ぎすぎてある日また辛さのぶり返しになることもあります。

明るさや暗さの繰り返しで一生懸命生きていかねばならないのは

精神疾患がないと言われている人でも多くの人が課せられています。

もちろん中には精神疾患なんて他人事で、自分はそんなこととはかかわりがない

と思っている人もいるでしょう。

それはそれで仕方がないのです。


けれども精神疾患だという人たちの中でも

常に人のことを気遣い、人の為に一生懸命何かをしている人がいます。

そういう人だから病気になったと言えるのかもしれません。

どうしてそういう生き方が病気になってもできるのでしょうか。

その方はひょっとしたら何か生きとし生けるもののために

偉業をなされる運命にあった方かもしれません。


もちろんその一歩手前でとどまっている方も多くいられます。

教養もあり、音楽や絵画などの才能もおありだけれども

人と関わりになるのは気が進まない、そういう人の方が多いでしょう。

何人かの方はこういう希望の集いのような会合に出てくるのさえも

億劫だと言っておられます。

それが普通なのかもしれません。



そうだとすると、病気になっている仲間の為にいろいろ動くという

病気の人は、それは本当に病気なのでしょうか。

時々不思議に思う時があります。貴重な存在です。



今日は新しい方の参加もあり、その方のお話や

それを聞いてあげる皆さんのお顔色や、

いいことがいっぱいありました。

そうそう、久しぶりでトランプをしたいということで

ババ抜きをして遊びました。

それもとても楽しいことの一つでした。







いろりの会5月定例会

2018-05-19 14:54:53 | 集会の報告

昨日に引き続き今日も実り多い会合でした。

来月開催の「研修会」の打ち合わせ、12月ごろに可能かもしれない「映画会」の事

そんなことを10人ほどの出席者で話し合った後

いつものようにおいしいお昼ごはんをいただきました。



2月に家族会主催の「お楽しみサロン」をしたときに

ある一人の当事者の方が手作りの楊枝入れみたいなものを持ってこられて

赤十字奉仕団に方たちにプレゼントしていました。

家族会がちょっとしたものをバザーとして並べたのですが

そこに余った楊枝入れを置かせてと言うので並べました。

あまり売れなかったのですが家族会のみんなが一緒になって売ってくれたので

彼女はとても喜んで、次もバザーをするときには一緒にやってほしいと言ってました。

そのバザーをする日がもう近づいてきて、

6月2日の藤美寮のお祭りではまた家族会と一緒に並べてあげることになりました。



今日はその作品を持って行って「いろり」のみんなにも見てもらうと言っておられたのです。

(そういえば今日は昨日より10度も低い気温でした。

お寺ではいろりが焚いてあり、体も心も温まりました。)

その彼女が持ってきた手作り作品はいろいろな種類があり色彩もきれいで

とてもいい出来でした。お寺の奥さんも並べて見学する場所を作って一緒に眺めたり

買ってあげるとお金を払ったり、別の参加者も買ってあげたりしていました。

その当事者の彼女は割合不機嫌さが目立つ人で、強引なところもある人らしいです。

ですが今日はふんわりと和やかで穏やかな表情で過ごしていました。

その人のバザー作品といろりの会の会合とは別の事柄ですが

みんなが温かく接していたことで彼女の気持ちもほぐれたのでしょう。



会の代表者も当事者ですが、きちんと進行を滞りなくされて

この人も実によくされます。映画のこともあるし、やる気も上々で

これからのいろりの会はますます発展することでしょう。



会員の一人で当事者の方が、現在仕事に行っている

B型作業所に対する疑問を提示されたことも大きな今日のテーマでした。

このことについては明日か明後日、書きたいと思っています。

当事者がどんなことを望んでいるのか、どんなことを望んでいないのか

一番大事なことです。

その話題が出たときに、「希望の集い」の代表者の方が

(この方は「いろりの会」の会員でもあるのですが)

来月の「希望の集い」のチラシを今日、配ってくださって

「ここにも書いたのですが…」と

この大事なことについて話されました。

そのことも含めて改めて書かせていただきます。















5月の家族会集会

2018-05-18 14:47:30 | 集会の報告

ずいぶん書かないでいるうちに、もう5月半ばが過ぎてしまいました。

先月半ば近くまでかかって、前年度の会計の始末をし、

ほっとしていると大型連休になって、それも終わり

今日久しぶりに家族会のみんなで集まりました。

「なんかずいぶん会わなかった気がするねー」

「ひとつき間、何にもお互い連絡せんかったものねー」

「今日の会合皆よう覚えてたねー」

「そら、ちゃんと予定表書いてくれたしねー」

「けどね、Kさんね、忘れてたらしい。昨日用事で電話したら

あわててましたわ」

「ええー!重要人物が忘れるのは困る」

そんなことをしゃべりながら全員出席で10名、

元気なおしゃべりができました。


来月初めのふじみ寮祭りに参加するのでその確認と

6月半ばの「いろりの会研修会」のお知らせなどをしてから

今日は久しぶりでみんなのおしゃべりをしよ!

としゃべりだしたら盛り上がって楽しかったです。

まずはじめに入院した息子さんの話。

これは前回このブログに載せた手記の方です。

3月に課長が来てお話を聞いてくださったとき

この方が困っている話をして、みんなが一緒に心配したことがあります。

そのあと事情が好転し、そのことをみんなで聞かせてもらいました。

そのあと、次々に、うちは今こうしている、こんなことで困っている、

など、話が弾み、本当は湿っぽくなてもおかしくない事にもかかわらず

笑い話にしてしまい、ゼスチャーまで交えての盛り上がりでした。

一番の問題は、もう長く9年ほど入院している息子さんに退院許可が

下りたのですが、帰ってきてどんなふうにかかわり合えばいいのか、

お母さんは膝と肩を痛めて家事もままならないのが大問題だ

ということで、誰か公の立場で手伝ってくれる人はないのか、

私立の施設で頼めるかも、など知恵を出し合いました。

当事者がたばこを吸いすぎる話も3人ほどが問題にしていました。

どこにも行かないで家に居るだけ、という話も出ましたが、

当分好きなようにさせるのがいいのでは、と

専門家がいないのでただ、みんなで話をするだけです。

けれども、肩書を持っている専門家ではなくても

家族というのは何十年も悩み考え、自分で勉強もしてきた経験者です。

大した結論は出なくても、同じような立場の者同士

話し合い、考え合い、笑いあううちに希望が湧いて来たり

気持ちがすっきりするものです。

今日の2時間近くはそういう意味で実り多いものになりました。