夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

今クールのドラマ その1 タイガー&ドラゴン

2005年06月05日 | 演劇
「タイガー&ドラゴン」
が一番面白い。
クドカンは天才だと思う。
彼を知ったのは、「僕の魔法使い」。
伊藤英明と篠原涼子のバカップルで、夫に依存しきっている篠原が人権活動家になってはきはきものをいったとたん魅力を失う、なんていうジェンダー的には全く感心できないエピソードもつい許してしまうような面白さだった。

「マンハッタン・ラブストーリー」
小泉今日子演じるタクシー運転手の過去を再現ドラマ風に猫背椿が演じるという発想や、登場人物の人間関係がアルファベットで連環していくという記号論もどきみたいな展開が非常に新鮮だった。

「タイガー&ドラゴン」も、落語と現実の話が交錯するドラマ展開が、面白い。
落語のネタにストーリーが制約されてしまうのだが、それが却って面白い作品を生んでいるというのは、三島由紀夫みたいに、形式美を追求するタイプなのか、と深読みしてしまう。
堂本正樹氏は、「美は形式にしかない。三島にはそれがあったが、大江健三郎にはなかった。彼がやっと見つけた形式が光くんなんだ」といっていた。

細かいことを言えば、虎児の属するやくざの組が薬にも拳銃にも手を出さない、というのが、ただきれいごとだというだけでなく、明らかに貸金業法違反の取立てはしているのに、そちらの違法性は低い、という考え方がいかにもステレオタイプ、とつい専門家の立場からつっこみたくなるが、それも気にならんほど、面白い。

ところで、岡田准一は「コタツ」という名で高座に出ていたという設定だ。
それで思い出したのは、先日再放送していた「晴れのちカミナリ」という1989年のドラマだ。
これは、先日こぶ平が襲名した正蔵の先代(三平に行かずに、一時別の家に行っていたという)を描いた「正蔵師匠と私」というのが原作のドラマだ。弟弟子の「小辰」(石橋保)の目から描いた、という設定。

渡辺謙演ずる主人公の落語家は、軍隊時代に世話になった上官の未亡人(黒木瞳)を陰になり日向になり助けるが、未亡人は、主人公の真打昇進の妨げになる、と身を引く、という、今時珍しいような人情話で、つい、泣かされた。

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モンゴルプロジェクト

2005年06月05日 | profession
映画や本の話が続いたので、少し、仕事の話を。

先日、2002年に大改定されたモンゴル民法についての論文を雑誌に発表したら、「ぜひ意見を聞きたい」という連絡があった。

堺屋太一氏が中心になって進めているジンギスカン800周年記念の国家的プロジェクトのために、モンゴルの法律について意見を聞かせてほしいというのだ。
何分、専門家がごく少ないから。

私は日本の民法を中心に、英米法や中国法も研究し、法科大学院でも教えているが、同じ社会主義国家から近代法国家を目指している点で、中国とモンゴルを比較すると、非常に面白いので、昨年から研究を始めたところだった。

前の職場の同僚が今モンゴルで弁護士をしているので資料も入手できたので。

法律は、現実の世界で役に立って何ぼのもの、そういう点で、実業界からこのように声をかけてもらえるのは、研究者冥利に尽きる。

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仙台育英高校・夜のピクニック(ネタばれ注意)

2005年06月05日 | 読書
前の項に続いて、事件と文学作品の関連妄想。

仙台育英高校の生徒さんが亡くなった事件で、(不謹慎と怒らんといてください)恩田陸の『夜のピクニック』を思い出した。高校生のウォークラリーの話だったから。

この小説、無冠の帝王だった作者にいろいろな賞をもたらしたが、私はあまり感心しなかった。

評論家は、「たった一晩の高校生たちのことを描いただけで、何の事件も起きないのに、これほどの感動を与える筆力がすごい」とほめていたが、そこが全く違うと思う。

だって、シチュエーション自体がありえないほど劇的なんだもん。
本妻の息子と愛人の娘が同級生だけど、周りには秘密にしている。だけど、ウォークラリーの間にそれぞれの親友たちにはわかってしまう。
なーんていう、小説や映画でしかないような劇的な設定にしておいて、「何の事件も起きない」ってのはないんじゃないの?

恩田陸は、小説自体はこれしか読んでいないが、原作を映画化・ドラマ化した「六番目の小夜子」「光の帝国」「木曜組曲」はどれもすばらしいと思った。
とくに、「木曜組曲」は、「文学者は芸術を完成させるために自分の命も顧みない」という浪漫主義を今時正面から描いていて、とても新鮮な出色の映画だった。

それらに比べて、この作品がとくにいいとは思えなかった、ということだ。

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脱線事故:その名にちなんで

2005年06月05日 | 読書
「その名にちなんで」は、ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)という、「停電の夜に」でピューリッツア賞等たくさんの賞を総なめにしたインド系アメリカ人作家の新作小説だ。

久しぶりに小説世界にどっぷりつかる喜びを味あわせてくれた小説だった。

物語は1968年にボストンで出生する主人公ゴーゴリのインド生まれの父母が結婚する前から始まる。父親が大学生の頃、祖父の家から帰宅途中にインドの地方で列車の脱線事故で九死に一生を得る。数百人の乗客がほとんど亡くなった事故で、彼が助かったのは、祖父からもらい、事故直前まで読んでいたロシアの作家・ニコライ・ゴーゴリの本のページが風になびいたのが、救助隊員の目に留まったからだった。

この事故によってマサチューセッツ工科大学大学院への留学を決意し、そのままボストンで大学教授になるた父は、写真1枚でカルカッタから嫁いできた妻が産んだ長男に「ゴーゴリ」と名づける。
その家族の、約30年にわたる物語なのだが、とりたてて何も劇的なことが起こらないのに、これほど胸を打たれるのはなぜだろうか。

主人公は、この名前に呪縛を受けていると感じ続け、エール大学に入学する機会に改名してしまう。余談だが、民法研究者として興味を引いたのは、米国では改名手続がものすごく簡単なのだな、ということ。日本では、正当事由がないと、改名は認められない。

しかし、呪縛していたのは、名前でなく、移民国家アメリカで誰もが避けて通れないアイデンティティの問題なのだ、ということが、この家族の物語を通じてたくみに描かれているのだ。

それにしても、インド系のアメリカ人は、これほど同じ民族としか付き合わなかったり、祖国の習慣に固執するものなのか、それともベンガル系だけなのか、ということも発見の一つだったし、主人公が生まれたハーバード大学の近くにあるMount Auburn病院は、私が3月の出張のとき、毎日その前をバスで通っていた病院なので、懐かしかった。ハーバード留学時代の論文指導教授のWestfall先生が、ご本人は南米に長期出張中だったが、Watertownにある自宅マンションに泊まらせてくださった(バルコニーからチャールズ川が見下ろせる高級マンションだった)。鍵を管理人に預けていってくださったのだ。そこから、ハーバードロースクールに行くのにも、地下鉄の駅に行くのにも、バスで通ったのがこの病院だった。

家族の物語を淡々と描いているが、オハイオの大学にサバティカルのために単身赴任してまもなく心臓発作で亡くなった父を、母が「お父さんは、私に一人暮らしに慣れさせるためにひとりでオハイオに行ったのよ」というくだりには、号泣させられた、うまい、としかいいようがない。

また、文学作品に生涯にわたって影響を受ける人生というのも、とても親近感をもてるものだった。

この小説を読んだのは、4月はじめ。
その際、「こんな大きな脱線事故は日本では無縁だ」と思ったら、今度の事故の悲報に接し、あまりのことに、今まで感想文を書けなかった。

このブログでも、日本がどんなにefficientな国か、ということを書いたことがある。
イギリスに留学していた頃、IRAのテロのこともあり、しょっちゅう遅れたり止まったりするロンドンの鉄道にうんざりして、現地の友達に「日本では、電車が遅れると新聞記事になる」といったら、驚いて「イギリスでは、時間通りだとニュースになるのよ」といわれたことを思い出す。

しかし、ご遺族の方は、朝送り出した愛する人に、もう二度と会えなくなるとは夢にも思っていなかっただろう。
私も、夫がS本に来た週末、日曜の夜夫を送り出してから、「中央高速で事故」、などというニュースをTVで見ただけで、「もし、夫だったら私も生きていられない」と涙が出てしまう。
亡くなられた方とご遺族の無念を思うと、言葉がない。

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必見!「シルミド」(ネタばれ注意)

2005年06月05日 | 演劇
今日、地上波で早くも登場する韓国映画、「シルミド」は絶対お勧めである。

昨年見た映画でナンバーワンだ。

韓国の恋愛ドラマは、2001年頃日本に先駆けて韓流ブームだった香港で、「藍色生死恋(邦題:秋の童話)」等をちらちらと見ていたが、昔の大映テレビのようであまり感心しなかったが、南北分断ものは、上出来の作品が多い。

まず、数年前、「シュリ」(あの主演俳優、アパッチけん(今は中本賢、「釣りバカ」の八ちゃんの役の人)に似てると思いません?)を見て、衝撃を受けた。「どうして恋人の顔が暗殺者と同じだとわからないのか」とか、突っ込みたくなる気持ちを上回るほど、感動した。

北のスパイの「俺たちは青春を歴史の闇に葬ってきた」という科白にはぐっと来た。

そして、愛し合う恋人同士が銃を向け合うシーンで、まず、思ったことは、「つかこうへいはこれを見て悔しいだろうな」ということだ。

つかこうへいは、「障害がなければ恋は燃え上がらない。障害のないところに真の愛はない」というテーマで繰り返し作品を書いてきた。「青春かけおち篇」(ドラマも映画も大竹しのぶが主演した。風間杜夫の映画より、長谷川康夫のドラマの方がはるかに良かった。見合い相手の沖雅也の演技がいっちゃってて素敵だった)は、長年女性の親の家で同棲するカップルが、緊張感を保つために「親に反対されている」という状況を人為的に作出するために駆け落ちする。
「寝取られ宗介」(藤谷美和子の映画も良かったが、繰り返し舞台になっている。小西真奈美がデビューしたのは、私も見に行ったがこの作品だったと記憶する。その系列作品の「ストリッパー物語」が小説としては、「蒲田行進曲」に次ぐ出来だと思う)は、旅回りの一座の座長が、愛を確かめるために、看板女優の妻が、座員の一人と駆け落ちするように次々と仕組む。わざと三角関係にするという発想は「蒲田行進曲」とも通じる。
三島由紀夫の「獣の戯れ」とも似ていると思う。

そういう傾向が進んだのが、愛し合う男女が殺し合わねばならない立場にあるという究極の障害を描いた「飛龍伝」(同棲する学生運動の闘士・神林美智子と機動隊員がデモの最前線で殺し合う)や、「広島に原爆を落とす日」だ。

かてて加えて、つか氏は在日韓国人、「シュリ」を見たら、「やられた」と思うのでは、と想像してしまった。

前置きが長くなったが、「シルミド」は、実際に起きた南北分断の悲劇を描いた作品。
韓国大統領の暗殺未遂事件を受けて、1968年、金日成暗殺のための特殊部隊がシルミドという無人島で訓練を受ける。連れて来られたのは、死刑囚をはじめとするならず者ばかり。
脱落者には死しか待っていない過酷な訓練を通し、教官たちと訓練生の間に人間同士の連帯感や教官が育っていく。
にもかかわらず、政府が南北融和政策に転じたため、秘密を守るため、訓練生皆殺しの命令が教官たちに下される…。

映画のはじめ、大統領暗殺犯の姿と、特殊部隊の中心人物になる死刑囚の姿が、平行して描かれるが、同じ民族が互いに殺し合う悲劇に、どちらのイデオロギーが正しいかは無関係なのだということをたくみに表現する演出だ。
その後も、さまざまのエピソードが重厚に緻密に描かれ、終盤の悲劇へと一気に導いていく。
こんなに涙が止まらない映画も久しぶりだった。

そして、教官の隊長役のアンソンギ(安聖基)、国家命令と訓練生たちへの情の間で苦しむ姿をすばらしい演技で表現していた。し、しぶい!
大ファンになってしまった。

ぜひ、見てください。そして、平和のありがたさを感じてほしい。

韓国は、こういう悲劇が現に存在するというだけでも、芸術作品を創造する上では有利だな(不謹慎かもしれないが)、と思うが、それにしても、こういう歴史の恥部を映画化できるような環境もすばらしい。言論の自由は日本よりずっと進んでいるのではないか。


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Cool Biz?

2005年06月02日 | Weblog
昨日から、軽装勤務ということで、内閣官房に勤務する夫も、朝は上着にネクタイで出て行ったが、帰りはシャツだけになっていたので、ちょっと違和感があった。

元々ネクタイの発祥地英国ではワイシャツは下着を同じとみなされており、それを隠すためにネクタイを締める習慣ができたとか…。

でも、体感温度は人によって違うし、ネクタイを締めた方が気が引き締まって能率が上がるという人もいるだろう(私は銀行員のとき、ストッキングの着脱でonとoffを分けていた。ストッキングは嫌いだったが、はくと、仕事モードに入れた。)から、今までとおりの服装をする人にも風当たり強くしたりしないでほしい。

何をするにせよ、人に合わせないとだめ、みんなと一緒でないといけない、という日本人特有の全体主義がこういうところで出ないといいのだが。

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