夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

外気より寒い心

2007年10月21日 | profession

大学のある街での暮らしは本当に厳しいものがある。

物価が高いとか、冬の酷寒とか、そういう外形的なものだけじゃなくて、精神的に凍えるのだ。

私は、70カ国以上旅行して、どんな不便で衛生状態の悪い国に行ってもこれほど嫌だと思ったことはない。

私は、団体旅行でさえ、ちょっとでも時間があれば、現地語の辞書を片手に街に行って片言でもいいから現地の人と話をするというタイプの人間である。アンコールワットにいったときも、暑いので、観光は早朝と夕方、日中はみな昼寝しているのに、バイクタクシーを雇ってホテルから市場へ行き、カンボジア語の辞書を片手に「この菓子は何日もつのか」というのが通じず、眠る動作を繰り返してそばにいた子供たちに大笑いされたこともある。

しかし、この街でだけは、人と触れ合えば触れ合うほど傷つく。

生活も大変不便である。
たとえば、スーパーマーケットにも行けない。
なぜかというと、醜悪なものを見るから。

歩いて5分の距離でも車を使うほどの車社会、スーパーには必ず巨大な駐車場があり、入口に近いところの何箇所かが身障者用になっている。
そして、行くたびに、普通の駐車場ががらがらなのに、身障者用のところに車が停まっている。たまたま、その車から出入りする人を見て、身障者がいないと、「ここは身障者用の駐車スペースですので、お手伝いします。どちらに体の不自由な方はいますか?」ときくと、いないのである。
そして、「他がいくらでも空いているのに、どうして身障者用の所にとめるのですか」ときくと、「だってほんのちょっとの時間じゃないか」とかいって強く言い返すのである。

毎回毎回そういう経験をするうちに、スーパーに行くこと自体に恐怖を感じるようになった。
そこで、小規模店舗で身障者用駐車場のない99ショップを使っていたのだが、最近撤退してしまい、生活に困っている。

ニューカレドニアにいったとき、万事いい加減な国で、路上駐車もひどかったが、観光地の教会の駐車場は、満車でも身障者スペースだけはちゃんとあいていたぞ。
こういう人間は人間として何か重要なものが欠落しているのではないか。

日本円も使えるし、日本語も通じるのに、私にとってはどこよりも外国なのだ。

また、市内にいい温泉地があるのだが、ここにも言語道断なことがある。
江戸時代から続いている源泉のある共同浴場が250円で入れるのでよく通っていたのだが、実に非常識な利用者がいるのだ。

共同浴場といっても、洗い場は4人で満員になるほど小さいところなのに、毎日、2時間くらい入っていて、しかも、自分流の体操とかをして迷惑な人がいる。出たり入ったり、繰り返しながら、そんな狭いところで腕を振り回して体操したり、また、タオルを冷水に浸したもので勢いよく背中をぴしゃぴしゃ叩いたりするので、一緒に入浴していると迷惑この上ない。
しかも、老人割引(毎日のはた迷惑なエクササイズのおかげで60過ぎには見えない体型であるが)で一か月3000円で入り放題なのだ。

温泉組合が経営しているらしく、私が利用する前からたくさんの利用者から苦情がきているのに、「本人が、私は何も迷惑かけてない。私もここに入りに来る権利があるんだからといって、組合の役員が言い負かされた」といって、それ以上対処してくれない。もちろん、本人も全く改めない。
普通、迷惑だと言われたら少しは改めるんじゃないのか?

だから、私もそうだが、他の利用者は、入口で番台の人に「例の人来てます?」ときいて、いると別の所にいくので、本人は独り占めできてますます好都合である。

また、先日は、その人とは別の40代くらいの女性が、なんと、「湯船の中で」歯磨きをしていた。(湯船は2畳分くらいしかない)さすがに注意したら、嫌がらせされた。
というのは、その日、私が入浴を終え、脱衣場に行ったら、それを待っていたかのようにすぐ上がってきて、「あなただって、規則違反しているじゃないですか」というのである。「はあ?」というと、「ほら、あそこに体を良く拭いてから上がってください、ってかいてあるでしょ?あなたの体の拭き方は不十分でした」というのである。(断わっておくが、私は脱衣場に行く前に一通り手拭いで体を拭っている)歯磨きを注意されたことに仕返しする機会をずっと狙っていたのである。もう、目が点である。

税金の無駄遣いの不必要に豪華な市民芸術館が建てられる前は、世界的に活躍する指揮者が毎年コンサートをやっていた体育館の前の道路工事で、誘導員が煙草を吸いながら誘導しているので注意したら、警備会社の常務が拒否しても拒否しても事務を通じて大学に何度も逆切れ脅迫電話をしてきた。

病院の医師や技師も含め、女子供とみるとため口をきく。
1年に1回くらいしか乗らないが、タクシーで運転手にため口をきかれたので、「客だからとは言いませんが、こちらが丁寧語でしゃべっているのに、そんな言葉づかいは失礼ではありませんか」と注意したら、「降りて話をつけよう」と脅迫された。夜間で女一人だったのでマジで怖かったので、県のタクシー協会に苦情のメールをし、「教育体制がどうなっているのか、再発防止措置をどうするか書面がほしい」といったら、私が東京に出張している間に大学にアポなしで訪ねてきて、たまたま応対した同僚に事情を話したりした。その同僚が例の不祥事で処分を受けた人間なので悪口として流布された。

ほかの件でも、大学の中でさえそういうことがあるが、こちらは、再発防止のための措置を文書でもらって、二度と被害者が出ないようにしたいというだけなのに、どうして田舎の人って、「話せばわかる」といってすぐ面会を強要してくるのか。

ポイ捨てはもちろん、歩きたばこ禁止条例があるのに、執行されたことはないし、バス内は法令で禁煙なのに、街を支配しているといってもいい企業グループの経営する路線バスのターミナルがターミナル駅前の大きなスーパーと同じ建物にあるのだが、駅前目抜き通りに停めた時間調整中のバスで、そんな目立つ所なのに、運転手がいつもバスのステップの上で喫煙しているのである。

同じ団地に住む大学事務員が片手に煙草をもってバイク通勤しているのを注意し、その上司にいっても、全く何の対処もしない。学長にいってもである。
そうですか、条例違反の職員を放置するということは、もちろん、もっと違法性の低いことで職員に不利益処分を科せないことは覚悟の上なんでしょうね。

自転車がパンクしたので修理してもらったら、自転車屋(ベテランらしい老人)は、修理の間中、「スーパーで買ったような自転車はタイヤが中国製だからだめなんだ」とか、あげくは自分の身内の自慢話をさんざんし、東京の1.5倍の料金をふんだくっておいて、修理がいい加減なので数日後にだめになった。

交通マナーも悪くて、横断歩道を渡っているときに、強引に左折右折してくる車に轢かれそうになったことは数限りない。

東京から車で遊びにきた友人が、「片側一車線の狭い道路で、信号青だけど右折しようとして対向車の直進が終わるのを待っていたら、後ろから2台もの車が歩道に乗り上げながら追い越して行って本当にびっくりした。福島に長く住んだこともあるけど、こんなこと一度もなかったよ」といっていた。

父が来たときに電話で料理屋の予約をしたら、本店が宴会で貸切なので、店長に姉妹店を案内され、「○○アン」というので、「どういう字ですか?」と聞いたら、最後の「庵」という漢字が説明できず、逆切れして「もういいです。来ていただかなくても」という。「え、客に対してそういう態度ですか」といったら、「来ていただいて初めてお客さんですから」。

とにかく、私は単身赴任で、ここにいる間はとにかく忙しく、あまり町中に出かけないのに、この街の人間とかかわればかかわるほど、いやな思いをするので、もう、大学と官舎と市立図書館の三か所しかいかないようにしていたら、図書館の雑誌コーナーで、雑誌を元の場所に戻さない、一度に3冊以上の新刊雑誌をそばにおいて読んでいるなど、やっぱり腹が立つことがある。

ここに30年以上住んでいる大学の同僚が、「ここの人は首から上と下が違う」というくらい、理屈っぽいし、自分たちの文化度は高いと勘違いしていることと、実際に取る行動の民度の低さのギャップに、嘔吐をこらえられない人外魔境ぶりである。

ああもう他にもいっぱいあるんだけど、politically correctnessに配慮してこのくらいにしておく。


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錦の御旗

2007年10月21日 | profession
このブログでも取り上げた、大学教員が女子大学院生と性的関係をもち、妊娠・中絶に至ったことを理由にセクハラとして諭旨解雇された事件で、本人が処分取消を求めて提訴した事件(既に口頭弁論も開かれている)について、今更だが言及しておく。

原告は合意の有無のほか、懲戒手続が、学内規程に反して、本人に直接事情聴取すらしない(書面ですませたらしい)手続違反であると主張しているらしい。

実体法面、合意の有無については、まず、undergraduateの学生と異なり、文系大学院がニート製造工場とすらいわれ、教員が生殺与奪の権限をもっている現状では、文系大学院生と教員の間の「合意」の有無は、通常の男女関係と同列には論じられないし、仮にそのようなごく狭い意味での「合意」があったとしても、大学教員が教え子と性的関係をもち、しかも出産できないにもかかわらず避妊せず妊娠・中絶に至るということは、それ自体、不適切といわざるをえない。

しかし、そのことと、手続法上の問題は別である。

およそ、法の支配、人権擁護が徹底されている国ならば、人に不利益処分を科すためには、適正手続が必要である。刑事訴訟法では、違法収集証拠排除法則というのがあって、たとえ有罪でも、違法に収集した証拠が使えない結果、裁判では無罪ということもある。

一般の会社員や公務員などが、刑事事件を起こしても、実名が出るとは限らないが、大学教員が懲戒処分になると、実名が出たり、そうでなくても特定は容易で、社会的ダメージは、刑事事件より大きいのに、学内手続は、本件のようにいい加減であることが多く、本当に法の支配のある国なのか、と絶望的になる。

しかも、大学にとって不都合な人間は、事実無根なことまで無理やり認定され、罪刑法定主義まで無視され、そのくせ権力者に近い人間が訴えられた場合は、調査委員会ができても、調査自体が何年も放置されたりする。まるで特高警察である。

大学は「学生はお客様だから、大事な預かりものだから」ということを錦の御旗にして正当化しようとするが、いい加減な手続や、政治的意図の下で手続をして、本件のように処分取消訴訟を起こされたら、どうなるか?

当然、法の支配とdue processの徹底している裁判手続であるから、事実認定のために、「被害者の」学生も公開の法廷で証人として証言を求められるわけである。学生にだっていいたくないことや、世間に知られたくないことがあるだろう。本件のような性的関係が絡む場合だけでなく、たとえば、学生指導をめぐる問題、本件と同じ大学でもあった、ゼミに出席しないのに就職が決まったから単位を認定せよと強要する学生を教員が殴った事例のように、不正行為や卑劣な行為をした学生への更生指導が行き過ぎた、なんて場合、学生は裁判で証言をさせられることにより、不正行為をしたという秘密になっていることを初めて天下国家に知らされることになるのだ。それなのに、そんなことを公開の場で言わされる苦痛は、いかばかりのものか。

そのことによって、大学が学生から不法行為で訴えられるということだって十分ありうる。

大学がそのような偏向した手続をしたために、実は一番苦しむのは学生であり、大学が掲げている錦の御旗が嘘っぱちであり、政治的目的で処分を行っていることを糊塗するための方便にすぎない、むしろ大学側の都合で学生を利用していることを物語っているのである。

酸鼻を極める醜悪な世界である。

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