夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

夢の(離れた)2ショット

2007年10月16日 | 演劇
SP エスピー 警視庁警備部警護課第四係 DVD-BOX
岡田准一,堤真一,真木よう子
エイベックス・マーケティング



スワンの馬鹿!~こづかい3万円の恋~ DVD-BOX
上川隆也
ポニーキャニオン




けして一緒に並びはしなかったけど、夢のような絵だった!!

でもやっぱり堤さんは、司会の中居君に、「堤さん、生放送の時はいつも唇乾いてますね」といわれて、ひきつっていた。

スリッパ卓球の時もさんざんだった。

上川君は、そつのないユーモアある受け答えだった。実は、キャラメルボックスの前説では、劇団一鋭い突込みをするのである。(もうすぐ何年ぶりかでキャラメルの芝居にも出るのよね。チケットが取れるか心配)
劇団員からは「上川君は、ただの銃器おたくの癖にかっこいいなんていわれてずるい」とかいわれている。

卓球もうまかったが、劇団ひとりが足を引っ張って負け。

上川君といえば、最近WOWOWで主演してドラマ化されたので、横山秀夫『震度0』を読んだ。
未曾有の大災害と同時進行で起こる、一警察官の失踪をめぐる地方の警察内部での醜い権力争い。本人の安否はもちろん、国民の安全や正義などまるで眼中になく、ひたすら自分の出世や退職後の天下り先のことだけを計算して動く人間たちは、自分の職場のことを思い出させた。
そして、そんな醜悪な論理とはまったく異質の、人間らしい感情でキーパーソンが動いていたことから訪れる意外な結末。
大掛かりなトリックなどなくても、十分読ませるミステリーを開拓した作者の、今のところ、最も好きな作品である。『影の季節』(上川君が主演した2時間ドラマがシリーズ化されている)、『半落ち』よりも良かった。そもそも、やたら評価されていた『クライマーズ・ハイ』はどこがいいのかさっぱりわからなかった。


border=0>震度0横山 秀夫朝日新聞社

震度0 [DVD]
渡辺いっけい,上川隆也,國村隼
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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はなまるマーケット

2007年10月16日 | 演劇
話題があちこち飛ぶが、昨年10周年を迎えたというこの番組について。

私も、香港から戻ってきて職探しをしている短い間、本当の意味での専業主婦だったので(香港では、外交官の配偶者も外交団の一員として外交官用パスポートが支給され、公務があり、結構な額の手当ても出る=生活費は夫もちだったので、可処分所得は国立大学の准教授になっても、山の手線内に180平米という分不相応なマンションのローンを抱える今より多いくらいだったので、専業主婦とはちょっと違う)、この番組を見ていた。

今は、もし家にいるとしても、「特ダネ」の方を見ている。

この番組では、ほうれん草はゆでなくても、茎に十文字に包丁を入れて、水にさらしておくと灰汁が抜けますよ(これは今でも使っている)、とか、そういう情報をやっているのである。

夫から渡された生活費は食費、消耗品込みで一月4万円だったのでやりくりが大変だったのである。(ちなみに小遣いとしては6万円をもらっていたが、これでは、服も買えないし、旅行にも芝居にも行けない。自分で稼がなければ人間らしい生活はできないと思い、必死で就職活動をしたのである。東大の同級生も夫の海外転勤から帰国後はほとんど専業主婦になっており、40過ぎてブランクのあるおばさんの再就職は半端なく大変だった)

また、女性の家庭料理の先生がよく出てくるのだが、気づいたら、ほとんどみんな、母子二代、場合によっては祖母から三代同業なのである。
しかし、みな結婚しているのに、母親のブランドを引き継ぐため苗字は母親と同じ、ということは、二代目からは仕事上夫婦別姓ということ。家庭料理という、極めて主婦的な仕事で夫婦別姓というのがなんとも皮肉で面白い。

はじめは、どうして割とやんちゃなキャラクターのやっくんが主婦に受けるのかなあ、と不思議だった。

でも、見ているうちに、主婦は自分の旦那とやっくんを重ね合わせているのだなあとわかってきた。

彼は、けしてそつのないタイプではない。ゲストに対して決してお世辞をいわないし、紹介される食べ物も、おいしくないときには、口には出さないが、見ているほうにはそれとわかるリアクションをする。でも、立場上それを表立っては出さないように必死に苦労しているところが、主婦から見ると、「うちの旦那も、私たちを養うために、会社ではきっと同じような苦労しているんだろうな、でも、私にだけは本音を見せてくれるのよね」と親近感を持つのである。

でも、彼のような性格だと、NG発言のできない、しかも下品なこともいえない朝の生番組は相当プレッシャーなのか、番組内で上手にストレス解消していることもある。

たとえば、高橋克典が、吹雪ジュン(堤さんがプチブレークした1996年の『ピュア』では叔母甥関係だったのに)と相愛になる『年下の男』(内館牧子脚本)の番宣のために出演したとき、「高橋さん、個人的にはずっと年上の女性というのはいかがですか?」(このときまだ未婚)と聞いたのには、心底「意地悪だなあ」と思った。
高橋が下積み時代、吉田日出子と長く同棲していたことは、オフィシャルファンサイトにも出ているほど、公知の事実、やっくんも知らないはずはない。高橋も困っていた。

ピュア DVD BOX
和久井映見,堤 真一,高橋克典,高岡早紀,篠原涼子
ポニーキャニオン





もっとも、ゲスト自身が、上手に意趣返しに使っていたこともあったなあ。
やはり、渡辺淳一原作のドラマの番宣で、緒形拳が出たとき、ちょうど、共演者のトヨエツが中山美穂らしい相手との恋愛を書いた本を出したばかりで、緒形拳は、にこにこしながら、「豊川さんはとってもいい人で、僕にこの本をサイン入りでくれたんですよ」と、そのサインの箇所を示すと、「緒方拳さま 豊川悦司」と書いてある。
大先輩の俳優の名前を間違えるなんてこれほど失礼なことはない。
緒形は本当は、トヨエツは失礼な奴だといいたかったのだろう。しかし、こんな形でうれしそうにいえば、建前上は悪意があるとはいえない、実にうまい意趣返しの仕方であり、将来、参考にしたいと思った。

それにしても、司会者二人の無知ぶりもご愛嬌を越えている。

やっくんは、吉本多香美がゲストの時、「小さい頃からスポーツにはコンプレックスがあって」といったら、「すみません、コンプレックスってどういう意味ですか」と聞いていた(知ったかぶりしないところは評価すべきなのだが)。

また、岡江久美子は、前にドラマ『七人の女弁護士』(最近釈由美子でリメイクした)で弁護士役をやっていたくせに、クイズコーナーで、「弁護士バッジは何の花を模しているでしょう」という問題が解けなかった。

まあ、その辺が主婦を安心させるのでしょうけど。

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品格とは

2007年10月16日 | 読書
女性の品格 (PHP新書)
坂東 眞理子
PHP研究所
ベストセラーになっているので一応、『女性の品格』を読んだ。

72ページに、

「流行を取り入れた服は質がよくて長く着れそうでも、デザインは必ず古くなって十年二十年と着ることはできません。」

まちがいなく、ら抜き言葉は品格がない。
他人に「品格」を説く本にこういう間違いがあること自体が、胡散臭さをよく表している。

大体、フェミニスト的には「女性の」と区別すること自体が噴飯ものである。

男性ならよくて女性なら品格がないなどということを認めること自体、一応ジェンダーに携わっている人間のくせに到底許しがたいことである。

著者はこんな人だと思わなかったので正直ショックだった。

前の前の内閣で「男女共同参画・少子化」問題担当大臣に猪口邦子がなったときも、不適格だと思った(もうやめたからいいけど)。
というのも、あの人は、夫のことを公的な文章で「主人」と抵抗なく書くし、ジェンダーバイアスに基づいた役割分担をしていることを平気で日経新聞のコラムに書いていたからだ。

いわく、「子供が小さいうちは、自分は外での交際を諦め、専ら家で主人の内外からの客をもてなすことに専念していた。しかし、子供が大きくなって、主人が『邦子もそろそろ外に出たら』といってくれたので、国連軍縮大使を引き受けたのである」

女性の中でもキャリアを持って活躍している人が、ジェンダーバイアスに鈍感であることを、日経新聞の夕刊という媒体で堂々と示すことが、どれだけ有害かわからないのか、と憤った。そんな人に男女共同参画などできるわけないのである。


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学力低下

2007年10月16日 | profession
藤木直人が好きなので、おしゃれイズムという番組をよく見るのだが、先日、須賀健太という子役がゲストのとき、のけぞるほど驚くことがあった。

ゲストのかばんの中身拝見ということで、かばんから漢字ドリルが出てきた。
上田が「ちょっと泉ちゃんやってみてよ。藤木君、問題出してあげて」といい、森泉(森英恵の孫でモデル)にある漢字の読みの問題を藤木君が出した。(藤木君は性格がいいので、易しいのを選んでいた)
しかし、森泉は、その漢字=「妥協」が読めなかったのである。

「あんきょう?」とかいうのである。

彼女は確かに母親がアメリカ人だが、日本生まれ日本育ちで母国語はもちろん日本語、大体「妥協」のようによく使う漢字が読めないということは、番組の進行表なども読めないし、新聞だって読めないということではないのか?

それで曲がりなりにも社会人が務まるのか?

それよりも驚いたのは、この番組はかなり編集でカットされる部分が多いはずなのに、このシーンがカットされていないということだ。
つまり、「妥協」という字が読めない司会者でも恥でもなんでもないということなのだ、その認識の方が恐ろしい。

内田樹(この名前って、読み方は違うけど今でも多数の香港人を小樽観光に駆り立てている映画『ラブレター』の主人公と同じだ)の『下流志向』にも、学生の学力低下のことが描かれていたが、私が深くうなずいたのは、教員と学生の関係について。

昨今、大学と学生、教員と学生の関係は、教育というサービスを提供する契約であるという考え方が非常に意識されており、民法学界でも、とくに前納授業料返還をめぐる一連の裁判例で「裁判所は『在学契約』という新しい類型の契約を樹立した」なんていわれている。

しかし、契約だからといって、お客様は神様であり、なんでもお客様である学生が主観的に望むとおりにしなければならない、という結論になるのはおかしい、とかねがね思っていた。

そのことについて、内田氏は、「普通の契約なら消費者がその商品の品質を評価する能力をもっているが、教育の場合は、その時点で学生が契約によって提供されるサービスの品質を適正に評価する能力を持っているとは限らない。むしろ、だからこそ教師が教え導くのだ。教育の内容を適正に評価できるほどはじめから学生に能力があるならそもそも教える必要などない」というようなことをいっている。

私は、これに英米法上の信認関係の法理を付け加えたい。
信認関係については、「学界など」というエントリーで触れたが、大陸法的な契約ドグマでは実質的に適切な解決ができない問題に有用な概念である。
はじめから対等でない契約関係のいくつかの類型を信認関係として規律するのである。Englandの判例では、大学教員と学生の関係は信認関係であるとしている。

信認関係ははじめから対等ではない。私が教えている学生のことはここに書かないと自戒しているのはそのためである。しかし、と同時に、信認関係ということは、専門家に信じて任せるという要素を含んでいる。パターナリスティックな要素もある。つまり、「主観的に」学生が喜ぶことが、必ずしも教育的に効果があるわけではないということが、法的にも正当化できるのである。

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