Photo散歩

気ままに写真を撮り歩きます

井月と山頭火の句碑を訪ねて 2

2021年12月08日 | ひとりごと
 
黒地の柿木 続2
4日にアップした記事の続きです南信州根羽村の柿木です一般の方には大した人気はありませんが写真展開催や写真コンテストを目指すアマチュアカメラマンには絶大な人気を誇ります......
 

一年前の記事が届いてます

根羽村、黒地の柿木で光芒を表現してみました

 

>続きを読む、をクリックしてご覧ください

 

 

 

 

 

 

伊那谷の放浪の俳人たちの句碑めぐり、続きです

 

井月終焉の地の句碑

裏側です、表は撮り忘れてしまった

 

左が井月

落栗の座を定めるや窪溜まり

 

 

右が山頭火

井月の墓前で読んだ4句が彫られてる

 

 

4句は昨日掲載した山頭火全集の抜粋をご覧ください

 

5月4日山頭火は若水宅で過ごしてるが、伊那銀座を散歩してる

ウドの粕漬がうまいとか、御幣餅が珍しいなどと日記に書いてるが

小沢川の旧国道にかかる伊那橋、この辺が銀座だったんだろうか

あの水この水の天龍となる水音、はここで作られただろうか

 

 

 

山頭火の寝ころべばの句は翌日奈良井宿で読んだ句だ

 

 

 

井月の句碑は撮り忘れた

 

 

山頭火は翌日5月5日に小沢川沿いを遡り与地から権兵衛峠を越えて奈良井宿行ってる

 

与地のこやぶ竹聲庵と言うお蕎麦屋さんの駐車場に山頭火の文学碑がある

5月4日と5日の日記の文章が刻まれてる

山頭火の直筆はなかなか読みにくい、台座に楷書での刻されたものがある

 

4日は短い文章だからかな全文、5日は27行ほどあるので10行ほどが

 

 

4日は昨日掲載してるので

5日の日記を掲載します(春陽堂、定本山頭火全集第5巻旅日記)

 

五月五日 晴、今日は端午、奈良井。

若水君ありがとう、皆さんごきげんよう、伊那よ、さようなら、   七時出立。

小沢川にこうて権兵衛峠へ。山桜が咲いてこゝに一本、そこに一本、山吹、野木瓜、落葉松若葉、

櫟の芽、小鳥の唄、谷川の声。.........

山の家では ――― そこに三軒あったが ――― 娘さんが手臼をまはして何かの粉を挽いてゐた、珍しい風景だ。

峠道がはっきりしなくなって(そこに古い道標があつたけれど、あまりはつきりしてゐなかつた)、

不安でなくもなかつたが、馬糞をあてに送電線をたどつて登つていつたら、幸せにして本当の一軒家

があつた、そのおかみさんに道が間違つてゐないこと、頂上まで二十数丁であることをはっきり教

えられて安心した。

その家の前に彼岸桜が一本、咲きも残らず散りも始めぬ豪華版をひろげてゐた。

 

日記はあと18行ほど続くが端折られて次の2句が刻まれてる

 

あの水この水の天龍となる水音

寝ころべば信濃の空のふかいかな

 

 

裏に回ると種田山頭火文学碑とある

句碑ではなく日記の文章が主体だからだろうか、

山頭火の文章は芥川竜之介にもかなりの影響を与えるほど文学的であるようだ

明治の時代に裕福な造酒屋の長男として生まれ最終学歴(早大中退)まで納めツルゲーネフの翻訳までするほど教養を深めてるのに.、飲兵衛で行乞の俳僧.......

そんなところがたまらなく好きになってしまう

 

 

 

 

余談ですが、

最近TVで見かける女流俳人の夏井いつきさんは愛媛県出身で本名は加根伊月と書くようだ

伊月と言う名は祖父が名づけたようだが井月についての知識があったのではないかな

松山出身の高浜虚子も井月を評価してるので多分愛媛の俳句界では知られてたんでは

(井月は句集を残してないが伊那谷出身の下島空谷により井月の句集が出版され巻頭には虚子の句が添えられてる)

井上井月の井月は「せいげつ」だが「いつき」とも読める

井ではなく伊那の伊を使ったのもしゃれてる

無理なこじつけかな?

夏井いつきさんに乞食と一緒にするな!と、お叱りを受けるかな

でも今年、夏井さんは春陽堂、第四回種田山頭火賞を受賞されてる

 

 

 

最期までご覧いただきありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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