時にしてそれは滑稽なものであったり、腹立たしいものであったり、はたまた清々しいものであったりする。
本日は、韓国人にとって重要なものであるか否かの判断基準の甘さについて記してみようと思う。
話は少しさかのぼる。
読売新聞2005年10月28日(金)の記事によるとこのようになる。
韓国の公文書を保管する国家記録院が、1948年制定の韓国憲法の原本を紛失していたことが27日監査院調査で明らかになった。
監査院が初めて実施した調査によると、国家記録院はまた、52―62年の改正憲法の原本も重要書類としてではなく、一般書類として保管していた。
その一方、記録院が大統領関連の重要資料として保存していた文書の74%が資料としての価値がない一般文書だったという。
行政自治省も48年から62年にかけて使われた韓国建国後最初の国印を紛失していたほか、条約の関連文書など重要文書約15万枚を一般文書として大学に預けていた。
以上のように、最重要なものを軽率に扱い、どうでもよいものを最重要に取り扱うさまは見事というほかはない。
この憲法原本は、おそらくゴミとして捨てられたのだろう。いまだ見つかっていないのだから。
記事に書いてあるとおり、韓国最初の国印も紛失している。
そして韓国国宝第1号(南大門)も燃えてなくなった。
そして宝物第1号(東大門)への放火未遂事件もあった。
韓国には文化財・文化遺産が絶望的に残っていない。
国宝第1号、国印第1号同様、ゴミとして捨てられたり、紛失したり、放火されて残らなかったのだろう。
しかし普通、憲法の原本や国印を紛失するか???????
このような韓国人が、韓国に古くからあった歴史上重要な書画骨董が外国(人)に持ち去られたと外国(人)を責めている。
実際はその重要性がわからぬまま対価を受け取り持ち出しに協力したのが大半ではないかと今になって推察される。
哀れなり韓国、、
次回 ”最古の高麗大蔵経を日本が所蔵した理由”
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます