もともと高麗の首都は今の開城(開城工業団地のあるところ)だったが、モンゴルの攻撃に耐え切れず、1232年から1258年まで高麗王は江華島(ソウルの沖にある島)に避難していた。
(1258年に事実上高麗は滅亡する。その後はモンゴルの属国となり高麗王は開城にもどる)
高麗の命運が風前の灯だった江華島時代、仏法で国難を乗り切ろうと考え、国策として製作されたのが高麗大蔵経だった。
版木は81258枚にもおよぶ。この版木の枚数から高麗八萬大蔵経ともいわれる。
韓国には、古い高麗大蔵経は残っていないらしい。1
865年のものが最古だ。
大政奉還(明治元年)のわずか2年前だ。1865年など、つい最近のことだ。
次回 ”韓国に古い高麗大蔵経が残っていない最大の理由”
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