ソフト野郎のハードな思い

”朝日ににおう山桜花”に心酔し、パソコンを趣味とし、草花を愛し、ファジーな世の中を直進する不器用男の独り言

大蔵経とは

2014-02-24 00:44:51 | 歴史(認識)

 

もともと高麗の首都は今の開城(開城工業団地のあるところ)だったが、モンゴルの攻撃に耐え切れず、1232年から1258年まで高麗王は江華島(ソウルの沖にある島)に避難していた。

1258年に事実上高麗は滅亡する。その後はモンゴルの属国となり高麗王は開城にもどる)  

 

高麗の命運が風前の灯だった江華島時代、仏法で国難を乗り切ろうと考え、国策として製作されたのが高麗大蔵経だった。

版木は81258枚にもおよぶ。この版木の枚数から高麗八萬大蔵経ともいわれる。

 

韓国には、古い高麗大蔵経は残っていないらしい。1

865年のものが最古だ。

大政奉還(明治元年)のわずか2年前だ。1865年など、つい最近のことだ。

 

次回 ”韓国に古い高麗大蔵経が残っていない最大の理由”


最新の画像もっと見る

コメントを投稿