私は、環日本海とその近海地域に関係する周辺国が、戦争でなく共存共栄のために活用しあっていく道を構築することが必要であると、かねがね考えてきました。それには、まず尖閣列島、竹島(韓国名・独島)、北方4島、日韓海底トンネル、朝ロ河底トンネル、間宮海峡、宗谷海峡トンネルを国連大学の受託資産としてはどうかと提案してきました。この目的のために日本がОDA(海外経済援助)資金を提供するとともに関係諸国も資金を出し合わなくてはなりません。
尖閣列島、竹島(韓国名・独島)、北方4島、日韓海底トンネル、朝ロ河底トンネル、間宮海峡、宗谷海峡トンネルのうち、すでに開発計画が具体化しつつあるものがあります。
たとえば、日韓海底トンネルは、日本の九州と韓国(朝鮮半島)を結ぶ構想のためのトンネルです。韓国側では「韓日海底トンネル」と呼ばれています。日本の建設会社の大林組が「ユーラシア・ドライブウェイ構想」の一貫として1980年代当時に実現可能であった技術に基づき構想していました。
大林組の日韓トンネル構想によりますと、東松浦半島から壱岐までは、この海域に点在する加部島、加唐島、名島を結ぶ吊り橋と斜張橋を連続して建設し、総全長32kmの橋で渡る。壱岐から対馬までは青函トンネルと同様に60kmの海底トンネルを掘削して対馬の南端に上陸する。対馬島内は地上を縦断する。対馬から釜山までの朝鮮海峡(対馬海峡西水道)は水深が220mもあり、海底断層が存在する上に地盤が軟弱であるため、海底に支持架を建設して円筒形のトンネルユニットを据え付ける海中トンネルを構想していました。なお、このトンネルは水深50mに設置するとしていました。
ところで、九州と朝鮮半島を結ぶトンネルを掘る構想の原点は、1930年代に立てられた「大東亜縦貫鉄道構想」でした。これは当時日本領であった朝鮮半島の南端の釜山府(現:釜山)を起点とし、京城府(現:ソウル)を経て安東(現:丹東)から当時の満州国領内へ入り、奉天(現:瀋陽)を経由して中華民国領内に入り、北京、南京、桂林を経て、ハノイ、サイゴン(現:ホーチミン)、プノンペン、バンコク、マレー半島を通りシンガポールに至る約10,000kmの路線を建設する構想でした。
さらに1940年代に東京〜下関間を結ぶ弾丸列車計画(後に新幹線として実現)が立てられた後、1942年には「東亜交通学会」が設立され、日本本土(内地)から壱岐、対馬を経て釜山へ至る海底トンネルを建設し、大東亜縦貫鉄道と結んで東京〜昭南(シンガポール)間を弾丸列車で結ぶ構想が立てられていました。日本本土側の起点は下関、博多、呼子(現:唐津市)などが構想されていました。ちなみに、1942年4月に満鉄東京支社調査室が作成した報告書「大東亜縦貫鉄道ニ就テ」では、日本側の起点を下関として、実現に向けて対馬や壱岐でボーリング調査などが実施されていました。しかし、残念ながら、これらの計画は大東亜戦争の激化と敗戦によりすべて頓挫してしまいました。
ところが、1980年代ごろから、韓国側で日韓トンネルを開削しようという声が一部の団体から上がってきました。
技術者の西堀栄三郎、地質学者の佐々保雄などが中心となって研究が始まり、日韓トンネルの推進団体として1983年5月24日に設立され、麻生太郎、古賀誠、久間章生など多数の九州の自民党有力議員が顧問として参加していました。
ルートは戦前の弾丸列車計画時のものと概ね同じで、佐賀県の東松浦半島から壱岐、対馬を経て釜山または巨済島へ至る構想である。道路(自動車道)と鉄道(磁気浮上式鉄道か新幹線)の併設を前提にしているようである。工法については海底を掘削するのではなく、コンクリート製のケーソンを一定の深度に並べて構成する海中トンネル方式が提案されている。1986年10月に佐賀県東松浦郡鎮西町(現在は唐津市に属する)に調査坑をこれまで470m掘っています。しかし、その後大きな進展は見られていません。なお「日韓トンネル研究会」は、2004年2月にNPO法人化されています。
日韓トンネルの建設を推進する日本の超党派国会議員による「日韓海底トンネル推進議員連盟」が、結成されています。設立目的については「対馬海峡にトンネルを通して日韓両国をクルマで結ぼうという大計画であり、膨大な経済効果が望める大プロジェクトである」としています。
メンバーは、以下の通りです。
<自民党>衛藤征士郎(大分県第2区選出)議連代表▽野田毅(熊本県第2区選出)▽保岡興治(鹿児島県第1区選出)▽保利耕輔(佐賀県第3区選出)▽太田誠一(福岡県第3区選出)▽仲村正治(比例九州ブロック選出、中選挙区時代は沖縄県全県区より選出)▽中山成彬(宮崎県第1区選出)▽谷川弥一(長崎県第3区選出)
<民主党>鳩山由紀夫(北海道第9区選出)▽高木義明(長崎県第1区選出)
<公明党>神崎武法(比例九州ブロック選出、中選挙区時代は福岡県より選出)▽東順治(比例九州ブロック選出、中選挙区時代は福岡県より選出)
<社民党>重野安正(比例九州ブロック選出、大分県第2区重複立候補)
JR九州がこれまでに、公式に日韓トンネルの建設を日韓両政府に提案したという事実はありません。しかし、同社内には、日韓トンネルやそれを経由して走る国際列車に関する意識を多分に持っていると言われています。
西日本新聞2000年9月19日付の朝刊によりますと、韓国で京義線復旧起工式が行われたことを受けて、JR九州の石井幸孝会長が、その意義と期待を述べたあと、日韓トンネルにも、次のように言及しています。
「終点の釜山と九州は目と鼻の先であり、海上交通は極めて盛んだ。九州と韓国を海底トンネルで結ぶ構想もあり、二十一世紀中に実現する可能性がある。そうなれば、欧亜鉄道の日本の玄関として九州の役割はますます重要になる」
博多港-釜山港間を航行するジェットフォイルには、船内ビデオでビートルの紹介が行われています。このなかで、西日本、九州、韓国地域の地図が示され、ジェットフォイルの経路が点線で示され、将来開業する九州新幹線と韓国高速鉄道、そして山陽新幹線の経路が実線で示され、各経路の所要時間も記されています。ここでは、九州・西日本と韓国をつなぐというビートルの意義が強調されており、限りなく日韓トンネルを連想させる内容になっているそうです。
次に間宮海峡、宗谷海峡トンネルについて説明しましょう。
ロシア・サハリン州のホロシャビン・アレクサンドル・ウジモビッチ知事は2008年7月11日の記者会見で、
「サハリン-大陸間のタタール(間宮)海峡(7.3あ三キロ)に建設するトンネルまたは橋は、将来、日本と欧州を結ぶ鉄路の一部になる」
と述べ、巨大な構想の実現に意欲を示しています。これは、「宗谷海峡に大橋を架けて北海道とロシア・サハリン州をつなぐ」という構想です。トンネルにするか、架橋にするかという違いはありますが、いずれにしても将来、サハリン経由で、日本と欧州を一本の鉄路で結び、日欧間の貨物を輸送しようというものです。
同州では既存の鉄道の大陸直結に向けた改修工事がすでに本格化しており、官民を挙げて「宗谷海峡大橋」実現に取り組もうとしているのです。ロシア人がこうした壮大な構想を描背景には、原油高騰で得た潤沢なロシアマネーがあります。
ロシアは、インフラ整備を着々と進めています。サハリンの鉄道は、日本統治時代のいわば名残といってよいでしょう。線路幅が日本の在来線と同じ1067ミリと狭い。サハリン鉄道局は2005年、ロシア基準の1520ミリに広げる工事に着手しています。全長807キロのうち250キロを年内に済ませ、計500億ルーブル(約2300億円)をかけて2015年完了を目指しています。これにより石炭やセメント、重機などを大陸と同じ車両で効率的に運べるようになるといいます。日欧間を鉄路で結べば、船舶によるインド洋経由の貨物の多くがサハリン経由になるとロシア側は計算しているのです。
ホロシャビン知事は、トンネルが有力視されている大陸-サハリン間を結ぶルートを2011年にも着工し、その先にサハリン-稚内間約43キロメートルを結ぶ「大架橋構想」を持っています。ホロシャビン知事は、
「稚内とサハリンを結ぶ架橋建設計画を実現して欲しい」
と北海道の高橋はるみ知事に強く要請し続けています。高橋知事が、2008年10月21日から24日、新たな「北海道とサハリン州友好・経済交流促進プラン」の調印に同州を訪問したのに合わせて、ホロシャビン知事は、「宗谷海峡に橋を架け、ロシア・サハリン州と北海道をつなぐ想像図を集めた絵画展」をユジノサハリンスク州立郷土博物館で開催し、各地の子供らが描いた夢いっぱいの作品を高橋知事に紹介、架橋構想のPRと両地域の関係発展をアピールしています。世論喚起のため、子供たちが大橋の想像図を描く絵画コンクール「サハリン-北海道に橋を造ろう」と北海道内からの応募も歓迎していました。それほど意欲的なのです。
サハリンの若手経済人の団体「発展運動」サハリン支部も、構想を支援しているそうです。アレクサンドル・ダンダーノフ代表は、
「大橋建設は日ロ双方の利益になる」
と説明しています。2008年8月「橋の祭典」で、建設実現を求める署名活動や大橋の「仮想着工式」を行っています。
すでに述べたように、稚内市とサハリンとは、海を隔ててわずか43キロメートルと至近距離にあります。
社団法人・日本青年会議所の下部組織である社団法人・稚内青年会議所では、約10年前から架橋構想が話題となっており、最近では、日ソ国交正常化を果たした鳩山一郎元首相の孫である民主党の鳩山由紀夫幹事長(衆院北海道9区選出)が、
「橋ができれば、日本とロシアがますます近くなり、環日本海経済が大きく動くようになる」
と大きく旗振りをしています。しかし、架橋建設には、総工費が概算でも約4兆円規模が不可欠であるだけでなく、日ロ平和友好条約締結も前提となります。
尖閣列島、竹島(韓国名・独島)、北方4島、日韓海底トンネル、朝ロ河底トンネル、間宮海峡、宗谷海峡トンネルのうち、すでに開発計画が具体化しつつあるものがあります。
たとえば、日韓海底トンネルは、日本の九州と韓国(朝鮮半島)を結ぶ構想のためのトンネルです。韓国側では「韓日海底トンネル」と呼ばれています。日本の建設会社の大林組が「ユーラシア・ドライブウェイ構想」の一貫として1980年代当時に実現可能であった技術に基づき構想していました。
大林組の日韓トンネル構想によりますと、東松浦半島から壱岐までは、この海域に点在する加部島、加唐島、名島を結ぶ吊り橋と斜張橋を連続して建設し、総全長32kmの橋で渡る。壱岐から対馬までは青函トンネルと同様に60kmの海底トンネルを掘削して対馬の南端に上陸する。対馬島内は地上を縦断する。対馬から釜山までの朝鮮海峡(対馬海峡西水道)は水深が220mもあり、海底断層が存在する上に地盤が軟弱であるため、海底に支持架を建設して円筒形のトンネルユニットを据え付ける海中トンネルを構想していました。なお、このトンネルは水深50mに設置するとしていました。
ところで、九州と朝鮮半島を結ぶトンネルを掘る構想の原点は、1930年代に立てられた「大東亜縦貫鉄道構想」でした。これは当時日本領であった朝鮮半島の南端の釜山府(現:釜山)を起点とし、京城府(現:ソウル)を経て安東(現:丹東)から当時の満州国領内へ入り、奉天(現:瀋陽)を経由して中華民国領内に入り、北京、南京、桂林を経て、ハノイ、サイゴン(現:ホーチミン)、プノンペン、バンコク、マレー半島を通りシンガポールに至る約10,000kmの路線を建設する構想でした。
さらに1940年代に東京〜下関間を結ぶ弾丸列車計画(後に新幹線として実現)が立てられた後、1942年には「東亜交通学会」が設立され、日本本土(内地)から壱岐、対馬を経て釜山へ至る海底トンネルを建設し、大東亜縦貫鉄道と結んで東京〜昭南(シンガポール)間を弾丸列車で結ぶ構想が立てられていました。日本本土側の起点は下関、博多、呼子(現:唐津市)などが構想されていました。ちなみに、1942年4月に満鉄東京支社調査室が作成した報告書「大東亜縦貫鉄道ニ就テ」では、日本側の起点を下関として、実現に向けて対馬や壱岐でボーリング調査などが実施されていました。しかし、残念ながら、これらの計画は大東亜戦争の激化と敗戦によりすべて頓挫してしまいました。
ところが、1980年代ごろから、韓国側で日韓トンネルを開削しようという声が一部の団体から上がってきました。
技術者の西堀栄三郎、地質学者の佐々保雄などが中心となって研究が始まり、日韓トンネルの推進団体として1983年5月24日に設立され、麻生太郎、古賀誠、久間章生など多数の九州の自民党有力議員が顧問として参加していました。
ルートは戦前の弾丸列車計画時のものと概ね同じで、佐賀県の東松浦半島から壱岐、対馬を経て釜山または巨済島へ至る構想である。道路(自動車道)と鉄道(磁気浮上式鉄道か新幹線)の併設を前提にしているようである。工法については海底を掘削するのではなく、コンクリート製のケーソンを一定の深度に並べて構成する海中トンネル方式が提案されている。1986年10月に佐賀県東松浦郡鎮西町(現在は唐津市に属する)に調査坑をこれまで470m掘っています。しかし、その後大きな進展は見られていません。なお「日韓トンネル研究会」は、2004年2月にNPO法人化されています。
日韓トンネルの建設を推進する日本の超党派国会議員による「日韓海底トンネル推進議員連盟」が、結成されています。設立目的については「対馬海峡にトンネルを通して日韓両国をクルマで結ぼうという大計画であり、膨大な経済効果が望める大プロジェクトである」としています。
メンバーは、以下の通りです。
<自民党>衛藤征士郎(大分県第2区選出)議連代表▽野田毅(熊本県第2区選出)▽保岡興治(鹿児島県第1区選出)▽保利耕輔(佐賀県第3区選出)▽太田誠一(福岡県第3区選出)▽仲村正治(比例九州ブロック選出、中選挙区時代は沖縄県全県区より選出)▽中山成彬(宮崎県第1区選出)▽谷川弥一(長崎県第3区選出)
<民主党>鳩山由紀夫(北海道第9区選出)▽高木義明(長崎県第1区選出)
<公明党>神崎武法(比例九州ブロック選出、中選挙区時代は福岡県より選出)▽東順治(比例九州ブロック選出、中選挙区時代は福岡県より選出)
<社民党>重野安正(比例九州ブロック選出、大分県第2区重複立候補)
JR九州がこれまでに、公式に日韓トンネルの建設を日韓両政府に提案したという事実はありません。しかし、同社内には、日韓トンネルやそれを経由して走る国際列車に関する意識を多分に持っていると言われています。
西日本新聞2000年9月19日付の朝刊によりますと、韓国で京義線復旧起工式が行われたことを受けて、JR九州の石井幸孝会長が、その意義と期待を述べたあと、日韓トンネルにも、次のように言及しています。
「終点の釜山と九州は目と鼻の先であり、海上交通は極めて盛んだ。九州と韓国を海底トンネルで結ぶ構想もあり、二十一世紀中に実現する可能性がある。そうなれば、欧亜鉄道の日本の玄関として九州の役割はますます重要になる」
博多港-釜山港間を航行するジェットフォイルには、船内ビデオでビートルの紹介が行われています。このなかで、西日本、九州、韓国地域の地図が示され、ジェットフォイルの経路が点線で示され、将来開業する九州新幹線と韓国高速鉄道、そして山陽新幹線の経路が実線で示され、各経路の所要時間も記されています。ここでは、九州・西日本と韓国をつなぐというビートルの意義が強調されており、限りなく日韓トンネルを連想させる内容になっているそうです。
次に間宮海峡、宗谷海峡トンネルについて説明しましょう。
ロシア・サハリン州のホロシャビン・アレクサンドル・ウジモビッチ知事は2008年7月11日の記者会見で、
「サハリン-大陸間のタタール(間宮)海峡(7.3あ三キロ)に建設するトンネルまたは橋は、将来、日本と欧州を結ぶ鉄路の一部になる」
と述べ、巨大な構想の実現に意欲を示しています。これは、「宗谷海峡に大橋を架けて北海道とロシア・サハリン州をつなぐ」という構想です。トンネルにするか、架橋にするかという違いはありますが、いずれにしても将来、サハリン経由で、日本と欧州を一本の鉄路で結び、日欧間の貨物を輸送しようというものです。
同州では既存の鉄道の大陸直結に向けた改修工事がすでに本格化しており、官民を挙げて「宗谷海峡大橋」実現に取り組もうとしているのです。ロシア人がこうした壮大な構想を描背景には、原油高騰で得た潤沢なロシアマネーがあります。
ロシアは、インフラ整備を着々と進めています。サハリンの鉄道は、日本統治時代のいわば名残といってよいでしょう。線路幅が日本の在来線と同じ1067ミリと狭い。サハリン鉄道局は2005年、ロシア基準の1520ミリに広げる工事に着手しています。全長807キロのうち250キロを年内に済ませ、計500億ルーブル(約2300億円)をかけて2015年完了を目指しています。これにより石炭やセメント、重機などを大陸と同じ車両で効率的に運べるようになるといいます。日欧間を鉄路で結べば、船舶によるインド洋経由の貨物の多くがサハリン経由になるとロシア側は計算しているのです。
ホロシャビン知事は、トンネルが有力視されている大陸-サハリン間を結ぶルートを2011年にも着工し、その先にサハリン-稚内間約43キロメートルを結ぶ「大架橋構想」を持っています。ホロシャビン知事は、
「稚内とサハリンを結ぶ架橋建設計画を実現して欲しい」
と北海道の高橋はるみ知事に強く要請し続けています。高橋知事が、2008年10月21日から24日、新たな「北海道とサハリン州友好・経済交流促進プラン」の調印に同州を訪問したのに合わせて、ホロシャビン知事は、「宗谷海峡に橋を架け、ロシア・サハリン州と北海道をつなぐ想像図を集めた絵画展」をユジノサハリンスク州立郷土博物館で開催し、各地の子供らが描いた夢いっぱいの作品を高橋知事に紹介、架橋構想のPRと両地域の関係発展をアピールしています。世論喚起のため、子供たちが大橋の想像図を描く絵画コンクール「サハリン-北海道に橋を造ろう」と北海道内からの応募も歓迎していました。それほど意欲的なのです。
サハリンの若手経済人の団体「発展運動」サハリン支部も、構想を支援しているそうです。アレクサンドル・ダンダーノフ代表は、
「大橋建設は日ロ双方の利益になる」
と説明しています。2008年8月「橋の祭典」で、建設実現を求める署名活動や大橋の「仮想着工式」を行っています。
すでに述べたように、稚内市とサハリンとは、海を隔ててわずか43キロメートルと至近距離にあります。
社団法人・日本青年会議所の下部組織である社団法人・稚内青年会議所では、約10年前から架橋構想が話題となっており、最近では、日ソ国交正常化を果たした鳩山一郎元首相の孫である民主党の鳩山由紀夫幹事長(衆院北海道9区選出)が、
「橋ができれば、日本とロシアがますます近くなり、環日本海経済が大きく動くようになる」
と大きく旗振りをしています。しかし、架橋建設には、総工費が概算でも約4兆円規模が不可欠であるだけでなく、日ロ平和友好条約締結も前提となります。