魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

北杜夫「幽霊」論

2013-02-05 01:30:38 | 論文 北杜夫
音楽――北杜夫「幽霊」を中心に――                                    
森本 穫

 はじめに

 わが国の近代文学における音楽、という主題を考えるばあい、アプローチの方法が二つあるように思われる。一つは、近代の作家・詩人たちがどのように音楽(特に西洋音楽)を受容してきたかという歴史と、その内実をさぐる観点であり、いま一つは、近代文学の作品中に音楽がどのように取り込まれて、どのような働きをなしているかを考える方法である。

 前者についての研究には、安川定男氏の労作『作家の中の音楽』(昭51・5 桜楓社)がある。鴎外・漱石から河上徹太郎・小林秀雄にいたるまで、西洋音楽との関わりの深浅が丁寧に調査され、その意味が考察されている。それによれば、わが国で西洋音楽が自己形成の重要な領域として浸透し定着するのは、河上・小林らが青年期を迎えた大正期なかば以降であったようだ。
 文学や美術に比べて、わが国に定着するのに時間を要した西欧の音楽だが、やがてわが国でも飛躍的な発展を遂げて、明治維新から百二十年余を経た平成の今日、クラシックばかりでなくジャズ、ポピュラー、ロック、さらにはフュージョンなど、日本の伝統的な音楽も含めて、その多様な展開と隆盛ぶりは、多言を要しない。

 近年の若者の文化において、もはや文学はがってのような中心的な役割を失ったかに見える。代わりに圧倒的な各種の音楽が、映像文化とともに、若者たちにとって不可欠の日常的な領域にまでなっているのである。
 しかしこうした状況を詳しくとらえるには、限られた紙幅ではとうてい不可能である。そこでここでは、もう一つのアプローチの方法、すなわち文学作品における音楽の姿を、具体的な作品を通じて検証し、そこから近代文学における音楽のあり方を考えることとしたい。
 本稿でとりあげるのは、北杜夫「幽霊」である。この作品の中では、ドビュッシイの「牧神の午後」が作品の主題と深くかかわっている。そのあり方を探ることによって、音楽と文学の関係を検討してみたいのである。

   1

 「幽霊」は、北杜夫の作品の中では最もよく論じられてきた作品である。作家自身にとっても、この作品がきわめて根源的なものであることは、みずからしばしば語っているところだが、この作家に惹かれる読者にとっても、「幽霊」は、やはり根本の問題を含んだ重要作なのである。「幽霊」は、昭和二十五年に書き出され、翌々年に完成したのち、昭和二十八、九年の『文芸首都』に分載され、また自費出版された。書き出されたのは、何と作者わずかに二十三歳のときである。

 「或る幼年と青春の物語」と副題に示されているように、この作品は青春期にある〈ぼく〉が、みずからの幼年期の意味をたずねる物馴である。全体は四章から成り立っている。各章が互いに響きあい、やがて一つの壮大な全体を構築する、といったまことに堅固な構成となっている。交響曲と同じ形式をとっていることに注意しておさない。
 さて、まずわれわれは、作者に従って、素直に第一章から、その物語ってゆくところに耳を傾けよう。
 第一章の冒頭には、すでにあまりにも有名になった十行ばかりのフラグメットがある。

   人はなぜ追憶を語るのだろうか。
   どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなか  に姿を失うように見える。――だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず  知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまで続いてゆくことだろう。それにしても、  人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕  が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするの  だろうか。

 これは第一章の、というよりも、この作品全体の目的を語るライトーモチーフである。「追憶」を語ることによって、「時間の深みのなかに姿を失」つた「心の神話」の意味をさぐること。すなわちこの作品は、〈ぼく〉における「心の神話」の意味するところをさぐってゆく物語なのである。

 さて、第一章では、〈ぼく〉の幼年期の「追憶」が語られる。

 初めに、三つの部屋。その最初は、少女のころ外国で生活したという母の部屋である。〈ぼく〉がその部屋に惹かれたのは、「お伽話めいた華麗さ」「なにか異質的なものへのあこがれ」のせいであった。次に、学者というものらしかった父の部屋。「一種の謐かさ」を身近にただよわせていた父、そして膨大な本たちの跋扈する世界。さらに三つめは、玄関わきの応接間。母の招くおおぜいの客たちの世界。そこにいるとき、母はいっそう優雅に見え、また〈ぼく〉の二つ違いの姉も、母の子供に似つかわしく、その雰囲気にすっぽりとはまりこむことができる。〈ぼく〉だけが「のけものの存在」であることを承知しながら、隅っこの椅子に坐ったまま抜け出すことができないのである。なぜなら客たちの談笑を聴いているのが「快かった」からだ。

 この三つめの部屋の記憶は、のちに〈ぼく〉にとって、いっそう重要なものとなる。母はそこで箱形のいかめしい蓄音機をかけて「けだるい、甘美な旋律」の音楽を聴かせてくれたし、さらに〈ぼく〉は、二つ違いの姉のことを「彼女はあきらかにぽくには手のとどかぬ世界に属していた」「身体も魂もぼくとは別の材料でできているようだった」「ぼくは常に観客だった」と感じつづけるのである。またこの応接間は、別のときには漆黒の闇をもつ魔法宮となり、官能的なわななきを幼い〈ぼく〉に覚えさせもする。

 幼年期に〈ぼく〉が経験したのは、もちろん家の中の世界だけではない。
 外界――。その第一は、原っぱである。家から一町ほど離れたその原っぱには、木や草の精がいるかと思われる。
 さらに、原っぱのはずれから無限にひろがる寂寞とした墓地。それは「妖怪の跋扈する世界」であり、〈ぼく〉の見知らぬ兄と姉の眠る、〈夜〉と〈死〉のにおいのする世界でもある。
 それから、一家が滞在する山中の温泉で、滝つぽのほとりに見た銀白色の蠱惑にみちた鱗粉の光彩。のちの昆虫、とりわけ蝶や娥に対する異常なほどの執着につながる経験……。
 こうした記憶を所有する〈ぼく〉に、やがて幼年期からの訣別を強いるときがくる。父の死と、母の出奔である。

 父の死ののち、父の残した書物のひとつを手にして「ぽくがいま、父と同じものであるという確信」をくぼく〉は抱く。また母は出奔の前、偶然にも上半身裸体の白い姿をくぽく〉の目に残してくれる。

 出奔ののち、一度だけ母は夜中に姿を見せた。階段の上に、音もなく、ふっとあらわれたのである。だが、あくる朝目ざめたとき、母はもういない。それから永久に、母は帰ってはこなかりたのだ。やがて〈ぼく〉と姉伯父の家にひきとられる。そしてまもなく、可憐な姉は〈死〉の手にゆだねらわるのである。

   2

 第二章では、少年期の終りが語られる。末期の様相をおびた戦争から離れて、〈ぼく〉は信州に行き、そこで周囲にあふれている〈自然〉の新鮮さに圧倒される。昭和二十年六月。〈ぼく〉は十八歳になっている。五月末の空襲で動員先の工場が灰になっだので、ようやく東京を離れ、信州の高等学校に来ることができたのである。
 王ヶ鼻の頂上で〈ぼく〉は、無限にひろがる〈自然〉にとりかこまれながら、「突きぬけた孤独」を覚え、自分自身に尋ねようとする。「このぼくは一体どこから生れてきたのだろう?」と。

 しかし彼は、幼年期が「消えてしまってい」ることに気づく。そこで、そのときまでの彼の少年期について記してゆくのである。ちなみに、〈ぼく〉にとって、少年期とはどのようなものなのか――。「少年時代というものはむしろ一種の睡眠、精神的には休息の時期であるというのもあやまりで、幼年期に吸いとった貴重な収穫をそっと発酵させるためにこそ、外見、退屈な類型の眠りを必要とするらしい。」――これが〈ぼく〉の少年期に関する定義である。
 一見、眠たげに見える少年期だが、実は幼年期の大切な収穫を発酵させる時期だ、というのである。

 では、その少年期に、彼はどのように、みずからの幼年期の経験を静かに発酵させたのか。
 まず、姉のあっけない〈死〉。それから〈死〉への親炙。やがておとずれる、急性糸球体腎炎による病臥と、その間に決定的になった、昆虫への好奇心と愛着。従姉の部屋でみつけた、少女歌劇の雑誌に載っていた、グラビアの少女の顔。
 つまりこの章で語られる少年時代には、幼年期に芽生えたものたちの、いくらかの延長と発展があるばかりで、そこに驚くほどの劇的な発見はない。

 第三章は、「終戦から食糧難の秋冬にかけて」の時期である。〈ぼく〉は、数え年では二十歳に手のとどこうとしている高等学校の学生であり、「ようやく青年期にはいろうとする」時期である。
 松本平特有の木枯しの吹き荒れる凍りついた夜半ごとに、〈ぼく〉は〈夜〉と〈死〉の想念に悩まされる。「精神の病い」である。

 そんなある日、〈ぼく〉は印象深い夢を見た。ルドンの初期の絵を想わせるような色彩があたりを満たしている中に、「白い朦朧とした影」がうかびあがるのである。それは「薄い銀白色の衣をきた白い裸身」である。やがて陰欝な風景が見えはじめる。墓石や卒塔婆が立っているから、墓地らしい。その中央の高い石柱に、誰かが寄りかかっている。「完璧な、これほど心底から惹きつけられる顔立ちを見たことがなかった」というような美しさである。女らしいところと少年らしいところのまざりあった姿……。〈ぼく〉は「忘れかけていたわななき」を思い出す。そしてその見知らぬ顔を「まったく未知のものでもなく、どこか馴染みある面影を宿してはいなかっだろうか?」と、いぶかる。

 そこから「ぼくの内奥に眠りうずもれていた過去の層」がまざりあいながら立ちのぼってくるのを感じる。そして、それぞれに別個の映像が「すべてある共通なもの、類似なものにつらぬかれており、お互いに溶けあっている」ことに気づく。かつて心を惹かれた少女と少年が、彼の意識によみがえってくる。動員先で出会った女学校の少女。やがてある日、〈ぼく〉はその少女が、かつて少女歌劇のグラビアから切りとっだ少女とそっくりであることに気づく。

「無意識の深みへ埋もれさった過去」につながる何か、を感じる。それは「遙かなとおい昔、ひょっとするとまだ生れてこない以前のこと」につながるようにも思われる。そして〈ぼく〉はこう考える。

   すべての記憶はけっして無くならないものなのかもしれない。さっきそうであったように、夢のなかであれ、古い過去がひ  ょっと浮んでくるのだとしたら、それも小学校以前のあの暗黒の昔、ぼくの知りたがって知ることのできぬあの秘密、あの覗  ことのできぬ深淵がひょっと浮んでくるのだとしたら?

 こうして〈ぼく〉の探索の旅がようやく一つのかたちをとり始めたころ、春のおとずれも間近なある日の午さがり、〈ぼく〉は決定的な出会いをする。

   とある町角でぼくは足をとめた。背すじを、ほとんど痛みにちかい慄えが走りす  ぎたのである。
   ぼくは耳を傾けて、ごく微かながらも一軒の家のなかから流れてくる旋律を聴い  た。柔らかなものういフルートの独奏が反復され、やがてそれにハープ、オーボエ  らしい響きがゆらゆらと加わった。はじめて聴く曲のようではあったが、そのくせ  どこかで馴染みのものであるという確信からぽくは抜けることができなかった。ぽ  くはその板塀に寄りかかって耳をすました。

 ここで〈ぼく〉は「得体の知れない痺れ」「心の眩暈」を覚えるのである。「それの感じを、ぼくはいつかどこかで経験したように思った」という一行が、この出会いの決定的な意味を暗示している。同時にくぼく〉は、一匹の綺麗なタテハチョウが頭上を飛びまわるのを見る。その蝶はずっと以前、はじめて〈ぼく〉が捕虫網を買ってもらった時分に見つけた魔法の蝶である。あのときに感じた魅惑を長いあいだ忘れていたのだが、今その「魔法の美」がよみがえったのである。

 これがはたして現実の体験であったのか、それとも一瞬の夢想にすぎなかったのか、よくわからない。しかし音楽を聴いたのは確かである。そしてこの音楽を聴いたことで〈ぼく〉の内面世界は大きく変化してゆくのである。

 この曲のレコードを持っている年上の医学生との出会い。彼によって〈ぼく〉は、この曲がドビュッシイの「牧神の午後」であることを知る。そして彼の手引きによって、リューベック生れの作家、すなわちトーマスーマンを知るのである。

 〈夢〉〈神話〉〈美〉など、意識の根源にふれる多くの思索が、奇妙な医学生との交流のなかでくぼく〉におとずれる。やがてそのように、自分自身との出会いに近づいた〈ぼく〉は、少年時代の「もっと本質的なもの、根源的なものを含」んだ体験を憶いだすのだ。それは昔、何度かその麓に滞在した山の頂上の記憶である。巨大な山塊のひろがりとふりそそぐ盛夏の光の下、むせるような〈自然〉のなかで、〈ぼく〉は初めて「自らを汚した」のである。そんな〈ぼく〉は次のように考える。

  「ぽくはこの世の誰よりも〈自然〉と関係のふかい人間だ。ぼくは自然から生れてきた人間だ。ぼくはけっして自然を忘れて  はならない人間なのだ。」

 ――こうして〈ぽく〉は、まさに自分自身に出会う一歩手前まで来たのである。そして劇的に高まり、なだれ落ちるように終息する第四章が始まる。

   3

 第四章に入ると、「内奥からたちのぼってくる何者かの力」「その捉えがたい影」が次々と〈ぼく〉に切迫してくる。第三章で予感され、近づいた幼年期の記憶の断片が、一つ一つ、明らかなかたちをとって〈ぼく〉の前に姿を現わすのである。

 まず、渓間の道でみかけた銀白色の蝶からよみがえる、「かるやかな母や姉の寝息と、父が本をめくる音」に象徴される「はるかな幼年期」。

 次に、「過去という泉は深い……」と、その冒頭が引用されている「ヨセフとその兄弟」の作者、トーマスーマン。「精神と生命の嘲弄的な関係」といった問題と重なって、これまで〈ぼく〉の心をとらえてきた少女たちの面影が浮んできたりする。
 そうしてついに、〈ぼく〉は一人の夫人――外国で両親と親しい間柄にあったひと――とめぐりあい、彼女の家で、彼女とその娘である少女に、「母と共通した種族」を感じ、少女に、死んだ姉の成長した姿を見るような思いをする。

   すると、くすぐるような剌すような痛みが胸をついた。殊にそれは、やがて少女があやうい手つきで一枚のレコードを古び  た蓄音機にかけたとき、ぼくの首をうつむけさせるほど強まった。わざと選んだかのように、あの聞きなれたフルートの音が  ひびいてきたのである。(中略)「憶えていらっしやるのかしら?」ぼんやりと夫人がいった。しばらく間をおいて、独り言  のようにいうのが聞きとられた。「あなたのお母さまはこれがほんとにお好きでした」

 酔心地のうちに〈ぼく〉は憶いだし了解する。あの華やかな洋間の光景を。一座の中心であった母が蓄音機の把手をまわしているありさまを。「ではあれが、この音楽だったのか。そのゆえにこそ、こうまでぼくを惹きつけるのだろうか。」

 このとき〈ぼく〉の中では、いまはない母と姉が生きている。さらに夫人の見せてくれたアルバムで、マンを生んだリューベックが父と母の出会いの場所であったことを知る。すなわち自分をこの世に生ぜしめた根源を、ドイツのハンザ同盟の都市に発見したのである。まだ見えないのは、母の白い顔だけなのだが、〈ぼく〉はついに北アルプスの槍ヶ岳のほとり、槍沢の岩だらけの斜面で、満天の星空の下、一種の啓示を受ける。さまざまな意味を含んだ〈神話〉の世界が、〈ぼく〉の内部ですべてつながりあったのである。
 ここで〈ぼく〉は、自分自身を成り立たせているものの根源を確認したのである。

   4

 このように見てきたとき、「幽霊」が、まさしく幼時に失われた魂の彷徨の物語であり、その彷徨のはてに自分自身の魂を発見する物語であることが明らかとなる。
 幼年期の母、いやそれ以前の、根源的な自己の生の発祥の地点へと、〈ぼく〉は回帰していったわけである。そしてこのように〈ぼく〉が自己発見したとき、次になされなければならないのは、新しい旅立ちでなければならない。
事実、みずからの在り方を認識した〈ぼく〉は、これから一人の芸術家として生きてゆくことになるのだ。
 いま筆者は先走って、うっかり「一人の芸術家として」と書いてしまった。これはどういうことなのか。しばらく考察を加えたい。

 第三章で医学生から初めてその名を聴いて以来、〈ぼく〉の中心的な課題となったトーマスーマンから〈ぼく〉が学んだものは何だろう。彼は「トニオークレーゲル」をしばしば引用している。そこからどのような問題を、北杜夫は引き出しているのだろうか。

 よく知られているように、「トニオークレーゲル」は、マン自身の自己認識の過程を描いた作品である。
 トニオは少年時代、美しい少年ハンスと、少しのちに、これまた美しい少女インゲボルクを愛する。が、いずれの愛も、自分自身の一方的な愛であること、彼らが自分とは決定的に異なることを、トニオはよく知っている。そして物語の最後、デンマークの海岸ホテルでトニオは、かつて自分の愛した当の二人が手をつないでいるのを目撃する。

 トニオは痛感する、彼等は「幸福な凡庸性のうちに生き愛しほめる」人々なのである。「詩と憂欝とを見つめてその明るい瞳を曇らせ」てはならない人だちなのである。
 〈市民〉と〈共術家〉というマン固有の主題が、この作品では明確に断定されている。そして北杜夫は、この主題を意識的に「幽霊」に取りこんでいるのだ。

   この世の事物が複雑に悲しくなりはじめるところまでは決して見ることを知らぬであろうその少女(以下略)。
   すらりとした母や姉や同種のひとびとを、ごくわずかな侮蔑をまじえて讃美する気持と同時に、ぽく自身が貧弱な自分の身  体を悲しみつつもなにか誇らしく思うという気持が起ったのである。額の極印を信ずるほど、まだぼくは充分に若かった。
   なんとかして近づく方法はないものだろうか。(中略)いいや、それは不可能だ。なぜなら彼女らの言葉はぼくらの言葉と  はちがうし、彼女らは凡庸にかがやかしく生きているのだから……。

 これらはいずれも、「トニオ・クレーゲル」の意識的な転用である。美しくて、こちらの憧れを誘うが、決してこちらと交わることのないもの。そのような〈市民〉と、憧れつづけ悲しみながらも、額の極印を誇りに思っている〈芸術家〉の対比。
 すなわち「幽霊」は、自分が〈芸術家〉にほかならないことを確認すると同時に、〈芸術家〉として旅立つことを決意した物語でもあるわけである。作者である北杜夫のこの作品に対する確信と愛着は、この作品がそのような作家自身の出発を告げる書であるからなのだ。

   5

 では最後に、この作品におけるドビュツシイ「牧神の午後」の役割について、まとめてみよう。
 読了ののち、この作品で「牧神の午後」が登場する場面を振り返ると、驚くばかり巧妙に配置されていることがわかる。
 最初に登場したのは、幼年期の思い出のなか、玄関わきの洋間であった。母はそこで蓄音機をかける。その「けだるい、甘美な旋律」を「異質の世界の呼び声」のようにも感じながら〈ぼく〉はうっとりと耳を傾けたのである。
 つまりそれは、母の思い出の核心となる場面、のちの〈ぼく〉の彷徨の回帰するべき地点だったのだ。

 第三章、〈ぼく〉が高等学校の学生として魂の探索を本格的に始めた早春に、〈ぼく〉はこの音楽に遭遇する。とある街角で、一軒の家から流れてきた旋律。〈ぼく〉は「背すじを、ほとんど痛みにちかい慄え」が走るのを覚える。再会であった。しかしこのとき、〈ぼく〉がなぜそれほどの戦慄に襲われたのか、作者は明らかにしない。ただ、この音楽を聴いたことをきっかけに、〈ぼく〉の精神の探索の旅が始まるのである。

 そして第四章、あの父母と知り合いであった夫人の家で〈ぼく〉はこの曲を聴き、しかもこのとき「あなたのお母さまはこれがほんとにお好きでした」という夫人の言葉を聞き、幼い日の母の姿を思い出すのである。

 「ではあれが、この音楽だったのか。そのゆえにこそ、こうまでぽくを惹きつけるのだろうか」――つまりドビュツシイの「牧神の午後」は、この作品において、〈ぼく〉の魂の原点を示すとともに、その回帰してゆくよすがとして作用しているのだ。

 耳で聴くばあい、言葉や絵画のように具体的な輪郭が鮮明でないだけ、音楽はより感覚的であり、それだけに心の深い部分に沁みてゆき、奥深いところで人を支配するという性格がある。その性格を巧みに利用して構成されたのが「幽霊」という作品なのである。

 音楽は本来、たいへんに論理的なものである。が、反面、感覚に訴えるという意味において、そのような論理性を忘れさせるような側面もある。小説で音楽が用いられるばあい、そのように直接感覚に訴えるもの、として扱かわれることが多いようだ。

 たとえば近年、大ベストセラーになって評判を呼んだ村上春樹「ノルウェイの森」(昭63・8 諤談杜)も回じような手法を用いている。
 主人公の〈僕〉は飛行機がハンブルグ空港に着陸する際のBGMでビートルズの「ノルウェイの森」を聴き、その途端、十八年前の原風景ともいうべき「あの草原」を思い出し、そこから物語は果てしない過去へと遡行してゆくのだ。もっとも、この作品では、ビートルズばかりでなく、むしろ作者の血肉と化したジャズのナンバーが無数に登場し、場面場面を構成してゆく。むしろジャズ小説と呼んでもよい一面さえもっているのだが。

 ともあれ明治維新後百二十年にして、わが国は、学ぶべき教養として西欧のクラシック音楽を輸入導入した時代から、国境の枠を越えて、完全にコンテンポラリイに、多種多様な音楽を楽しみ、生活の一部とする時代へと移行したのである。


(付記)
   西欧音楽の様式性を規範とし、小説の構成や主題の設定に利用しようと腐心した  人々に、堀辰雄や、その影響の濃い福永武彦、中村真一郎をはじめ、多くの作家が  いるが、本稿では、これらの試みにふれる余裕がなかった。
   なお、この稿完了ののち、「音楽と文学」を特集した『国文学』(平2・2)が  刊行された。参照されたい。

  
(芸術至上主義文芸学会編『新批評・近代日本文学の構造』第8巻

    
『新構想・近代日本文学史(下)』国書刊行会 平成3年4月18日)