魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

観世流「求塚」をEテレで見ました。

2013-04-29 01:41:38 | 日記
 今夜、偶然にもEテレで、観世流の能「求塚」を見ることができた。
 「求塚」(もとめづか)は、生田川伝説――一人の少女(うない乙女)を二人の若者が愛したために、少女は生田川に身を投げ、若者たちも差し違えて死ぬ、という物語で、能では、この少女の死後の苦しみがテーマとなっている。

 川端康成晩年の大作「たんぽぽ」は、この「求塚」や、能「三井寺」を下敷きとして書かれた作品である。
 私は謡曲で読んで、「たんぽぽ」論を書き、以上の点を詳説したのだったが、実際の能「求塚」は、見たことがなかった。
 それが、今年は世阿弥生誕650年、観阿弥生誕……年の記念なので、観世流がこの大曲を上演したという。
 千載一遇の機会で、これを見ることができて、まことに幸福であった。
 とりわけ後半の乙女(あとジテ)の苦悩するさまは、凄惨で、心にひびいた。

 川端康成「たんぽぽ」の舞台は、生田町という架空の、春のようにおだやかな町である。この名前からして、生田川伝説を示唆している。
 その生田町に、たった一つ、ふさわしくないものがある。それは「気ちがひ」病院である、と川端は書く。差別的表現だが、川端康成自身が書いているのだから、お許しを乞う。

 さて、その病院に、稲子という、この作品のヒロインが、今日、入院させられた。
 その稲子の苦悩こそ、二人の男に愛されたためのものであることを、川端は暗示しているのである。
 それが、今夜の「求塚」を見れば、よくわかる。

 こういう、素晴らしい番組を時々、提供してくれるから、NHKは、さすがである。