米沢藩初代藩主上杉景勝公の家老、<愛の兜>で知られる直江兼続は漢詩を詠む名手でもありました。
米沢市の西、斜平山(なでらやま)の麓に建つ西明寺に直江公が詠んだ漢詩の詩碑があると知り、自宅から3キロほど離れた西明寺までプチ遠足してきました。
大きな道路沿いに参道の入り口を示す石柱があります。
直江公の詩碑は米沢盆地を見下ろす位置にありました。
目の前の杉林がなければ米沢の町がもっと広く見渡せるはずです。
詩碑を凝視したけど、歳月を経ているためか残念ながらほとんど文字を判読できず💦
それでもこの歌碑に刻まれていた直江公の漢詩は、帰宅後ネットで調べて鑑賞することができました。
つくづくネットは便利ですね。
この詩は直江公が紅葉狩りに出た折り、夕暮れどきの西明寺で詠んだものだそうです。
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西明寺展望に題す直江山城守兼続詩
遠山西に望む 西明寺
はるかに憶う 最明寺投宿の秋
暮日林間まさに 外にめぐらんとし
無端の衣色 金風に満つ
遠山西に望む 西明寺
はるかに憶う 最明寺投宿の秋
暮日林間まさに 外にめぐらんとし
無端の衣色 金風に満つ
(大意)
愛宕羽山山麓の遠山にある西明寺から遥かに秋の景色を眺めれば、遠い昔の最明寺入道時頼の故事が偲ばれる。日が暮れ月が出んとする時のめぐる様子がまざまざとみられる。思いがけなくも眼前一面に金色の風景が広がった。
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西明寺は上杉家の移封と共に越後~会津~米沢と移ってきたお寺です。
小さな町だった米沢を上杉家の城下町として大きく作り変えるプロジェクトの陣頭指揮を執っていた直江兼続公。どんな感慨をもって西明寺でこの詩を詠んだのでしょうか。
また西明寺の境内にある『虎尾樅(トラノオモミ)』の木(山形県指定文化財)は、上杉家3代藩主上杉綱勝が会津から嫁いだ媛姫(会津藩主保科正之の娘)の病気全快を祈願して、姫の故郷会津から取り寄て植えたものと言われています。
同じく境内にある薬師堂も万治三年(一六六〇)綱勝公の建立です。
様々に上杉家とゆかりの深さを感じる西明寺でした。
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
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上杉家の血筋から見ると、謙信が初代。謙信の跡継ぎ景勝は二代目となります。
藩主と家系の数え方がイコールでないことは、歴史ガイドとして要注意事項なのです(^^;)