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読んでも決して面白くない話【あじさい】

2005-04-14 07:59:24 | 眇め草紙
読んでも決して面白くない話【あじさい】

 小生の古い友人から《紫陽花のシーズンになると必ず思い出す俳句があります。》というmailが来た。その友人は俳句を嗜(たしな)んだことがあり

   紫陽花に秋冷いたる信濃かな  杉田久女

という句を教えてくれた。




彼のmailによれば、杉田久女のこの句に対しては、俳壇では、かなり論争があったらしい。
《夏と秋の季語の重複、紫陽花が秋冷の時季まで咲いているかどうかとか、
「いや、旧盆の時季に紫陽花が咲いているのを見た事がある」など昔賑やかな論争がありました。

大正時代に活躍し、不遇に終わった久女の生涯、スケールの大きい俳句に心惹かれた思い出があります。誰だったか思い出せませんが、彼女の生涯を小説にした女性作家がいた筈です。》 とのこと。(mail終わり)


 そこで早速調べてみると、坂本宮尾という女性俳人が『杉田久女』 (富士見書房 2400円)について本を出していた。
(参考までに:◇さかもと・みやお=女性俳人。1990年まで、米ニュージャージー州立大学客員研究員。藍生賞など受賞。句集に『天動説』がある。)



●この著書『杉田久女』に関して、植村弘(歌人)氏が次のように評している。

俳人の命懸けた喜怒哀楽
 小さなものに命を懸ける、というようなことが難しい時代に、私たちは生きているように思う。

 『杉田久女(ひさじょ)』には、俳句が「人生の杖(つえ)」となり、その「杖」を失うことが人生を失うに等しい、ということがあり得た時代の空気が充ちている。背景となっている師弟、夫婦、先輩後輩、ライバル、親子といった人間関係の濃密さも又、我々の時代のそれとは異なっている。

 久女ほどの俳人が師の序文が貰(もら)えないためにただ1冊の本を出すことができなくて生涯苦しむ、などということは現在では考え難い。愛憎を含みつつも自分にはその師以外には考えられないという想いの在り方も含めて興味は深い。

 全てが淡くデジタルな時空に生きている我々にとっては、久女の喜び同様にその苦しみの濃さも又、たまらなく「おいしい」わけだ。命懸けの喜怒哀楽を味わう愉しみ。

 女性俳人としての苛烈(かれつ)なパイオニア精神、ホトトギスの同人除名事件、精神病院での餓死などの久女伝説が、多くの資料に基づいた丁寧な筆致で描かれている。個々の句を正しい原型に復元するような作業から、スキャンダラスな事件の謎解きまで、著者の一貫してフェアなスタンスには信頼が置ける。

  谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ

  花衣ぬぐや纏る紐いろいろ

    春蘭や雨をふくみてうすみどり

  春雨や畳の上のかくれんぼ

  ぬかづけば我も善女や仏生会

  朝顔や濁り初めたる市の空

 混沌(こんとん)とした人間関係や感情の凄(すさ)まじい錯綜(さくそう)の果てに、人間たちがこの世から消えたとき、後には宝石のように美しい幾つかの句だけが残る。その当然と不思議を感じさせてくれる1冊である。   以上

平成17年4月13日  YBB

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