
“たま”のゴルフ
友人から、mailが届いた。mailには、「先日、たまたまゴルフに行った」と書いてあった。
わざわざ “たま”のゴルフ と断るくらいだから、これはきっと “たま” を使わないゴルフもあるに違いない。だけどいくら考えても、 “たま” を使わないゴルフというのは思い浮かばない。
そのとき、一瞬、閃いた。「 “たま” は使わない」という意味は、ゴルフ球は使わないが、他の “たま” を使うという意味だ。
それに友人は、敢えて平仮名で「たま」と書いているではないか。ここにこそ問題を解くカギが隠されているのだろう。これこそ重大なヒントなのだ。
それから推すと、自分の “たまたま” を使うのだ。そうだ!それに違いない! 輩は勇躍した。

しかし冷静になって考えてみると、この推理には、大きな無理というか難点がある。だって、ウッドを使うにしろアイアンを使うにしろ、あんなもので自分の “たまたま”
を力一杯思いっ切りひっぱたいてご覧なさい。ゴルファーは一打を打つ度に、眼を廻して悶絶しなければならない。それに毎度叩いていたら、“たまたま”も“たま”らないだろうテ。段々、大きくなってしまうに違いない。
この分では、友人の “たまたま” は、多分西瓜くらいの大きさに成長しているものと想像する。それにしても、余程頑丈に出来ているのだろう。 一度、見せて。
平成17年3月16日 B





友人から、mailが届いた。mailには、「先日、たまたまゴルフに行った」と書いてあった。
わざわざ “たま”のゴルフ と断るくらいだから、これはきっと “たま” を使わないゴルフもあるに違いない。だけどいくら考えても、 “たま” を使わないゴルフというのは思い浮かばない。
そのとき、一瞬、閃いた。「 “たま” は使わない」という意味は、ゴルフ球は使わないが、他の “たま” を使うという意味だ。
それに友人は、敢えて平仮名で「たま」と書いているではないか。ここにこそ問題を解くカギが隠されているのだろう。これこそ重大なヒントなのだ。
それから推すと、自分の “たまたま” を使うのだ。そうだ!それに違いない! 輩は勇躍した。

しかし冷静になって考えてみると、この推理には、大きな無理というか難点がある。だって、ウッドを使うにしろアイアンを使うにしろ、あんなもので自分の “たまたま”
を力一杯思いっ切りひっぱたいてご覧なさい。ゴルファーは一打を打つ度に、眼を廻して悶絶しなければならない。それに毎度叩いていたら、“たまたま”も“たま”らないだろうテ。段々、大きくなってしまうに違いない。
この分では、友人の “たまたま” は、多分西瓜くらいの大きさに成長しているものと想像する。それにしても、余程頑丈に出来ているのだろう。 一度、見せて。
平成17年3月16日 B





