
横綱にならなかった雷電為右衛門
写真㊤:雷電為右衛門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば……
雷電爲右エ門(らいでん ためえもん、明和4年(1767年) - 文政8年2月21日(1825年4月9日))は、信濃国(現長野県東御市)生まれの江戸時代の大関である。
通算で喫した黒星がわずかに10、勝率は9割6分2厘であり、史上最強力士に推す意見も多い。横綱免許は受けなかったが富岡八幡宮の横綱力士碑に「無類力士」として顕彰されており、横綱と同列に扱われる場合もある。
江戸の昔には、有力な藩はお抱え力士をもっていた。鳥取藩では大関両国梶之助(両国とは因幡伯耆両国のこと)とか、松江藩では何といっても横綱雷電為右衛門。お抱えにならない力士も大勢いた。和田出身の平石七太夫と、その従兄弟の山颪源吾もそうだった。
ある年、大阪で横綱雷電と山颪が対戦することになった。山颪は雷電に何としても勝ちたい。そこで従兄の平石に相談をかけた。
結果は美事!山颪が勝ったのだった。さて平石が山颪に授けた秘策とは?
米子の民話によれば……
平石は「かんたが逆立ちしても勝てる相手ではない、が、どげでも勝ちたいなら、仕切り直しを繰り返すことだ。その内横綱(…ではない。間違い)の足のどっちかがけいれんを起こす。
その時立って反対側の足を取れ」と教えました。
昔は、仕切りの制限時間はなかったから、山颪は教えられた通り、仕切り直しを繰り返して48回目、相手の右足がけいれんするのを見た彼は、さっと立つと同時にパッと横綱の左足を取った。さすがの雷電もたまらずひっくり返ってしまった。
和田町にある力士「平石七太夫の墓」(左)と「山颪源吾の墓」(右)
平石と山颪の墓碑をかぜの時に拝むと治るそうだ。なぜかって、そりゃあんた関取(咳取り)の碑だもの
06.11.25