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二百十日と‘おわら風の盆’

2012-08-05 16:13:33 | ニッポンの祭りと民俗


二百十日と‘おわら風の盆’   

 今年も二百十日が近づいてきた。台風がドンドン日本を目指して来襲するだろう。                                                               

                       040831-105929a.jp ...

二百十日の詳しい計算は次のURLを見てください。
 http://www32.ocn.ne.jp/~gaido/fusigi/nihyaku.htm                        

    
やはり二百十日というとおわら風の盆を忘れるわけには行かない。 

この動画サイトをご覧ください。 

富山県富山市八尾町のサイトによれば…

    

 

「おわら風の盆」の始まりアイコン
 八尾町の開祖・米屋少兵衛*の死後、だんだん家業が傾き、四代目少兵衛の時に水口村へ移ってしまいました。
 米屋少兵衛が加賀藩三代藩主・前田利常(1593-1658)から拝領した、「町建て」の御墨付も持っていきました。
 驚いた八尾町の人たちが、1702(元禄15)年、花見を理由に少兵衛のもとに押しかけ、「町建て」の御墨付を得ることができました。

 その祝いに、八尾町の人々は総出で昼夜を問わず、歌・舞・音曲などで町内を練り回りました。3月16日を中日とした三日間でした。
 その後、富山藩は盆の三日間に、町練りを許しました。背景には、無視することのできなくなった八尾町の財力があったように思います。

「風の盆」とは・・
 暴風を吹かせて農作物に災厄をもたらす悪霊を、「二百十日」に歌や踊りで鎮める行事というのが通説のようです。けれども、八尾町は、養蚕や紙などの交易で栄えた町で、農作物に依存する割合は大きくありませんでした。

 二百十日の風害の厄を除き、豊作を願うというのは、歌舞音曲へのお咎めを避ける意味も、少しあったのではないでしょうか。
 古くは「回り盆」と言っていたようです。歌や踊りで町を練り回るからです。
「回り盆」といい、「風の盆」といい、「盆」という言葉を含んでいるのは、
盂蘭盆(うらぼん)との関係があるからだと考えさせます。

 太陰暦の「盂蘭盆」は、太陽暦では8月7日から9月6日の間になります。
「二百十日」は立春から数えて二百十日目で、太陽暦では9月1日(希に8月31日)になり、「盂蘭盆」と「二百十日」は時期的に重なります。
また、「盂蘭盆」から続く魂祭の最後の行事が「風の盆」、という考えもあります。

 現在の「おわら風の盆」は、日本古来の祖先信仰の「魂祭」、中国の『盂蘭盆経』の「盂蘭盆会」、豊作祈願の「習俗」、それらが結合したものだと思います。
若衆や娘たちの踊りが不文律のようになっているのも、地域共同体の宗教行事であった名残のように思います。
 

                                        
 八尾町は農産物に頼る比重が低く、むしろ養蚕と紙の交易で栄えたそうだ。しかしそれでも、周辺の村々や町の農作物の被害が大きければ、交易自体にも影響はあったはずだ。

 自然と人びとの生業(なりわい)が密接な関係にあることは、現代でも変わらない。先人たちの智恵と生き様を垣間見たような気がする
。  


                                                    

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