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横綱にならなかった雷電為右衛門

2006-11-25 23:07:57 | ニッポンの祭りと民俗

 

横綱にならなかった雷電為右衛門  
写真㊤:雷電為右衛門


 
本来の表記は 雷電爲右エ門 が正しい。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば……

 雷電爲右エ門(らいでん ためえもん、明和4年(1767年) - 文政8年2月21日(1825年4月9日))は、信濃国(現長野県東御市)生まれの江戸時代の大関である。

 通算で喫した黒星がわずかに10、勝率は9割6分2厘であり、史上最強力士に推す意見も多い横綱免許は受けなかったが富岡八幡宮の横綱力士碑に「無類力士」として顕彰されており、横綱と同列に扱われる場合もある


 江戸の昔には、有力な藩はお抱え力士をもっていた。鳥取藩では大関両国梶之助(両国とは因幡伯耆両国のこと)とか、松江藩では何といっても横綱雷電為右衛門。お抱えにならない力士も大勢いた。和田出身の平石七太夫と、その従兄弟の山颪源吾もそうだった。

 ある年、大阪で横綱雷電と山颪が対戦することになった。山颪は雷電に何としても勝ちたい。そこで従兄の平石に相談をかけた。

 結果は美事!山颪が勝ったのだった。さて平石が山颪に授けた秘策とは?

 米子の民話によれば……

 平石は「かんたが逆立ちしても勝てる相手ではない、が、どげでも勝ちたいなら、仕切り直しを繰り返すことだ。その内横綱(…ではない。間違い)の足のどっちかがけいれんを起こす。
 その時立って反対側の足を取れ」と教えました。
昔は、仕切りの制限時間はなかったから、山颪は教えられた通り、仕切り直しを繰り返して48回目、相手の右足がけいれんするのを見た彼は、さっと立つと同時にパッと横綱の左足を取った。さすがの雷電もたまらずひっくり返ってしまった。

               
      和田町にある力士「平石七太夫の墓」(左)と「山颪源吾の墓」(右)

 平石と山颪の墓碑をかぜの時に拝むと治るそうだ。なぜかって、そりゃあんた関取(咳取り)の碑だもの  

                                      

06.11.25

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