還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

ゴトチョウ?

2007-01-05 05:25:58 | 健康
これは蝶(チョウチョ)の名前ではありません。

正月が過ぎると、もう直ぐに大学の受験期に入る。

昭和33年~45年の頃の当時は、我家は田舎の親戚では、ただ一軒の在京の家となっていた。

その所為か、よく大学受験の問い合わせや諸々の相談場所ともなっていたのだ。

この話は、当時の話である。

毎年受験期が来ると思い出す、思い出の一つである。

当時は、よく親戚の息子が上京して在京の大学を3~5校は受験していた。

受験校が我家から遠い時には、その受験宿泊所の確保も我家の宿題だった。

そして無事入学した暁には大学の入学式に間に合うように、その下宿先を探すのも

同じく我家の宿題となっていた。

ある時に、その中の一人が無事入学して、既に大学にいる友人を訪ねたいと申しでたのだ。

「お友達は何処に居るの?」

「ゴトチョウだ」

「ゴトチョウ?」

「おい、お前 ゴトチョウって知っているか?」カミさんに聞く

「私、知らないわ」

「うん、俺も余り聞いたことがないな?」

「○○君、確かにゴトチョウか?」

「手紙にはゴトチョウと書いてあった」

「ふ~ん・・・」暫く考えたが判らない。

そして彼が言った。

「駅の側(ソバ)だって・・・」

「えッ」 

「ゴトチョウって駅、 お前 知っているか?」と カミさんに聞いてみる。

「あたし 知らないよ、あなた 知っている?」

「俺も知らないな」

「君、その住所、書いてあるものを持っている?」と聞いてみた。

「持ってきた」

「見せて・・」かれが一枚のハガキを出した。

それを見て、な~るほど、と思った。

そして思わず遠慮なく笑ってしまった。

「判ったよ、おい コレを見て・・」とカミさんに住所を書いてあるハガキを渡した。

カミさんは笑うわけにも行かないようだ。

「あんた 笑い事ではないよ」

「そうだな・・」

「君が判らないのが 当たり前なんだな」私は直ぐに東京都の交通地図を出して説明をした。

「あのね、これは“オカチマチ”と読むんだ」

「確かに“御徒町”と書いてあるが、土地の名前は独特の読み方をするのでね、東京では気をつけて・・・“ニッポリ”ってのもあるからな」

「土地の名前の読み方は全国何処でも同じで、その土地、その土地の読み方があるからね」私なりに、その特殊性の説明をしておいた。

「上野駅の手前だよ」

「直ぐに判るから」

「そうそ、東京の駅には、どの駅にも出口が沢山あるから必ず事前に電話で確かめるように・・そうしないと合うことが出来ないぞ!」とイロイロと心配なことだった。

「品川駅で山手線に乗れば東京駅から上野駅に向かって3ツ目の駅だよ。

車内アナウンスは“ゴトチョウ~”とは言わないから気をつけて・・・」

「山手線の車内案内はね 次は~”オカチマチ~”と言うからね」と車内アナウンサーの真似をして、くどいほど説明をしたものだ。

落語の話の中の車内アナウンサーの場面に

「次は~“聞くな~”(菊名駅・東横線)」って言うのもあったな。
これは地方では判らない話だ。

“ヒグレサト”か“ヒグレリ”か?(日暮里駅)。

“タイラバヤシ”か“ヒラリン”か“イチハチジュのトッキキ“と悪ふざけが、

したくなる、くそ爺である。

さてっと・・・・・

もう一つ。

これは、また別の親戚の受験生だが私鉄東上線に池袋駅で乗り朝霞台の○大に受験に行った時に

「特急に乗って検札に合わなかった。(特急券代が)儲かった。儲かった」と私の家に来て私達夫婦に言ったものだ。

私は「えッ?」と少しばかし驚いたが、

私の住む「○急線」の

「此処へは品川駅から何に乗ってきたの?」と聞いた。

普通車だったら品川からは、ゆうに2時間近くは掛かるのだ。

彼は池袋駅の近くの割と安いビジネス・ホテルに宿泊していたのだ。

「勿論、特急に乗って来たよ」と胸を張る。

「検札はなかったのかい?」私は事情は充分に知っていたが、得意に語る彼に遠慮して聞いてみた。

「ああ、なかったね、付いているよ」

「そう、それは付いていたな!きっと大学も受かるよ」と言っておいた。

傍でカミさんがクスッと笑ったが、私は素知らぬ顔をしていた。

今では田舎でも普通快速があるそうだ。

当時の田舎では国鉄と同じく私鉄も “特急“ ”急行“ は別料金が必要な時代で東京の私鉄の事情は、よく地方では判らない時代だった。

その彼は幸に?かどうか?は判らないが、田舎の国立大に入学したと聞いて何故か私は内心“ほッ”としたものだ。

もう、彼らは結婚して何人かの子供もいる。

時の流れは速い。

そして最近は在京の親類は数多(アマタ)になって私達、

郊外のはずれに住む者にはお呼びが掛からなくなった。

ここ数年の受験期は静かなものである。

“行雲流水矢の如し“ である。

この歳になると時々に昔のことが懐かしく思い出される。

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