これは蝶(チョウチョ)の名前ではありません。
正月が過ぎると、もう直ぐに大学の受験期に入る。
昭和33年~45年の頃の当時は、我家は田舎の親戚では、ただ一軒の在京の家となっていた。
その所為か、よく大学受験の問い合わせや諸々の相談場所ともなっていたのだ。
この話は、当時の話である。
毎年受験期が来ると思い出す、思い出の一つである。
当時は、よく親戚の息子が上京して在京の大学を3~5校は受験していた。
受験校が我家から遠い時には、その受験宿泊所の確保も我家の宿題だった。
そして無事入学した暁には大学の入学式に間に合うように、その下宿先を探すのも
同じく我家の宿題となっていた。
ある時に、その中の一人が無事入学して、既に大学にいる友人を訪ねたいと申しでたのだ。
「お友達は何処に居るの?」
「ゴトチョウだ」
「ゴトチョウ?」
「おい、お前 ゴトチョウって知っているか?」カミさんに聞く
「私、知らないわ」
「うん、俺も余り聞いたことがないな?」
「○○君、確かにゴトチョウか?」
「手紙にはゴトチョウと書いてあった」
「ふ~ん・・・」暫く考えたが判らない。
そして彼が言った。
「駅の側(ソバ)だって・・・」
「えッ」
「ゴトチョウって駅、 お前 知っているか?」と カミさんに聞いてみる。
「あたし 知らないよ、あなた 知っている?」
「俺も知らないな」
「君、その住所、書いてあるものを持っている?」と聞いてみた。
「持ってきた」
「見せて・・」かれが一枚のハガキを出した。
それを見て、な~るほど、と思った。
そして思わず遠慮なく笑ってしまった。
「判ったよ、おい コレを見て・・」とカミさんに住所を書いてあるハガキを渡した。
カミさんは笑うわけにも行かないようだ。
「あんた 笑い事ではないよ」
「そうだな・・」
「君が判らないのが 当たり前なんだな」私は直ぐに東京都の交通地図を出して説明をした。
「あのね、これは“オカチマチ”と読むんだ」
「確かに“御徒町”と書いてあるが、土地の名前は独特の読み方をするのでね、東京では気をつけて・・・“ニッポリ”ってのもあるからな」
「土地の名前の読み方は全国何処でも同じで、その土地、その土地の読み方があるからね」私なりに、その特殊性の説明をしておいた。
「上野駅の手前だよ」
「直ぐに判るから」
「そうそ、東京の駅には、どの駅にも出口が沢山あるから必ず事前に電話で確かめるように・・そうしないと合うことが出来ないぞ!」とイロイロと心配なことだった。
「品川駅で山手線に乗れば東京駅から上野駅に向かって3ツ目の駅だよ。
車内アナウンスは“ゴトチョウ~”とは言わないから気をつけて・・・」
「山手線の車内案内はね 次は~”オカチマチ~”と言うからね」と車内アナウンサーの真似をして、くどいほど説明をしたものだ。
落語の話の中の車内アナウンサーの場面に
「次は~“聞くな~”(菊名駅・東横線)」って言うのもあったな。
これは地方では判らない話だ。
“ヒグレサト”か“ヒグレリ”か?(日暮里駅)。
“タイラバヤシ”か“ヒラリン”か“イチハチジュのトッキキ“と悪ふざけが、
したくなる、くそ爺である。
さてっと・・・・・
もう一つ。
これは、また別の親戚の受験生だが私鉄東上線に池袋駅で乗り朝霞台の○大に受験に行った時に
「特急に乗って検札に合わなかった。(特急券代が)儲かった。儲かった」と私の家に来て私達夫婦に言ったものだ。
私は「えッ?」と少しばかし驚いたが、
私の住む「○急線」の
「此処へは品川駅から何に乗ってきたの?」と聞いた。
普通車だったら品川からは、ゆうに2時間近くは掛かるのだ。
彼は池袋駅の近くの割と安いビジネス・ホテルに宿泊していたのだ。
「勿論、特急に乗って来たよ」と胸を張る。
「検札はなかったのかい?」私は事情は充分に知っていたが、得意に語る彼に遠慮して聞いてみた。
「ああ、なかったね、付いているよ」
「そう、それは付いていたな!きっと大学も受かるよ」と言っておいた。
傍でカミさんがクスッと笑ったが、私は素知らぬ顔をしていた。
今では田舎でも普通快速があるそうだ。
当時の田舎では国鉄と同じく私鉄も “特急“ ”急行“ は別料金が必要な時代で東京の私鉄の事情は、よく地方では判らない時代だった。
その彼は幸に?かどうか?は判らないが、田舎の国立大に入学したと聞いて何故か私は内心“ほッ”としたものだ。
もう、彼らは結婚して何人かの子供もいる。
時の流れは速い。
そして最近は在京の親類は数多(アマタ)になって私達、
郊外のはずれに住む者にはお呼びが掛からなくなった。
ここ数年の受験期は静かなものである。
“行雲流水矢の如し“ である。
この歳になると時々に昔のことが懐かしく思い出される。
正月が過ぎると、もう直ぐに大学の受験期に入る。
昭和33年~45年の頃の当時は、我家は田舎の親戚では、ただ一軒の在京の家となっていた。
その所為か、よく大学受験の問い合わせや諸々の相談場所ともなっていたのだ。
この話は、当時の話である。
毎年受験期が来ると思い出す、思い出の一つである。
当時は、よく親戚の息子が上京して在京の大学を3~5校は受験していた。
受験校が我家から遠い時には、その受験宿泊所の確保も我家の宿題だった。
そして無事入学した暁には大学の入学式に間に合うように、その下宿先を探すのも
同じく我家の宿題となっていた。
ある時に、その中の一人が無事入学して、既に大学にいる友人を訪ねたいと申しでたのだ。
「お友達は何処に居るの?」
「ゴトチョウだ」
「ゴトチョウ?」
「おい、お前 ゴトチョウって知っているか?」カミさんに聞く
「私、知らないわ」
「うん、俺も余り聞いたことがないな?」
「○○君、確かにゴトチョウか?」
「手紙にはゴトチョウと書いてあった」
「ふ~ん・・・」暫く考えたが判らない。
そして彼が言った。
「駅の側(ソバ)だって・・・」
「えッ」
「ゴトチョウって駅、 お前 知っているか?」と カミさんに聞いてみる。
「あたし 知らないよ、あなた 知っている?」
「俺も知らないな」
「君、その住所、書いてあるものを持っている?」と聞いてみた。
「持ってきた」
「見せて・・」かれが一枚のハガキを出した。
それを見て、な~るほど、と思った。
そして思わず遠慮なく笑ってしまった。
「判ったよ、おい コレを見て・・」とカミさんに住所を書いてあるハガキを渡した。
カミさんは笑うわけにも行かないようだ。
「あんた 笑い事ではないよ」
「そうだな・・」
「君が判らないのが 当たり前なんだな」私は直ぐに東京都の交通地図を出して説明をした。
「あのね、これは“オカチマチ”と読むんだ」
「確かに“御徒町”と書いてあるが、土地の名前は独特の読み方をするのでね、東京では気をつけて・・・“ニッポリ”ってのもあるからな」
「土地の名前の読み方は全国何処でも同じで、その土地、その土地の読み方があるからね」私なりに、その特殊性の説明をしておいた。
「上野駅の手前だよ」
「直ぐに判るから」
「そうそ、東京の駅には、どの駅にも出口が沢山あるから必ず事前に電話で確かめるように・・そうしないと合うことが出来ないぞ!」とイロイロと心配なことだった。
「品川駅で山手線に乗れば東京駅から上野駅に向かって3ツ目の駅だよ。
車内アナウンスは“ゴトチョウ~”とは言わないから気をつけて・・・」
「山手線の車内案内はね 次は~”オカチマチ~”と言うからね」と車内アナウンサーの真似をして、くどいほど説明をしたものだ。
落語の話の中の車内アナウンサーの場面に
「次は~“聞くな~”(菊名駅・東横線)」って言うのもあったな。
これは地方では判らない話だ。
“ヒグレサト”か“ヒグレリ”か?(日暮里駅)。
“タイラバヤシ”か“ヒラリン”か“イチハチジュのトッキキ“と悪ふざけが、
したくなる、くそ爺である。
さてっと・・・・・
もう一つ。
これは、また別の親戚の受験生だが私鉄東上線に池袋駅で乗り朝霞台の○大に受験に行った時に
「特急に乗って検札に合わなかった。(特急券代が)儲かった。儲かった」と私の家に来て私達夫婦に言ったものだ。
私は「えッ?」と少しばかし驚いたが、
私の住む「○急線」の
「此処へは品川駅から何に乗ってきたの?」と聞いた。
普通車だったら品川からは、ゆうに2時間近くは掛かるのだ。
彼は池袋駅の近くの割と安いビジネス・ホテルに宿泊していたのだ。
「勿論、特急に乗って来たよ」と胸を張る。
「検札はなかったのかい?」私は事情は充分に知っていたが、得意に語る彼に遠慮して聞いてみた。
「ああ、なかったね、付いているよ」
「そう、それは付いていたな!きっと大学も受かるよ」と言っておいた。
傍でカミさんがクスッと笑ったが、私は素知らぬ顔をしていた。
今では田舎でも普通快速があるそうだ。
当時の田舎では国鉄と同じく私鉄も “特急“ ”急行“ は別料金が必要な時代で東京の私鉄の事情は、よく地方では判らない時代だった。
その彼は幸に?かどうか?は判らないが、田舎の国立大に入学したと聞いて何故か私は内心“ほッ”としたものだ。
もう、彼らは結婚して何人かの子供もいる。
時の流れは速い。
そして最近は在京の親類は数多(アマタ)になって私達、
郊外のはずれに住む者にはお呼びが掛からなくなった。
ここ数年の受験期は静かなものである。
“行雲流水矢の如し“ である。
この歳になると時々に昔のことが懐かしく思い出される。
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