こうと決めたら まんず・・・辞めないね!うちにカミさんは・・・。
きょうもジムに行く予定の日で朝 9時過ぎに
「行くよ」と言うことでジムに行ってきました。
咳は今朝は夕べの咳止めが効いたのか?かなり収まり ヤレヤレと安堵したところでした。
ほんとのところジムには行きたくはなかったのですがね。
「自棄のやんぱち」で行くことにしました。
水中歩きをしてプール・サイドにあるジャグジー風呂で東京湾を眺めながらユックリとお風呂に浸かってきました。
サウナは一杯でしたので遠慮して身体のみ洗い浴室から出て体重を量ると、なんと72,5Kgと念願の72Kg台に入っていました。
多分 昨日 あまりの咳で食欲がなく夕ご飯はアイスクリームだけにしたので一食分体重が落ちていたのかも?
現状の私は、未だ相当 過体重なので体重はちょっとしたことで1Kgや2Kgは落ちるのではと思っていますが、食事抜きで落としても食事をすれば前にまして体重は増えます。リバンドですね。
自然に滑らかに落とすのがよいのですが・・・・。そう勤めていますが・・・。
きょうは12月8日 昭和16年12月8日例の「大本営発表・・・」の日です。
最近この戦争のことがイロイロと書かれていますが、この戦争開戦報道は私が小学校4~5年くらいだったと思いますがはっきりとは憶えていません。↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本を巧妙に対米戦争へ…「幻の禁書」邦訳で日の目
2011.12.8 07:46 [日米関係]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111208/amr11120807480001-n1.htm
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は当時 広島の大手町九丁目の鷹野橋の近くに住んでいました。
大東亜戦争が始まったというのに、今風に言えば「ふ~ん?」と言うか?「ベツに~ィ」と言った感じのようだ。
むしろ相撲の安芸の海が双葉山を「仏壇返し」で破ったことのほうが印象が深かったです。
http://kurekiken.web.fc2.com/data/1997/971205.html
当時は戦争ニュースは確かシナ事変の話題が主だったと想像する。
「子供新聞」も、そのような戦果を語るものが多かったのでは?もうスッカリ忘れている。
遠い昔の話だ。何時までも大東亜戦争でもあるまい。
確かに今の日本は壊れているとしか思われないな・・・・。
そうそ「非色」有吉佐和子著 (角川文庫:S42年)女性の方にお勧めです。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
憂楽帳:リヤカー部隊 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yuraku/news/20111208k0000e070172000c.html 以下全文
憂楽帳:リヤカー部隊
早々とスーパーに並んだ正月飾りを見て、福岡に行きたくなった。福岡市早良区の西新中央商店街のにぎわいが目に浮かんだからだ。毎年12月末になると、農家の人たちが商店街にリヤカーを出し、年末年始の食材や手作りのしめ飾りを売っている。
通称「リヤカー部隊」。戦後間もない食料難の時代、近郊の農家が野菜などを運んで行商したのが始まりという。リヤカーは普段から出店しているが、年末は20台程度がずらりと並び、かまぼこや餅など何でもそろう。
福岡勤務時代に話を聞いた西新行商組合の組合長、宇高伸子さん(78)は、リヤカー歴50年余り。買い物をすると、調理法までアドバイスしてくれる。電話をしてみると、「買ってもらって、さようならじゃないけんね。お客さんに満足してもらわんと」。
あるリヤカーのおばちゃんは読み終わった新聞紙で品物を包んでくれた。地下鉄の車内で読まれる新聞も気になるが、暮らしのそばにある新聞もうれしい。そろそろ、おばちゃんたちも年末の準備を始める頃だ。【中村篤志】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
聾 見
今は食べる物に不自由がない。
「好きな物を、好きなときに 好きなだけ食べられる」 こんな幸せはないと思ったら・・。
なんと、今の我輩は痩せるのに苦労?をしている。
なんと言う時代だろう?実に贅沢な苦労ではないか?
カミさんは胃袋もないのに「食べ過ぎた」「食べ過ぎた」と言っていて我輩は丈夫な胃袋を持っている所為か?いつも「何か甘いものはないか?」「チョコレートはないか?」とカミさんに聞いている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます