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カミさんが食事をしながら・・・
「食べるより仕事をするほうが楽だね」 と言う。 我輩は
「薬を飲むために食事をしているようなものだ」と答えておいた。
我輩の夏風邪がやや下り坂になったと思ったら今度は我輩の夏風がカミさんに移ったらしい?
スッカリのびてしまった。昨日までろくに食事もせずに横になっていたが流石にたまらなくなったのか?我輩が先週 お世話になっていた病院に午後 行った。
勿論 我輩が載せて連れていったのだ。駐車場に心配があったので送り迎えは我輩がする。
病院の午後の始まりは15時からだ。
帰りは家で連絡を待つことにしたが中々連絡がない。5時時期過ぎにやっと連絡があり点滴をしているからもう少し時間がかかるという。
6時前に連絡があり迎えに行く。聞くと体力が消耗していてまずは体力回復が先・・・と言うことで点滴治療となったという。
病気になればやはり病院に行くのが一番だ。 一夜 明けるとかなりよくなった感じだが未だ 横になっている。
きょうは日曜日。日曜日など特に意識したことはないが身体を休めることにする。
ここ2~3日の外の暑さは半端でない。家から郵便局まで約70m くらいだが振込みに出かけたが家に着くと汗でビッショリだった。
凄い暑さである。年寄りは出かけないに限る。
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慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
毎日新聞 2013年08月07日 07時00分(最終更新 08月07日 15時56分)
http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c.html
以下全文
慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
毎日新聞 2013年08月07日 07時00分(最終更新 08月07日 15時56分)
【ソウル澤田克己、大貫智子】第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。
男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。
慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。
朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。
堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。
日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。
男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。
ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。
男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。
44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。
釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。
安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。
ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。
また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。
一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。
◇従軍慰安婦問題
第二次大戦中に日本が支配した植民地や占領地などから女性が慰安所に集められ、日本の将兵から性的被害を受けたとされる問題。
1990年に韓国の女性団体が日韓両国に真相解明や謝罪、補償を求めたのをきっかけに社会問題化した。日本政府は93年8月、慰安所設置や慰安婦移送に旧日本軍が直接、間接に関与したことを認め、「軍の関与の下に女性の名誉と尊厳を傷つけた」と謝罪する「河野談話」を発表した。
ただ、女性の連行段階での軍の関わりについては、第1次安倍内閣当時の07年、「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」という答弁書が閣議決定された。
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つぶやき
肝心な戦中がスッポリと抜けている。1944年の600円は家が建てられる金額ではないか? 大変な金額と想像する。
ずさんな 「河野談話」 が今は一人歩きをしている。親中派の河野洋平のことだ。死んでも自分の談話の訂正・撤回はしないだろう。
あの世まで売国奴の汚名を背負ってゆくのも恥とは思わないようだ。
奥様のお加減如何ですか?
点滴されて少しは楽になられてようですね。
お家にいても熱中症になる時代・・・どうぞ水分はこまめにお取りくださいね。
そういうゆらも、めったにない腹痛で散々な目に遭いました。
どうも、何か食べ物に当たったのではなく、この暑さで胃腸が弱っているらしく、体力も消耗しております。
あと何日この猛暑が続くのでしょうかね。
どうぞご自愛くださいませ。
奥様には優しくしてあげてくださいね。
今回の風邪は咳が酷く苦しいです。熱はさほど出ないのですが咳が苦しいです。私の後に家内が風邪をひくのはいつものパターンですが家内は痩せているので直ぐに体力を失うようです。
きょうは少し起きて簡単な食事の支度などしています。抗生物質が効いてきたのでしょうね。今週は病院が休みなので静養と身体の回復に努める心算です。家内は風邪で声がでなくなり会話は白板です。誤解がなくていいですが やはり元気がいいですね。
それにしましても暑いですね~家から出られません。終日 クーラーを掻け放しです。
ましてや風邪で体力が弱っていると尚更辛い事だと思います。夫婦で病気になると大変ですから何卒お互い大事にして下さい。確かに薬を飲む為にはそれなりの体力が必要なのでちゃんと食事が取れる体制を備えていなければなりません。私も家内の入院時に体験させられました。
点滴だけではとても体力挽回は不可能です。もう病はこりごりです。 注意して下さい。 お大事に。
家から一歩外にでると舗装道路の輻射熱が身体にむッと来ます。
それでも家内は昨日は少しよくなったのか?ジムに行くと言い出し、なんとか?止めました。ジムで筋力強化機械に取り組むのは危険です。家の中で静養に勤めました。きょうはどうでしょね? 家内の薬もあと1日分しかないのでそれまでに回復してもらわねば・・・。私の薬は昨日でなくなりましたが静かにしておれば回復するのでは?と思っています。
歳をとれば風邪でも思わぬ重症になるようです。きょうも静かに休養をする予定です。お見舞い有難うございました。