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⑫親不知散策その2 5月23日(月)

2022-07-14 14:11:29 | 日記
北アルプスが日本海のなだれ込む断崖をどうして「親不知、子不知」と名付けたのか?私が疑問もなく思っていたのは断崖の磯路を襲い来る波濤をにおびえ、時に波に穿たれた洞穴に逃げたりして、親は子どもをかまう余裕もなく、子は脇目もふらず走り抜ける。それが親知らず子知らずの所以ではないか、思っていました。ところが、ここに来て次のような伝承を知りました。


今から八百年前の源平盛衰の昔 越後の五百刈村へ移り住んだ平頼盛の後を追って、この地を通った夫人が懐の愛児を波にさらわれ、悲しみのあまりこの歌を詠みました。
親しらず 子はこの浦の 波まくら
越路の磯の あわと消えゆく


私たちは「四世代道」のうちの第二世代、明治16年(1883年)完成の道路を歩いています。それでは第一世代の磯路はどうなっているのか、それを今から観に行くところです。

遊歩道は旧八号線の国道です。しかし道は狭い、車同士のすれ違いは難しいでしょう。そして、刀で引き裂いたような巨岩屹立しています。その下には整備はされていても人以外は通らないのか、野草が巨大に茂っています。






ここで師匠の登場を願いたい。自分で調べたところ花の咲いているのは「ドクニンジン」、巨大な葉で圧倒してくるのは「オオイタドリ」ではないかと思うのですがいかがですか?

やがてこの遊歩道から下に降りていく階段のところに来ました。案内では「旧北陸線のレンガトンネル」とあります。




これは行かないと、それに磯路も見られるかもしれないという期待を持って下りました。当たり前のことですが急な階段なのです。手すりにしがみつくように下りました。10分かかったかかからなかったか、トンネル入り口にたどり着きました。見上げたトンネルは廃線の歳月を偲ばせる「寂」のトンネルでした。


トンネルの長さは約600m、漆黒のトンネル内にわずかな灯りがともされています。そして出口かずっと向こうに光が見えます。トンネル内を散策できるように懐中電灯やローソクが置いてありましたが、入っていくなんて、とてもそんな気が起こりませんでした。怖さが勝りました。


断崖縁の道はここから確認できませんでした。樹木が密集し、その隙間から海が見えるだけです。また下っていく道もありません。事故防止・安全上そうしているのだろうと思いました。

*「断崖縁の道」はどうなっているのか、自分の目で確かめることはできませんでしたが、次の日、そのヒントを「市振」の浜辺の人に聞きましたので、それは次回にふれます。また、先輩からメールで
「糸魚川の翡翠についてももう少し聞きたい気がしました。海岸線で丹念に探すと翡翠のカケラが見つかるそうですよね。」
とご返事をいただきました。それもまた次回でふれてみたいと考えています。
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