(^_^)

2017年2月からこのブログを始めました

松田道雄著「革命家の肖像」(筑摩書房)から①

2021-12-28 14:28:32 | 日記


【「思考するプロレタリアート」のなかでピーサレフは、チェルヌイシェーフスキーによって説かれた搾取のない人間関係が人間に幸福をもたらすものであるという思想を強調する。未来の社会は、働く人間が思考し、勤労を愛し、自己を人間として感じ、みずからの人間的威厳を尊敬することができるようになったときに来るので、博愛の精神によってもたらされるものではない。博愛はそれ自身、人間の威厳の侵犯であり、不正を含む。博愛は、人間の存在と福祉とを他人の恣意に依存させるものである。】「革命家の肖像」-1860年代の革命家たちP22






これは松田道雄著「革命家の肖像」(筑摩書房)からの抜き書きです。松田道雄さんの本業は医者です。50年ほど前、自分の長男が生まれて幼児に至るまで松田さんの「育児の百科」にはずいぶんお世話になりました。長男が熱を出しては心配し、けいれんを起こしては狼狽えたものでした。医院にかかりつつ、育児はこれでいいのかと不安になっていたとき、「それでいいんだよ」と声をかけてくれるような育児書が松田さんの本でした。

松田道雄さんにはそういう馴染みがあります。一方、松田さんはレーニンやロシア革命の研究者でもあり、子どもに対して慈愛の目を注ぐ彼は怒濤の歴史をどう描いているのか大いなる興味がありました。いつかはまとまって読んでみたいとも思っていました。その端緒として読み始めたのが先に述べた「革命家の肖像」です。

ちょっと余談に入りますが、私は最近友人のN君から「「大路(タールー)」鈴木常勝著をお借りしました。その本を開けてみると、かなり頻繁に傍線が引かれているのでした。傍線が引かれている箇所の意味を私はうかがい知ることはできませんが、N君の心が動いた証拠です。

そこで私もそれに倣うように、心が動いたところ、それは快、不快、賛同、拒否を問わずそれを記しみなさんに示したい、と思いました。「革命家の肖像」を読み始め自分一人の内に感想を閉じ込めておくのはもったいない、と思わせた著書であったことは言うまでもありません。

さて、冒頭の抜き書きに戻りますが、ここで言う博愛というのは正確な訳なのか、私たちがイメージする「博愛」と言ってよいのかそれが気がかりになり、英訳や原語にあたってみました。

【フィランソロピー、フィランソロフィー(英: Philanthropy)とは、基本的な意味では、人類への愛にもとづいて、人々の「well being」(幸福、健康、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)など)を改善することを目的とした、利他的活動や奉仕的活動、等々を指す。あるいは慈善的な目的を援助するために、時間、労力、金銭、物品などをささげる行為のことである。従来日本語では「慈善活動」「博愛」「人類愛」などとも呼んできた。この意味では「チャリティー」に近い。または、特定の活動や事業のために、長い年月をかけて労力や資金を支援するようなこと。

philanthropyというのは、古希: φίλος philosフィロス(ピロス)(=愛、愛すること)と、古希: άνθρωπος ánthrōposアントロポス(=人類)という言葉から成っている表現であり、基本的に「人類を愛すること」という意味がある 。】


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前日の宿題の解答 | トップ | 「小梅の糸が腐っているよ」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事