九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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平成日本紀行(136)竹田 「広瀬武夫」(Ⅱ)
横須賀港の戦艦三笠と東郷平八郎像
旅の記録;「日本一周」へリンクします
日本海海戦において、広瀬中佐に関しては後日談が有った・・! 、
日露戦争当時から、戦死したはずの杉野兵曹長の「生存説」が世間の噂として囁かれていた。 広瀬が探した杉野兵曹は公式には戦死とされているが、実際には存命していたという。
知らせを受けた実家でも「そんな馬鹿げたことが・・、信じられません」と・・、既に仏壇には「護国院釈忠誠勇義居士」の法名が掲げてあった。
新聞記者の会見によると、彼は旅順港口で人事不省に陥っていたが、ロシア人に助けられ近くの島で暮らしていたとされる。
戦後一時、帰国を決意したが内地で自分が広瀬中佐と併せて軍神にされていることを伝え聞き、帰還を断念したという。
「広瀬武夫」はロシア公館付武官であるから、かれはロシア語の会話はもちろんトルストイをはじめロシア作家の作品を読破している。
おまけに身長175の偉丈夫で美男子ときているからロシアの娘たちが騒がないわけがない、中でもとくに熱心だった女性が二人いたという。
広瀬が日本へ帰ってから二年後に日露戦争が勃発する。
恋人同士を無残に引き裂いた戦争は間もなく広瀬を死に至らしめる。
彼の戦死を知った女性は広瀬の生家へお悔やみ状を送ってきたのが残されているが、それはまるで恋文だという。 それほどまでに外国人女性に慕われていた広瀬は、死後「軍神」になったが、生前は生身の人間であり誇り高き日本男子だったのである。
竹田といい、高山といい山国育ちの広瀬がなぜ海軍軍人なのか・・?
その鍵は実は「坂本龍馬」にあるのではないかという有力な説がある。
京都国立博物館の坂本龍馬関係資料のうち「有魂姓名録」の冒頭に勤王の志士達の名簿がある。 そのなかに中川藩・家中の「広瀬友之允」の名が載っていて、彼は広瀬武夫の父広瀬重武のことである。
重武は天保7年生まれなので龍馬より一つ下で同世代であり、文久2年に脱藩したのも龍馬と共通している。
幕末騒乱期、京都・寺田屋に竜馬と共に倒幕謀議に参加するはずだったが、出発が遅れ参加できず、難を逃れたと言う説もある。
「 維新は、寺田屋の一室から生まれたり 」と言われるように、寺田屋は明治維新のメインステージとなったところであり、文久2年(1862)討幕急進派が寺田屋に集まって、決起を企てた「寺田屋騒動」は有名である。
また、ここは坂本龍馬の定宿で、お龍(おりょう・後に竜馬と結婚)との恋の宿としても知られている。
文久3年頃、亀山社中(海運・貿易業を中心とした会社組織、結社でメンバーは龍馬と行動をともにした若者たちを中心に20数人)を興し、神戸海軍塾の創設に走り回っていた坂本龍馬が、広瀬重武を含む岡藩の志士らに、“これからの日本は海軍を起こすこと が急務である”ことを力説した。
それに感化された広瀬重武は、山国育ちの息子・武夫を明治海軍に入隊させたのではとも言われている。
龍馬が暗殺されたのは1867年(慶応3年)、武夫が生まれたのは翌・1868年(明治元年)。
広瀬武夫は父親と龍馬の海軍精神を受け継ぎ、旅順港で戦死する運命もまた龍馬が与えたものと想像でき、共に国の為に殉じた「死」は共通する。
尚、武夫の兄の勝比古も海軍軍人で少将、勝比古の養子になった末人(すえと)は海軍中将までなっている。
豊後竹田駅から岡城に向かうトンネルの手前に「広瀬神社」がある。
『広瀬中佐』 尋常小学唱歌(大正元年12月)
轟く砲音(つつおと) 飛び来る弾丸
荒波洗う デッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び
「杉野は何処 杉野は居(い)ずや」
今はとボートに 移れる中佐
飛来る弾丸に 忽ち失(う)せて
旅順港外 恨みぞ深き
軍神広瀬と その名残れど
次回は、「坂梨」
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