goo blog サービス終了のお知らせ 

日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

日本周遊;温泉と観光編(8)函館 「湯の川温泉」

2010年01月17日 09時23分09秒 | 東日本の「温泉と観光」
.



汐見橋より見た「湯の川温泉」の夕景



日本周遊;温泉と観光編(8)函館 「湯の川温泉」


函館の癒し場・「湯の川温泉」へ・・、

先程予約しておいた本日の宿・「湯の川温泉」へ向う。 
夕刻も深まった函館市内は時間帯のラッシュ時で、首都圏並みの渋滞気味であった。
市街地より沿岸に沿って東へ凡そ5km程であろうか、町内の一角、海岸沿いに温泉タウンはあった。

湯の川温泉は「函館の奥座敷」、「北海道三大温泉」の一つに数えられるとともに、道内でも指折りの古湯という。 
脚光を浴びたのは、承応2年(1653)に遡るといわれるが、古湯とはいっても比較的新しいほうであろう。

松前藩の藩主の子・千勝丸が、医師も見放すほどの重い病気にかかり、藩主は千勝丸のために家来たちに温泉を探させた。 
その時に発見されたのが、この湯の川温泉だと言われている。
その湯に千勝丸を湯治させたところ、まもなく全快したといい、以後この湯が病気に効くことで、病弱な人たちに重宝されてきたという。

その後、戊辰戦争、明治維新(1868年)の折には、榎本武揚、土方歳三率いる旧幕府軍と新政府軍との間で起こった箱館戦争では、傷病の兵士たちの療養にも使われたそうである。

湯の川温泉」の湯の川はアイヌ語でユペツと言い、ユ(ユウ)は湯とか温泉を意味し、ペツ(ペット)は川を意味する言葉で、つまり温泉の川、湯の川と呼ばれていた。 

「湯」はサラリとした感触で無色透明、泉質はナチリウム・カルシウム・塩化物泉で慢性リューマチや神経痛に効果があるといわれている。  
特に、温泉に浸かりながら眺める津軽海峡のイカ釣り船の漁火は、函館の風物詩として全国の温泉愛好家憧れの的となっていると。 

公衆浴場は3軒、「日の出湯」、「長生湯」、「永寿湯」が存在する。
どれも地元の人が多く通う浴場である。
中でも永寿湯は湯の温度が40~45度と熱いので有名だとか。



小生が泊まったのは温泉街の中程にある「ホテル新松」である。 

一流観光ホテルのピカピカさは無く、どちらかと言えばビジネス観光ホテルの気安い格安ホテルであろう。
しかし、部屋の調度といい、温泉浴場といい不足は無い。
浴槽は広く、やや高温の源泉がタップリと流入し、その分が掛け流されている。
やや、きな臭い温泉臭がただよって、入ると熱めだが体に馴染んで気持ちがいい。 
ジックリ入ってると温泉効果も十分期待できそうである。 
宿の食事は、絶品豊富で食べきれない程で、「ウニ」や「イクラ」がたっぷり入った野菜鍋も実に良かった。



ところで小生は、一般に温泉宿に泊まった場合、夕・朝で少なくとも3回入る事にしている。 
宿へ着いたら先ず体をほぐすのに一風呂、就寝前に歯の清爽と合わせて浴びて、朝は目覚めと洗顔とリフレッシュのため入ることにしている。 
朝は顔と体を軽くマッサージしながら、湯疲れしないためにも短時間にするのが良いだろう。

次回は、「知内、福島」の記念館



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   FC2 H・P   

《旅の紀行・記録集》
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002

【山行記】

《山の紀行・記録集》
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」

《 スキーの記録 》
「スキー履歴」


.

周遊紀行:温泉と観光(7)下北 「絶景・仏が浦」

2009年12月16日 15時49分45秒 | 東日本の「温泉と観光」





下北半島の絶景・「仏が浦」



周遊紀行:温泉と観光(7)下北 「絶景・仏が浦」


「絶景・仏が浦」

下北半島は通称、マサカリ、斧形の半島と呼ばれている・・?。
そのマサカリの刃の中心に在るのが景勝・「仏が浦」である、それは本州の僻地中の僻地に在る。

通称「海峡ライン」と呼ばれている国道338号線を行く。 
脇野沢村を過ぎると深い原生林の中へ突き進むといった感じである。 
このR338は別名「海峡ロード・海峡ライン」と言うらしい、今はヘヤーピンの山岳ロードを走っているが、見ると津軽半島の平館あたりが、とりわけ近くに眺望できる。
そのためか此処を挟む海峡を「平館海峡」と命名している、この海峡名を付けた理由が理解出来た。

思えば昨日、海峡の向こう平館あたりからこちら側を見た風景は、断崖絶壁の壁であった所である。
国道338のこの区間は、海沿いの山岳路とも言うべきもので、尾根を越え谷を渡って進んで行く。 
海峡ラインは、とにかく上下動の激しい急カーブ、急坂の連続であった。 
登りきった所、いわば峠の地(特に名称は無い)にかなり広い駐車スペースも有り、周囲の展望も抜群であった。

今度は下りのヘヤーピンのカーブが連続する。
海の青と山の緑のコントラストが良く、思えば行き交う車も殆ど無い、脇野沢からすれ違った車は数台に過ぎない。 
やはり、本州の僻地に違いなかった。


しばらくして、まだ海面よりかなり高所を走っているのに、「仏ヶ浦入り口駐車場」とオンボロ看板があった。「仏ヶ浦」の入り口があるらしい。 
戻ってきた人達に様子を聞くと、この先往復30分位かかるかなり急な階段があるとか、こちらは山で鍛えた足腰である、早速カメラ2台持って出かけた。
海の眺めが良くなったところで、山肌が断崖の如く切り立ったところに、木製の急なジグザグの階段が現れた。

ハハーン!これか・・!、急ぎ脚で降りる。 

仏ヶ浦まで降りるかなり急斜面の階段歩道であり、断崖絶壁を下って行くようで途中から見る、その景観はすばらしいの一言である。 


もう既に海岸一帯に、一種異様な光景の奇岩・妖岩の群が見えている。
白い砂浜に降りると、灰色の屹立した岩峰群が圧倒的迫力で迫る。 
観光船を営んでいる番小屋のオバサンが、「そこの間を通って、向こう側へ行くと、もっと良いよ」と、岩峰の間を指す。 

成る程、これまたすごい・・!!。



名勝・「仏ヶ浦」は、霊が宿るという下北・「恐山」の冥土の入口に当たると言われる。

風雪厳しい津軽海峡の荒波が削り上げた大自然の造形・仏ヶ浦は、冬の厳しい姿と夏の穏やかな姿の両方を持つといい、2キロに及ぶ奇岩の連なりは見るものの心に様々な思いを抱かせてくれる。 
「如来の首」、「五百羅漢」、「一ツ仏」、「親子岩」、「十三仏」、「観音岩」、「天竜岩」、「蓮華岩」、「地蔵堂」、「極楽浜」などの名称がつけられ、その総称が「仏ヶ浦」なのである。

仏ヶ浦の浜は、夏の穏やかな海からの眺めは、その名にふさわしい、たおやかな極楽浄土の浜でもある。


大正11年9月、未だ道無き下北の地を訪ねた土佐の歌人「大町桂月」は、仏ヶ浦の奇岩の連なりと神秘的な美しさに触れ、この様なものが人間業ではとても造り様が無いものであり、自然の中にはまさしく造化の天工が住んでいることを確信した、と言い・・、



『 神のわざ 鬼の手づくり 仏宇陀(ほとけうた) 

                人の世ならぬ 処なりけり 


と詠っている。



十和田や東北をこよなく愛した大町桂月は、比較的に優しい東北の自然の中で、仏ヶ浦の想像を絶するような奇岩の群れに逢い、風雪の厳しさ、波浪の力など大自然の持つ比類なき力を実感したのであろう。

奥に控える恐山の神秘的な空間と海から見れば、まさしく冥土の入口に当たるのが、「仏ヶ浦」なのである。
そのあまりの符合に歌人は、この下北半島にはまさしく仏や神が住んでいることを確信したのであろう。 
その「恐山」へは帰路立ち寄ることにするが・・、仏ヶ浦の羅漢達は、歌人が歌を詠んだその時のままで、今もすっくと佇んでいる。


薄学浅才な小生は、この感動をどう表現してよいか分からないが、確かに自然の造形は人の知識や知能、想像になど遠く及ばない。
タダタダ!!肝を抜かれ、魂が消される、つまり「魂消る」(たまげる)の一語だった。


半ば気を奪われたまま、元の急な階段へ戻る。
行きはよいよい、かえりは辛い(こわい)」であったが。

車で一寸行った所の高所に、仏ヶ浦の展望台が有って眺めてみたが、現地の目前の迫力には遠く及ばない。 
「仏ヶ浦」を観光するには、観光船も良さそうである、船着場があって脇野沢やこの先の佐井から出航している。

次回より海峡を渡って、「函館」から北海道を巡ります



.【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   FC2 H・P   

《旅の紀行・記録集》
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002

【山行記】

《山の紀行・記録集》
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」

.

周遊紀行:温泉と観光(6) 青森・「浅虫温泉」

2009年12月15日 11時55分09秒 | 東日本の「温泉と観光」

海側から見た「浅虫温泉」


周遊機構:温泉と観光(6) 青森・「浅虫温泉」


.
青森市街を遠目に見ながら、国道4号線のバイパスが本線へ出たと同時に海岸に出る。

陸奥湾・青森湾に間もなく夕陽が沈もうとする。
大きく、黄色く輝く黄昏光が全体の風景とマッチしてまことに綺麗である。
小さな岬の「善知鳥崎」を左に見ながら、間もなく「浅虫温泉」に着いた。


浅虫温泉にNTT保養所「善知鳥荘」がある。
小生のお上さんがNTTの職員ということで、そのツテでこの宿を利用させてもらうのだが、先刻、当夜の宿をここに決めて、とりあえず予約を入れる事にしたのである。


善知鳥」とは始めて見る文字であって、当然、呼名も意味も知る由もない。
“ゼンチドリ“又は”ぜんちちょう”などと勝手に想像していたが、宿の主人に教わってパソコンの文字を叩くと、ちゃんと 「善知鳥」と出てきたのである。
小生の薄学さに些か赤面する次第であった。 

青森市の名称の前身は旧古の善知鳥村から発していることは、先の項の『日本周遊紀行(32)青森・「青森と善知鳥・・?」』で述べた。


善知鳥」は、チドリ目ウミスズメ科の海鳥のことであるが、又、「ウトウ」とは、アイヌ語で「突起」という意味もある。
この辺りは、陸奥湾の中心部であり、ここに喉仏のような夏泊半島が突起となって出張っているのである。アイヌ人は、この半島をウトウと呼んでいたのかもしれない・・?。




さて、「浅虫温泉」であるが・・、br>

浅虫温泉は夏泊半島の付け根に位置し、陸奥湾に面した風光明媚な県内随一の温泉地である。津軽藩主も度々来湯したという由緒ある温泉でもある。

東北本線の浅虫温泉駅を中心にして温泉街が広がっている珍しい温泉地で、本線駅が温泉街の中心ということで人気もあり、青森市内の奥座敷でもあって平日でも盛況らしい。 

昔から古い温泉地として全国に知られており、平安時代の終わり頃(1190年ごろ)名僧・慈覚大師が奥州巡教の折、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て発見されたと伝えられている。 

その地名の縁は、かつて住民がこの温泉湯で織布の麻を蒸していたため「麻蒸」とよばれ、後に火難をおそれて火に縁のある文字「蒸」を嫌い「浅虫」になったといわれている。


温泉街は山手と海手に分かれ、温泉の発祥地である山手は昔ながらの風情を残した旅館が並び、海側には規模の大きなホテルが連立している。
古い歴史の面影は現在の本陣の宿 ・「柳の湯」に見ることがでる。
ここは津軽藩の本陣のあった場所で、総ヒバ造りの浴槽は津軽の殿様が作らせたものだという。



NTT保養所「善知鳥荘」はそんな温泉街の中にあった。

一息入れて、早速湯船に飛び込む。
お湯は無色透明でサッパリ感、あまりのサッパリさで独特の温泉感が感じられないが、浴槽の湯温は43.5℃で快適である。
源泉は70℃だそうだが、湯口は適温、流入量が少ないのがチョット気になるが、泉質はナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物温泉という。
脱衣所も浴室もコンパクトな造りながら、きちんと掃除が行き届いていて気分が良い。

気が付けば、館内の配慮も充分で、部屋といい調度品の配置といい気配りが感じられる。
部屋食の料理もまずまずで、これで料金が6千円台はやはり安い、結構なことです。

次の朝もゆったりと、朝湯に浸かった。 

普通、小生が温泉宿に泊まった場合、概ね3回浴槽に浸かることにしている。
到着時、就寝前それに目覚めの朝湯である。

 

ところで、昨今は官営・公営の宿屋が、民化の煽りでドンドン潰されてゆく。 
NTTも同様で、関連宿舎は全国150~160ヶ所ちかくあったのが、民営化されてからは30前後に減ってしまった。 
同様に郵政の「かんぽ」、厚生の国民宿舎や休暇村しかり、官・公営の宿もドンドン減らされていく。 

訳わかるけど、どうにかなんないの・・!、
我々一般大衆の旅人にとってはマッタク、サミシイ限りであります・・!!!

更に、更に当館・NTT保養所「善知鳥荘」も、平成18年度(H19・3月)をもって閉館するらしい。

当節には大変お世話になったことを改めて御礼申し上げたい。


次は、下北・「仏が浦」



.【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   FC2 H・P   

《旅の紀行・記録集》
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002

【山行記】

《山の紀行・記録集》
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」

.

周遊紀行:温泉と観光(5) 「黄金崎不老ふ死温泉」

2009年12月14日 11時19分34秒 | 東日本の「温泉と観光」


日本海の荒磯渚に構える「黄金崎不老ふ死温泉」、(下は女性用)



周遊紀行:温泉と観光(5) 「黄金崎不老ふ死温泉」

海岸国道101の岩崎村から深浦へ向かうと、日本海へ向かって出ベソの如くチョコンと出っ張った半島がある。
黄金崎又は舮作崎(へなしざき)ともいう。

国道の案内板に従って五能線の踏切を越え、海岸方面へ向かうとやがて「不老ふ死温泉」の温泉旅館が見てくる。

黄金崎不老不死温泉」である・・!。 
この館の奥はすでに海岸線の渚になっていて、この岩浜の一角、岩礁帯の海岸の凡そ50m先に朝日に輝いて、「露天風呂」はあった。


何はともあれ先ず、「」に浸かろう。
赤褐色した湯が、飾りっ気がないプラ管より“ザブザブ”入ってくる。
鉄分と塩分が多いためか、錆の臭いが凄く、手を入れてみると何かネトッとした肌触りを感じる。 
さっそくに浸かったみる、気持ちいい、やわらかい、 露天風呂には既に数人の先客がいたが、話を聞くと隣の人は和歌山から来たそうだ。

全国各地から、この有名温泉に来ているようである。


不老ふ死温泉は夕陽を見ながら入るのが一番だが、朝日に照らされながら入るのも、又格別である。
手を延ばすと海面に手がとどきそう、岩場で波が砕ける音を聞きながら湯船で浜風にあたる。
これまた気持ちよい。

周囲は岩礁地帯になっていて、景色も抜群!!お湯はややぬるめであり、舐めてみると、やはりというか渋くて塩辛い。

泉質は食塩泉、源泉の温度は49度である。 

タオルをお湯に浸けると直ぐに真っ茶色になってしまう、体も少し茶色になってしまったかな・・!。 

その名のとおり、「一日一年、三日三年、命が延び、一生浸かると不老不死」に成ると言う。 

そんな温泉である・・、イヤハヤ満足・マンゾク。

尚、男湯は海岸に向かって左手にあり、瓢箪型をしているが、コンクリート塀に仕切られた女湯は楕円形のようである。 但し、覗いたわけではありません・・!!



黄金崎(こがねざき)不老ふ死温泉は、海に沈む夕陽が見られる秘湯として、テレビなどや旅行・温泉雑誌で既にお馴染の有名な温泉である。 
温泉はそれほど古い温泉ではなく、岩礁にお湯が涌いているのは知られていたが、1970年に初めて海岸をボーリングして温泉を掘り当てたそうだ。  

海岸にある温泉旅館には内風呂もあるが、波打ち際の露天風呂がやはり人気で、気分も良いだろう。
以前は混浴だったそうだが、新たに仕切りが造られ、女性専用の二つに分けられてたという。 
木造の古い温泉旅館の隣りに、意外に立派な温泉ホテルがある。
ここにも露天風呂があって、結構人気があるようだ。

「不老不死温泉」というのは、他の地にもあるようで(津軽半島・平館)、 こちらの温泉はは「不老ふ死温泉」と書くのがが正しいようである。

当館の看板やホームページには「・・ふ死・・」と記してある、何故”ふ”なのかは定かでない。
いずれにしても、日本海を見渡せる波打ち際の露天風呂には大満足で、お湯もすばらしく、この温泉を大事にしてもらいたいと思う次第であった。


次回は、 青森・「浅虫温泉」



.【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   FC2 H・P   

《旅の紀行・記録集》
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002

【山行記】

《山の紀行・記録集》
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」

.

周遊紀行:温泉と観光(4) 「男鹿の景勝と温泉」

2009年12月13日 09時37分13秒 | 東日本の「温泉と観光」



男鹿半島
戸賀湾と各目潟の景観(目潟は湾も含まれる: :県博物館提供)




周遊紀行:温泉と観光(4) 「男鹿の景勝と温泉」


「男鹿半島」は半島付け根・中央部には標高354メートルの寒風山が聳える。聳えるといっても草原状台地の火山で五つの小火山と二つの火口から成ってるらしい。 
又、男鹿三山をはじめ、麓の戸賀湾を含んだ地域は爆裂火口地帯を構成している。
つまり、男鹿は元々は火山の島であったようである。

男鹿半島の北部突端部に戸賀湾がある。
県道121号線沿いに位置し戸賀湾、一ノ目潟、二ノ目潟さらには奥羽山脈・青森県境までもを眼下に眺望できる景勝地「八望台」というのがある。 
その名は、「高松宮殿下」が命名されたという記念すべき名称でもある。
男鹿半島でも有数のビュースポットで、観光ツアーの定番コースにもなっている。


さて、戸賀浦と周辺地域のことであるが・・、

先端部付近には世界的にも珍しい神秘的な火山湖である一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟といった沼湖が存在する。 
いずれも日本では男鹿半島にのみ存在する爆裂火口マールとよばれる)湖であり、 この湖はマール湖と呼ばれる地形の典型的なものだといわれている。 尤も、戸賀湾そのものも四ノ目潟と呼ばれるマールで、火口が海とつながった火口湾であるともいう。


マールとは・・、

深底部にあるマグマが地下水と接触し急激に接触反応すると、水蒸気マグマ爆発と呼ばれる激しい 爆発が起こる。 
この時マグマと水の接触の割合によって、その爆発力は連続的に 変化するが、その中でも激しい爆発が起こった時に作られるのが火山地形のマ ールである。 
爆発力が強いために大きな火口が作られ、そのため噴出物は広い範囲に撒散らされるので火口の周りにはごくわずかの堆積物しか残らない。 
そのため噴火が終わると火口は速やかに地下水で満たさる。 
地下から上昇してきたマグマと地下水が接触して爆発が起こるので、その爆発は 地下水面よりも下で起こり、マールの形成には,マグマと水の接触の割合が関係しているともう。 

このことから、どこの火山でも見られるという火山地形ではなく、国内では、九州・指宿地域、男鹿半島の当地、伊豆大島の波浮港などが代表的なマール地形で、地下水の豊富な海岸付近に比較的多いという。
地歴的に観ると、一ノ目潟の形成は9000年前、二ノ目潟と三ノ目潟は4000年前の縄文期と推定されているといわれる。

その八望台から一ノ目潟、ニノ目潟が眺望出来、その間に日本海が一望にできる絶好の展望地である。 

 

この麓の岩礁海岸に、今年(2004年)7月、オープンしたての近代的な「男鹿水族館」があった。

周囲は人家一つ無い自然の中の海岸に忽然とあり、モダンな建物のわりには何故か違和感が無く自然に存在していた。 
オープン前に、人気の映画「釣りバカ日誌」のロケ現場として利用されたらしく、前評判が大きかったこともあり、平成16年7月13日のリニューアルオープン以後、大勢の来場客で賑わいを見せているという。
小生も、開業直後の水族館を1000円の入館料を払って見物した。 

アシカ、ペンギン等の人気の生き物や川の生き物をはじめ、巨大水槽、水中トンネルなど見所が満載で、水中トンネルは海の底にいる気分である。 
館内には男鹿・秋田の海の生物が数多く展示されており、身近ながら中々見ることの出来ない目の前の日本海の中を知ることも出来た。 
秋田の名物魚・ハタハタなどの男鹿を代表する魚も沢山展示されていた。



又、この地域は、昭和58年(1983年)5月26日午後0時「日本海中部地震」の強震が発生している。
秋田県能代市西方沖約100kmの地点が震源地で、マグニチュードは7.7、秋田市、むつ市、深浦町で最大震度5を観測している。 
地震により発生した津波などにより、104名の犠牲者を出したことは記憶に新しい。 
戸賀の加茂青砂地区でも、海岸で遊んでいた合川南小学校児童13人児童や外国人観光客が逃げ遅れて津波に飲まれた。 
この日は、雲ひとつない青空で、海は鏡のようであったという・・、現在は、この地に慰霊碑が建っている。



さて、男鹿温泉である・・、

男鹿温泉郷は日本海に突き出した「男鹿半島」の東北端に湧く温泉である。

平安初期(806~810)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の東征の際に発見されたと伝えられる。 
因みに、田村麻呂については前後して述べるが、平安時代の武官で、793年に陸奥国の蝦夷に対する戦争で征夷大将軍になって総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を討って降服させた人物である。 
平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後世に様々な伝説を生む。中世においては、文の菅原道真、武の坂上田村麻呂と文武のシンボル的存在とされ、田村麻呂は京都の清水寺を創建したと伝えられる、清水寺は元の田村麻呂の自邸でもあったといわれる。

温泉が発見されたのは古代に遡るが、温泉場のして拓けたのは比較的新しいという。 
現在では、10数件近いホテルや旅館を中心に多くの土産店が並び、男鹿を代表する宿泊地として、また秋田の奥座敷として親しまれている。

温泉郷の内、海岸沿いの松林に覆われた一角に、国民宿舎の「男鹿」があり、本日はこちらに世話になった。
中は広いが簡素な浴室で湯船は一つ、お湯は濁りのあるチョット珍しい「黄緑色」をしていて薄い塩味がし、「笹濁りの湯」という表現もあるようだ。 
しかし、析出物はなかなかのもので、浴槽の底には赤茶けた湯花が大量に積もっている、それを思い切りかき混ぜると赤茶けた色の温泉になった。

お湯はとろりとした感じのもので感触は悪くなく、そこそこの入浴感もある。
ただ、少しぬるめになっていたせいかやや物足りなく感じがしないでもない。 
動物の形をした温泉の注ぎ口が、元の形がわからないほどまでに析出していて、成分の濃さを感じる。 
湯温はさして高くないのに浴中すぐに大量の汗が噴き出してくる、温もりの湯でもあるようだ、とてもツルツル感のあるお湯が気持ちは上クラスであろう。

男鹿温泉の湯ざわりは、なかなかの実力派であった。
泉質は、ナトリウム-塩化物泉で、効能は 皮膚病、婦人病、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、冷え症など。


次は、深浦・「不老不ふ温泉」


【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   FC2 H・P   

《旅の紀行・記録集》
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002

【山行記】

《山の紀行・記録集》
「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」

.