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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

日本周遊紀行;温泉と観光(30)風間浦 「下風呂温泉」

2010年06月19日 10時44分04秒 | 東日本の「温泉と観光」
是より東北沿岸部(太平洋岸)の「温泉と観光」を巡ります。




日本周遊紀行;温泉と観光(30)風間浦 「下風呂温泉」


是より東北沿岸部(太平洋岸)の「温泉と観光」を巡ります。
下風呂温泉の大湯


大湯の湯船



先ずは本州北の果ての温泉「下風呂温泉」から・・、

大間に到着した頃には、すっかり闇に包まれていた。 これからの目的地は評判の「下風呂温泉」である。

本州最北端の村・風間浦の海道沿いである国道279号を行く。 
暫くすると、いささか眩しいくらいのネオンの歓迎灯が光っている。 
路地へ入ると田舎の小さな温泉街の風情があった。


共同浴場は二軒大湯と新湯があるようだが、その「大湯」へ向かった。 300円の銭湯を払ってイザ湯船へ。
硫黄の香りがプンプンする、お湯は緑白色、身体にジンワリと効きそうだ。
湯船と床は総ヒバ・・?(この地から内陸部に、明日向かう予定の薬研地区はヒバの原生林で有名)造りで感触が実に気持ちが良い。 

洗い場で若い衆と御老体が盛んに会話を交わしていたが本場の津軽弁であろう、東北出身(いわき)の小生でもチンプンカンプンである。

湯上りに何とはなしに、おしゃべり好きそうな番台の女将が『この大湯はNHKで放送している、「ふだんぎの温泉」で、第一回目に放送された記念の湯だよ、この前も民放TV局が来て色々撮って行ったよ・・、』と津軽弁で話してくれる。 
小生も何度か、この放送は見ている。 
吉 幾三のテーマ曲にのって地域密着、全国各地の情緒たっぷりの温泉を紹介しているのである。



下風呂温泉は下北半島の「まさかり形」の北側にあり、津軽海峡に面している。
対岸は北海道の函館と恵山で、特に恵山を眺めるには絶好の場所でもある。 

井上靖は昭和33年、この温泉地で小説「海峡」を執筆し、作品の舞台にもなっていて、当地・長谷旅館はその「海峡」の宿として知られる。
また、水上勉「飢餓海峡」の舞台にもなり、この作品は映画化もされている。



それにしても温泉場の名称が『風呂』と付くのが面白い。
下風呂」が在るのだから上風呂という名も在りそうだが、そうではないらしい。
温泉名は、この地域のことをアイヌ語で岩(シュマ)臭い(フラ)が語源とされ、「シュマフラ」と言っていたことに由来するという。

尤も、風呂そのものの語源が、「窟」(いわや)や「岩室」(いわむろ)の意味を持つ室(むろ)が転じたという説があるという。
又、抹茶を点てる際に使う釜の「風炉」から転じたという説もあるが。



序ながら「風呂」について・・、  

昔の人の「風呂」という概念は釜に湯を沸かし、その蒸気を浴槽内に送り込み、熱い水蒸気により身体の垢を浮き上がらせてから、ぬるま湯や冷水で身体を洗うといったもので、現在に言う、蒸し風呂・サウナのようなもだった。 

江戸期初期の頃に「戸棚風呂」といって下半身を湯に浸し、上半身を蒸気で蒸すという。 お風呂と湯浴をミックスした仕組みになっていたらしい、云わば、半身浴のようなものだったという。 
現代のような、全身を湯が満たされた浴槽に入るようになったのは江戸期以降といわれて、その頃江戸に湯屋が開業し、風俗絵にもなっている。


下風呂温泉は室町時代からの歴史をもつといわれ、室町期の地図にも「湯本」との記載がされているという。
江戸初期の1656年には、南部藩藩主・南部重信が入湯しているとも云われる。


近世はニシン漁師の湯治場として栄え、現在はイカ漁の行われる漁港として温泉街が成立している。
温泉は、大畑と大間の中間あたりの海岸にあり、温泉ホテル、宿、民宿が立ち並んでいるが鄙びた温泉場という印象で、チョットした温泉街という雰囲気では本州最北端であろう。 

泉質は、含塩化土類硫化水素泉と、今で言う硫黄泉であろう室町時代から刀傷や槍傷に薬効のある湯治場として知られたらしい。 


街には二つの共同浴場があり、「大湯」は硫黄分の多い白濁した高温の湯、通称男湯、そして「新湯」は幾分柔らかめで食塩が多く透明の湯らしい。 
切り傷、打撲傷、神経痛、婦人病、皮膚病などに効能がるといい、源泉は66度であると。

湯上りに、地元の寿司屋で生ビールと地元特産の海鮮丼をいただき、大満足であった。 

夜もトップリと更けてきて、今夜は大畑漁港の海辺で、マイカー宿とする。


次回は下北・「薬研温泉



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日本周遊紀行;温泉と観光(18)佐呂間 「サロマ湖」

2010年04月17日 10時01分18秒 | 東日本の「温泉と観光」
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日本周遊紀行;温泉と観光(18)佐呂間 「サロマ湖」 




佐呂間・「サロマ湖」のワッカ原生花園



サロマ湖畔の「ワッカ原生花園」は竜宮城への入口・・?、
広大なサロマ湖へ来た。 昨年秋、上さん(妻)と道東旅行の時この地まで訪れたのが記憶に新しい。

広大なサロマ湖の展望地・展望台は各地にあるが、湖全体を見渡すにはピラオロ台の近くの標高376mの幌岩山がベストである。 
ただ、「道の駅・サロマ湖」はサロマ湖周遊の休憩地として適しているが、湖岸に在りながら林の陰で湖面が見渡せないのは残念である。

サロマ湖は、成立から言えば「海跡湖」で、オホーツク沿岸の砂丘とその発達によってできた湖の一つで、静岡の浜名湖、島根の宍道湖など我が国では七つの湖があるといわれ、その内の一つである。 
湖の性質から言えば「汽水湖」(海水と淡水が入り混じっていること)で、面積は約152km2 琵琶湖、霞ヶ浦、に次いで、日本で三番目に大きい湖で網走国定公園に含まれる。 

湖は東西に長い、海と湖を仕切る砂洲は長さ25kmにも及び、貴重な植物の宝庫である原生花園となっている。 
湖岸各地に景勝地があるが、特に南東側常呂町の栄浦地区にはワッカ原生花園などの名所もあり、湖に落ちる夕日の美しいことで知られる。 
流入河川は十種以上も数え、またサロマ湖への海水の流入は多く、湖水の塩分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り込むようになった。湖は、ホタテや牡蠣の養殖が盛んであり、漁業法上は「海面」に指定されているという。

海面(かいめん)とは、一般には海の水面、海水面のことで、あたりまえであるが、主に漁業関連法令で用いられる用語としては、次の湖については漁業法で海面として指定されている。 
琵琶湖、霞ヶ浦北浦、浜名湖、加茂湖、サロマ湖、風蓮湖、厚岸湖等々・・、

 

国道238が常呂町に入ったあたりで、サロマ湖西岸から栄浦方面へ目指してみた。
途中、展望休憩地があった。
湖岸展望地としては真に雄大で、ここから眺める湖畔景観が随一ではないかと、と思わせる程の素敵な見晴らしである。 
塔型の看板があって、何故か「気温18.8度 北緯44度07分 東経143度58分」と記載してあった。 
本日は、平成16年9月28日午前の頃である。


栄浦大橋を渡って程なく「ワッカ原生花園ネイチャーセンター」へ着いた。
原生花園のセンターハウスで休憩所を兼ねた建物の中には、付近の自然や原生植物のパネルの展示をしている。 
自然保護のため自動車、バイクはセンターから先は入ることができないが、ワッカ原生花園を周る馬車や自転車のレンタルが有る、建物裏手より原生花園が広がっていた。

ここのワッカ原生花園は、日本最大級の原生花園であるという、ここからはサロマ湖と砂洲を挟み隔てて広がるオホーツク海も望まれる。 サロマ湖の砂州部分を「ワッカ半島」と云い、幅は広いところで700メートル、狭いところで200メートル程の帯状の土地が、凡そ20キロメートルにわたって続く。 
狭い所ながら、森林有り、草地有り、砂地有りと、その生態系は多採である。
ちなみに原生花園というのは便宜的な呼び方で、学術的には「海岸草原」と呼ぶのが正しいらしい。

厳しい自然環境下にある北国の臨海地域では、その悪環境に耐えられるような種類の植物しか育たない。 
それらによって形成されるのが海岸草原、すなわち原生花園というわけである。 
だから可憐に咲き誇るというよりは、もともと悪環境に強い種が、したたかに咲き誇っていると云えるのである、そのしたたかさも含めて、原生花園というのは魅力の一つになっいる。

しかもこの地に「真水」が湧き出ているところがあるらしい、それも砂州の中央に湧き出し、この水は、その名も「花の聖水・ワッカの水」と言われている。 
元々、ワッカ原生花園という名称はアイヌ語で「ワッカ・オ・イ」(水が・ある・ところ)、からついた名だという。 オホーツク海とサロマ湖に挟まれた細い砂洲に、1万年以上も前からこの地に真水は湧きだしている、サロマ湖の不思議に数えられてる。

原生花園の砂洲・ワッカ半島に「竜宮街道」という一本の道が走っている。
「浦島太郎伝説」から借用した名称か・・? どうかは不明だがロマンチックな名である。 「竜宮城」へ通ずるのに、この雰囲気は最適の場所、ルートかも知れない。 
しかしこの寒冷のオホーツク海にカメやタイ、ヒラメはいるのだろうか・・?。

ここからの夕景がまた素晴らしいという、今はまだ午前の中で陽は高いが、これが西に落ちる頃サロマ湖面全体が素晴らしい演出をして暮れるのであろう。 
ワッカ原生花園」は、この先、小清水町にある小清水原生花園と共に、オホーツク沿岸砂丘列に成立した代表的海岸草原として、両者併せて第1回目の北海道遺産に選定されている。

次回も佐呂間・「番外編」




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日本周遊;温泉と観光(16) 「宗谷岬」

2010年01月28日 10時14分34秒 | 東日本の「温泉と観光」
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写真:本土最北の地・「宗谷岬」のシンボルマーク(小生が訪れた時刻を指している)




日本周遊;温泉と観光(16) 「宗谷岬」


遂に、北の果てへ来た、そして稚内から宗谷岬に向かう。

途中、小さな「声間岬」の南に「大沼」がある。
北海道の南端、函館郊外にも「大沼」があるが、こちらは最北端の大沼である。

周辺は湿原地帯、秋になると、越冬地への中継点として、また春になるとシベリアへと帰る休息地として約5,000羽の白鳥(コハクチョウ)が飛来する。 
「白鳥おじさん」こと、吉田敬直氏による個人的な給餌活動によりコハクチョウが呼び寄せられ、日本でも有数の飛来地になったという。 
さらにはハクチョウのほかマガン、アオサギ、オオワシなど通年100種類以上の野鳥が観察でき、時期になると大沼はどこを見ても白鳥だらけ、野鳥だらけとなり、周辺にはミズバショウの群落も見られるという。


国道のすぐ横に「稚内空港」が広大に広がる。

こちらも日本最北のジェット化空港として、利尻及び礼文の離島生活路線、あるいは道北と札幌を結ぶ路線の基地として地域にとって重要な役割を果たしている。

丘陵高所には、お馴染みとなった風力発電の風車が並ぶ。 
最北の地は、風が強い町なのである。 冬は雪が降りだすと即、吹雪なってしまい、夏も風のせいで暑く感じないと。
調べてみると・・、この辺りは北海道の中で最も風の強い地方らしく、1年のうち毎秒10m以上の強い風が吹く日は何と130日にのぼるという。 

宗谷の地は、低層山脈のなだらかな丘陵性の地形で、ほかには遮るものが何もないことから強風が直接吹いてくる。 
その風を利用して稚内市はデンマーク製の風力発電を導入しているという。 

1基当たり1億4000万もするらしく、現在、17機稼動中という、金額は・・??。 この風力発電が、今問題になっている環境問題の一つの解決策になればと思うのだが・・?。



海面より少々高目を、「宗谷岬」を目指して進む・・、

岬先端に、鋭三角のモニュメントが天を指していて、見字盤には「日本最北端に地」と記されている。
三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしているという。

駐車場横の売店の出入り口も三角屋根を模ってあり、その正面には「宗谷岬・時刻13時25分・日本最北端・気温21.0℃・北緯45度31分14秒・日付平成16年9月27日」と記してあった。

岬には「間宮林蔵」の立像があり、そこから樺太(現実はサハリン)は微かに遠望できた。距離にして43kmは決して遠くない距離であるが、しかし今は遠い・・?。 




その間宮林蔵が、樺太が大陸でなく島である事を発見するのは1800年初の事であった。

江戸後期、ロシア軍艦が蝦夷北方にしばしば現れるようになり、合わせて事件を頻繁に起こすようになる。 その為幕府は、北方警備のため宗谷に守備要員を派遣し、その中に松田伝十郎がいた。 
更に幕府は、伝十郎と間宮林蔵に樺太の調査を命じている。又、当時1800年前後にヨーロッパで「サハリンが島であるのか、半島であるのか」の論争が起こっていて、それらに決着を図るべく幕府天文方は松田と間宮をサハリンに派遣し、探検させたとも云われる。

林蔵は幼少より数理にあかるく、日本地図の親・「伊能忠敬」の門人になる。 
忠敬は上総(かずさ・千葉県)、間宮林蔵は下総(しもふさ・茨城県)の出身でいわばお隣同士であった。 

忠敬は、林蔵のことを「非常の人」と世間に告げていた。 
林蔵は、その後北方・千島等を測量するため、伝十郎とともに小船でサハリンの最南端シラヌシに上陸する。 

両人は東西に分かれて、林蔵は東より北上し、海上あるいは陸上より調査を行なっている。 林蔵は一旦帰国するが、直ぐまた二度目の調査に出かけている。


1808年、西海岸を探検した松田は、海峡最狭部に達し、ここが海峡であることを確認し、間宮も松田に合流して、同様に海峡を確認した。
併せて翌1809年、間宮は、現地人の船で海峡を越えて大陸に渡り、この地域の詳細な調査を行いながら、そのまま大陸に渡り黒竜江を上って満州(中国東北部)にまで達している。 


日本では、大陸と樺太の海峡を「間宮海峡」と呼んでいるが、一般には「タタール海峡」(韃靼海峡)と称しているようである。 
又、海峡の最短部は距離で7km程度であり、そこを間宮海峡と呼ぶ場合もあるようだ。

明治8年、条約により樺太全島はロソア領になり、千島全島は日本領になった。 
その後、日露戦争で樺太南部は日本領に成ったが、太平洋戦争の敗戦で全てを失った恰好になっている。



岬の右側に「宗谷岬」の歌碑が有り、そこから絶えず曲歌が流れていた。



『宗谷岬』  歌:千葉紘子

流氷融けて 春風吹いて
ハマナス咲いて カモメも啼いて
遥か沖ゆく 外国船の
煙も嬉し 宗谷の岬
流氷融けて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬


幸せ求め 最果ての地に
それぞれ人は 明日(アシタ)を祈る
波もピリカの 子守のように
想い出残る 宗谷の岬
流氷融けて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬



海道沿いに「最北・・」と謳った看板の商店や民宿が目立った。

この旅の現時点までは、「北上」と名打ったが、これから先は「南下」である。 何故「北上」で、「南下」と称するのは定かでないが、きっと地球の緯度の関係かも知れない・・?。

因みに、日本海側は夕陽・日の入り・日没なのに対して、コレからのオホーツク海・太平洋は旭日・日の出・日昇等となる。
北海道は知らないが、一時期本州では裏日本、表日本などと称していた。 小生はこの呼名は余り好きではないが、最近では「裏日本」という呼称は差別的用語に当たるとかで、使われてないようだが・・?。


「日本周遊紀行」の内、宗谷岬からはオホーツク海、太平洋岸を南下することのなる。
次回からも御期待下さい。

稚内の関連リンク
「宗谷岬」
稚内 「野寒布岬」
稚内 「九人の乙女の碑」
稚内 「氷雪の門」



次回からは、「猿払」




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日本周遊;温泉と観光(15) 「サロベツ原野」

2010年01月27日 10時19分27秒 | 東日本の「温泉と観光」

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サロベツ原野
北海道最北の地・「サロベツ原野」と原野に立つ森繁久弥氏の句碑




日本周遊;温泉と観光(15) 「サロベツ原野」


 
天塩町から道道106号線に入ると、しばらくは日本海へ注ぐ天塩川の左岸を走り、日本海とは微妙に距離を置いたところを北上する。

天塩川は、日本海と並行しながら延々と南下するように流れていて、そして天塩町の北端でやっと日本海へ流れ込むのである。 
この河は北方の幌延町辺りで日本海へ向っているのだが、直前まで来て砂丘に阻まれ、今度は海岸線沿いを 凡そ10km も南下するためである。

その天塩川が南下しているところを、道道106号線が並行して北上しているのである。 
北海道・北端の地へ至る最後の道であり、道としての最後の導(しるべ)でもある。
5km ほど北上したところで道は左へカーブし、天塩川を渡る。 
満々と水を湛えた川は全くの自然のままで、いかにも大自然の北海道をイメージさせるのに充分である。

天塩川と日本海を分け隔てている浜砂丘へと「天塩河口大橋」を渡る、ここからは左手には「利尻富士」が見え隠れしている。 
ひたすら日本海沿いを北上することになるが、道道106号線の第一幕は、天塩川を渡って浜砂丘へ出ると遠くに見えてくる有名な風車である。 

風車


色々なCMや広告写真などで使われているらしいが、日本とは思えない雄大な風景の中に溶け込むように在るのが風車の列である。 
又、ここが道道と天塩川とが並行してきた最後の地点でもあり、離れる場所でもあるのだが。
風車の数は 29基あまりあって、横一列に日本海に向けて立っている。
東北の北部地方あたりから、あちこち風車のある景色は拝見しているが、ここほど圧倒的な風車の景色はなかったように思う。 
このあたりは見る目にも風が強い地域であることが想像でき、環境に優しい自然エネルギーは北海道の風景にもぴったりである。



その風車の列を過ぎると、いよいよ「サロベツ原野」へ入る。
原野は、余りにも広大な為か南側を下サロベツ原野、北側を上サロベツ原野と称しているらしい。
道は、北への真っ直ぐな道が淡々と進む、本当に「ひたすら」という言葉が似合うほどに続く。 しかも、対向車には殆ど会うこともなく、どこまで続くのだろう、と思うくらいに続く。

左右は、サロベツ原野とは言うけれど、ウネリのような低い丘陵地が続いているようであり、時節柄、枯れた色合いが、その寂寥感に輪をかける。 
しかしながら道路は全くの平坦で、直線が無限の彼方まで延びて姿を消しているのである。


周囲は丘陵地から次第に原野らしく平原の様相になってきて、左に時折、真っ青な北の海が見渡せる。 
地図を見ると道路はいかにも海岸、波打ち際を走っているように思われるが、実は7~80m陸側に位置していて、その間は同様に原野になっているのである。 
草原の所謂、枯れ草文様の中に緑の縞模様が見られ、次第に原生花園・原生湿原と言われる様態に変化してきているようだ。


「サロベツ原生花園」と青海に幽かに浮かぶ山・「利尻岳」の三角錐の姿を眺めながらの快適なドライブウェイは続く。 
定規を当てた様な真っ直ぐに延びた一本の道、思わず踏むアクセルに力が入るが、スピードに乗って通り過ぎてしまうにはにはもったいない程の景観が連続している。

「利尻・礼文・サロベツ国立公園」の広く爽やかな風景を存分に味わいたい・・!!。 
北海道の北の果ての短い夏はすでに終わり、すでに晩秋の気配が漂よい、緑の湿原は褐色の大地に変わっていたが、しかし青い海、澄んだ空は変わることがない。


間もなくサロベツ原生花園の浜勇知園地の見晴休憩地に来た。 

道道:稚内天塩線の唯一のパーキングであり、ここで一息入れ、散策を楽しむ。
「こうほねの家」という木造の洒落た休憩施設があった。 屋上からは、日本海にそびえ立つ利尻富士が見られ、美しい夕日も見られる絶好のビューポイントでもある。

「こうほね」という妙な名であるが・・?、
小屋の裏に広がる池塘に浮かぶ水生植物の名前のことで、その名をこうほね・河骨と称する。 睡蓮(すいれん)科の一種で、可憐な黄色い花を付ける。 
川などに生え、水中にある根茎が白くゴツゴツして骨のように見えるので河骨と称しているようである。
河骨の根茎は「川骨(せんこつ)」の名で漢方薬としてよく用いられ、二つ割りにして干して、止血剤や浄血剤、強壮剤として使われるという。



処々に僅かに真赤なハマナスの花が咲き、移り行く季節を惜しんでいる様である。 
「 ハマナスの花の色は北へ来るほど赤味が増す 」といわれる。


森繁久弥氏も映画ロケで訪れたようで、園地に歌碑が刻んであるった。

『 浜茄子の 咲きみだれたる サロベツの
            砂丘の涯の 海に立つ富士
 』


「富士」とは、無論、利尻富士のことである。


ここサロベツ原野は北緯45度丁度で北半球の緯度ではど真ん中にあたるらしい。 
又、この地は大陸風景・満州平原(中国東北部で旧日本の支配地)に相似していることから、「人間の条件」、「戦争と人間」、「不毛地帯」等の映画の撮影の舞台にもなったとか。 

森繁久弥は、この原野でどのような題材の映画をロケしたのか定かでない。 
もしかしたら、映画のロケではなく周遊に来ていたのかもしれない。
いずれにしても、このサロベツ原野の美観溢れる絶景の地に到って肝を奪われ、思わず一句ひねったのかもしれない。

サロベツ原野、特にここの湿原地帯は日本低地における代表的な湿原といわれ、高層湿原から中間湿原へ移行するといわれる植物が多く咲き誇り、モウセンゴケ、ショジョウバカマ、ツルコケモモなどの花々が、季節を華やかに咲き競うという。  
そこに広がる日本最北の湿原には、寒冷地植物群が100種類以上も植生しているといわれる。


気がつくと道標に「稚内26km」とあった。
北端の地の稚内や宗谷岬へはあと一息である。


次回は、 北端の最終章「宗谷岬




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日本周遊;温泉と観光(14) 「雄冬岬と神居岩温泉」

2010年01月26日 10時07分18秒 | 東日本の「温泉と観光」
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北海道最西端の「ダイヤモンド道路」と称される「雄冬岬」とパーキングエリア




日本周遊;温泉と観光(14) 「雄冬岬と神居岩温泉」


北海道の最西端の地・「雄冬岬」・・、


札幌から日本海側の海岸沿いを留萌まで走る国道231号は、難関だった「雄冬岬」の部分が開通してから留萌方面へは相当近道になったらしい。

石狩街道をまっすぐ北上し、その後20数kmは海岸沿いを走ることになり、厚田までは比較的平坦な海岸線であるが、その後は切り立った崖っぷちのような部分でトンネルもも多く、深い山の中を走る様である。この道路を別名「ダイヤモンド道路」とも呼ばれるという。

平成の始め頃、「雄冬岬」(おふゆみさき)にトンネルが開通するまで、長い間「幻の国道」と呼ばれていた。 
この切り立った断崖部分の道路建設は大変な難工事で、十勝の広尾から襟裳岬間の「黄金道路」より工事費がかかったので、ダイヤモンドという名前が付いたという。 

この西端の岬を「雄冬岬」(おふゆみさき)というが、この地域一帯は厳しい断崖絶壁の中に位置しており、「北海道三大秘岬」の一つとされていた。 因みに後の二つは室蘭市の「地球岬」、根室市の「落石岬」である。 



秘岬といわれるだけあり、岬からの眺望は日本海の雄大さと周辺の荒寂ぶりがかなり印象的である。
岬の最寄の雄冬集落(所在地は増毛郡増毛町)は、往時は、札幌側からの往来が不可能で、増毛側からもかっては冬季通行不能であった。 

ここへの交通は事実上一日一往復された増毛~雄冬間の定期航路しか実質的な交通手段がなく、且つ、この定期航路も時化での休航が珍しくなかった。
そのため雄冬集落は長い間「陸の孤島」と呼ばれ北海道を代表する秘境の一つであった。 


国道231号線の浜益から雄冬の国道が開通し、全通の悲願が適ったのが1981年(昭和56年)11月10日のことで、これで「陸の孤島」から解放された。 
しかし、直後の1ヶ月もしないうち国道上の雄冬岬トンネルで大規模な崩落事故が発生し、国道は通行不能となり、雄冬集落は再び「陸の孤島」へ逆戻りする悲劇に見舞われたのである。
復旧工事が完了し雄冬岬トンネルの再度の開通したのは、2年半後であった。だが、「陸の孤島」から雄冬は解放されたとはいえ、冬季間の度々の通行止めは依然続いているという。



現在、雄冬岬は展望台・岩石公園などが整備され、又、急峻な崖から海岸線に滑り落ちるように「銀鱗の滝・白銀の滝」が流れていて、北海道を代表する観光スポットに変わりつつあるようである。

この辺りの陸地、というより山域は増毛山地と言われ、その主峰・暑寒別岳の最高峰を(標高1,491m)中心に南暑寒岳(1,296m)・郡別岳(1,376m)・浜益岳(1,258m)・雄冬山(1,198m)・天狗岳(973m)と千m級の山並みが連なり、日本海に傾(なだ)れている地域なのである。



この山塊の北側を水源とする「暑寒別川」の急流が日本海に注いでいる。

暑寒別川の秋、ここまで来ると、山域の薄暗い雰囲気から海水浴場もある開けた長閑な地域になり、増毛の町並みも望まれる。 
その河口から150m程のところに暑寒別橋があり、下をのぞくと巨大な黒いものが蠢いている、良く観ると魚の姿が所狭しと群がって川上を目指しているのである、サケだ・・!、

放流されたサケたちがはるかな旅を終えて、故郷の川をめざして帰ってきているのである。
ここで「鮭の遡上」を間近に観なくてはと、堰まで行くとパシャパシャと水面をたたきなから、秋サケの群が上がってくる。 



60~80cm、いや、1mもあろうかと思える黒みががかった銀色の体が目の前で跳ねる迫力に、思わず後ずさりした。 
堰を上るのに流れ来る水流に押し戻されては、また挑戦するサケの奮闘ぶりに思わず喝采し頑張れ・・!、と拍手を送られずにはいられない。 

川面を埋め尽くし、背びれを立てて遡上し、時おり豪快なジャンプを見せる光景に暫し見惚れ感動する。
その姿は自然界の神秘と生命の尊厳を教えてくれるのである。  

サケは増毛にとって、かってのニシンにかわる貴重な資源だという。
この川で生まれたサケは3年、4年後に帰ってきて、生命のドラマを演じていると。

当河川は北海道でも有数らしく、ものすごい数の秋サケの遡上中はラジオでも報じていたようである。
因みに増毛町の漁獲の統計を見ると、全漁獲のサケの割合は最盛期の半数ちかくになっているようだ。



一時を楽しんだ後、増毛の町を横切って再び海岸に出ると、やがて留萌市に入った。

「市」だけあってやはり大きいタウンである。 
夕暮れが迫ってきたので、G・Sに寄りながら温泉地を尋ねる、市郊外に「神居岩温泉」というのがあるらしい。

夕刻の時間帯で本来なら人々が活発に往来し、夕餉の支度に忙しい頃合いのはずだが・・??、何故か町並みは閑散としていた。 
それが、何故か心に引っ掛かったのである。


神居岩温泉」は、留萌市街地から留萌川を渡り運動公園の手前、チョイト山に入ったところに在った。一軒宿の鄙びた温泉ホテル兼日帰り温泉施設であり、神居岩は「カムイワ」と読むらしい。 

早速ながら、浴室に入った瞬間すごい臭いがした。 
漢方皇源薬湯風呂とやや長ったらしい名の浴槽で、ここから薬湯臭を発しているようだ。 一方、冷鉱泉の沸かし湯もあり大浴槽に使用しているらしい。 
二種類の泉質があり、どちらかというと薬湯風呂がウリのようである。 
温泉は濃密な泉質を期待したが、浴感はあまり感じられずサッパリしたもんであった。泉質は、単純硫黄冷鉱泉とナトリウム-塩化物泉で、昔アイヌの人々が病気や傷を癒したとも言われており、現在も、このお湯目当の湯治客が多いとか。

同じ館内には広―い和室の無料休憩所が在ったことは嬉しかった。 
食堂兼休憩室で、食事をしながら今日一日のまとめを行う。休憩室の大型スクリーンが大相撲を放映していて、小生もファンである大関「魁皇」が優勝したことを報じていた。 

そう、今日は日曜日だったのである。



次回は、 「サロベツ原野」



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