もう梅雨も明けようかとしている7月の半ばですが、まだまだ駅とかではリクルートスーツの学生を見かけます。これが不況の煽りなのかなーなどと思うわけですが。
最近就活やってる人がいるということは最近になって内定をもらえたなんて人もいるでしょう。
中には、もう内定はあるけど、まだ就活やってるんだーなんて人もいます。そんな人が、希望する会社にやっとこさ内定をもらえた、とします。その人はそんなとき、
『途中でもらった内定に「甘んじて」就活やめなくてよかった』
…と思うでしょう。
というかこれは実際私が目にした人の実際の意見だったりするんですが。
そんな人のそんな意見、そんな就活の取組み方について、ちょっと考えたことがいろいろあるので書いていきたいと思います。
もちろん、その人を批判したりする気は毛頭ないですよ。twitterにもつぶやいたんだけど、就活ひとつとっても考え方・価値観は人それぞれだよなぁと思ったという話なので。
では以下私の就活に対しての価値観を書いていきます。
「内定もらって就活をやめた」私は、「甘んじた」のか?
ただ、やめたって言われると、ちょっと待ってって反論したい気持ちもある。2つだけ残ってた酒類業界の会社は選考受けてたし(すぐ落ちてすぐ就活終わったけど)。
ただ実際その人は自分の希望のために(行きたい業界なのか入りたい企業なのかやりたい仕事なのかまではわからない)秋採用にも挑戦するそうです。
私が行きたいなと思ってたような企業のなかには秋採用するとこもあるだろう。けどだからって私はそれを受けようとは一切思わない。もう終わっている「就活」をするつもりはありません。
だから私が内定もらった時とった行為が「就活やめた」ではなくても、その人とはまったく違うスタンスで就活してたことは明確ですよね。
その人の、自分の希望・理想を最後まで追い求める姿勢は私にはないものであって、憧れるし尊敬します。本当に。尊敬というかうらやましいっていうのが正しいのかもしれない。
大学受験くらいからそうだと気づきはじめたんだけど、夢ややりたいことがない私は、そういうのを持ってる人がすごく雲の上の存在に見えるわけ。そういうの(やりたいことをみつけること)ってがんばってどうにかなるものじゃないからね。
それが100%純粋な羨望なのかはわからないけど…。嫉妬とかすこし混ざってそうだし。
で、もとの就活の話にもどりますが、その人は最近もらった第一志望の企業以外にも内定はもらってたみたい。けど第一志望の企業に入るために就活をしてきて、いま第一志望と言える企業に内定がもらえたから秋まではいったん就活をやめるよ、という話らしいです。
その人の、あくまで理想を追い求めるという考え方からしたら、わたしの就活は「甘んじて」るだろうし「がんばった」とも言えないレベルだと思う。
ただ、あえてその人のそういう考え方に私なりに反論するならば、
その考え方って、すごくひとりよがりなんじゃないの
っていうことです。どういうことかって言うと、その人が第一志望じゃないけど内定もらってた会社っていうのがあるわけじゃないですか。その会社が第一志望で、入りたくて入りたくて仕方なかった人も絶対いたと思うの。
けど、「第一志望じゃないから内定もらっても就活続けてる」ようなスタンスの人が間違って(?)内定をもらってしまったばっかりに、第一志望の人が一人お祈りされたかもしれないわけでしょ。
その人は今まで就活続けてたくらいなんだから、お祈りされる、ましてや第一志望の企業にお祈りされるということの辛さは十分わかってるだろうと思うのに、他の人のそんな事情はおかまいなし。
とりあえず自分がお祈りされるのがつらい、就活しんどい、みんなもう終わってるのに自分はまだやってる、第一志望にやっと内定が出てうれしい、けどさらなる第一志望のためにまだ就活やる。
私から見たらそれってすごく一人よがりで自分勝手に見えるんだよねぇ。
だってもし秋採用でまた新たに内定もらったらその「第一志望」の企業の内定もお断りするわけでしょ。その頃はもう、その企業を第一志望とする人たちのなかから内定を勝ちとったこと(つまり第一志望だった人はほかにもいて、そのなかに祈られてる人がいること)も忘れてるんだよね。自分の理想しか見てないから。忘れてるってか、見ないようにしてんのかもしれないけど。
ってかいま内定をもらってる企業に秋まで待ってもらえるのか疑問だけど。その辺はうまく(?)嘘をつくんでしょうね。行かないかもしれないのに行きますと言って懇親会とかにも出ておくみたいな。けど最終的には裏切る。
そうなってくるともう自分の理想のためなら何してもいい、みたいな状態ですよ。就活をやりすぎて感覚麻痺してるんじゃないかと思う。就活って理不尽なことの連続だし。
「私を落とす企業側」に理不尽なことされてるから、といって、「私を落とした企業」ではない企業に理不尽返ししていい、というわけはないです。
つまり、
そこまで理想を追い求めるなら第一志望の企業しか受けなきゃいいじゃん。
とか思うわけです。
優先順位があるのはもちろんわかるけど。そして第一志望しか受けないような人間はほぼ100%いないこともわかってるけど。
企業側の肩をもつわけではないけど、企業の人事は会社から「今年は○人採用するように」と言われて、きちんとその数の人間を入社までもっていかなければいけない。
だから志望動機とか他企業の選考状況とか志望度とか聞いて、こいつは本当に内定出したらうちに来るのか、ってことをしっかり確かめるわけです。内定を断る時期が遅ければ遅いほど会社の損失にもなりますからね。だから、内定を出すので就活をやめてください、なんて言う企業もいるくらいだし。
自分の理想、希望が強いのはすばらしいことですよ、ただそれしか見えてないのはどうなんだろうね。という。
大体、秋採用に挑戦して内定が出なかったらどうするんだろう。どうするって、まあ今内定をもらってる会社に行くんだろうと思うけどさ。
他の「もっと行きたい」会社に挑戦した以上、その内定もらってた会社って、もう「第一志望」ではなくなってるわけじゃないですか。(そもそも「まだ挑戦する」つもりがあるのに「第一志望」の企業がどうの、ってのが私にはよくわからないけどね。よくある「第一志望群」とかいうやつか?)
これだけ自分の希望・理想=「第一志望」にこだわってきたのに、最終的には「第一志望でない」会社に行くわけでしょ。
もちろん「最初から第一志望じゃなかった会社」と「一時的ではあるけど第一志望だった会社」では雲泥の差があるんだろうけどね、その人的には。
けどそれなら「最初から第一志望じゃなかった会社」なんてなんで受けたのか、まったく私には理解できない。そこんとこ決定的に矛盾してると思う。
面接のトライアル(練習)のため、とかなら納得するよ。さっき言った、第一志望しか受けないって人がほとんどいない理由はこれだと思う。けどトライアルなら内定までもらうのはおかしい。最終までだかどこまでだか知らないけど、途中までで辞退するべき。そうじゃなきゃ筋通らないと思います。
行きたくもない会社の内定をキープしておきながら「わたしあきらめなくてよかった!!!!!!!」ってさ、うれしくてうかれてる気持ちもわかるけど、その最初に内定出した会社に申し訳ないとか、罪悪感とか感じたりしないんだろうかね。そういう感情があるならまだましなのかもしれないけど。
だから、(あくまでも)私の結論としては、
「ひとつ内定をもらって就活をやめた人」が、「たくさんの企業を受けて、いくつか内定をもらって、それでも長い間就活を続けた」人よりも劣ってる、ってことは言えない。
「ひとつ内定をもらって就活をやめ」ることは、べつに甘えでもなんでもない。
ということです。
人それぞれの考え方・価値観があるので、「いやオレはまだまだ上を目指すぜ」って人がいるのもわかります。というかそういう人は世間に必要ですよね。だから否定しているわけではないんです。
ちょっと批判めいた口調になってる部分もありますが、それは私と正反対の価値観をもっている以上、仕方ないことです。
というわけで。わたしがああいう(?)就活をした根拠がお分かりいただけたかと思います。
また今度、就活について書いた記事のカテゴリをまとめて見やすくしたいなとおもいます。
今日は女子高生に10分おきに電話をかけ続ける仕事をしながらだらだら日記を書いていました。まだ終わりません。笑
最近就活やってる人がいるということは最近になって内定をもらえたなんて人もいるでしょう。
中には、もう内定はあるけど、まだ就活やってるんだーなんて人もいます。そんな人が、希望する会社にやっとこさ内定をもらえた、とします。その人はそんなとき、
『途中でもらった内定に「甘んじて」就活やめなくてよかった』
…と思うでしょう。
というかこれは実際私が目にした人の実際の意見だったりするんですが。
そんな人のそんな意見、そんな就活の取組み方について、ちょっと考えたことがいろいろあるので書いていきたいと思います。
もちろん、その人を批判したりする気は毛頭ないですよ。twitterにもつぶやいたんだけど、就活ひとつとっても考え方・価値観は人それぞれだよなぁと思ったという話なので。
では以下私の就活に対しての価値観を書いていきます。
「内定もらって就活をやめた」私は、「甘んじた」のか?
ただ、やめたって言われると、ちょっと待ってって反論したい気持ちもある。2つだけ残ってた酒類業界の会社は選考受けてたし(すぐ落ちてすぐ就活終わったけど)。
ただ実際その人は自分の希望のために(行きたい業界なのか入りたい企業なのかやりたい仕事なのかまではわからない)秋採用にも挑戦するそうです。
私が行きたいなと思ってたような企業のなかには秋採用するとこもあるだろう。けどだからって私はそれを受けようとは一切思わない。もう終わっている「就活」をするつもりはありません。
だから私が内定もらった時とった行為が「就活やめた」ではなくても、その人とはまったく違うスタンスで就活してたことは明確ですよね。
その人の、自分の希望・理想を最後まで追い求める姿勢は私にはないものであって、憧れるし尊敬します。本当に。尊敬というかうらやましいっていうのが正しいのかもしれない。
大学受験くらいからそうだと気づきはじめたんだけど、夢ややりたいことがない私は、そういうのを持ってる人がすごく雲の上の存在に見えるわけ。そういうの(やりたいことをみつけること)ってがんばってどうにかなるものじゃないからね。
それが100%純粋な羨望なのかはわからないけど…。嫉妬とかすこし混ざってそうだし。
で、もとの就活の話にもどりますが、その人は最近もらった第一志望の企業以外にも内定はもらってたみたい。けど第一志望の企業に入るために就活をしてきて、いま第一志望と言える企業に内定がもらえたから秋まではいったん就活をやめるよ、という話らしいです。
その人の、あくまで理想を追い求めるという考え方からしたら、わたしの就活は「甘んじて」るだろうし「がんばった」とも言えないレベルだと思う。
ただ、あえてその人のそういう考え方に私なりに反論するならば、
その考え方って、すごくひとりよがりなんじゃないの
っていうことです。どういうことかって言うと、その人が第一志望じゃないけど内定もらってた会社っていうのがあるわけじゃないですか。その会社が第一志望で、入りたくて入りたくて仕方なかった人も絶対いたと思うの。
けど、「第一志望じゃないから内定もらっても就活続けてる」ようなスタンスの人が間違って(?)内定をもらってしまったばっかりに、第一志望の人が一人お祈りされたかもしれないわけでしょ。
その人は今まで就活続けてたくらいなんだから、お祈りされる、ましてや第一志望の企業にお祈りされるということの辛さは十分わかってるだろうと思うのに、他の人のそんな事情はおかまいなし。
とりあえず自分がお祈りされるのがつらい、就活しんどい、みんなもう終わってるのに自分はまだやってる、第一志望にやっと内定が出てうれしい、けどさらなる第一志望のためにまだ就活やる。
私から見たらそれってすごく一人よがりで自分勝手に見えるんだよねぇ。
だってもし秋採用でまた新たに内定もらったらその「第一志望」の企業の内定もお断りするわけでしょ。その頃はもう、その企業を第一志望とする人たちのなかから内定を勝ちとったこと(つまり第一志望だった人はほかにもいて、そのなかに祈られてる人がいること)も忘れてるんだよね。自分の理想しか見てないから。忘れてるってか、見ないようにしてんのかもしれないけど。
ってかいま内定をもらってる企業に秋まで待ってもらえるのか疑問だけど。その辺はうまく(?)嘘をつくんでしょうね。行かないかもしれないのに行きますと言って懇親会とかにも出ておくみたいな。けど最終的には裏切る。
そうなってくるともう自分の理想のためなら何してもいい、みたいな状態ですよ。就活をやりすぎて感覚麻痺してるんじゃないかと思う。就活って理不尽なことの連続だし。
「私を落とす企業側」に理不尽なことされてるから、といって、「私を落とした企業」ではない企業に理不尽返ししていい、というわけはないです。
つまり、
そこまで理想を追い求めるなら第一志望の企業しか受けなきゃいいじゃん。
とか思うわけです。
優先順位があるのはもちろんわかるけど。そして第一志望しか受けないような人間はほぼ100%いないこともわかってるけど。
企業側の肩をもつわけではないけど、企業の人事は会社から「今年は○人採用するように」と言われて、きちんとその数の人間を入社までもっていかなければいけない。
だから志望動機とか他企業の選考状況とか志望度とか聞いて、こいつは本当に内定出したらうちに来るのか、ってことをしっかり確かめるわけです。内定を断る時期が遅ければ遅いほど会社の損失にもなりますからね。だから、内定を出すので就活をやめてください、なんて言う企業もいるくらいだし。
自分の理想、希望が強いのはすばらしいことですよ、ただそれしか見えてないのはどうなんだろうね。という。
大体、秋採用に挑戦して内定が出なかったらどうするんだろう。どうするって、まあ今内定をもらってる会社に行くんだろうと思うけどさ。
他の「もっと行きたい」会社に挑戦した以上、その内定もらってた会社って、もう「第一志望」ではなくなってるわけじゃないですか。(そもそも「まだ挑戦する」つもりがあるのに「第一志望」の企業がどうの、ってのが私にはよくわからないけどね。よくある「第一志望群」とかいうやつか?)
これだけ自分の希望・理想=「第一志望」にこだわってきたのに、最終的には「第一志望でない」会社に行くわけでしょ。
もちろん「最初から第一志望じゃなかった会社」と「一時的ではあるけど第一志望だった会社」では雲泥の差があるんだろうけどね、その人的には。
けどそれなら「最初から第一志望じゃなかった会社」なんてなんで受けたのか、まったく私には理解できない。そこんとこ決定的に矛盾してると思う。
面接のトライアル(練習)のため、とかなら納得するよ。さっき言った、第一志望しか受けないって人がほとんどいない理由はこれだと思う。けどトライアルなら内定までもらうのはおかしい。最終までだかどこまでだか知らないけど、途中までで辞退するべき。そうじゃなきゃ筋通らないと思います。
行きたくもない会社の内定をキープしておきながら「わたしあきらめなくてよかった!!!!!!!」ってさ、うれしくてうかれてる気持ちもわかるけど、その最初に内定出した会社に申し訳ないとか、罪悪感とか感じたりしないんだろうかね。そういう感情があるならまだましなのかもしれないけど。
だから、(あくまでも)私の結論としては、
「ひとつ内定をもらって就活をやめた人」が、「たくさんの企業を受けて、いくつか内定をもらって、それでも長い間就活を続けた」人よりも劣ってる、ってことは言えない。
「ひとつ内定をもらって就活をやめ」ることは、べつに甘えでもなんでもない。
ということです。
人それぞれの考え方・価値観があるので、「いやオレはまだまだ上を目指すぜ」って人がいるのもわかります。というかそういう人は世間に必要ですよね。だから否定しているわけではないんです。
ちょっと批判めいた口調になってる部分もありますが、それは私と正反対の価値観をもっている以上、仕方ないことです。
というわけで。わたしがああいう(?)就活をした根拠がお分かりいただけたかと思います。
また今度、就活について書いた記事のカテゴリをまとめて見やすくしたいなとおもいます。
今日は女子高生に10分おきに電話をかけ続ける仕事をしながらだらだら日記を書いていました。まだ終わりません。笑