昨日は、
朝起きて
洗濯機まわして
風呂に入って
カレーを食って
洗濯干して
洗剤とか買いに行って
化粧して
学校に行って
サークルの人としゃべって
教習所に行って
説明を受けて
学科と技能の予約をして
学校に帰ってきて
マザー1をはじめて
サークルの勧誘を手伝って
一年生の男の子2人に説明して
うちに帰って
晩ごはんの買い物して
いぬをさわって
晩ごはんを作って
ニコニコ動画を見て
晩ごはんを食べて
茶碗を洗って
風呂に入って
明日の卒論ゼミの準備をして
お米を炊飯器にセットして
携帯をいじって
寝る
という、非常に充実した一日でした。
無為に一日を過ごすのも悪くない、嫌いじゃないけど、やっぱりいろいろできた日の夜の充実感ははんぱないね。天気もよかったし。
なんだか最近、自分が無神経で鈍感で迂濶なことを嫌というほど感じる出来事があって、いろいろ考えたんだけど、自分隠し事とかできないし、思ったことはそれが誰にどう影響するかとかを考えずにすぐ口に出してしまうし、声もでかいし…。そういうところって日頃気をつけて直そうにもなかなか簡単に直るもんでもないんではないかと思わざるをえない。
もちろん自分の無神経さには嫌気がさしてるんですよ。わたしも。けど直せそうにないんです。
これじゃあまた人前でしゃべれなくなるなあと思う。なんかまずいこと言うかもしれないとかこの人に嫌われ(て)るかもしれないとかいろんなこと考えながら会話するともう何話せばいいんだかわからんし沈黙は異常に気まずいし…対人恐怖症ですよ。
けど、だからこそ気をつかいすぎる(ようにわたしには見える)奴がどうしてもいけすかない。わたしにも気をつかってるんだかなんだかわからないけど、そういう様子が話してて感じとれたりするとあぁもうこの人と話すのやだなこわいなと思ってしまう。
たとえばわたしが、なんかあんまり大きな声で言うようなことじゃないことを大きな(自分的にはふつうの)声でしゃべったときに、超小声で制してきたりとか、明らかに(それはまずいでしょ)みたいなしぐさや表情をしたりとかする人いるんだけど、それされると、あぁまたやっちまったなと感じると同時に、もう絶対この人わたしのこと嫌いか、良くて普通以下だなと感じる。その大きな声で言うようなことじゃないことってのも、わたし的には全然いいじゃんと思ってるから、大きな地声でしゃべっちゃうわけなんだが。そういう「全然いいじゃん」の範囲が広すぎるとこがまずわたしの無神経なところ。
けど、その人もそこまで気にすることないしそもそもそんなに気つかうのって逆効果じゃね?とか思ったりもするんだよね。あたしは他意ないでしゃべってるのに、お前がコソコソそうやってフォロー(にもなってないけど)したせいで悪い意味で言ったっぽい雰囲気になっちゃったじゃん、みたいなことよくある。だからそういう人といるのいやなんだよな。自分の無神経さを嫌ってほど感じさせられるし、そういう異常なまでの気遣いにいらいらしてしまう。
だから、正直だったり自分の感情に素直だったりする裏表がない人か、または裏表があってもあることがわかりやすい人が好き。
または、本当は裏表があっても絶対にその裏側を勘づかせない人。つまりこの人も一見裏表がないように見えるわけだけど。
いろいろ隠してるんだろうな、っていうのを、ちょっとでも感じさせる人はこわいです。できるだけ関わりたくない。だからそれが故意だろうがそうじゃなかろうが感情をわかりやすく伝えてくれる人は無条件に好きだし仲良くしたいなと思う。
要は、なんというか、空気をよんだり腹をよんだりするのが信じられないくらい苦手な自分、に嫌気がさしつつも、空気を読みすぎる人に疑問を感じてるということですかね。
そんな感じでちょっともんもんとしたり…いろいろ嫌なこともあったけど、こういう一日が過ごせると、うつうつとした気分も晴れるってものです。
今日は早めに学校に行くから弁当を作ります。また充実した一日になるといいな。
朝起きて
洗濯機まわして
風呂に入って
カレーを食って
洗濯干して
洗剤とか買いに行って
化粧して
学校に行って
サークルの人としゃべって
教習所に行って
説明を受けて
学科と技能の予約をして
学校に帰ってきて
マザー1をはじめて
サークルの勧誘を手伝って
一年生の男の子2人に説明して
うちに帰って
晩ごはんの買い物して
いぬをさわって
晩ごはんを作って
ニコニコ動画を見て
晩ごはんを食べて
茶碗を洗って
風呂に入って
明日の卒論ゼミの準備をして
お米を炊飯器にセットして
携帯をいじって
寝る
という、非常に充実した一日でした。
無為に一日を過ごすのも悪くない、嫌いじゃないけど、やっぱりいろいろできた日の夜の充実感ははんぱないね。天気もよかったし。
なんだか最近、自分が無神経で鈍感で迂濶なことを嫌というほど感じる出来事があって、いろいろ考えたんだけど、自分隠し事とかできないし、思ったことはそれが誰にどう影響するかとかを考えずにすぐ口に出してしまうし、声もでかいし…。そういうところって日頃気をつけて直そうにもなかなか簡単に直るもんでもないんではないかと思わざるをえない。
もちろん自分の無神経さには嫌気がさしてるんですよ。わたしも。けど直せそうにないんです。
これじゃあまた人前でしゃべれなくなるなあと思う。なんかまずいこと言うかもしれないとかこの人に嫌われ(て)るかもしれないとかいろんなこと考えながら会話するともう何話せばいいんだかわからんし沈黙は異常に気まずいし…対人恐怖症ですよ。
けど、だからこそ気をつかいすぎる(ようにわたしには見える)奴がどうしてもいけすかない。わたしにも気をつかってるんだかなんだかわからないけど、そういう様子が話してて感じとれたりするとあぁもうこの人と話すのやだなこわいなと思ってしまう。
たとえばわたしが、なんかあんまり大きな声で言うようなことじゃないことを大きな(自分的にはふつうの)声でしゃべったときに、超小声で制してきたりとか、明らかに(それはまずいでしょ)みたいなしぐさや表情をしたりとかする人いるんだけど、それされると、あぁまたやっちまったなと感じると同時に、もう絶対この人わたしのこと嫌いか、良くて普通以下だなと感じる。その大きな声で言うようなことじゃないことってのも、わたし的には全然いいじゃんと思ってるから、大きな地声でしゃべっちゃうわけなんだが。そういう「全然いいじゃん」の範囲が広すぎるとこがまずわたしの無神経なところ。
けど、その人もそこまで気にすることないしそもそもそんなに気つかうのって逆効果じゃね?とか思ったりもするんだよね。あたしは他意ないでしゃべってるのに、お前がコソコソそうやってフォロー(にもなってないけど)したせいで悪い意味で言ったっぽい雰囲気になっちゃったじゃん、みたいなことよくある。だからそういう人といるのいやなんだよな。自分の無神経さを嫌ってほど感じさせられるし、そういう異常なまでの気遣いにいらいらしてしまう。
だから、正直だったり自分の感情に素直だったりする裏表がない人か、または裏表があってもあることがわかりやすい人が好き。
または、本当は裏表があっても絶対にその裏側を勘づかせない人。つまりこの人も一見裏表がないように見えるわけだけど。
いろいろ隠してるんだろうな、っていうのを、ちょっとでも感じさせる人はこわいです。できるだけ関わりたくない。だからそれが故意だろうがそうじゃなかろうが感情をわかりやすく伝えてくれる人は無条件に好きだし仲良くしたいなと思う。
要は、なんというか、空気をよんだり腹をよんだりするのが信じられないくらい苦手な自分、に嫌気がさしつつも、空気を読みすぎる人に疑問を感じてるということですかね。
そんな感じでちょっともんもんとしたり…いろいろ嫌なこともあったけど、こういう一日が過ごせると、うつうつとした気分も晴れるってものです。
今日は早めに学校に行くから弁当を作ります。また充実した一日になるといいな。