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松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆多数決というゲームルール・敵をつくるという宿痾(三浦半島)

2015-12-31 | 地方自治法と地方自治のはざまで

 「ゲームの様子がおかしいときは、プレーヤーだけでなく、ルールを疑ってみたほうがいい」(坂井富貴「橋下市長はなぜ多数決を迫ったのか(プレジデント 2015.7.13)。

 大阪都構想の賛否を争う住民投票では、反対票が賛成票を僅差で上回り、大阪都構想は否決された。考えてみると、大阪都に限らず、庁舎や図書館の建設をめぐる問題など、金額の多寡だけでは判断できない、多面的な要素を含む問題をイエス、ノーで決めて、1票でも多かったら、その決定に従うという住民投票のルールは、あまりに無神経である。

 誠実であろうとすれば、多様で複合的な課題を一つの切り口で判断することはとてもできない。これは好ましいが、こちらはよくないということになり、簡単に結論は出せないのがむしろ普通である。住民投票の棄権には、こうした誠実な棄権が含まれている。

 そもそも対立する考え方があり、それぞれに一定に理があるから、争いになるのである。日々の暮らしの中では、それぞれのいいところを取り入れるといったやり方は、いくらでもやっている。それがこと住民投票に関しては、イエス、ノーを迫る。しかも、十分な詰めのない選択肢で。

 住民投票のような多数決のルールゲームで、そのゲームに勝つ有効な方法がある。それは、誰かを敵に仕立てて、激しく対決する手法である。敵は、公務員や議員などがよい。彼らを既得権者や無能力者に見立てるのである。多少、大げさでもよい。なぜならば、彼らは反撃してこないからである。しかも、この攻撃は、住民のなかにあるルサンチマンをうまくくすぐるので、結構、効果的である。

 ナチスの例を挙げるまでもなく、私たちも、誰かを敵にしたてて激しく対立を煽るやり方で、過去には酷いことをやってきた。そのうち、私たち自身が酷い目にあうようになって、もうこりごりになって、新しい日本の再生を誓ったはずである。政治家たちこそ、率先して、このやり方をしてはいけないはずである。

 誰かを敵にして相手を責め、多数を取るというゲームの弱点は、多数を取るのが目的化してしまって、その先がないことである。多数を取った後に、何をするのかが十分に詰められていないから、結局、住民の期待を裏切ることになる。これははっきり言える。国政ではたいした準備がなかった民主党は、それをやってしまったし、無理やり思いつきで対案をつくろうとして、より酷いことになってしまった。大阪都構想だって、やってみたら、二重行政の弊害がむしろひどくなり、今より非効率で高コストになってしまっただろう。

 暮れの忙しいとき、掃除もあるし、正月の準備もあるし、休み中に書こうと思っている原稿もあるというのに、多数決というゲームルールにこだわっている。でも、「ゲームの様子がおかしいときは、プレーヤーだけでなく、ルールを疑ってみたほうがいい」というのはけだし卓見だと思う。

 今年も、今日で終わりとなった。

 

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