理想の世界を実現するために、
カケラくらいは貢献できる能力があって、
そのために自分を使うのは、
目には身体だけが見えているけれど、
目には見えない心も精神も含めて、
全部が自分なんだから、
カケラくらいは貢献できる能力があって、
そのために自分を使うのは、
何の矛盾もない。
でもその仕事ではお金をもらえなくて、
でも仕事は本来「自分が仕える」ことであって、
もらえる金額で評価しないでいようと思うから、
お引き受けする。
自分に与えられた能力、磨いてきた能力を、
自分が良いと思う方向に、
諸手を挙げて使うことが出来るのは、
とてもやりがいがあるし、手応えもあって、嬉しい。
だけど、それでは食えない。
心豊かに生きていくために
心を育てる必要があるのと同じように、
この世で生きていくためには身体を使って生きていく以上、
身体を養っていく必要もある。
一人の人間の中には、
「身」も「心」も「精神」も、
でもその仕事ではお金をもらえなくて、
でも仕事は本来「自分が仕える」ことであって、
もらえる金額で評価しないでいようと思うから、
お引き受けする。
自分に与えられた能力、磨いてきた能力を、
自分が良いと思う方向に、
諸手を挙げて使うことが出来るのは、
とてもやりがいがあるし、手応えもあって、嬉しい。
だけど、それでは食えない。
心豊かに生きていくために
心を育てる必要があるのと同じように、
この世で生きていくためには身体を使って生きていく以上、
身体を養っていく必要もある。
一人の人間の中には、
「身」も「心」も「精神」も、
全部重なって存在しているから。
そのどれかを放っておくわけにいかない。
そのどれかを放っておくわけにいかない。
目には身体だけが見えているけれど、
目には見えない心も精神も含めて、
全部が自分なんだから、
全部育ててあげないと。
ということを考えた時、
「パンだけのために働く」のが問題なのと同じく、
「心だけのために働く」のも問題あるんじゃないの?
と思い至りました。
自分の能力を使ってもらうのは嬉しいし、
その仕事に関わるのも嬉しいけど、
お金がもらえないとなると、
いいと思っていることを続けることができない。
自分が出来ることだけで使ってもらうからダメなんだろうな。
きっと、自分で理想の全体像を描いて、
ということを考えた時、
「パンだけのために働く」のが問題なのと同じく、
「心だけのために働く」のも問題あるんじゃないの?
と思い至りました。
自分の能力を使ってもらうのは嬉しいし、
その仕事に関わるのも嬉しいけど、
お金がもらえないとなると、
いいと思っていることを続けることができない。
自分が出来ることだけで使ってもらうからダメなんだろうな。
きっと、自分で理想の全体像を描いて、
それを実現しながら仕事を生まないといけないんだ。
自分で仕事を生むには、
自分で仕事を生むには、
自分がする事を具体的に描いてみること。
その実現に足りないところは、人の力で補ってもらう。
そっち向きでいかないと先はないな、
その実現に足りないところは、人の力で補ってもらう。
そっち向きでいかないと先はないな、
とわかってきた。
てことは、私に欠けてるのは、
自分が矢面に立ってバカをさらしてでも
世に実現していくナニモノかがあるかどうか。
世に流通している言葉で言うと、
勇気、ビジョン、能力、集中力ってことか。
自分がスゴイ人じゃないのは、 今さら仕方ないから、
せめて「私、ココで立ちます」
てことは、私に欠けてるのは、
自分が矢面に立ってバカをさらしてでも
世に実現していくナニモノかがあるかどうか。
世に流通している言葉で言うと、
勇気、ビジョン、能力、集中力ってことか。
自分がスゴイ人じゃないのは、 今さら仕方ないから、
せめて「私、ココで立ちます」
って自分の価値観を公言し、
勇気とビジョンを持って、立ってみたい。
なんか、中年になって、
「青春のあがき」みたいで恥ずかしいけど。
そんな話をしてたら、
自分の力で立って、しかも食えてる人が、
その人の経験を振り返って、
「必要なのは勇気だけです。能力じゃない」
勇気とビジョンを持って、立ってみたい。
なんか、中年になって、
「青春のあがき」みたいで恥ずかしいけど。
そんな話をしてたら、
自分の力で立って、しかも食えてる人が、
その人の経験を振り返って、
「必要なのは勇気だけです。能力じゃない」
って言ってくれた。
「能力なんか、私にもないんです。
勇気を持って立ち続けているうちに、
能力は身についてくるものだと思います」
自分がそうして来たからの、力強い言葉。
そういえば、私は22歳の頃、
学校を卒業して、どこにもニーズがないのに、
「コレやりたい」と、蛮勇をふるったのであった。
当時は、若かったこともあって、
バカなまま立つ事にも躊躇なく、
立ってたら周りの人がいろいろ助けてくれて、
とにもかくにも、なんとかなった。
今は自分の能力もわかってきてるし、
周りの人も、若い頃みたいには助けてくれないだろうな。
だから、あの頃のように、無邪気に蛮勇をふるって進めない。
そんな状況だからこそ、
「能力なんか、私にもないんです。
勇気を持って立ち続けているうちに、
能力は身についてくるものだと思います」
自分がそうして来たからの、力強い言葉。
そういえば、私は22歳の頃、
学校を卒業して、どこにもニーズがないのに、
「コレやりたい」と、蛮勇をふるったのであった。
当時は、若かったこともあって、
バカなまま立つ事にも躊躇なく、
立ってたら周りの人がいろいろ助けてくれて、
とにもかくにも、なんとかなった。
今は自分の能力もわかってきてるし、
周りの人も、若い頃みたいには助けてくれないだろうな。
だから、あの頃のように、無邪気に蛮勇をふるって進めない。
そんな状況だからこそ、
そう「だからこそ」、
やっぱり必要なのは「勇気」なんだろうな。
立つためには、もっと具体的に、
自分を立てるイメージを描いてみよう。
やっぱり必要なのは「勇気」なんだろうな。
立つためには、もっと具体的に、
自分を立てるイメージを描いてみよう。
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