子ども(中3)が、
「ぼくらの七日間戦争」という映画を見ていた。
なんとなく私もヨコで見ていたんだけど、
30年も経つと時代が変わっていて、
自分の若い頃に見ていた感覚と全然違って、
その変化がおもしろかった。
好きな男の子の決意を横で見ていた女の子が、
「私も、飛べるような気がする!」
と、静かな決意を込めて言ったのを
当時の私は違和感なく自分を重ねて見てたはず。
子どもは、それを見ていて、
主人公の女の子に自分を重ねて同一視するでもなく、
大人と戦う決意を込めた中学生に重ねるでもなく、
「飛べる気がする…??
なんだか、よくわからないなぁ」とのたまった。
リアリティを越えて、
詩的な表現をしただけじゃん(^^)。
今の子どもみたいに、
いちいち「キャラ設定」とかしなくていいんだよ!
常識が違うのは、他にも、
男性教師が床から定規を当ててスカート丈を測るとか、
体育の時にブルマはかされるとか、
黙って持ち物検査をされるとか、前髪を切られるとか、
男子の髪の毛掴んで列から引きずり出すとか…。
子どもに言わせたら、
「そんなこと、やって訴えられないの???」
「服装検査とか、セクハラやし」
「髪の毛切るとか体罰やん、犯罪やん」っていうレベル。
映画では、そんな風に、自分たちの人権を無視する学校に、
異議申し立てしようと「クラスで協力」する。
大人はその行動を「脅して辞めさせ」ようとする
(今は、ウソでも理由や気持ちを聞いてみる)。
保護者が子どもの動機より内申書を気にする。
…などなど。
あれこれが「うわ~、こんな感じやったわ~」
「すごい変わったなぁ~~~」って思う。
自分が子どもの頃より、めっちゃ良くなってるやん。
30年前は、ここで描かれてる状態が
学校の、先生と生徒の関係の、常識だったんだよね。
あり得ない!!って思って、そう言うと、
「反抗的」とか言われて、対話はなかったわ。
当時は私「常識外れ」って言われてたけど、
今になったら、それが常識になったじゃん!
「学生らしさ」は、「管理しやすさ」とイコールだったし。
だからやっぱりさ、
常識かどうかで行動するんじゃなくて、
本来はどうあるべきか、理想はどうなのか
ってことから行動するのが人間の姿だと思うなぁ。
常識を無視しよう、ってんじゃなくて、
常識の妥当性や必然性を理解した上で、
それが本来の姿を邪魔してるなら、
常識を乗り越えたっていいんだ、ってこと。
そこに、人間の自由があるってもんよ。
と、自由の哲学15章を読みつつ。
変な校則って山ほどありました
年取った先生方の判断で縛る
摩訶不思議な校則、、、
今は笑えますね
大人の目の届かない場所こそが、本当の意味での子供の居場所でしょう。
学校では生徒としての仮面を被ることぐらい、ちゃんと心得ているわけです。