『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

昭和の常識は、今なら犯罪レベル?

2022年01月24日 | 『自由の哲学』
子ども(中3)が、
「ぼくらの七日間戦争」という映画を見ていた。

なんとなく私もヨコで見ていたんだけど、
30年も経つと時代が変わっていて、
自分の若い頃に見ていた感覚と全然違って、
その変化がおもしろかった。

好きな男の子の決意を横で見ていた女の子が、
「私も、飛べるような気がする!」
と、静かな決意を込めて言ったのを
当時の私は違和感なく自分を重ねて見てたはず。

子どもは、それを見ていて、
主人公の女の子に自分を重ねて同一視するでもなく、
大人と戦う決意を込めた中学生に重ねるでもなく、
「飛べる気がする…??
なんだか、よくわからないなぁ」とのたまった。

リアリティを越えて、
詩的な表現をしただけじゃん(^^)。
今の子どもみたいに、
いちいち「キャラ設定」とかしなくていいんだよ!

常識が違うのは、他にも、
男性教師が床から定規を当ててスカート丈を測るとか、
体育の時にブルマはかされるとか、
黙って持ち物検査をされるとか、前髪を切られるとか、
男子の髪の毛掴んで列から引きずり出すとか…。

子どもに言わせたら、
「そんなこと、やって訴えられないの???」
「服装検査とか、セクハラやし」
「髪の毛切るとか体罰やん、犯罪やん」っていうレベル。

映画では、そんな風に、自分たちの人権を無視する学校に、
異議申し立てしようと「クラスで協力」する。
大人はその行動を「脅して辞めさせ」ようとする
(今は、ウソでも理由や気持ちを聞いてみる)。
保護者が子どもの動機より内申書を気にする。
…などなど。

あれこれが「うわ~、こんな感じやったわ~」
「すごい変わったなぁ~~~」って思う。
自分が子どもの頃より、めっちゃ良くなってるやん。

30年前は、ここで描かれてる状態が
学校の、先生と生徒の関係の、常識だったんだよね。
あり得ない!!って思って、そう言うと、
「反抗的」とか言われて、対話はなかったわ。

当時は私「常識外れ」って言われてたけど、
今になったら、それが常識になったじゃん!
「学生らしさ」は、「管理しやすさ」とイコールだったし。

だからやっぱりさ、
常識かどうかで行動するんじゃなくて、
本来はどうあるべきか、理想はどうなのか
ってことから行動するのが人間の姿だと思うなぁ。

常識を無視しよう、ってんじゃなくて、
常識の妥当性や必然性を理解した上で、
それが本来の姿を邪魔してるなら、
常識を乗り越えたっていいんだ、ってこと。

そこに、人間の自由があるってもんよ。
と、自由の哲学15章を読みつつ。



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3 コメント

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Unknown (littleharbor)
2022-01-24 13:45:23
同感ですー
変な校則って山ほどありました
年取った先生方の判断で縛る
摩訶不思議な校則、、、
今は笑えますね
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Unknown (オキツ)
2022-01-25 00:07:14
笑える時代になって良かったな~って思います!
返信する
Unknown (ZIP)
2022-01-25 01:41:40
所詮は学校の中だけで子供を完結させようとする大人の浅薄な考えに過ぎないわけです。
大人の目の届かない場所こそが、本当の意味での子供の居場所でしょう。
学校では生徒としての仮面を被ることぐらい、ちゃんと心得ているわけです。
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