こないだから、手に負えないことを考えていたので、
リセットしたくて、くれよんでグルグル描いてみました。
絵心不要なので、みなさまも、
一緒にぐるぐる描いてみてください。
手を動かしているだけで、
軽い瞑想のような、集中した時間が持てますよ。
クレヨンの赤、青、黄色があれば理想的ですが、
手元に黒のボールペンやシャーペンしかなくても、
頭の中で色をイメージしていけば大丈夫。
では、行きますよー。
青で、横向きのレムニスカート(いわゆる無限大マーク)を描きます。
今は、普段とは違い、
周りの人と会えず、横のつながりがない状態なので、
「静」の青を選びました。赤は動、青は静、のイメージで。
物理的、身体的なつながりが
閉ざされていることをイメージしながら、
何度もぐるぐるぐるぐる。
「いいバランスで描けた」と思うまで。
普段は人の気持ちや思惑など地上の現実に引きずられますが、
今は、STAY HOME。家から動けないので、
自分の気持ちをえいやっと持ち上げて、
理想を探す心の旅に出てみます。
次は赤の垂直レムニスカートです。
理想は上の方、現実が下の方にあると仮定します。
「理想」は空。
神と呼ぶか、宇宙と呼ぶか、精神と呼ぶか。
広大で清らかな世界。
「現実」は地上。
人間として生きている限りは、
現実の重さが、理想よりも大きく重い。
なので、下のマルを大き目に描きます。
自分のオヘソのあたり、身体の中心から、
息を吸いながら天に向かって現実を訊ね、
息を吐きなが理想を現実に、自分に下ろす。
理想と現実を、行ったり来たり。
深呼吸しながら、ぐるぐるぐるぐる手を動かす。
私は、水平を描く時より、
垂直を描く方が、ちょっと「ガンバリ」が要ります。
その違いも感じながら描いています。
天と地を、理想と現実を、自分の想いと実際の行動を感じながら、
赤でぐるぐる。
それを描いてたら、「今も水平のつながりはあるんじゃないか、
物理的な接触をしなくても、
現実的に行動できることはあるんだから」と思い直し、
横向きの青いレムニスカートを、赤でぐるぐる上書き。
出来上がった図では、
水平の現実の上に、垂直な理想が立っています。
私には行動が必要なので、
「理想の世界に逃げるより、身体で示せ」が私の課題なので、
下を大き目に描いてみました。
そしたら、ひとりでに、
座禅してる人みたいになった!!!
すごいなぁ、なんというか、目で見る現実。
こういうミラクルな瞬間にコーフンします!!
最後に、
理想と現実社会をつなげている人は、
どんな人でも輝いているので、
後光が射してる感じで仕上げてみました。
現実味のない理想ばっかり言われると疲れるし、
希望のない現実を突きつけられると生きるのが辛くなる。
現実の葛藤の中で、少しでも理想を体現しようしている話を聞くと、
「私ももうちょっと歩こう!」って元気になる。
なので、後光は、中間色で。つまり、
後光は原色の単色より虹色がいいので、
個性や状況に応じた色とりどりの光を、
真ん中から外へ! 自分で光れ!
コレ書いてて思ったんですが、私は理想に偏りがちなくせに、
ちゃんと最後まで考える根気がないので、
縦軸と横軸、どっちが優勢か、とかじゃなくて、
真ん中の座禅してるところがタテもヨコもスカスカじゃないかっ!!
がっでーーーーむ!
と思っても、次の瞬間「こんなもんよ」って思える。
思春期のガラスのような危うさや透明感はもうないけど、
自分が不要不急の存在であろうが、何であろうが、
くじけずに(くじけながらも?)生きていけるのが中年の強み。
波に揉まれた丸いシーグラスに憧れる、割れた擦りガラス、くらいかな(^^;)?
追記:
「座禅」は正しくは「坐禅」と書くそうです。
僧侶の方からコメントで教えていただきました。
「どーゆーことなんかな~」と思って調べてみると、
ちょっとおもしろかった。
長くなるので、あさって5月2日公開分に書きます。
よろしければ、また見てくださいね~。
坐禅のことをお取り上げ下さいまして、ありがとうございます。感謝申し上げます。
それで、ご気分を悪くされたら申し訳ないのですが、「座禅」は正しくは「坐禅」と表記します。
拙僧、宗派の広報担当もしておりますので、各種メディアにもお願いしているのですが、中々直していただけず、大変に悩んでおります。ブロガーのお一人として、是非正しい「坐禅」表記にご賛同いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
追記しておきますね。ご指摘、ありがとうございました。