『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

フォルメンで自由を考える会2〜人間だけに出来ること

2018年08月01日 | 昼行燈より愛をこめて
フォルメンを3枚描いて、
自由ってなんだろう?って感じた後、
みんなで「自由」について考えました。

「自由」という言葉を使う時、一般的には、
「気持ちのままに動くこと」を表します。
でも、それは「体+感情の私」=「日常の私」の求める自由。

「日常の私」は、たいした自分ではありません。
利害に振り回され、エゴにまみれ、怠惰に流れ…
…って私だけでしょうか(^^;)?

でも、「日常の私」と同時に「精神の私」もいます。
「暑いから、今日はサボりたい?」と思う、「日常の私」と、
「暑くても、今日は〇〇をやろう!」と思う、「精神の私」。

精神の私は、結構シャイで、普段は隠れていますが、
意識を向けると、いつでもそこにいます。
「○○だから仕方ないよ」と言い訳をする「日常の私」を、
見放さず、文句も言わず、何十年も見てくれています。

自由な私は、自分の感情の正当性を守るために
「精神の私」の声から逃げたりしませんが、
逆に、「精神の私」の声を絶対聞くべきだ!と、
自分を縛るのも不自由です。

今は、仕事も結婚相手も、価値観も、
地縁や血縁などから押し付けられる度合が減って、
自分で選ぶことができる時代です。

でも、選択肢が無限に広がった反面、
ごはんの炊き方から仕事選び、結婚相手に至るまで、
コンピュータの選択に任せる方が安心だと、
人はどんどん自由を手放して行っています。

多くの選択肢の中から正解を選ぶのは
コンピュータの得意分野です。
では、
「人間」だけにできることとは何でしょう?

・手を使う(新たに創造する)
・言葉を使う(データではなく)
・遊ぶ(ムダなことをする)

この3つが、人間の特徴であり、特権です。
そこに、生きがいや自由への可能性があります。
この3つを全部使うのが、「対話」。
飲み会も、ランチ会も、
それを求めてるのかも知れません。

人間は、自由を求め、
自由に向かうことができる、
唯一の存在です。

動物にも、AIにも、
自由は許されていません。
人間になっていく事は、結構難しい。
そんな風に感じた時間でした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿