『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

色のある世界のために

2019年06月03日 | 昼行燈より愛をこめて
世に色が満ちあふれているように、
人の世にも、個性がキラキラ満ちあふれている。
夜には、色が消えるように、
光が消えると=戦になると、色が消える。

白か黒か。敵か味方か。
戦では、あらゆる色が消えて
白か黒かに分けられてしまう。

学校はどうですか? 
職場はどうですか?
国と国はどうですか?

そして、
自分にとっての黒は、敵にとっては白であり、
相手にとっての黒は自分で、
もちろん自分は自分にとって白も黒もあるグレーであり、
単純な色ではなく。

家族の幸せを祈る、というような
同じ桃色で表せるようなものたちが、
光の世界から闇の世界にに連れ去られては色を失い、
互いに殺し合うようになる。

「殺す」などという切実な意識もなく、
自分の為す事の責任を自覚することもなく、
自分の義務の意味や目的を問うこともなく、
役目に忠実に、
そのスイッチを押してしまうのではないだろうか。

合格か不合格か。
賛成か反対か。
好きか嫌いか。
正しいか誤りか。
身内か他人か…。

世界が白と黒に分けられないよう、
光を発していく人がたくさんいればいい。
私がこれまでも今もこれからも、
そういう光に救われているように、
私も、蛍より小さくてもいい、
たとえば「私は黄色です」と言いたい。

「私もあなたと同じ色です」。
言い慣れて、もはや意味をなさないその言葉。
「私は黄色です」と言うことが、
大人には、なぜこんなに難しいのか。

あなたを否定しているわけでもない、
私を押し付けたいわけでもない、
ただの色の表現、見たままの色。
「私は黄色です」。

私がそう言うことで、
隣が赤だとわかり、青だとわかり、
オレンジが生まれ、紫が生まれ。
自分の1滴と隣の一滴から
無限の美しい世界が広がっていく。

世界が本来の虹色を取り戻すために、
「私は黄色です」と言える自信を持っていたいし、
「私は黄色です」と普通に言える場が広がればいいな。
命がけで言わなきゃならないような状況になれば、
私なんか、絶対黙ってしまうから。

どんどんイヤな状況になっている今、
「私は黄色です」と、一人で言うだけじゃなくて、
「虹色って美しい」と、みんなで言いたいね。

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