『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「依存」ではなく「共存」なら自動的に

2022年04月11日 | 考える日々
昨日は「理想を描こう」、
なんて高校生みたいなことを
書いてしまいました。
ちょっと照れる。

でも、やっぱし、そうなのよ。

理想を描くと、
自分で実現できないのがもどかしくて、
やっぱし、もう、そんなのどうでもいいや、
って思ったり諦めたりするんだけど、
自分が出来なくても、いい。

自分の欲しいものがわかってて、
まわりにベクトルの似た人がいたら、
その人たちと一緒に動くことで、
身の丈を越えた役割を果たすことができるもの。

これは、たぶん、お互いに。
人と一緒に動くと、何か別の力が働くんだと思う。
「3人寄れば文殊の知恵」じゃないけど、
人の力を借りると、自分の力を提供すると、
1人で出来る範囲を超える、みたい。

世界中の、
私と同じくらいおバカで意気地なしの人たちが、
その法則を知って、理想を諦めずにいられたら。
そして、
私と同じくらい回りの人に恵まれて、
応援され、見守ってもらえて、動けたら、
どんなに世界が変わることだろう。

私は、何が欲しいか、何が出来るかを
考えているだけで、
自分にそれを実行する力があるかどうかは、
あんまり考えないタチみたい。
単純に「ほしい」と思っちゃう。

だって、
お葬式に喪服忘れるくらいバカだから。
経理関係は「マス目に数字が入ってる模様」、
くらいの意味しか読み取れないから。

だけどねー、
自分一人で出来ないことが、
2人、3人で話をして、
自分に出来ることを出し惜しみしないだけで、
どんどん形になって行く不思議、
そして楽しさ、充実感!
「依存」ではなくて尊敬と感謝による「共存」。

そうなんよね~。
若い頃には「汚さ」「ズルさ」
みたいなのに敏感だったから、
「こんな社会、生きる価値ない」とか、
シニカルに言ってた。
まだ何もしてないくせに。

そのくせ、中年になって
「この人生をこんな風に使いたい」なんて、
ワクワクしてるわけよ。
逆よね、ふつー(^^)。

社会がどうでも、自分がボケでも、
理想の社会を描いていいし、
望まずにいられない。

だって、生きてると、
必ず望むじゃない?
自分にも、社会にも。
「こうだったらいいな~」って。

んで、何かを望めば出会いが生まれるし、
その人たちとはきっと、ベクトルが似てる。
しゃべってるうちに、何かが生まれる。
自分が何もできなくても、少なくとも、
その人たちを応援することは出来る。

「自分にも出来ることがある」
ってわかると嬉しい。

誰かを応援することで、
自分の理想を形にして行く時もある。

また、自分が旗を立てることで、
ベクトルの同じ人が応援してくれて、
何かが動いて行く、みたいな時もある。
依存をやめて共存することで、
1人でできる範囲を自動的に超えられる。

さらに、誰かの応援がなくても、
日々、自分の価値観で
決めたり、動いたりできる事だって、ある。

日々の買い物や暮らしの範囲で、
自分が何に時間やお金を使うかだって、
社会参加のひとつ。何が欲しいのか。

自分が日々生きていることは、
まわりに何らかの影響を及ぼしてるんだから、
自分を整えることだって、大切な役目。

自分がその案件で、その時々で、
どんな立ち位置にいるかは変わるけど、
どんな人でも、何かしらは、できる。
「何もできない」って諦めなくていい。

そう思うことで、どんなに多くの人が、
その人なりの理想を捨てずにいられて、
しかも、しんどくなくて、
楽しく自由に生きていけることか!

そういう人が1人増えたら、
1人分、社会が明るくなるし、
その分、世界が変わっていく。

なんて思う、夜中のラブレターです。

…いい年してバカなのかな、たぶん。
バカなんだろうな。
バカの役割が、
理想を夢見ることだったら、
バカでいいや。バカだし。


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