
哲学対話に参加しました。
テーマは「地雷」。
「地雷」ね~。
まず、自分の地雷は何なのか。
「全部はわかんないけど、いくつかは知ってる」
って人が多かったんだけど、
私は自分の地雷が何か、よくわからないんだよな~。
気が長いからなのか、
無意識に話題を避けているんだか、
感情のままにキレることは、ほぼない。
キレることは一生でたぶん3回くらい。ほとんどない。
キレられることは5年に1回くらいたまーにある。
つまり、
「地雷」を踏んだり踏まれたりすることについて、
経験値がものすごーーく低い。
という程度だから、
自分の心に地雷があるんだかどーなんだか、
というレベルで、よくわからない。
キレる気分を想像しようと思っても
理解が及ばない。
他の人と考えがまったく同じことって少ないし、
だからって、完全に違うことも少ないから、
「自分の意見を否定される」ということが、
ホントによくわからない。
それだけでキレてたら、身が持たないことない?
子どもの頃から、自分で考えたいタチだったから、
時代の流行りや主流の考え方とは、
どうしてもちょっとずつズレが生じることになる。
「人に何か言われてキレるなんて、幼稚だなぁ」
と思うこともある。
でもそこは、他の人同士なら間に入るけど、
私がキレられた時は私が指摘することでもないから
理不尽にキレる人とは、少し距離を置いたりしてた。
いや、だって、面倒だもの。
こっちだって、相手に対して爆発はしないまでも、
なんか、理屈に合わないこと言われると、
心の中では当然イヤな感じになるし。
自分に足りないことを言ってもらった時は
「ああ、ほんまやなぁ~」って思うけど、
思えるようになる前には、ひとつの作業が必要。
自分に向かう言葉の中の毒を抜く作業。
これって、素直に受け取れるまでには、
結構なエネルギーを費やすから消耗する。
今回、いろんな人と地雷について対話してるうちに、
ちょっとだけわかったことがある。
それは、
自分がすごく大切に考えていることを
他の人に軽~く扱われた時にキレがちだ、
ということ。
なるほどね~。
これ、ほとんど法則レベルの真実かも。
たとえば、
自分が必死で隠しているコンプレックスを、
「実はアンタって〇〇だよね?」って笑顔でいじられたり、
知恵と技術と時間を使って作ったものを、
「何それ? 謎の物体~(^^)」って軽~く言われたり。
考えてみたら、失礼なんだけど、
基本的に、地雷を踏む方は、まったく悪気はない。
私も、いっぱい踏んでる時あるんだろうけど、
自分じゃ気づいてない。
私みたいに、怒りスイッチが入りにくい人は、
あんまり敏感に気付かないのかな?
怒り由来での自己認識も深まらないし。
自分が怒りを感じる方が、
自分の地雷に気付きやすいのかもしれない。
自分がキレるキレないに関わらず、
「相手が大事にしていることは、
こっちも真面目に、真剣に、大切に話題にする」
っていうのは、人間関係の法則だろうなー。
この法則を知っていれば、
「出会いがしらの事故」みたいなデンジャラスな会話が
いくつか回避できるかもしれません。
それがわかっただけでも、
今日の2時間半は有意義だったわ。
お世話になりました。
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