供養はサンスクリット語のプージャが原語で意味は、「相手を敬い、丁寧にもてなすこと」
(サンスクリット語は、古代インドの言語で、完成され、洗練された語という意味で、釈迦の時代においても、文献で多く用いられています)
プージャはヒンズー教において、家庭などの日々の礼拝のことです。
仏教にある三宝や祖先など亡き人のためにお供えをし、敬うことが供養です。
三宝とは、「仏・法・僧」
「仏」・・・悟りを開いた仏
「法」・・・仏の教えである法
「僧」・・・その教えに奉ずる僧の集団
この三宝が仏教の基本的な要素で、この三宝に出会い帰依することにより煩悩から解脱し悟りを開くことができる、と説かれています。
追善供養は、亡くなった者に対しての供養のことです。
追善とは、自分の善行を亡くなった人、他の人に施すことにより自分に戻ってくるという意味があります。
永代供養は、家族や墓地の承継者がいない場合に、寺院や霊園が代わりに遺骨を預かり、供養や管理を行ってくれることです。
粗供養というのは、葬儀などの法要で供養していただいた方へのお返しの粗品のことです。
供養は、「相手を敬い、丁寧にもてなすこと」からそうした仏や故人のためだけではなく、生活に密着した道具などに対しても行われることがあります。
針供養は、普段の生活で大切な針が使えなくなった時に、感謝の気持ちを込めて行う供養ですね。
札幌 豊平神社「針供養祭」
⇒札幌市豊平区
和歌山県高野寺の箸供養
⇒わかやま新報
その他、数多くの供養がありますが、基本は相手が何であれ、敬い、感謝し、供養するということです。
自分のためにではなく、まず他の人のために供養することが、回って自分に戻ってくるというのは、大切なひとつの考えだと思います。
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