goo blog サービス終了のお知らせ 

♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
『 題詠100首blog 』に参加中

題詠100首blog(感想) 「011:からっぽ」

2006年06月21日 23時56分21秒 | ★題詠マラソン(感想)
「題詠100首blog」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~♪」と思った歌を、お題ごとに紹介いたします。
あくまでも、素人の私の「いいわ~♪」「好きだわ~♪」という基準で
ご紹介しております。出詠者のお名前は敬称を略させて頂きました。


   「011:からっぽ」から




★ぽっぽっぽはとぽっぽの<ぽ>しっぽの<ぽ><ぽ>ってなんだろからっぽの<ぽ>も
 (髭彦)

  「雪の朝ぼくは突然歌いたくなった」
 ( http://blog.goo.ne.jp/nazohige/e/1ba71a145f85ded9843f49067e457e10 )



★からっぽの心で母はなにを待つ老人だけの部屋の片隅 (しゃっくり)
  「春雨じゃ」
 ( http://blog.goo.ne.jp/100uta/e/bc8d2ce97185fff1855b5628e8bec565 )



★生も死も分け隔てなきガンジスにわれを流さむ からつぽとなれ (瑞紀)
  「歌信風(かしんふう)」
 ( http://mizukiuta.exblog.jp/3755574 )



★砂時計見つめています からっぽの部分に過去が満ちてゆきます (cocoa)
  「cocoaのうたにっき」
 ( http://jinsei1978.exblog.jp/3472954 )



★からっぽでいっぱいになるごみ袋 軽い軽くて泣きそうだ もう (みち。)
  「虹色アドレナリン。」
 ( http://run.funky.gonna.jp/?eid=183059 )




私の感想コメントは控えさせて頂きます。


題詠100首blog(感想) 「010:桜」

2006年06月20日 12時07分57秒 | ★題詠マラソン(感想)
「題詠100首blog」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~♪」と思った歌を、お題ごとに紹介いたします。
あくまでも、素人の私が「いいわ~♪」「好きだわ~♪」という基準で
ご紹介しております。出詠者のお名前は敬称を略させて頂きました。


   「010:」から




★あつけなく手から零れてゆく桜あといくたびを残り生に逢ふ (丹羽まゆみ)
  「All my loving ♪」
 ( http://blog.goo.ne.jp/mako9344/e/d4b79f65ea13809e34491096eeb9b121 )



★裏庭に花を咲かせぬ桜あり小猫大猫美(は)しく実れよ (水須ゆき子)
  「ぽっぽぶろぐ。」
 ( http://blog.goo.ne.jp/ymizusu/e/2bc05d4cf194bedb2b11869b61d60b1e )



★僕達は何を卒業するんだろう桜はいまだつぼみのままで (史之春風)
  「はちぶんめblog」
 ( http://hachibunme.exblog.jp/1232505 )



★老いてなお桜わたしをゆるさぬと降るこの肺を埋め尽くすまで (ひぐらしひなつ)
  「エデンの廃園 ー題詠百首のためにー」
 ( http://wastededen.blog55.fc2.com/blog-entry-11.html )



★ほどかれてしんと冷たいてのひらにしずかに満ちる桜の気配 (なかはられいこ)
  「みんなだれかの夢だから」
 ( http://blog.goo.ne.jp/reiko0410_2006/e/2550a4b621eb31cde7b19a87cd0212d2 )





私の感想は控えさせて頂きます。



いいわ~。この歌♪ 034:「背中」

2005年11月09日 15時36分50秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「034:背中」から



★背中掻く母の手ずれてわれ詰(なじ)るわが痒き場所わからぬ不当を (謎野髭男)
 ( http://blog.goo.ne.jp/nazohige/ )


   ほ:その頃はきっと幼くて、お母様を不当に思い、責めてしまったのですね。
     しかし、今となってはそのことを申し訳なかったと思っている。
     ご自分を責めていらっしゃるのでしょう。
     こういう作り物でない気持ちを、心の中から拾い上げて詠むというのは
     とても大切なことだなぁと、あらためて思いました。



★湯上りの夫の背中の痩せたりと不意に思ひて涙したたる (浜田道子)

   ほ:愛情のあふれるようなお歌です。「痩せる」というのは悲しいですね。
     それが愛するご主人あれば尚更でしょう。
     言葉を飾らず、シンプルに詠われていて、とても実感がこめられていると
     感じました。
     「涙したたる」が、けっして大げさではなく感じられます。



★あんなこと言ってごめんねシャツの皺背中が喋るなんてずるいね (ハナ)
 ( http://www14.plala.or.jp/nemu31/ )


   ほ:「シャツの皺」を見て、急に「ごめんね」と思えてくる気持ち。
     わかるような気がします。きっと切なくなるのですね。
     「シャツの皺」に視点をあてているところと、
     「背中が喋るなんてずるいね」という可愛らしい愚痴が
     とても良いと思いました。


★孵化を待つ卵のごとし講堂の体育座りの子らの背中は (丹羽まゆみ)
 ( http://blog.drecom.jp/mako9344/ )


   ほ:子供達が講堂で体育座りをしている後ろ姿を、卵に喩えています。
     孵化をを待っている卵。まるく、小さく、きっと温い背中でしょう。
     心にはなにを抱えているのでしょうか。うまい喩えだと思いました。
     思春期を迎えた子供たちは、あと少ししたら、急に成長して
     羽ばたき、飛び立ってしまうでしょう。
     寂しくもあり、待ち遠しくもあるような、しんとした風景です。



★少年の華奢な背中に貼りついた8月の嘘とんがったまま (暮夜宴)

   ほ:少年の華奢な背中と8月の嘘が、よくマッチしていると思います。
     「少年」と「背中」って、切り離せないイメージがありますよね。
     「とんがったまま」という結句が良いと思いました。
     どんな嘘が貼りついているのでしょう。
     それがもっと具体的にイメージできると、さらに良いような気もします。
     


★信号を守る背中がいっせいに生い立ちを捨てかっこうと鳴く (ジテンふみお)

   ほ:目の不自由な人に、信号が変わったことを知らせる「かっこう」の
     メロディーが頭に浮かびます。
     「いっせいに生い立ちを捨てかっこうと鳴く」という部分が
     とても良いと思いました。一番大事な「背中」の意味が、最初わたしには
     掴めなかったのですが、「信号を守る背中」は、信号を支えている柱と
     いう意味で良いですか?その前後左右の柱にスピーカーがあって、
     それから、いっせいに音がするということですよね。
     柱であるという生い立ちを捨てて、かっこうと鳴く。
     うん。なんか、人のためにがんばる柱が、格好良く思えてきます。
     え?かっこうと格好のダジャレです。

     p.s.作者さまよりコメントを頂きました。
       ほにゃらかの解釈は、かなり頓珍漢だったようなので、
       作者さまの自歌解釈(コメント欄にあります)も
       合わせてご覧頂ければと思います。申し訳ありませんでした。
     


★黒い毛の背中に花びらのせ帰宅今日は何処を冒険したの (渡部律)
 ( http://blog.goo.ne.jp/ura_kuroneko/ )


   ほ:散歩に行った猫が、身体にゴミなどをつけて帰ってくることがありますね。
     ひげに蜘蛛の巣なんか付けていると、どこを歩いて来たんだろうと
     思ったりします。
     黒猫ちゃんが背中に花びらをのせて帰宅。花見でもしてきたのでしょうか。
     「背中に花びらのせ帰宅」という部分がやや早口で説明的なので、
     ここの表現をすこし変えてみると、さらに良いお歌になるように思います。



★とうさんの背中はいつもまっすぐに空へのびてる 悲しいくらい (みあ)
 ( http://blog.drecom.jp/a_yaya/ )


   ほ:お父様の生きる姿勢を詠われているのだと思います。
     きっと真面目で一本気な方なのでしょう。それは悲しいくらいに。
     素敵なお父様の背中を見てお育ちになったのだと思います。
     とてもあたたかく、愛情のこもったお歌だと思いました。
     「とうさん」「まっすぐに」という平仮名表記も良いですね。



★さりげなく流しに立てばほぐれくるその声背中を耳にして聞く (前野真左子)

   ほ:夫婦ゲンカでもしたのでしょうか。子供を叱った後でしょうか。
     相手の口調が、すこしずつ「ほぐれて」ゆくのですね。
     その声を、背中を敏感にして聞いている、その気持ちが伝わります。
     「ほぐれくる」「背中を耳にして」という表現がとても良いと思います。



★陽の匂い剥がすあそびの背中から夏はまだらに遠ざかる (しのざき香澄)
 ( http://kasumi25.jugem.cc/ )


   ほ:このお歌は面白いです。日焼けした肌を、すこしずつ剥がすのでしょう。
     「陽の匂い剥がすあそび」と表現しているところが巧いなぁと思います。
     「夏はまだらに遠ざかる」日焼けの肌は、全部いっぺんには剥がれませんね。
     この「剥がす」あそびは、思い出をたどる遊びでもありますね。
     だから、ちょっとずつ思い出も遠ざかっていくのだと思います。



★生き物のようにファスナーが前を行くひとの背中にまみれた街は (鈴木英子)

   ほ:このお歌は、発見のお歌だと思います。
     ひとの背中にまみれた街を歩いていると、どこを歩いたら良いかと
     困ることがあります。
     人の背中と背中の隙間に、狭い通路をひらきながら進みます。
     ひらいては閉じ、ひらいてはまた閉じる通路?をファスナーに喩えて
     いるのだと思います。それはまるで「生き物のように」うごめいている。
     「ファスナーが前をゆく~」とあります。
     前を歩いている誰かの後についていき、前の人のひらいてくれた
     「ファスナー」のあとを辿っているのでしょう。
     都会のラッシュアワーを、見事に表現されたものだなと思いました。



★あすごとは明日きめてよしアユタヤの遺跡に熱き背中をもたせ (光森裕樹)
 ( http://www.duralumin.net )


   ほ:アユタヤの遺跡というのは、タイでしょうか。
     地理とか歴史が嫌いなもんで、間違っていたらごめんなさい。
     きっと作者はアユタヤの遺跡に立って、その国の、ゆったりとした
     時間の流れに感動されたのだと思います。
     「あすごとは明日きめてよし」それがその国の考え方なのでしょう。
     あくせく働いて、焦って、急いで生きていた。そんな日常との対比。
     興奮で背中に熱もこもるのでしょう。



★火の色を背中に見せる男より水の深さを目に湛ふべし (島田牙城)

   ほ:「火の色を背中に見せる男」というと、格好いいサッカー選手などが
     頭に思い浮かべます。
     「水の深さを目に湛」えた男っていうと、サッカー選手なら中田英寿?
     できれば、両面を兼ね備えているのが理想的です~。
     「背中」と「目」、「火」と「水」の対比が面白いと思いました。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

「背中」は、好きな歌がたくさんありましたので、感想が一言ずつになってしまいました。


こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」などをご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 033:「魚」

2005年11月07日 16時07分21秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「033:」から



★ワタルからは来ない賀状をしたためる そら飛ぶ魚の噂を添えて (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:返事が来ないことが続いていても、つい年賀状を出してしまう友人がいます。
     住所が変わってしまったのか、戻ってきてしまうこともあるのに。
     あるいは、もうこの世にはいないのかもしれないと思わせる表現です。

     年賀状を書くという行為そのものが、その人を思い出すことでもあり、
     自分の思い出を懐かしむことでもあるのでしょう。

     目を開かない魚のうわさを聞いて、授業が終わるのも待ち遠しく教室を
     飛び出したあの日のように、そら飛ぶ魚の噂を知ったらワタルはどんな
     反応をするだろう。子供の頃にもどったように、一緒に探しに行こうと
     言ってくれるんじゃないのか。あいつの顔が眼に浮かぶようだ。
     そんなことを思いながら…。



★無精卵抱いてしずかに滅びたい魚鱗のような雨の降る道 (丹羽まゆみ)
 ( http://b1.jaxy.net/d/index.php/b422907263bbc3 )


   ほ:もう子供を授かることはないと心に誓っているのでしょうか。
     それでも、女性の身体には数え切れないほどの無精卵を抱えています。
     このまましずかに滅びたいという思いで、雨の中を歩いている
     寂しい気持ちが痛いほどに伝わってきます。
     「魚鱗のような雨」の中、おそらく傘もささずに濡れながら、きっと
     泣きながら歩いているのでしょう。
     しかし、上の句の「無精卵抱いてしずかに滅びたい」という言葉には
     はっきりとした意志があり、寂しい中にも強さが見えます。
     悲しい・寂しいという気持ちに溺れていないところが素敵だと思いました。



★煮魚を骨だけ残し平らげる箸の捌きに見惚れる淫ら (落合朱美)
 ( http://www4.ocn.ne.jp/~siesta07/ )


   ほ:魚をキレイに食べる人の箸の動きは素敵だと思います。
     育ちもよく、きっと何をするにも丁寧なのだろうなと思えます。
     「見惚れる淫ら」は、表現がストレート過ぎる気もしますが、
     ちょっと面白いなと思ったので、とりあげさせて頂きました。



★あいまいな笑みをうかべてどちらにもなれないままの半魚人たち (みあ)

   ほ:「あいまいな笑みをうかべてどちらにもなれないまま」というのが、
     なんだか日本人ぽくて、切ないなぁと思いました。
     どっちつかずの曖昧な態度しかとれない人がたくさんいますね。
     自分もそうかもしれません。
     「人魚」ではなく、「半漁人たち」としているところが好きです。     



★瞼を閉じる事もなく世界が終わるのを凝視する魚の目 (渡部律)
 ( http://blog.goo.ne.jp/ura_kuroneko/ )


   ほ:魚を捌くとき、わたしは「魚の目」を怖いと思います。
     血が出るとか、内蔵がどうとかではなく、目を見開いたままなのが怖い。
     何かを思っているように見えるからです。
     「世界が終わる」ときも、魚たちは目を見開き続けるのでしょう。

     初句から第二句へ、第三句から第四句へ、第四句から結句へ、
     リズムの跨りがあるのですが、一首全体で三十一音になっています。
     五七五七七のリズムに合わせて読もうとすると、途切れ途切れに感じます。
     しかし、詠っている内容が「世界が終わるのを凝視する魚の目」だけに、
     この妙なリズムが、意識が切れ切れになってゆく魚の断末魔に思えて
     とても面白い表現だなと思います。

     ただ、短歌として意識せずに読んでしまうと、「魚の目」を説明するための
     散文にも見えてしまうという点が、ちょっとだけ残念でした。     



★魚水から魚爛へのとき いもうとともう呼べはしないひととおとうと (鈴木英子)

   ほ:「魚水」は、親密な間柄のこと。
     「魚爛」は、魚が爛(ただ)れて腐るように物事の潰敗(かいはい)するさま。
     「いもうとともう呼べはしないひと」は、弟さんのお嫁さんだった人でしょう。

     人のつながりというのは全く不思議なもので、ある人と結婚することによって
     それまで他人だった人とも、親子になったり兄弟姉妹になったりするわけですが、
     その縁が切れてしまうと、親子、兄弟姉妹の関係も切れてしまうのでしょうか。
     まったく不思議なことですよね。

     「魚」というお題から、よくこういうテーマをお詠みになったものだと、
     それがまたすごいなと思いました。



★骨のない魚が愚痴る今日もまたつまらぬ餌がぶらさがってる (やまね)

   ほ:「つまらぬ餌」に愚痴っている魚の方も「骨のない魚」だという。
     なんとも皮肉で、面白いお歌ではありませんか。
     「骨のない魚」の具体も、「つまらぬ餌」の具体も、わからないのですが、
     どうも私はこういうお歌が好きなのです。
     できれば、何についての風刺なのか、作者の方に伺ってみたいと思いました。



★太刀魚か立ち魚なのか争うを寿司屋は鼻で笑って握る (のぶれば)

   ほ:このお歌も面白いです。
     「太刀魚」なのか「立ち魚」なのか、お寿司屋さんのカウンターで
     お客さんたちが議論を始める。それをお寿司屋さんのおやじさんが
     「ふん」と鼻で笑いながら、寿司を握っている。

     「お客さん、んなこたぁ~どうでもよござんしょ。
      タチウオを漢字でどう書こうが、そんなこたぁ問題じゃありやせん。
      わしの握る旨い寿司を、どうぞ召し上がっておくんなさいよ。」

     そう思っているのでしょうか。

     「まったく、物事の本質も見極められねぇくせに、表面の字面だけに
      こだわるやつが多すぎて、やってられねぇよぉ。」

     と、呆れているのでしょうか。

     「寿司屋は鼻で笑って握る」という表現が、いかにも威張っている
     寿司屋さんっぽくて、面白いなと思いました。

     (いやいや、全部のお寿司屋さんが威張っているわけでありません。)

 

★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」などをご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 032:「乾電池」

2005年11月06日 15時18分49秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「032:乾電池」から



★応接間の柱時計に乾電池入りたるのちの母の快活 (村本希理子)
 ( http://muramoto@ob.aitai.ne.jp )


   ほ:日常の場面の、ちょっとした心理の変化の切り取り方が
     巧いなぁと思いました。
     もしかしたら、すこし前から乾電池を替えなくてはと思いながら、
     ちょっと先送りにしていたのかもしれません。
     柱時計も元気になり、やらなくてはと思っていたことをすませて
     母の気分も晴れやかになる。
     あるいは、「応接間」という言葉がありますので、来客があるのかも。



★さっきまではしゃぎいし子は眠りたり乾電池切れし玩具のごとく (みやちせつこ)

   ほ:人間に電池を入れる歌、人間をロボットや玩具にたとえる歌は
     いくつも見られたのですが、
     この歌は、子供の可愛らしさがよく表現されていると思いました。



★冬の陽を取り合う猫は乾電池 フローリングを直列に寝る (丹羽まゆみ)
 ( http://blog.drecom.jp/mako9344/ )


   ほ:冬の、陽が差しているところが、ちょうど縦の線状なのでしょう。
     その暖かい場所を取り合うように、猫たちが縦に並んで寝ている。
     なんとも可愛らしく、ほのぼのとした風景です。
     横に寄り添って寝れば並列でしょうが、直列と表現したことで
     冬の日差しの状態がうまく表されていると思いました。     



★クーラーの涼しい部屋で乾電池のぬくもりに優しくされている (百田きりん)
 ( http://blog.livedoor.jp/kirin100/ )


   ほ:クーラーが、涼しいというよりも、寒いと感じられるような部屋を
     想像しました。そこで、乾電池のぬくもりを優しいと感じています。
     乾電池でぬくもりを感じさせてくれる物は何か考えてみましたが、
     何かカイロみたいなものでしょうか。
     冷えすぎのオフィスへの批判とも、心象表現ともとれます。
     よくわかりませんが、一連の「乾電池」の歌の中で、すこし異色で
     面白い歌だと感じました。



★抜くときにかすかに及ぶ躊躇いは乾電池から乾電池へと (魅弥華韻)

   ほ:たしかに、乾電池を抜くとき、たぶん電池切れと分かっていても、
     なんとなく躊躇ったりします。それを感じたことはあったけれど、
     今までとくにそのことを取りたてて考えてみたことはなかったので、
     こうして表現されたものを見て、ああ、他の人もそう感じていたのだなと
     あらためて気づかされました。
     下の句の「乾電池から乾電池へと」については、使い切った乾電池を抜き
     また乾電池を入れるというくり返しを表現されていると思うのですが、
     他に意図するところがあったのかどうかを、作者の方にうかがってみたいと
     思いました。



★単三型乾電池にて稼働する立像や第三の眼光る (堀田季何)

   ほ:古来より仏像等の額に描かれており、全てを超越した仏の知覚を
     意味するといわれる「第三の眼」が、単三乾電池で光っていたのなら
     びっくりしますわね~。
     アイロニーの効いた、面白い歌だと思います。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」などをご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 031:「盗」

2005年11月04日 18時17分45秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「031:」から



★父たちのセブンスターを盗みては中途半端を分け合つてゐる (村本希理子)
 ( http://muramoto@ob.aitai.ne.jp )


   ほ:「中途半端を分け合つてゐる」という下の句が良いと思いました。
     未成年なのに、煙草など不慣れなのに、中途半端なのに、
     セブンスターなど吸ったらきっと目が回ってくらくらするでしょう。
     「盗みては」から、一度ならず二度三度という感じが出ています。



★盗掘を怖れはしない 干からびた記憶に友の包帯ほどく (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:過去の記憶をひらく。いちど開いてしまえば、盗掘にあうかもしれない。
     自分が「盗掘」していると疑われるかもしれないが、それも怖れない。
     友は、なぜ包帯をしているのでしょう。なぜほどくのでしょう。
     ほどいた包帯の下には、包帯をするほどの怪我があったのでしょうか。
     それを確かめるように、記憶をたどってゆくのだと思いました。



★しなやかに美(は)しき裸体を盗ませる女のあかいあかい遺伝子 (丹羽まゆみ)
 ( http://blog.drecom.jp/mako9344/ )


   ほ:「盗まれる」のではなく、「盗ませる」という表現が好きです。
     それは、あかいあかい遺伝子のなせること。
     「しなやか」という言葉は、「上品なさま、たおやか、しなうさま、
     弾力にとんでたわむさま」という意味です。
     漢字では「嫋やか」と書きます。
     一見弱々しくても、やわらかいからこそ折れない強さをもつ言葉で、
     一首全体に、とても効果的に働いていると思いました。



★幾つかは盗んでほしいものあればドアを開いて今日も待ちおり (望月暢孝)

   ほ:まず、いくつかの「盗んでほしいもの」とは何だろうと
     興味を抱かせてくれました。
     しかも、「ドアを開いて今日も待ちおり」という表現が
     面白いと思いました。
     「盗んでほしいもの」の具体はなにかわかりませんが、
     人は誰しも、「盗んでほしいもの」を持っているような気がします。



★早(は)よう来てうちもあんたば好いとうけん盗んでほしかぁ・・・ついて行くけん (吉野楓子)

   ほ:方言のうまく活かされた歌だと思いました。
     恋心を盗む・盗まれる・盗んでほしいというテーマの歌は
     ほかにもたくさんありましたが、この歌の、ストレートであったかい表現は
     「方言」がうまく使われているからこそ生み出されたものだと感じました。



★横顔を盗み見ているドライブの行き先とうにどうでもよくて (逢森凪)
 ( http://rikka.her.jp/ )


   ほ:そうそう。どこへ行くかは問題ではなくて、あなたとなら
     どこへ行っても楽しいはず。
     あなたの顔を見ていられるならば、それだけで十分幸せと感じる。
     そういう気持ちを、とても素直に表現されていいるところが
     良いなと思いました。



★孔子飲まずば盗泉まったき泉にて映せる空は割られはしない (鈴木英子)

   ほ:盗泉(とうせん)とは、中国中国山東省にある泉。
     孔子はその名が悪いので、その泉の水を飲まなかったといわれます。
     転じて、「盗泉」は、「不義」の意に用いられるそうです。

     まず、シンプルに解釈すると、「孔子が泉の水を飲まなかったため、
     盗泉の水は減ることなく完全であったので、泉に映された空は
     割られはしなかった」ということでしょうか。

     「盗」という文字が使われた名前だったために、その泉の水を飲まないと
     判断した孔子は正しかったのか。
     人やものごとを、名前や見た目で判断することは正しいのか。
     名前や見た目では判断できない「真実」が、そこには映されているのでは?
     ほら、こんなにも空は完全に映されているじゃないの。
     そういう気持ちを詠われているように感じました。

     「割られはしない」という結句は、割られてなるものか!という
     強い意志に感じられました。とても深みのあるお歌だと思います。



★どこからか記憶を盗むひとが来てぼくを毎日あたらしくする (大江ケンジ)
 ( http://www.geocities.jp/kjkjkj56jp/ )


   ほ:「ぼくを毎日あたらしくする」という部分がとくに好きです。
     「どこからか」が何処からなのか、「盗むひと」が誰なのか、
     曖昧な点は多いのですが、人生なんて、毎日が曖昧なものです。
     そういう感じがよく出ていると思いました。



★ねんごろに我を盗みてゆきなされ此岸彼岸を今は迷はず (島田牙城)

   ほ:彼岸(ひがん)は、生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界。
     此岸(しがん)は、その反対。生死を繰り返す迷いのこの世界。
     「我を盗みてゆきなされ」とか、「此岸彼岸を今は迷はず」と
     言っているわりには、「ねんごろに」(真心込めて丁寧に)を
     願っているというところが、なんともおかしく感じられました。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」などをご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 030:「橋」

2005年11月02日 22時45分20秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「030:」から




★ほたる橋ふたりで渡るやくそくを秘めて夕餉の菜をきざむ母 (吉野楓子)
 ( http://b1.jaxy.net/d/index.php/b42166dc4bf98b )


   ほ;上の句の秘密めいた感じと、下の句の夕餉の菜をきざむという日常の動作。
     「母」の裏面にあるものを見たような瞬間の、とらえ方が巧いと思います。



★橋だった。遠い町へと買い物にひとりで行くとき怖かったのは (武田ますみ)
 ( http://mypage.odn.ne.jp/home/erimana0508 )


   ほ:「橋だった。」ここに句点(。)がある。ここで句切れるのだ。
     つまり、作中主体が「橋だった。」と気づいてから、間が空く。
     そして、子供の頃の気持ちを回想する。
     「そうそう。遠い町にひとりで買い物に行くとき、怖かった。
      特に橋を渡るときに、怖いと感じたのだった。」
     徐々に蘇ってくる記憶の表現。
     子供の頃に、多くの人が感じたであろう不安のとらえ方。
     倒置法が、たんなる語順の置き換えでなく、意味のあるものに
     なっていると感じました。



★この橋を渡ればすべて終はるなり助走をつけて跳ぶ赤い橋 (寺川育世)

   ほ:「赤い橋」の意味するところが、わたしにはわからないのですが、
     命に関係があるように思えてなりませんでした。
     終わることによって、何か新しい自分になろうとする決意に見え、
     跳んでも良いのか、跳んではいけないのかと不安な気持ちにさせられます。
     きっと歩いて渡れるものではなく、えいや!っと助走をつけなければ
     跳ばなければ、渡れないのだと感じさせられました。



★橋の下をみてはいけない渦巻いて流れるものは無縁のものだ (里坂季夜)

   ほ:作中主体の橋の下に、いったいどんなものが流れているのでしょう。
     「無縁のもの」であれば気にならないか、というと、そうでもない。
     「みてはいけない」と思えば思うほど見たくなる。
     無縁と思って通り過ぎれば、自分は安全な高いところにいるし、
     最初から見ないようにすれば辛くもない。
     でも、あまりにも丸見えで……。
     「橋」はそういうところなのかもしれません。



★来世紀、桟橋と化す運命の高架ホームに快速を待つ (五十嵐きよみ)
 ( http://yaplog.jp/noma-iga/ )


   ほ:詞書きがありましたが、このブログへの転記の際、
     ほにゃらかによって省略させて頂きました。

     地球が温暖化して、やがて陸地が海に沈む時が来るかもしれない。
     この高架ホームでさえも、いつか桟橋と化する運命にある。

     社会詠ともとれますし、作中主体の心象ともとれます。
     「快速を待つ」という結句が意味深だと思いました。



★吾妻橋渡れば君の住む街へ行ける(いけない)日が暮れてゆく (林 ゆみ)
 ( http://yumi.myfws.com/ )


   ほ:目の前の橋を渡っていけば君に会えるのに…。
     でも、行ってはいけない。でも行きたい。
     迷いながら日が暮れてゆく。
     こんな夕暮れを、なんど繰り返してきただろう。
     そういう想いが、とてもストレートに表現されていて、
     いいなと思いました。
     
     橋の名前に固有名詞をもってきたことも効果的だったと思います。
     作中主体が、実際にその橋の向こうにいる人を思っているように
     感じられるから、ということがひとつめの理由。
     もうひとつは、「吾妻橋」という名前が持っている意味性。
     詠っている心情を考えると、なんとも皮肉で切ない名前ではありませんか。



★春やげにかぐわしきかな橋の下川も昨日にあらぬざわめき (船坂圭之介)
 ( http://kei5132ameblo.jp/ )


   ほ:春。桜の花見でもしているひとたちがいるのでしょうか。
     花の香りやら、美味しそうな花見弁当の香りやら、お酒の香りやら、
     なんとも良い香りがして、心を惹かれるようです。
     川の水量も増しているのか、冬のさむざむしい流れとはうってかわって、
     騒がしく勢いよく流れている。

     けれど、作中主体は、その宴の中にはいない。
     橋の上から、橋の下で華やいでいる人たちの姿を、ただ見ている。
     なんとも寂しい気持ちで。

     寂しいことをさびしいと表現せず、華やかな様子を詠いながら
     作中主体の気持ちを推量させるというのは、すごいなと思いました。



★一条で橋のたもとを覗き込み式神さがす もういませんか? (仁村瑞紀)
 ( http://mizukiuta.exblog.jp/ )


   ほ:一条の橋というのがどんな橋か知らないのですが、
     「千と千尋」の千尋が渡った橋が目に浮かびました。

     「もういませんか?」という問いかけが、効いていると思います。

     式神に、どんな願いをかけたいと思ってさがしているのか、
     もしいなかったらどうするのか、想像力をかきたてられました。



★陸橋のうへの匂ひは好きですか? たとへ海からはなれてゐても (遥悠(天晴娘々))
 ( http://nunato.orz.ne.jp/index.html )


   ほ:「陸橋のうへの匂ひ」というのは、どんな匂いでしょう。
     排気ガスの匂い?向こう岸の焼鳥屋さんからもれてくるタレの匂い?
     昔の彼とつきあっていた頃につけていた香水の匂い?
     海からはなれているけれども、海の匂いがするのかな?
     
     どうして陸橋なのか。どうして海からはなれているのか。
     誰に問いかけているのか。
     ごめんなさい。本当は何一つわかっていないのですが、
     とても心を惹かれたのです。
     ぜひ作者にうかがってみたいと思いました。

 

★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」からご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 029:「ならずもの」

2005年10月21日 13時52分30秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「029:ならずもの」から



★なまけもの生煮えのものならずものそれぞれの曳く春のかなしみ (春畑 茜)
 ( http://blog.goo.ne.jp/haruhatakou/ )


   ほ:上の句では「ならずもの」から連想されるもの。
     ことば遊び的な、すこし軽快な感じもあります。
     そして、下の句の「それぞれの曳く春のかなしみ」で
     一気に詩情にもっていきます。
     このバランスが、とても良いなぁと思いました。



★「三年で帰ります。絶対捜さずに」君の意思ならこのならずもの (鈴木英子)

   ほ:実話に基づく短歌とのことですが、作者の「君」に対する
     想いが伝わってくるように感じられました。
     「君の意思」で姿を消したきり連絡のない「君」を思いやり、
     意思を尊重しつつも、心配する人たちの気持ちをも思いやり、
     「このならずもの」と言葉を投げかける。
     「このならずもの」に込められた様々な想いがあふれるようです。



★ならずものの海賊ならば切っ先をするどく研げよ ようそろ、ぼくよ! (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:「海賊ならば切っ先をするどく研げよ」と呼びかけるが
     その「ならずもの」は「海賊」ではないのでしょう。
     だから「切っ先をするどく研ぐ」ことは出来ない。
     中途半端なやつなのかもしれません。
     と思ったところで、「ようそろ、ぼくよ!」が出てきます。
     「ようそろ」は、舟人のかけ声・はやし声。
     操船でまっすぐに進めという場合の命令語。(広辞苑より)
     「このまま直進せよ、ぼくよ」ということでしょうか。
     不思議な物語を見るようで、切なさがなんとも気持ちよいお歌です。



★すべり台逆にのぼればならずもの良い子でなければもう生きられぬ (深森未青)

   ほ:お母さんたちの見ている前で、1人の子供がすべり台を
     逆にのぼったりすると、「まぁ、あの子はなんて子でしょう」
     などと言われてしまいます。
     その子のお母さんも、お母さん仲間から白い目で見られたり…。
     なかなか窮屈な世の中ですよね。
     「良い子でなければもう生きられぬ」という下の句が
     時代をうまく表現していると思いました。

     子供を「ならずもの」に喩えた歌はほかにもありましたが、
     この歌には具体的な行動があり、共通の認識もあり、
     気持ちもつたわってくるという点で、とても良いと思いました。



★ポケットのなかの仔石はならずもの磨いてはだめ だめよどなたも (斉藤そよ)
 ( http://www003.upp.so-net.ne.jp/capverses/ )


   ほ:このお歌は、「ならずもの」の中で、ピカイチでした。

     一読して、おかしくておかしくて、大爆笑しました。
     「磨いてはだめ だめよどなたも」という言葉の選び方が最高。
     まず、音の響きがおもしろいのですが、それだけではなく、
     上品で、やさしくて、でも、しっかりとした意思表示です。

     ひとしきり笑ったあと、内容がしみじみ心に入ってきます。

     「ポケットのなかの孔石」は「小石」ではないのがポイントです。
     単なる小さな石ころではなく、命を持った子供なのです。
     「ならずもの」のように見えるのは大切な個性。
     それを「磨き上げる」ことも、尖りを「削る」ことも、
     絶対にしないでほしいという想いでしょう。

     では、なぜそれを「ポケットの中」に入れてしまうのか。
     それはカンガルーのお母さんの袋のように、大事に守ることを
     意味しているのでしょう。過保護かもしれません。
     あるいは、そのこと自体も「だめよ」と詠われているのかも。

     「どなたも」という表現から、ポケットに「仔石」を
     入れているのは大人という設定だと思われます。
     しかし、子供は小石を拾って、それを大事にポケットに詰め込んで
     帰ってきたりしますよね。そんなイメージも重なったりして、
     なんとも奥行きの深い、味わいのあるお歌だと思いました。

 

★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」からご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 028:「母」

2005年10月11日 20時10分30秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「028:」から



★母国語と呼べども父国語はあらず窓のひかりを降(くだ)るしらうめ (春畑 茜)
 ( http://blog.goo.ne.jp/haruhatakou/ )


   ほ:母の日といえば、ずいぶん早くから大騒ぎされるのに、
     昔の父の日というと、ほんとうに申し訳程度でしたね。
     今でこそ、デパートの商魂のおかげもあってか、
     なんとか体裁を保っていますが、父の存在の哀しさを想います。

     母国語はあっても父国語はない。
     まあ、子供に言葉を教えるのは、母親であることが多いでしょう。
     お父さんも、がんばれ~!

     ちなみに、「母国語」というのを辞書で調べてみると、
     「母国の言語」≒母語と出ました。

     「母語」=幼時に母親などから自然な状態で習得する言語。
     「母国語」=国家意識が加わる。

     たとえば国際結婚をされた場合、そのお子さんは、
     母国語(生まれた国の言葉)というよりも、
     母親の生まれ育った国の言葉が、いちばん身に付けやすいかも。

     下の句を「窓のひかりを降(くだ)るしらうめ」とされたことで
     単なる説明にならず、詩的叙情のある作品になっていると思います。



★夕暮れに飛び来る鳥の数ほどを分母と定め愛してあげる (黒田康之)
 ( http://uta-love-yasu.tea-nifty.com/kyou/ )


   ほ:一読して、面白い歌だと心をひかれました。

     「夕暮れに飛び来る鳥の数」は分かりませんが、
     わたしの頭には、かなりの数の鳥の飛ぶ姿が浮かびました。
     その数を分母とするならば、ひとつひとつの分子に与えられる愛は
     さぞかしちっぽけであろうと想像します。
     作中主体の愛は多くの人に注がれ、それはそれで大きな愛でしょう。
     しかし、その愛を受ける一人一人の立場になれば……。

     「愛してあげる」という表現。本来「あげる」は謙譲語ですが、
     恩着せがましく、傲慢にも見える表現です。
     それでも作中主体は「愛してあげる」自分の太っ腹さに酔っている。
     こういう勘違い男(女)に騙される女(男)も、また滑稽です。
     (あくまでも、作者さまではなく、作中主体のことです)

     この作品のアイロニーの面白さに、感服いたしました。



★女から母へと変わる同性の眩しさ 夏の逆光のごと (丹羽まゆみ)
 ( http://blog.drecom.jp/mako9344/ )


   ほ:「女から母へと変わる同性の眩しさ」
     これを見る瞬間の同性の気持ちというのは複雑なものでしょう。
     「夏の逆光のごと」
     まぶしすぎる光を背に受ける友の顔は、陰になり、見えないほど。
     いえ、見たくないのかもしれません。
     単に同性の幸せを羨ましく思うということではなく、
     女ならではの、母性ならではの、複雑な想いが
     うまく表現されていると思いました。



★乳の出ぬ母でごめんね 子の恋ふはガラスの哺乳瓶のぬくもり (高崎れい子)
 ( http://homepage3.nifty.com/reikononamida/ )


   ほ:うちの娘も母乳を飲まない子でした。
     お腹が空いて泣く娘にガラスのほ乳瓶を渡すと、
     嬉しそうに両手で握りしめて、いっしんに吸い付く姿は
     可愛くもあり、哀しくもありました。

     「ごめんね」という実感のこもった言葉と、
     「ガラスの哺乳瓶のぬくもり」という表現がうまいと思います。
     1首のどこにも無駄がなく、どこにも不足がありません。



★『ぼくの母さんわ《まがいもの》ですが父兄参観にわ必ず来ます』 (kitten)
 ( http://www12.ocn.ne.jp/~kitten/ )


   ほ:このお歌の作者は、「~は」という係助詞を
     間違えて「~わ」とお使いになっているわけではありません。
     ≪まがいもの≫の母をもつ、作中主体が「~わ」を使っているのです。

     作中主体「ぼく」の母さんは、何故≪まがいもの≫なのでしょう。
     ≪まがいもの≫なのに、何故父兄参観に必ず来るのでしょう。
     心はこもっていないくせに、形式的に行事はこなす人なのでしょうか。
     ロボットのように、インプットされた命令をこなすのでしょうか。
     それとも、なさぬ仲の母が、義理を果たしてくれるのでしょうか。

     歌の具体的な背景は見えませんが、どうしてもスルーできませんでした。



★母親が帰ってこいと呼ぶのです。泡立つ波が足攫う。ザラ。 (渡部律)
 ( http://blog.goo.ne.jp/ura_kuroneko/ )


   ほ:「母親が帰ってこいと呼ぶ」
     作中主体は、母親のもとを離れ、夢に向かって努力している
     最中なのでしょうか。
     夢中になって遊んでいて、夕方になっても帰るのを忘れている
     幼い子なのでしょうか。
     子供のことを案じて、母親は「帰ってこい」と呼ぶ。
     呼ばれた子の心は揺れる。
     いっしょうけんめい踏ん張って頑張っている心が揺らぐ。
     油断した足下を、泡立つ波が攫ってゆく。
     ざらつく砂の感触を残して…。

     句点「。」が、1首中に3つも使われています。
     気持ちの変化してゆく時間を表現しているのでしょう。



★影踏みの鬼は母さん。追いかけて追いかけていく地球(てら)のうらがわ (みあ)
 ( http://blog.drecom.jp/a_yaya/ )


   ほ:ああ、ほんとうに、「母」の気持ちはそれですね。
     どこまでもどこまでも子を追いかけて、地球のうらがわまでも
     ついていきたい気持ちですね。
     「母さん」を「影踏みの鬼」に喩えているところが、
     とても面白いと思いました。



★あまりにもみたされなくて母さんが煮た林檎ジャム一瓶空けた (上澄眠)

   ほ:みたされない気持ちになった理由はわかりませんが、
     どれほど切なかったかは十分伝わってきます。
     お母さんの林檎ジャム、いくら美味しいとはいえ、
     いくら愛情がこもっているとはいえ、
     ジャムを一瓶も空けるまで満たされないというのは
     かなりの切なさでしょう。
     また、お母さんの林檎ジャムは、きっと添加物などなくて、
     甘さも控えめで、身体にやさしいお味なのでしょう。
     「このことを表現したい」と思ったら、
     それを、「どう表現するか」というのが大事なわけで、
     このお歌は、それが成功しているのだと思います。



★給食をむさぼるタクの母親は昨夜も今朝も戻って来ない (林 ゆみ)
 ( http://yumi.myfws.com/ )


   ほ:おお~~~!
     「タク」って、誰よ? という疑問をさておいて、
     頭の中でドラマが始まりました。
     「タク」というのが実在の人物であるとかないとか、
     それは作者に聞いてみなければわかりませんが、
     そのことはどちらでも良いでしょう。

     「昨夜も今朝も戻って来ない」とあります。
     「タク」が給食をむさぼるように食べるのは、
     その日いちにちのことだけではないように見えます。
     そういうことが前にもあったか、何日も続いているのか、
     それでも学校にくる「タク」。
     いや、給食があるからこそ、学校へ来るのかもしれない「タク」。

     内容は切ないお歌なのですが、これを短歌にした発想が
     とても面白いと思いました。



★ママレモンのうつわはげしく黄を吐いて母は強くてカナリヤでした (落合和男)

   ほ:懐かしいですね~、ママレモン。
     あれは、ものすごく泡立ちが良いんですよね。
     「うつわはげしく黄を吐いて」というのが、まさにぴったり。

     ママレモンは、レモンの良い匂いがしました。
     母の匂いの記憶は、ママレモンの香り、という気にさえなります。

     油汚れもよく落ちましたが、手肌の脂も落としてしまいました。
     私の母は、冬になるとアカギレがひどく、
     私もお皿洗いを手伝ったのを思い出します。

     こちらのお母様は、手肌の荒れにも負けず、強くやさしく
     いつも歌など唄いながら、お皿を洗っていらしたのでしょうか。
     「母は強くてカナリヤでした」という表現が好きです。



☆「母」は、良いお歌が多く、選びたいお歌がたくさんありました。

★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。
私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」などをご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 027:液体

2005年09月23日 17時50分21秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「027:液体」から



★液体のうえにさらなる液体を注ぐ時間を宴と呼べる (春畑 茜)
 ( http://blog.goo.ne.jp/haruhatakou/ )


   ほ:やさしい時間を積み重ねてゆくような宴。
     望まずとも長々と続く宴会。
     どちらの場合でも、この表現はふさわしいように思います。
     シンプルなようですが、はっとさせられました。



★わが上司粘度の高い液体のようでなかなか時代に溶けぬ (中村悦子)

   ほ:うまいなぁ~。
     わたしは、こんな上司に出会わずにすみましたけれど、
     自分の上司がこんな人でなくて良かったと感謝してしまうほど、
     「嫌な上司」の感じが上手く表現されていると思いました。
     「なかなか時代に溶けぬ」という表現から、
     この上司の頭の固さ、融通のきかない感じが出ていて、
     いろいろ想像してしまいました。



★「生きたい」と波打つぬるき液体を超音波(エコー)画像は黒く映せり (伊波虎英)
 ( http://www8.plala.or.jp/haru3-kan/ )


   ほ:この子が「生きる」ことを望んでいるのかいないのか。
     そのあたりがつかみきれず、迷いましたが、
     表現が巧く、このお題の中では異質だったので選びました。
     この歌を読むと辛くなる人もいるかもしれません。
     社会批判でしょうか。     



★死に近き心は液体のようで会う度母は涙を流す (野樹かずみ)
 ( http://kazuminogi.hp.infoseek.co.jp/ )


   ほ:作者の、母へのやさしい視線と、冷静な視線のバランスが
     いいなぁと思いました。
     会うたび涙を流す母から、「死に近き心は液体のよう」
     と感じた感性がすごいなぁと思いました。



★春なれば我が身を保つ液体はふつりふつりと穴よりこぼる (西村玲美)
 ( http://homepage2.nifty.com/sora_uta/index.htm )


   ほ:「春なれば」の意味がすこし漠然としているのですが、
     「我が身を保つ液体」が「ふつりふつりと穴よりこぼる」
     という表現が面白いと思いました。
     「穴」って、どの穴だろう。気になります~。



★リンパ液体の中をめぐるうち隠した傷に出会つてしまふ (杉田加代子)

   ほ:「リンパ液」=「傷」というのは、あたりまえかもしれませんが、
     「隠した傷に出会つてしまふ」という切なさを盛り込んで、
     <感じる歌>に完成させているのが上手いなぁと思いました。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの歌?俳句?川柳~?」からご覧下さい。


いいわ~。この歌♪ 026:「蜘蛛」

2005年09月07日 17時25分00秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「026:蜘蛛」から



★蜘蛛の糸でも垂れくるならばちちははにいかにか太き慰めならん (鈴木英子)

   ほ:「ちちはは」に限らず、どんな人にも「蜘蛛の糸」は
     必要かもしれない。
     なにひとつ心に咎めることのない一生を終える人は
     いないだろう。
     「ちちはは」と「太き慰め」とを呼応させているところが
     この歌の良さだと思う。



★高台は日当たり良好セアカゴケ蜘蛛住みつきぬ隣人顔に (さゆら)

   ほ:第4句までは、ふつうに情景を詠まれているのかと思った。
     ところが、結句の「隣人顔に」で心を引きつけられた。
     やられた、という感じ。
     ほんとうに「そういう隣人」がいたら嫌だろうなぁ。
     いろいろ想像してしまった。



★恋をした蜘蛛の娘がキラキラとはりめぐらせる心のかたち (穴井苑子)
 ( http://brown.ap.teacup.com/agarix/ )


   ほ:上の句は少し軽いタッチだと感じたが、
     「はりめぐらせる心のかたち」という表現によって
     歌全体を引き締めていると思う。



★蜘蛛の巣をかるくつついた なにもかもしびれてしまう真夏の渓の (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:「かるくつついた」という悪戯心。
     「なにもかもしびれてしまう」という表現で、ぐっと心をつかまれる。
     「真夏の渓の」という意味深さ。バランスが面白いと思う。
      何気ない子供の頃の思い出だったりするのかもしれないが、
      こうして心をぐぐ~っっとつかまれてしまうのは、
      言葉の選び方、一瞬のとらえ方のうまさなんだろうなぁ。
     


★もう二度とあへぬふたりの右の手にはりつく蜘蛛の糸のきれはし (謎彦)
 ( http://www.commakagi.ne.jp/tosyokan/kannsou-hiroe.htm )


   ほ:蜘蛛の糸がはりついた時の、なかなかとれない不快感を思う。
     「もう二度とあへぬ」ことを悲しんでいるというより、
     いつまでも引きずり、忘れられないことへの苛立ちを感じた。



★玄関ではらたいら似の蜘蛛と会ふ どこにもいないほんたうのわたし (村本希理子)
 ( http://muramoto@ob.aitai.ne.jp )


   ほ:「はらたいら似の蜘蛛」という部分で笑った。
     蜘蛛の顔が、はらたいらさんに似ているかどうか、
     そんなにじっと観察したことがないが、違和感はない。
     何にでも似ている、何にでも喩えられる。
     「ほんとうのわたし」はどこにもいない。考えさせられる。



★鬼蜘蛛に捕えられたる蜆蝶 わたしもきつく巻かれてみたい (丹羽まゆみ)
 ( http://blog.drecom.jp/mako9344/ )


   ほ:上の句の残酷な様子と、下の句の熱い想いの対比が面白い。
     「わたしもきつく巻かれてみたい」という下の句のわりには、
     どっぷり浸った歌という感じがしないのは、
     「鬼蜘蛛じゃ~ちょっといやだなぁ」と思わせるからだろうか。



★蜘蛛が這ふ、みぎ・した・ななめ、前衛とかつてよばれた譜面のうへを (萱野芙蓉)
 ( http://page.freett.com/willows/zp_tanka/pillow.htm )


   ほ:(まったく解釈が間違っていたら、ごめんなさい。)
     私の中で、前衛=蜘蛛というのは、イメージぴったりだ。
     かつては「前衛」と呼ばれたものを手本(譜面)にして、
     型どおりに這う滑稽さを、蜘蛛に喩えていると思う。
     ちょっと異質で面白かった。



★性格の違う姉妹にどこか似て同じ「女郎」のつく花と蜘蛛 (五十嵐きよみ)
 ( http://yaplog.jp/noma-iga/ )


   ほ:姉妹というのは、なかなか難しい。
     似ているけれど違う。違うけれどどこか基本は同じ。
     わたし自身、二人姉妹の妹なので、そう感じながら育った。
     でも、「花」と「蜘蛛」じゃ嫌だなぁ~。
     そんなふうに思わるところがさすがだ。



★廃墟には時間を食べる蜘蛛がおり柱の創は十三歳(じゅうさん)のまま (みあ)
 ( http://22660825.at.webry.info/ )


   ほ:ちょっと不気味系の童話のような感じも。
     「時間を食べる蜘蛛」という表現がうまいと思う。
     「柱の創は十三歳のまま」という下の句も良い。
     「十三歳」に実体験的な特別な意味があったのか、
     ゴロが良かったのか、本当のところは不明だが、
     13歳と言えば、ちょうど中学1年生頃。
     子供とも言いづらくなり、大人ではない。
     大人になりかけの微妙な気持ちと身体をもてあます頃。
     この年齢の選択も、良かったと思う。



★「蜘蛛の巣に捕まりました」と言ってみる 「それはそれは」と受話器のむこう (市川 周)
 ( http://blogs.dion.ne.jp/shirohi/ )


   ほ:いろんなことを考えてしまった。
     電話の相手は誰だろう。
     友だち?親?それとも、蜘蛛の巣を張っていた人?
     「言ってみる」という表現も面白い。
     言ってみるけれど、ほんとうに捕まったかどうかは…
     という気持ちか、強がりか?相手を試しているのか。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの歌?俳句?川柳~?」からご覧下さい。


いいわ~。この歌♪ 025:「泳」

2005年08月14日 23時05分00秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「025:」から



★泳ぐとうフシギナチカラ見せながら何処へもゆけぬ水族の群れ (春畑 茜)
 ( http://blog.goo.ne.jp/haruhatakou/ )


   ほ:水のあるところから出ることはできない「水族」。
     自分の世界(水中)でなければ、呼吸も出来ず、干からびる。
     だから「何処へもゆけぬ」のでしょう。
     自由のように見えて自由ではないことの何と多いことか…。



★同窓会の案内が来た。泳ぐやつ泳がないやつ 「ら」が溺れそう (足立尚彦)

   ほ:同窓会は嫌いです。
     わたしも「ら」が苦手です。
     そこではきっとうまく泳げなくて、溺れてしまうでしょう。



★水泳は見学するつて決めてゐる新宿タカノの桃のふりして (村本希理子)
 ( http://muramoto@ob.aitai.ne.jp )


   ほ:「新宿タカノの桃」という言葉のチョイスに拍手です。
     かなり高級そうです。泳ぐわけにはいきません。
     みなさんも一目おくでしょう。
     けっして「泳げ」と強要したりはできないはずです。
     「水泳を見学するつて決め」た理由をグチグチ言わず、
     「桃のふり」をすると詠ったことが面白いと思いました。



★雨強き真夜のコンビニ水槽の魚のやうに人影泳ぐ (今泉洋子)

   ほ:コンビニのガラス張りの店内は、外から見ると
     たしかに水槽のように見えます。
     深夜であっても妙に明るくて、別世界のような感じがします。
     まして、雨の強い真夜であれば尚更でしょう。
     あの異空間をうまく詠われていると思いました。



★スーパーのカートを押していくキミのキリンが泳ぐような足どり (秋中弥典)
 ( http://www.h3.dion.ne.jp/%7emaples/index.htm )


   ほ:キリンは泳げるのでしょうか。
     よく知りませんが、たぶん泳がないような気がします。
     けれど、スーパーのカートを押している時って、
     なぜか私もカートにちょっと体重をかけて、
     スイ~ってやりたくなります。
     それはまさに「キリンが泳ぐような足どり」です。
     (そんなに細長くないだろうという突っ込みはナシよ)
     描写の面白さに座布団を差し上げたくなりました。



★永遠にたどりつけない徘徊の廊下を泳ぐ母のたましい (みあ)

   ほ:辛いですね…。
     徘徊の母は、母でありながら、その魂はもう母のものではない。
     それは「永遠にたどりつけない」と表現するにふさわしい
     先の見えない状況で、家族の辛さが伝わります。
     元気を出してくださいね。



★最終の泳者よ君が昨夜食ひし鶏は半分残つてゐるぞ (櫂未知子)

   ほ:「がんばれ」というだけではがんばりきれないですよね。
     最終の泳者は辛いです。
     「君が昨夜食ひし鶏」はなぜ半分残っているのでしょうか。
     今日のことを思って、胸がいっぱいで食べ切れなかったのか…。
     とにかく最後まで泳ききってほしい。
     泳ぎ切って、食べかけの鶏を最後まで食べて欲しいという
     励まし方が面白いと思いました。



★ここはもう足のつかない場所だから泳ぎつかれて溺れていいね (海神いさな。)

   ほ:「溺れていいね」と言われて、「いいよ」と答えるわけにも…。
     「足のつかない場所」とはどこなのでしょう。
     「泳ぎつかれて」いるのですね。
     きっと、できるだけのことは、やり尽くしたに違いありません。
     休んでいいと思います。でも溺れないでくださいね。
     もう一泳ぎだけ踏ん張ったら、無人島くらいあるかも?



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの歌?俳句?川柳~?」からご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 024: 「チョコレート」

2005年07月11日 11時23分40秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「024:チョコレート」から



★「理論武装セヨ」それぞれが溶けかけのチョコレートのよな自分に泣けて(鈴木英子)

   ほ:「理論武装セヨ」という固い表現で始まります。

     短歌を詠むことにも、短歌や歌論を読んで互いに意見を闘わせるにも、
     「理論武装」が必要だと感じている。
     そうしなければいけないと感じている。
     それを目標にかかげて、皆が頑張ろうとしている。
     ということでしょう。

     しかし、実情は思ったようにはいかない。
     「それぞれが溶けかけ」
     「溶けかけのチョコレートのよな自分」
     「自分に泣けて」
     ずるずる、どろどろの現状を畳みかけるように表現しています。

     だからこそ、また「理論武装セヨ」に戻るのでしょう。

     「セヨ」がカタカナであるのにも意味があると感じます。
     学生運動の「看板」には、なぜか漢字とカタカナの命令文。
     宗教の教典などを訳すときも、なぜか漢字とカタカナの命令文。
     何か形の見えないものからの「お告げ」。
     「セヨ」をカタカナにすることによって、
     そういうものを意図的にイメージさせているのだと感じました。
     
     そしてまた、そういうものをイメージさせることにより、    
     「理論武装セヨ」というお告げを信じていた「昔」の自分たちを、
     現在の作者が振り返っているというように見せているのだと思います。



★チョコレートちよこれいととつぶやいてシステムの輪を外れるがいい (こはく)

   ほ:「システムの輪を外れる」という大人の世界の言葉と、
     「チョコレートちよこれいと」という子供の遊び感覚の言葉の対比が
     まず、面白いと思いました。

     しかも、「チョコレート」は5歩、ちよこれいと」は6歩。
     単に、五七五七七のリズムに合わせるためだけでなく、
     少しずつ「外れ」ていく距離をのばしている感じを、
     うまく表現されているのだと思います。

     初めの「チョコレート」は早足で、
     次の「ちよこれいと」は、忍び足だけれども大股で。
     「システムの輪」から逃げ出したい心情が、
     巧く表現されていると思いました。



★チョコレートを溶かした夏の陽は落ちて成型されるあらたなかたち (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:上の句は、まったりと常套句的な表現で流れていき、
     下の句の「成型されるあらたなかたち」という表現で、
     心をぐっと鷲づかみにされます。

     なぜ「陽は落ち」たのだろう。
     「成型されるあらたなかたち」とは、どんな形だろう。
     いろいろな想像が膨らみます。

     具体的な形は見えませんが、
     「溶」けている現状のままでいてはいけないという思い、
     「溶かした夏の陽」が「落ち」たことへの思い、
     そして、「成型され」ようとする強い意志。
     そういうものが表現されていると感じました。



★チョコレート色したローファーつま先が割れてもよかった 17だから (古内よう子)
 ( http://mizutama.way-nifty.com/31iscream )


   ほ:若かったから気にせずにいられたものをとらえるのに、
     「ローファー」の「つま先が割れてもよかった」としたのが、
     とても面白いと思いました。

     たしかに、若い頃、ちょっと気を許すとローファーのつま先は、
     底の部分がペロッと剥がれてしまって、歩きにくさで気付く
     なんてことあったように思います。
     若いから、「まあいいや」と思えるのに、
     「17だから」という年齢設定はぴったりかもしれません。

     「セブンティーン」という年齢は、なにか独特のものを持っています。
     恋とか、部活とか、青春とか、そういう甘酸っぱいような記憶の
     全てを内包してしまえる不思議な魅力をもった「年齢」。
     とても巧いと思いました。

     「チョコレート」「恋」「セブンティーン」ではなく、
     「チョコレート色のローファー」「17」という素材の選び方が
     ひと味違うと感じました。
     



     次の2首は、それぞれに良い歌だと思います。  
     とくに比較してみると、とても面白いことに気付きます。
     まずは2首をお読みになってみてください。

★階段を グ リ コ グ リ コ で逃げる君 チョコレート で 僕はほろニガ (折口 弘)


★この勝負「グリコ」で終わり「チョコレート」の苦きを君は拒絶したまま (雪之進)


     折口弘さんのお歌は、「グリコ」を連発して先へ行く「君」を、
     少ない「チョコレート」では追いつけない僕が、
     ほろ苦い気持ちで追いかけているのを表現していると思います。
     ちょっと初恋の歌っぽい感じもありますね。

     雪之進さんのお歌も、勝負は「グリコ」で結末を迎え、
     「チョコレート」であっても回数が足りなければゴールできない
     「苦さ」不条理さに納得できない「君」の思いを詠っていると
     思います。

     たった31文字の中で、同じようなモチーフを使いながらも、
     設定の微妙な違いと、表現の違いによって、
     お歌の雰囲気や意味が変わってくるのが、面白いな~と思いました。
     短歌は奥が深いんですね。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

作者の方から削除のご依頼があれば、削除いたします。
ご遠慮なくお申し出くださいますよう、お願いいたします。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの歌?俳句?川柳~?」からご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 023:「うさぎ」

2005年07月06日 12時47分47秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「023:うさぎ」から



★おさな児のもみじの手には雪うさぎこの幸せよ永遠に続けと (真)

   ほ:幼い子供が、もみじのような手で雪うさぎを作る。
     この可愛い時間は、けっして永遠のものではない。
     でも、いつまでも続いてほしいと思う親心。

     シンプルすぎるほど素直な歌ですが、大好きです。
     親の愛情は、このくらいストレートで良いのではないでしょうか。



★顔なでて背中をなでて腹なでて朝晩なでてうさぎが死んだ (岩井聡)

   ほ:以前に流行した歌謡曲の歌詞のせいか、
     ドラマの中のセリフのせいか、
     (他にもあります?)
     「うさぎ=さびしいと死ぬ」という歌が多く見受けられる中、
     これほど「なでて」も、「死んだ」と歌っているので、
     とても意外性がありました。

     溺愛・過保護に対する警鐘でしょうか。
     動物も、人間も、寂しすぎるのもいけないでしょうし、
     かまいすぎるのもいけないのですね。



★口元に不敵な笑みを浮かべてる昔作ったうさぎのミミー (さゆら)

   ほ:この「うさぎのミミー」が実在するのかどうか、
     それはわかりませんが、面白い歌だと思いました。

     「昔作った」時の思いに、何か「怨念」のようなものが
     あったということなのでしょうか。
     それとも、「若さ」のもつ「不敵な」パワーに
     圧倒されているのでしょうか。
     若い頃に作ったから、まだヘタクソだったので、
     変な顔のうさぎを作ってしまったのだとしても、
     かなり面白いです。

     いろいろと想像をかきたてられました。



★意地悪なうさぎみたいなももいろの歯科助手に取り囲まれてゐる (飛鳥川いるか)

   ほ:うまいですね~。笑ってしまいましたよ。

     たしかに、歯医者さんに行くと、助手の子たちが
     「意地悪なうさぎ」みたいに見えますよね。
     可愛らしい「ももいろ」のナース服を着ているのに。

     私も、歯医者に行った時に、なんとなく、
     そういう違和感みたいなものを感じてはいましたが、
     こうして言葉にして歌われているのを見て、初めて、
     「おお~~!それそれ」って思いました。



★負けようがうさぎの方がずっとらく亀の歩みは一生続く (浜田道子) 

   ほ:「うさぎの方がずっとらく」
     「なるほど、深いな~」と思いました。

     地道に歩き続けなければ勝てない「亀」。
     その気になれば、さっさと亀を追い越して行ける
     脚力・能力を身につけて生まれてきた「うさぎ」。

     うさぎは、一時の勝負に負けたとしても、
     自分が負けているとは思っていないかも。
     そして、亀も本当に勝ったと満足なんかしていないかも。

     「努力しつづけることが大事」みたいな童話に、
     騙されるところでした。



★知らなくていいことなんてきっとない うさぎの耳を付けて歩くよ (古内よう子)
 ( http://mizutama.way-nifty.com/31iscream )


   ほ:良いことを歌われていると思います。

     私自身も、聞きづらいことには耳をふさぎ、
     知らないことも知ろうとせずに、
     耳を結んで生きていることが多くなっていたようです。

     大人も子供も、素直な「うさぎの耳」を
     付けて歩くようにできたら良いですね。

     分かりやすい言葉で歌われているのも、
     自分を主体にして歌っているところも、
     とても良いと思います。



★どんなにか悲しい恋を秘めている赤い眼をして哭かぬうさぎは (林 ゆみ)
 ( http://yumi.myfws.com/ )


   ほ:「赤い眼をして哭かぬうさぎ」という表現によって、
     かえって、慟哭するうさぎを想像させられます。
     それが「悲しい恋を秘めている」と言われたら、
     こちらももらい泣きしてしまいそうです。

     こういう感情の表現の仕方が、
     ほんとうに上手いな~と思いました。

     というより、「上手い」ことを感じさせないくらい、
     「気持ちがこもっている」と感じさせられました。
     


★とうさんがつくったうさぎ泣くことはゆるされなくて蒼いびいだま (みあ)

   ほ:「とうさん」のつくったものは、
     「うさぎ」の形をした「物」なのか、
     「作者自身」のことをさすのかはわかりませんが、
     「泣くことをゆるされな」い思いが伝わってきます。

     「うさぎ」と言えば、眼は「赤い」ものというイメージですが、
      ここで、敢えて「蒼いびいだま」としているところが
      面白いと思いました。
      赤い眼よりも、ここでは「蒼い」眼のイメージの方が
      悲しい感じが伝わり、合っていると思いました。

      全体に「ひらがな」が多く使われて、やさしい感じなのも、
      過去を懐かしく想わせるような雰囲気を作り出し、
      とても良いと思いました。



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。

作者の方からの削除のご依頼があれば、削除いたします。
ご遠慮なくお申し出くださいますよう、お願いいたします。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの歌?俳句?川柳~?」からご覧下さい。

いいわ~。この歌♪ 022:「弓」

2005年06月13日 17時35分24秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「022:」から



★体側の指が弓なり一年生母の思いをスペシウム光線 (貿易風)
 ( http://orion.tea-nifty.com/orion/ )


   ほ:きっと、母の思いもスペシウム光線ですよ。
     「ガンバレ~、頑張れ~」って熱いビームを送らても、
     闘っているわけじゃないんだからね~。
     「え~い、お母さんにもスペシウム光線送っちゃえ~」
      ってなことで、1年生の指から光線が出たのでしょうか?

     ちょっとわかりにくいと言えば分かりにくい気もしますし、
     体側(たいそく)という表現も硬いように思いますが、
     なんだか笑ってしまって、とっても好きです。



★弓を引く君の視線のその先にある一点を明日と言うべし (舟橋剛二)
 ( http://www3.diary.ne.jp/user/343254/ )


   ほ:ストレートな歌だと思います。
     こんな姿勢で明日を見つめて生きている「君」がいたら、
     カッコイイです。
     予定調和とか言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
     好きな歌なので、1票です。



★洋弓を定めるような父の目だ ぼくのどこかに的をさがして (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:恐いです。
     父と息子、母と娘との関係には、
     少なからずこういった面があるのかもしれません。
     それは、純粋な愛情からくる厳しさだけなのでしょうか。
     ふと、星一徹と飛雄馬の親子を思い出します。

     「~定めるような父の目」「~どこかに的をさがして」
     という言葉の、どこにも無駄がないと思いました。
     


★弓子とふ名をもつ友はしなやかに奏でつつゆく紆余曲折を (青野ことり)
 ( http://homepage3.nifty.com/flat_m3/ )


   ほ:実在の「弓子さん」がそういう人柄なのかわかりませんが、
     「しなやかに奏でつつゆく」
     「紆余曲折を」
     という表現が巧いと思いました。



★「矢」は女性、「弓」は男性名詞だと知ってひとつの暗喩を迷う (五十嵐きよみ)
 ( http://yaplog.jp/noma-iga/ )


   ほ:まず、「へえへえへえへえ~」です。
     「発見」「気付き」を歌うだけでなく、
     「ひとつの暗喩を迷う」というところへ結んでいるのが
     巧いと思いました。

     私も、イメージとしては逆だったので、
     どうしてなのかなと思いました。

     まあ、男が「ふところの深い、大きい存在」で
     デ~ンと構えていてくれたら、そこを拠点として
     女は「自由にふっとんで行ける」ということでしょうかね~。



★ひょうと射て弓を離れし矢が走り見切り発射の悔いに刺さりぬ (島田 久輔)

   ほ:耳が痛いです~。
     (あ、読んでいるのだから、痛いのは目かな?)
     ついつい見切り発射で「矢」を放ってしまい、
     「しまった~~~~!」となること、ありますね~。

     「悔いに刺さりぬ」という部分。
     「悔いが心に刺さりぬ」というか、
     「悔いに刺されぬ」というべきか、
      ここの「に」という助詞に少し違和感を覚えますけれど、
     気持ちは激しく「同意」です。はい…♭



★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの歌?俳句?川柳~?」からご覧下さい。