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♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
『 題詠100首blog 』に参加中

後書き 2

2004年09月24日 14時04分29秒 | ★和歌のメッセージ性
最後に、私自身が若い頃に詠んだ歌を収めて、後書きとしたい。

人の詠んだ歌や、歌論を批評した後に、自分の歌を紹介するのは、
たいへん勇気がいります。
この際に、改作しようかとも考えましたが、
これは当時の私の「思い」であり、当時の「力」ですから、
ここは正直にそのままの形で出しましょう。
ご批評頂けるなら、ありがたくお受けいたします(笑)

今まで、ありがとうございました。



     「水 槽」

 君恋はば呪ひにちかき名を抱きて潮満つるとき君を帰さず

 水とざし熱を生む女(ひと)身籠もりて白き乳房は母となりゆく

 稚児なるやひしと抱く腕あはれなり心問ひつめ母は老いゆく

 終焉の光放ちて祭り消ゆ変はらぬ日々に帰る後朝(きぬぎぬ)

 はるばるの春花吹雪頬濡らすつぼみけむれる故郷遠く

 ひそやかに終りを告ぐる遮断機よ背の向かうに赤く落ちゆく

 春菖蒲(あやめ)群れて咲く沼夏となる蒼き迎え灯ひそむ合掌(てのひら)

 黄昏(たそがれ)を紅消ゆるまで見つめをり君のいとなみ彼方に在りて

 幹をゆく水の流れに揺らされて葉脈の声はくれなゐを知る

 こころから君恋はば恋ひよ長月に母の呪詛(いのり)は掌をしたたりて

 凛々となほ青竹は天を刺すはるけき空に竹となりても



   「鏡の中へ……群青の昼に……」

 われはもう海へは行けぬ 行けぬよと君の寝顔にかなしく笑ふ

 もてあそぶつもりの数珠にからまれてわれの呪詛(いのり)はわれへと環る

 淋しさに滅びてみたきわたくしの形骸(かたち)は鏡の前立ちつくす

 厭はしき男の視線断ちて後、君を凝視(みつ)むるわれに戸惑ふ

 かなしみを官能に沈め髪梳けぬわがため髪よやはらかくなれ

 啼きやまぬ風が夜を梳く君もまたなにか淋しく眠らむとする

 ろんれーろん傷つけかへすこともせず秋の夜長にぶらんこ揺らす

 冬の香に胸を鋤かるる あくまでも空はあの日の青さを嘲笑(わら)ふ

 人群るる闇に潮(うしお)の消せるならせめてやさしく昼にありたし

 群青の昼に輪舞(をど)りてさざめくは人となりたき人かもしれぬ

 いつよりか二十歳の化粧 鏡へと目つむるままに静かに入らむ

 部屋と部屋つなぐ受話器を抱きをり緑けむれる朝に黙して

 海鳴りにわが魂は誘はれ男(ひと)を呑みほしくれなゐを吐く

 雨の夜もあなたの声に浸されて泣きたいほどにやさしき時間

 わが歌よわが身よ君の哀しみをつつみて歌ふぬくもりとなれ


     (ほにゃらか)




後書き 1

2004年09月24日 14時00分00秒 | ★和歌のメッセージ性
和歌にとって最も重要なことは、
「確かなメッセージが存在するかどうか」ではないのか。
いつの時代でも、普遍的に共感し得るのは「恋歌」ではないのか。

私の中で混沌としていた疑問を解決するために、
「和歌のメッセージ性」と題して、出来る限り多くの歌や
歌論を見てきたつもりだ。

歌の発生から現代に至るまでの、莫大な和歌の歴史を
たどっていく必要があった。
たとえ不完全な形で終わるにせよ、
自分の疑問から遠ざかるわけにはいかなかった。

たった一つの漠然とした答えを導き出すために、
その答えが正しいと証明するために書くのであれば、
全ての歌を読み、全ての歌論を読み尽くし、
あるいは全人類の意見を聞き、
統計までもとる必要があったのかもしれない。

しかし、それはあまりにも果てしない作業である。
結果的には、私見に傾きすぎたようでありながら、
表面的な、内容の浅いものに終わってしまったように思う。

資料を集めることもままならず、引用の際に
孫引きに頼ってしまったことも少なくない。

これを書いたことにより、貴重なコメントを頂くことができ、
自分自身の勉強不足であることも思い知ることができた。
これからも、勉強を続ける必要がありそうである。
そしてまた、それが楽しみにもなっている。

今後は、自分の好きな歌、好きな歌人にテーマをしぼり、
それについても自分なりの考えを書いてみたいと思っている。

これまで、何年もずっと胸につかえていたものを、
ブログという媒体を得たことにより、吐き出す機会に恵まれ、
幾人かの方にお読み頂けたことを感謝しつつ、
「和歌のメッセージ性」は脱稿とさせて頂くことにする。

(つづく)

恋に溺れても 7

2004年09月21日 14時30分35秒 | ★和歌のメッセージ性
この章の最後に、前書きでとりあげた鈴木英子の歌集から
三首ほど引用する。


  肺ふかく君の吐息をおぼえつつ植物のいろに交はりてゐる

                 (「夏至の闇」)

  胸と胸ひたりとあはせることできず乳房にわれは裏切られゐる

                 (「絞る陽光」)

  ひとひらの桜にふかく刺されたり誰とも知れぬ木の墓標立つ

                 (「風の映像」)

        (以上三首 鈴木英子 『水薫る家族』より)


鈴木英子は、唱和五十九年三月、國學院大學を卒業後、
新井貞子主宰「こえの会」の創立、創刊に参加し、
昭和六十年四月、新鋭歌人シリーズⅠ・7『水薫る家族』を
牧羊社より出版。
その後「詩とメルヘン」他種々の雑誌等に、短歌が掲載された。

鈴木英子の作品は、誰にでも「わかる」ものを目指しつつ、
その表現は短歌を愛するごく一部の優れた歌人たちをも
魅惑しうるものである。

煌めくような感性、
情熱的でありながら理性的という多面性は、実に興味深い。

しかし、俵万智と比較すると、鈴木英子の作品は
短歌に親しみのない人々にとっては、確かに難しいかもしれない。
それが、鈴木英子の歌集よりも、
俵万智の歌集の方が売れた理由であると思う。

優れた歌を詠むばかりでなく、時代の求めるものに合わせることが、
「売れる」ということにつながることは理解できる。
しかし、「売れる」ことがすべてではあるまい。

やはり短歌というものは、文学の初源的なものであったはずである。
それゆえに、短歌は今以て古式ゆかしく、
その韻律の持つ叙情性の豊かな拡がりは、
失いたくないものである。
それほどに、歌うことは難しいのであり、楽しいのである。

男と女の出会いが、全ての初まりであり、
言葉が生まれ、歌が生まれた。
それは「人の心を種として」という言葉を借りれば、
人の恋情を種として生まれた恋の歌だったのである。

それゆえに、方法論が時代とともに、どう変化しようとも、
偽りなき情の存在の確かさが必要なにである。
歌わずにはいられない衝動があってこそ、
読む人の心をも突き動かし、
魂に呼びかけるパワーを生むことができるのだ。

だからこそ、それを詠む態度は理性的でなければならない。
爆発寸前の感情や、恋する自分の姿、
あるいは歌そのものに、溺れてしまうからである。

短歌は甘美な酒である。
主人が先に酔いつぶれて醜態をさらせば、
客人はもう美酒を飲んでいる気分にはなれまい。
もっと酔わせる酒を、
もっと客を楽しませ、泣かせるほどの酒を醸造し、
百年でも千年でも寝かせておくことのできる酒にしたいものだ。

(つづく)

恋に溺れても 6

2004年09月21日 14時08分43秒 | ★和歌のメッセージ性
俵万智の『サラダ記念日』が歌壇に登場したのは、
もう二十年近くも前のことになる。
恋のとらえ方や発想の面では、それまでの女歌とあまり変わらない。
その表現についても、口語を用いたものは
同人誌『短歌』などでも俵万智以前から、よく見かけられた。

しかし、それまでの遊び的な要素が強く、
短歌としての完成度が低い作品と比較すれば、
口語が上手く五・七・五・七・七の中にあてはまっている点で、
『サラダ記念日』は他よりも完成度が高かった。

また、具体性のある単語を多く用いることで、
「俵万智」という人の「個性」の見える作品となっていた。

しかし、五・七・五・七・七に、単にはまっているだけであり、
そのリズムからは脱線しているものも多い。
口語を用いているためか、内容が実に軽薄なものに感じられる。
妙に「軽い」リスム感と、
時には全てを言葉で説明しつくしてしまったような、
散文調の「冗長」さも感じられる。

例えば、以下の三首などは、実に「軽薄」である。


  愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

  「この味はいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

  「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君

       (以上三首 俵万智 『サラダ記念日』より)


これらの歌を収める『サラダ記念日』が世に認められた原因は、
その「わかりやすさ」にあると思う。
表現の単純さ、現代人的恋愛感覚。

短歌を古くさいものわかりにくいもの、
ととらえていた多くの人々にとって、
俵万智の歌は確かにわかりやすく、
親しみやすいものと感じられたことであろう。

当時、ある短歌のシンポジウムの際に、
その資料として高校生を対象に
『サラダ記念日』についてのアンケート調査が行われたが、
その回答のなかには、やはり「わかりやすさ」を理由に
「良いと思う」という意見があったようだ。

しかし、反面
「五・七・五・七・七になっているから、短歌なんじゃないの?」
というような、恐ろしい答えもあった。

五・七・五・七・七になっていれば、全て短歌と読んでも良いものだろうか。
偶然、五・七・五・七・七でまとまった標語なども、
やはり短歌に見えるのだろうか。

私は、あくまでも短歌というものが、
単にリズムだけで成り立つものではないという考えに立ち、
俵万智の『サラダ記念日』を、「本物」の歌集として
認めることができない。

もちろん、全面的に否定するわけではなく、
口語短歌が文学としての定位置を築き上げる日が、もし来るのならば、
『サラダ記念日』はその先駆者的存在であったと言えるのだろう。

しかし、二十年近く経過した現在もまだ、
歌壇に口語短歌の地位が確立したとは
言い難い状況にあるように見える。
現段階では、口語短歌は「過渡期」にあるとさえも
言い難いように思う。

『浮雲』が、当時の文壇に与えた衝撃と同様のものを、
『サラダ記念日』が与えたとは言えないようである。
「ここまで日本の文学を低レベルに、
軽薄にしてしまっても良いものだろうか」
と感じた二十年前の私の不安は、取り越し苦労に終わったようだ。

先日、久々に、最近の角川『短歌』を読んだが、
短歌の世界は、二十年前とほとんど変わりがなく、
脈々として受け継がれた「古くさいもの」を
「古くさい形」で歌い続けているらしいことが見えた。

それはそれで、どうなんだろうか、という思いもあるが……。

(つづく)

恋に溺れても 5

2004年09月21日 13時32分23秒 | ★和歌のメッセージ性
しかし、恋歌はあまりにも数多く読まれ続けてきた。
その中に、新しくまた恋歌を詠もうとすれば、
ほとんど語り尽くされ、歌い尽くされたテーマから、
自分独自の発想や発見をすることは難しい作業である。
それゆえに「常套句」と呼ばれるフレーズができてしまう。

塚崎進著『悲劇歌謡の誕生』(桜楓社)に、
「悲劇歌謡の常套句」と題された文章がある。
ここでは「哭を泣く」という句が、
古代歌謡に繰り返し用いられていることについて論じられている。

歌の中では、しばしばこういう常套句を見かける。
歴史的背景や、その流行によってこれらが用いられた場合もあり、
また、その言葉以外には歌わんとする気持ちを
語り得なかったのだろうと思われる場合もある。

誰かが何かを表現するために、ある言葉を使った。
それが最も適切な表現であればこそ、
読む人にも、その「何か」が伝達される。
そういう、「これ以外には表現できない」
という表現をつきつめてこそ、
人の魂に呼びかけることのできる歌が生まれるのだ。

そうして創られた短歌であればこそ、
時代を越えて現代に生きる我々にも
「感じさせる」ことができるのだ。

それが、歌人にとっても喜びなのではあるまいか。
自分の創り上げた表現、自分の創り上げた歌が、
人の魂を震えさせる。
その喜びを味わうために、歌人は苦しみ抜くのだ。

こう考えれば、「常套句」を安易に取り入れて歌うことは、
歌人としては低レベルであると言えよう。

しかし、逆に個性的な歌を創ろうとするあまり、
新しい表現ばかりを追い求める必要はないだろう。
あまりにも個性的すぎて、何を言わんとしているのか
読者にまったく伝わらない歌になってしまっては意味がない。

常套句であっても、それが最も自分の気持ちに近いものであれば、
それはもう、自分の言葉と言っても良いのではあるまいか。

(つづく)

恋に溺れても 4

2004年09月17日 15時33分29秒 | ★和歌のメッセージ性
  遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
  遊ぶ子供の聲聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ

     (『梁塵秘抄』 三五九)


これは、遊女の心をゆるがす悔恨を歌ったものとする見方と、
単に子供の遊ぶ姿や声に、自然と身が動き出すような
衝動にかられると歌ったものだとする見方がある。

私は前者の見方でこの歌を見る。
そうでなければ、認識そのものはまさにその通りで、
一つの発見ではあるが、少しも感じない歌である。
やはり、遊女の哀しみとしてとらえる方が、
よりこの歌の存在価値を高めると思う。
哀しみを感じさせつつ、
その運命に対する恨み言を、そのまま表出させるのではなく、
<遊ぶ子供の>と、すこし冷静に引き離して
「考えて」いる点が上手いと思う。


  ああ接吻海そのままに日は行かず鳥翔ひながら死(う)せ果てよいま

             (若山牧水 『別離』)


この歌などは、個人的には好きな歌であるが、
少々気合いが入りすぎて、表現に溺れて、酔ってしまっている感がある。

しかし、<接吻>という言葉の持つインパクトの強さを浮き上がらせず、
一首全体の中にうまく溶かし込んでいる点は、評価すべきであろう。

こうして挙げていけばキリのない程、優れた歌が存在し、
私の心を揺さぶることを嬉しく思う。

その反面、こうして私の心を揺する歌が、
ある人には全く感動をおこさせない場合もあるだろう。
人はそれぞれ興味の対象が異なるものであり、
また時代によっても、求められるメッセージが変化していくことを
これまでに検証してきた。

それゆえに、古典として長い時代に渡って、
広く多くの人々に親しまれる歌を創るためには、
多くの人々が感動しうるテーマを選ぶべきである。

その点では、個人や時代の評価がいずれを選ぶにせよ、
「恋愛感情」が人間感情において不滅であることを考えれば、
恋の歌が、もっとも長生きし得るものであるということが言えるだろう。

社会を歌い、自然を歌い、自己を歌う者がどれほど現れようとも、
どんな時代であるかに拘わらず、
常に恋歌が存在してきたという事実が、
私の考えを裏付けてくれていると思う。

(つづく)

恋に溺れても 3

2004年09月17日 15時16分36秒 | ★和歌のメッセージ性
しかし、歌は冷静でありすぎても、
(つまり題材から作者自身が離れすぎても)
つきすぎても良い結果をもたらすものではない、
ということだけは言えそうな気がする。

歌わんとする題材を、どう表現すべきかを突き詰めて考える冷静さと、
自分ならばどう感じるかと、自分に引きつけて見つめた結果、
とらえた情熱の共存が必要なのである。

「確かにその通りだ」と頭で感じさせることと、
「ああ、そうだよね」と心で感じさせることとが出来てこそ、
理性と感情の均衡がとれた「秀歌」と言えるだろう。

これは、前書きで与謝野晶子と鈴木英子の歌をとりあげ、
比較した結果においても言えたことである。

さらに、いくつかの歌を例にあげたい。


  たゝくとも誰かくひなの暮れぬるに山路をふかくたづねては来む

             (『更級日記』より)


  一夜来ねばとて、科(とが)もなき枕を縦な投げに横な投げに、なよな枕よ、なよ枕。

             (『閑吟集』 一七八)


右の閑吟集の歌は、一見すると溺れた歌のようにも見える。
しかし、単に感情に溺れて口から出る言葉を
そのまま書き留めたわけではないことがわかる。

待つ身の女が、いかにしてその「待つ」ことの辛さを表現し得るか考え、
練りに練った上で、この歌い方を選んでいる。

<科もなき枕>という言葉から、
われに返った女の冷静さと、
それでも投げずにはいられない思いとが表れている。

<縦ななげに横な投げに>という、女の乱れ方と、
実際にそれが言葉で表現された時のおかいさは、
妙にばかげていて、哀しくさせる。

<なよな枕よ、なよ枕。>と
少しずつ言葉は短くなり、
やがて女の心の中に言葉は閉ざされていく。
まるで、引き潮のように。

爆発寸前の想いを感じさせながら、
さっと身を引いて、かえって同情させてしまうような、
女の恋のテクニックとでも言おうか。
見事である。

(つづく)

恋に溺れても 2

2004年09月17日 15時00分13秒 | ★和歌のメッセージ性
私は、時として歌う内容とともに、
歌自体が溺れてしまっているなと感じさせる作品に
出会い、困惑する。
作者よがりの歌とでも言おうか、
読者に入り込む隙を与えてくれないものがそれである。
作者個人の世界の出来事を、
作品化する時点で整理しきれず、
あるいは、整理し忘れたまま、
感情に押し流されて歌の定型にあてはめてしまったのであろう。

ここでは、敢えてそうした溺れてしまった歌を
例示するつもりはない。

その点、西行の前出の歌は異なっていると言える。
現実の恋には溺れていながらも、
一首の中に不明確さを残してはいない
きちんと整理した上で、感情のポイントを押さえ、
それを読者の心にも流れ込ませるようなゆとりも見せている。
「稚児めきて」というとらえ方の上手さも見せている。
ほとばしる感情と冷静な技巧が絡み合ってこそ、
はじめて叙情的な歌は、生き生きとしてくるのだと思う。

さて、私に初めて和歌に対する興味を抱かせたのは、
次の歌であった。


  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

     (額田王 『万葉集』巻一 雑歌二〇)


中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子との間で揺れる女、
額田王が、天智天皇の蒲生野に遊猟したまひしときに、
大海人皇子を想って歌った歌と言われる。

それが真実であったか否かは問題ではないと想う。
三角関係に悩む恋情をこうして直情的に、
それでいて技巧的に歌うことの出来る歌人が、
万葉の昔、すでに存在したことを考えれば、
こうした一個人の感情を「文学」に高めるには、
一人の人間として「どう生きるか」ではなく、
「どう見つめるか」が大切であるのだと思う。

どのような時代に生きるかに拘わらず、
何を求めて生きるかに拘わらず、
人間が誰かを愛さずにはいられないように、
いつもどこかで恋の歌は歌われ続け、
人を愛し、愛されようとする人は、
自分自身を常に見つめ続けている。

「見つめる」ということが大切なのであり、
「何」を見つめるか、ではなく、
「どう」見つめるかが重要なのである。
対象を見つめる眼が甘ければ、
歌もおのずと甘くなる。

(つづく)

恋に溺れても 1

2004年09月16日 13時51分20秒 | ★和歌のメッセージ性
  君したふ心のうちは稚児めきて涙もろにもなるわが身かな

               (西行 『山家集』)


西行は、新古今和歌集の歌人として高く評価されている。
さて、『万葉集』『古今集』とともに、
三大和歌集の一つとして掲げられる『新古今和歌集』が
成立したのは、1201年のことである。

一般に新古今の歌風は芸術至上主義的で、
幽玄、有心体が基調になると言われる。
感情と感覚との融合による妙趣が基調。
華麗で優美性に富むものであり、
古今集の観念的、技巧的なのに比較して、
幻想的、余情的であるとも言われている。
その中で、最も叙情的な作風を持つ歌人が
西行であると考えるのは、私一人であろうか。

西行の作品について、「自然・文学・宗教」の
三位一体の境地を求めたという点から
よく論じられるのを目にする。

しかし、自然も文学も宗教も、
一個の人格を持つ「生」の人間としての西行の
「眼」というフィルターを通して見つめられたものである
ということを、前出の歌から感じずにはいられない。

この歌が西行自らの、この作歌時点における
現実であるか否かは知り得ないことだ。
しかし、西行が身を以てこの想いを体験せずには
描ききれる恋では、ないのではないだろうか。

一読者たる私にも、西行の心の震えが時代を越えて、
伝わってくるように思えるのだ。
まるで子供のように無邪気に人を恋い慕い、
いわゆる恋の駆け引きなどはまるで思いもつかぬほどに
思い詰めた末の一首であろう。

人は、ほとんど誰もが。苦しく悲しい恋に、
身を引き裂かれるほどに思い悩むという経験をするであろう。
泣いても想われず、愛しても報われぬ、
行き場のない恋情に溺れ、惑いや恥ずかしささえも
忘れてしまうこともあるかもしれない。

確かに西行はその時、恋に溺れていたはずである。
しかし、歌人としての西行は
溺れるほどの感情を歌いながら、
作歌において溺れてはいない。

(つづく)

人の心を種として 2

2004年09月16日 13時29分42秒 | ★和歌のメッセージ性
現代、若い男女は求め合うままに、
たやくす身体を合わせてしまう傾向にある。
結婚という儀式は、単に紙上のの儀式でしかなく、
恋愛感情という強い絆こそが二人にとっての
本質的な結びつきであるのかもしれない。

しかし、新しい生命を宿すという神秘を
心の底から待ち受け、喜ぶことの出来る状況下になければ、
周囲からは祝福されざる行為なのである。

時には、心さえも通い合わぬままに、不安を抱きつつ、
「愛」を唱える男を信じようとして、
そしてまた彼に対する自分の「愛」をも信じようとして、
許していく女も少なくないだろう。

人間にとって、性愛というものは、あるいは何よりも
哀しい行為なのかもしれない。

だが、古代、女は待つことが愛の証であり、
男の訪れだけだが愛を量る手段だったのであろう。

「求愛する男に対して、焦らしたり、
 揶揄したりするのが、<女歌>の伝統……常套手段」

であり、歌に限らず実生活においても、焦らすということは、
よくなされることであろう。

しかし、それが本当の愛の姿ではないことを
いつか知る日が来るのである。

「女の本当の喜びと悲しみは、<新枕>を境に、
 いはば女が男の哀れさを受けとめるところから始まる」

のであり、これは昔も今も変わらぬものなのかもしれない。


  朝寝髪われは梳(けづ)らじ。愛(うつく)しき君が手枕触りてしものを

           (『万葉集』巻第十一・二五七八)


昔も今も、髪は女の命であると言われる。
男を愛する女にとって、もっとも気を遣うのは
髪であるかもしれない。
女だけが持つ、やわらかさは、髪においてもそうである。
そのやわらかさに憧れて、つい男は指を延ばす。
それを知っているから、女は髪を梳くのだ。

しかし、髪を梳くことが愛する男の前で
美しくありたいと願う女の装いでありながら、
それをせずにでも<君の手枕>に触れた髪を
そのままにしておきたいと願うことは
何と哀しい女心であろうか。

またいつ来てくれるともわからぬ男を想い、
その男の触れた肩のぬくもりも、唇のやさしさも、
すべてをそのままに感じていたい。
たとえ乱れた髪を梳かずにでも、
愛しい男との一夜の想い出を消さずにおこうとする。
これ以上の愛情表現が他にあるのだろうか。

<如何(あど)でろとかも、あや愛(かな)しき>

と歌うよりも、

<寝(ぬ)れど飽かぬを>

と歌うよりも、熱いのだ。
そしてその表現が、次はいつ来るともわからない君を、
ただ待つのみの女の哀しささえも匂わせるのである。

また、この歌は技巧的にもたいへん優れていると思う。

二句めの「梳らじ」で句切ることで、
この作者である女の決意の強さをかもしだしつつ、
「触りてしものを」とやさしく流して情感を残し、
一首全体に生き生きとした動きを与えているからである。

この動きが何とも言い得ぬ実感を呼び起こしていると思う。
歌が死んでいたり、単なる創り物と感じさせず、
「生きている」実感を読者に与える歌である。

(つづく)

人の心を種として 1

2004年09月15日 14時07分13秒 | ★和歌のメッセージ性
『万葉集』を読むにあたっては、
『万葉集の研究 民俗と歴史』(尾畑喜一郎著)
を参考文献とした。

『万葉集』の中で、私が最も心をひかれるものは、
女が愛しい君を想って歌った恋歌である。
男の訪れを待つばかりのせつない夜が、
女をして熱情を歌わせる。

前述の『万葉集の研究 民俗と歴史』の中で
尾畑氏の書かれた言葉によると、
当時は「とりわけ世間の口には神経質なほどに心を砕」かねばならず、
「何よりもまず相手の身を案じた」時代である。

こうした、当時の時代背景をどこか心の片隅に置くことさえすれば、
人が異性を想う恋愛感情というものは、
本質的には万葉の昔にとっても、
今現在のわれわれにとってもほぼ同じ種類のものであり、
その気持ちを理解することは難しくないはずである。

あるいは、たとえ時代背景をすら認識下に置かずとも、
共感を持ち得ないものではないだろう。
おそらく恋愛が、人間本来の姿と感情を
ありのままに表出することを、
最も強く求めているからなのだろう。

そして、それを求めながらも、
実人生の中では生の感情や姿を
恋の相手に突きつけることを恐れるものだから
なおさら人は歌に想いを託し、
愛する人に伝えたいと熱望したのだと思う。

その愛の情念と、それを伝えんとする熱情とが
万葉集の相聞歌を支えるエネルギーである。
技巧さえも、ほとんど必要としなかったのかと思われるほど、
素朴に直情を歌い、それがかえって私の心を打つのかもしれない。

(つづく)

国生み神話と言霊 3

2004年09月15日 13時53分01秒 | ★和歌のメッセージ性
私は、これを読んだ時、ひどく感激した。
この理論は、独りよがりだと思っていた私の考えに
非常に近いものであり、多くの例を挙げながら、
言葉を尽くして語られているのを見ると、
自分の考えが裏付けられたような嬉しさを
感じずにはいられなかったのを、よく覚えている。

つまり、歌の発生は恋歌の中でも
相聞という形に於いて始まり、しかも歌の母胎が
巫女の呪術的な言葉にあるという私の考えが
成り立つのではないかという、一筋の光が見えた気がしたのだ。

その対象が神であれ、恋しい異性であれ、
その対象の魂に呼びかけ、相手を賛美することで喜ばせ、
相手が自分の望みを叶えてくれるようにしむけるために、
歌は生まれたのである。

私は、中学生の頃、「和歌のようなものが、
どうしてあるんだろう」と感じていた。
あの素朴な疑問に始まった和歌発生への感心が、
私の中で勝手な想像としてふくらみ、
歌の本質は、情熱的でメッセージ性のあるものでなければならず、
読者の魂に呼びかけるようなものでなければならないはずだ
という断固とした信念が、私の中に育ち始めていた。

その理由もわからないまま時は過ぎ、
大学を卒業しようとしていた頃、
この本に出会ったのである。
それは、私にとっては大きな励みとなった。

確かに、この本一冊で歌の発生の真の母胎を知り得たと
感じることは危険である。
もっと多くの学説を読み、その中から探り当てる必要がある。
研究者であれば、公平な立場で多くの文献、学説に触れ、
「正しい」ものを探求する必要があるのかもしれない。

しかし、子育てしながら、毎日呑気に暮らすおばさんとして、
私自身は、これからも歌の本質が一人称のわれの心をもとにした、
他の魂に呼びかけるメッセージを持つものであり、
それを歌う態度は理性的なものであるべきだという持論を
追求して行くつもりである。

そして恋歌が最も歌の本質に近いものであるということを、
証明していきたいと考えている。

次の章では、直情の重要性について考えてみよう。

(つづく)

国生み神話と言霊 2

2004年09月15日 13時33分47秒 | ★和歌のメッセージ性
日本の宇宙創造神話においても、言葉の霊力が
重い意味を持っている。
『古事記』によると、
「是に天つ神諸の命以ちて伊邪那岐命 伊邪那美命
 二柱の神に、『是のただよへる国を修め理り固め成せ』と詔りて、
 天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ひき。」
とある。

『日本書紀』には、
「天つ神、伊弉諾尊と伊弉冉尊とに謂りたまはく、
 『豊葦原の千五百秋の瑞穂の地あり、
  宜汝往きて脩らせ』とのりたまひて、
 天の瓊戈を賜ひき。」とある。

これは、前述の「和歌と民俗・基礎論」の孫引きである。
       (ともに、ルビは ほにゃらかが省略)
ここからも、確かに「国生み」と言霊との関わりを見ることができる。

「国生み」は、伊邪那岐、伊邪那美の天降り、
美斗能麻具波比の発議に始まる。
伊邪那岐が、伊邪那美に「汝の身は如何か成れる」と問う。

「異性であることをその身の部分の相異なる話を明らかにしあって、
それから褒め言葉を唱和するのが自然」
であり、問答の主導権は男神が握る。
男神が問い、そうして女神が答え、さらに「みとのまぐはひ」や
女神の右廻り、男神の左廻りをも提案した。

これについて臼田氏は
「神々の御名に見られる尊称、美称には
 聖なる感動が込められているのだから、
 すでに文芸の母胎が蔵せられていることに
 肯けよう。」
と述べている。

また、
「異性を互いにほめて、男女が遘合することは
 生産の豊満を祈る民俗行事、民俗芸能に
 屡々見られるところである。」
として、各地の感染呪術的傾向を持つ民俗芸能を
例示している。

そして以上のことが
「言語を必要とする我と汝は、窮極的単位として男と女」
であり、
「言語の成立に性愛をぬきにして考えられない。」
という言語の発生論に展開していく。

それとともに、『カレワラ』をもとに、
「母系を通して、呪文が伝承されるということは、
 女性が神に仕える巫女たるべき任務を有していた
 からではあるまいか。
 巫女は仕える神を讃えて、神出生の神話を
 歌い語る必要がある。
 この信仰的祭儀に起源を説く呪詞の優位性が
 発しているのであろう。」
と解されてもいる。
そして、これらが文芸の発生に関わるものであるという論へと
結びついていくようである。

国生み神話と言霊 1

2004年09月15日 12時59分40秒 | ★和歌のメッセージ性
心にわきあがる感情の波は、
言葉を所有しない、人間以外の動物にさえも襲いかかる。

その感情がどこから生まれ、どう消化すべきかを思考するとき、
われわれ日本人の頭の中では日本語がぐるぐると回転する。
つまり自分自身の思考にさえも、言語を必要とする。
言語があるからこそ人間は論理的にその感情をとらえ、
消化させていくことが可能となるのだ。

人間が互いの意志や感情を伝達し合うために
言葉を生み出し、文字を考え出したのは、必然のことである。

これについて「和歌と民俗・基礎論」
(『和歌の世界』所収 臼田甚五郎著)では、
次のように書かれている。


  文字を知らない前から、日本人が相互に意志感情等を
  伝達する表現の重要なものとして、言語を口頭に
  上せていたことは自然である。
  敵味方になる場合があったにしても、
  音声言語の同じであることは連帯意識を形成する要素であった。
  この連帯意識を具現化する社会機能の実質は、
  古代日本人の心的生活にあった。
  古代日本人の心的生活が、言語の中で結晶したものとして、
  言霊の信仰を挙げなければならない。


また、「言霊は、言語の精霊であり、言霊の幸わう国は、
言霊が幸福をもたらすように活躍する国である。」として、
『万葉集』巻五の山上憶良の長歌(八九五)が引用され、
また言霊がそれ以外の意で用いられた例として
巻一三(柿本人麻呂歌集にもある)の長歌で(三二五三)と
その反歌(三二五四)も、とりあげられている。
後者は、「無事で、幸福でいらっしゃって下さい」
という意味として、とらえられている。

また、「言挙をやたらに行うべきでないこと」が、
「神は天翔り国駈けりすべて見通しであるから、
人間がこざかしく言葉を弄してはならないのである。」
と解されている。

そして、メラネシヤのレリク島の創造神話や、
台湾の高砂族のパイワン族カチライ社の伝説、
ニュージーランドのマオリ族の秘密の創造神話、
北米ニューメキシコのアコマ、
インディアンの神話、
湖の国芬蘭の神話伝説を集成した『カレワラ』にまで言及し、
「言語の霊力を信ずることは、人類的発想であって、
必ずしも日本民族の特異性とは限らないことを証明している。

(つづく)

紀貫之の歌う立場 4

2004年09月14日 14時48分58秒 | ★和歌のメッセージ性
子規の言うように、紀貫之が本当に「下手」な歌よみであれば、
『古今集』に収められているような紀貫之の歌は存在しなかったであろう。

恐らく技術的に優れて過ぎていたために、
たとえ歌わずにいられない衝動がなくとも、
歌わねばならない状況に置かれれば秀歌を創ることが
できてしまったのではないかと思う。

そういうことは実際にあるわけで、
たとえ歌い方(技術)が稚拙でも、人の心を動かす歌が多く存在する中で、
かえって「上手」であったことは、紀貫之にとって損であったとも
言えるかもしれない。

あるいは紀貫之自身、自分の技術に溺れていたのかもしれない。
技術に頼り、「情」を遠いところにおいてしまった。
そういった意味では、たしかに「下手」なのかもしれない。

子規も、それを感じ取っていたのではないだろうか。
知っているからこそ、かえって苛立たしく、
歌というものは、そうあってはならぬのだということを、
自分自身も含めて、歌を詠む人たちに、
あらために認識させようとしたのだ。

殊に、先に述べた「近代和歌」に対する批判のためには、
紀貫之のような優れた歌人を引き合いに出さなければならなかったのだ。

文学の近代化が叫ばれた当時、短歌においても
「自我の確立」が求められていた。
紀貫之のような概念的なものを切り捨て、
「私」というものを鋭くとらえる目が必要だったのだ。

時代によっては、この子規の論は適当でもあり、
またある時代によっては不適当でもあり得たと思う。

しかし、やはり歌というものは、一人称的「私」の心情表白が、
その本質なのではないかという私の理論の立場からみれば、
子規の理論は正論のように感じられる。

そこで、次の章では、もっと和歌の発生に迫る歌論を読み、
恋の歌、一人称の「われ」の歌、魂に呼びかける歌の重要性と
位置づけを見ていきたいと思う。

(つづく)