goo blog サービス終了のお知らせ 

♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
『 題詠100首blog 』に参加中

浦島太郎は謎だらけ 6

2006年03月06日 17時03分18秒 | ★古典こてん・ことば遊び

浦島太郎を主人公とする話は、口承の昔話でもさまざまな形で語り継がれているが
それらの話の中の特徴は、亀がこどもに苛められることと、浦島がその亀を
助けてやるという素材が加わっていることである。

古代の浦島物語がはらんでいた異郷訪問・異類婚姻話の要素から、異類婚姻話の
モチーフが希薄化するか、またはすっぽりと抜け落ちることによって、
浦島話の古代ロマンが、見失われる結果を招いたという見方を服部邦夫氏はしている。


つまり、子供のころに読んだ本や、母親から聞かせてもらった話の中では
「異類婚姻」の要素は、あまり強くなかったということなのです。

中世期の仏教の影響で、恩に報いるという部分だけがクローズアップされた為、
「亀を助けたらお礼に龍宮へ連れていってもらえた」という図式は残ったものの
乙姫さんと太郎さんが結婚したけれども、異類の愛だったために長く続かず、
太郎さんが故郷へ帰ってしまう(人間の裏切り)による乙姫さんの哀しみが
丁寧に描かれなくなってしまったのですね。

だからこそ、なぜ乙姫さんが「玉手箱」を太郎くんに上げたのかが
わかりにくくなってしまっているのです。
亀を助けてあげるという良い行いをしたのに、もらった箱を開けたら年寄りになる
という意味不明な図式が出来上がったのは、途中がすっぽり抜け落ちていたから
なのでした。



ちなみに、『昔話の変容』【異形異類話の生成と伝播】(服部邦夫著)という本は
とても面白い本でした。
ブログに浦島太郎のことを書こうと思って図書室で借りて来たのですが、
あまりに面白いので、ブログの更新もせずにひとり楽しく何度も読みかえしていたら、
いつの間にか返却日を過ぎてしまいました。(ごめんなさい)

というわけで、他にも面白いことが書いてありましたが、これ以上の引用は
できません。興味をもたれた方は、ぜひどこかでこの本をお探しになって
読んでみてください。

ではでは、本を返しに行って参ります~。


浦島太郎は謎だらけ 5

2006年03月06日 16時46分44秒 | ★古典こてん・ことば遊び

以下は、『昔話の変容』【異形異類話の生成と伝播】(服部邦夫著)を参照、
引用したものです。


『日本書紀』や『丹後国風土記』のつたえる浦島伝説の主人公、
水江の浦島子・筒川の嶋子の出身地は、丹後半島の東北部に位置する
伊根町の本庄宇治のあたりだとみられている。
浦島という小字名が残っていて、そこには『延喜式』の神名帳にもある古社の
宇良神社が鎮座している。祀られているのは浦島子で、地元では早くから
浦島神社とか浦島大明神・筒川大明神などと呼ばれてきたそうである。
神社のすぐかたわらを筒川が流れており、中世の筒川庄の名残をとどめている。
この川の流れにそって、河口の方へ十数分歩くと、常世浜とも呼ばれている
本庄浜へ出る。浦島はこの浜から龍宮へ旅立って行ったとか。
沖合には太郎が釣りをしていたというタイ釣りの岩も見える。


浦島子は、漁業の神様の海神としても信仰をあつめるとともに、浦島の伝承説話と
むすびついた明神縁起にあやかっての延命長寿や恋愛成就の神様としても
親しまれてきたらしい。

これが浦島太郎を主人公とした龍宮物語としてクローズアップされたのは
室町時代に入ってからだとみられている。


●日本古典文学全集本『御伽草子集』

むかし丹後国に浦嶋という人がいた。彼の息子で24~5歳になる浦島太郎が
ある日舟に乗って釣りに出かけると、亀をひとつ釣り上げた。
鶴は千年、亀は万年といわれる長生きの生き物だから、ここで命をたつのは
かわいそうだと思い、海へもどしてやった。

次の日、また釣りにでかけると、はるかな海上に小舟が美しい女をのせて
漂っていた。わけを聞くと、暴風にあって漂っていたというので、女を
本国まで送ってやることになった。
十日あまりの船旅のすえに女のふるさとへたどり着くと、ふたりはそこで
ちぎりをかわし、龍宮で仲睦まじくくらした。

栄華のうちに三年ほど暮らしたころ、浦島が
「私に三十日の暇をください。父母のことが気になるので、会いに出かけ
 また戻ってまいります」
と申し出ると、女は
「じつはわたしは龍宮の亀でございます。あなたに命を助けてもらった御恩に
 むくいるために夫婦になったのです。これを私の形見としてご覧下さい」
と言って美しい箱を取り出し、
「この箱をけっしてあけないでください」
と言って太郎に渡した。

浦島が故郷へ帰ってくると、人の往来も絶え、荒れ果てた原野になっていた。
目にとまった粗末な小屋に立ち寄ると、八十歳くらいの老人が出てきて、
「あなたの尋ねる浦島という人は、もう七百年も前の人だ」
というので、太郎は驚いた。

太郎は自分の墓の前でぼうぜんとしていた。
そこで、あの箱を開けてみようと思い、箱をひらくと、中から三筋の煙が立ち上り
彼の姿はたちまち変わり果てた。

こうして浦島は鶴の姿になって大空に飛び立っていった。
そもそも彼の年は、亀のはからいで箱の中にたたみ入れてあった。
だから七百年もの寿命を保つことができたのだ。
ところが、開けてはならないというタブーを犯したために、甲斐のないことに
なってしまったわけである。

浦島は鶴の姿になって蓬莱の島で遊んでいたが、のちに丹後国に浦島の明神として
現れ、衆生を済度されている。
亀も同じところに神となって現れ、夫婦の明神となられた。


(日本古典文学全集本『御伽草子』より、服部邦夫氏が要約されたものを
 さらに短くまとめました。)


この物語では、報恩話の要素が濃厚に付け加えられ、末尾で縁起の形式を踏んでいる。
中世になり、仏教を背景とした報恩の思想が高まったことが影響しているのだろう。


●『日本霊異記』

百済の人、禅師弘済が三谷寺の仏像造立のために京へのぼり、帰途、難波の津の
海辺で四匹の亀が売られているのを見て、亀を買い取り海へ放してやった。

禅師が舟を借りて津から童子二人とともに海を渡る途中、船乗りたちが
欲心を起こし、童子ふたりを海へ投げ入れ、禅師にも「海へ飛び込め」と強要する。
禅師が海へ入ると、足先に亀が現れ、禅師を背中に乗せて助け、三度礼をして去る。

その後、三谷寺に六人の盗賊(船乗り)どもが金や丹を売りにきた。
彼らは禅師の顔を見て大いにあわてふためき、捕らえられてしまった。
禅師は、彼らをむしろあわれに思い、刑罰を加えるようなことはしなかったという。

(日本古典文学全集本『日本霊異記』より、服部邦夫氏が要約されたものを
 さらに短くまとめました。)


この物語では、放生の功徳とか亀の報恩といったモチーフが、下敷きにされたと
みられている。


またまた長くなったので、まとめは続きの段で。

浦島太郎は謎だらけ 4

2006年03月06日 15時46分02秒 | ★古典こてん・ことば遊び

以下は、『昔話の変容』【異形異類話の生成と伝播】(服部邦夫著)から
引用したものです。
網野地方の伝説から、もうすこし詳しく見てみます。

●京都府丹後半島網野町

網野銚子山古墳と、その陪塚だとみられている寛平法皇塚古墳との間の畑の一角に
「皺榎(しわえのき)」とよばれているエノキの古木が一本立っている。
玉手箱を開けた浦島が、たちまち白髪頭になって動転し、おもわず自分の顔に
できた皺をはぎとって投げ捨てたところ、その跡からエノキの木がはえてきた。
それで、この木のことを皺榎と呼ぶようになった。

その昔、水の江の長者の日下部家で子宝祈願をしたところ、満願の夜に
福島で布団にくるまっている赤ん坊をみつけた。その子が島子である。
島子は釣りをしているときに乙姫に出会い、たちまち感じで夫婦となり、
小舟で龍宮へ行って三年間をすごしたという。
やがて故郷へ帰ってきてみると、だれ一人知る人とてなかった。
落胆のあまり玉手箱をあけたところ、白髪頭になったので、驚いて顔の皺を投げ捨てた。

吉田東伍編の『大日本地名辞書』にも、水江を「網野町の左右にある淡湖也」とか、
「万葉集浦島子伝等に澄江と云ふも此とす」としている。

こうした地名を背景として『万葉集』にうたわれている高橋虫麻呂作の長歌
「水江の浦島子を詠む」(巻九、一七四〇)の舞台を、この地だとする説がある。

長歌の内容は以下の通り。

●『万葉集』

水江の浦島子が、カツオ釣り・タイ釣りに夢中になっていると、七日たっても
家に帰らず、海の果ての境を越えてしまい、まおも舟を漕いでいくと
海神の娘とひょっこり行き逢ったので、声をかけあって行く末を誓い合い、
常世の国までいって、海神の宮殿の奥の美しい御殿に二人きりでこもり、
老いることも死ぬことも知らずに、長い間楽しい日を送っていた。

ある日、愚かにも愛しい妻にむかってこう言った。
「ほんのしばらくの間家に帰って、父母にじぶんたちのことを告げ、あしたにでも
 ここへ戻ってこよう」と。
すると、妻はこう言った。
「常世の国へまた戻ってきて、わたしに会いたいと思うなら、このくしげを
 けっして開けてはなりません」と。

そんなぐあいに堅く約束を交わしたのに、住吉にもどってきてみると、
家も里もみあたらないので、怪しく思って考えてみた。
「家を出てから三年の間に垣も家もうせてしまうはずはない」と、
「この箱を開けてみたならば、昔のように家があることだろう」と。
そこで、玉くしげを少しばかり開けてみると、白い雲が立ちのぼって、
常世の国へたなびいていったので、走り回り、わめき叫んでころげまわり、
じだんだを踏むうちににわかに気を失ってしまった。
若々しい肌にしわが寄り、黒々とした頭髪も真っ白になった。
あげくのはては、息も絶えて死んでしまった。
その水江の浦島子の家の跡が見えることよ。

(新潮日本古典集成本『万葉集』を参照して、服部邦夫氏が抄訳されたものを
 ほぼ、そのまま引用しました。)


浦島子伝説は、『万葉集』の他、『日本書紀』や『丹後国風土記』の逸文の中に
見ることができるそうです。


●『日本書紀』

丹波の国の余社の郡、管川の人、水江の浦島子という者が、舟に乗って釣りを
していると、大亀がえられた。どうしたことか、その亀が美しい女と化した。
浦島子は、彼女の姿に感ずるものがあって、妻にした。
二人は連れだって海の彼方へおもむき、蓬莱山にたどりつくと、仙人立ちと
楽しく過ごした。と簡単に記されているようである。


●『丹後国風土記』

筒川の嶋子という若者がいた。世にいう水江の浦嶋子とは、この若者のことだ。
一人で小舟に乗り、海へ出て釣りをし、三日三晩たっても一匹も釣れなかったが、
五匹の亀をえられた。
怪しく思いながらも舟の中で寝ているうちに、亀がたぐいまれな美女に変身した。
どこからきたかと嶋子がたずねると、「天空の仙人の所からきた」と答えた。
彼女の言うままに目をつむっていると、蓬莱山についた。
そこで、歓待を受けたあと、袖をまじえて「みとのまぐわい」をした。

嶋子が故郷のことも忘れて常世で遊んでいるうちに三年が経っていた。
不意に故郷が恋しくなり、両親にも会いたいと思うようになり、
「しばらく故郷へ帰って、両親に会ってきたい」と亀姫に告げると、
「二人はともに万年までも夫婦でありたいと契ったのに、故郷をしたうあまり
 なぜこんなにもすぐに私を捨てるのか」と言って嘆き悲しんだものの、
ついに決心してたもとを別つことにした。そのとき彼女は玉くしげを嶋子に与え
「あなたが、私を忘れずにいて、また会いたいと思うなら、この箱を決して
 開けてはなりません」と言った。

舟に乗って、亀姫から教えられたとおりに目をつむっていると、たちまち
故郷の筒川へもどっていた。
村里を眺めていると、見覚えのないものばかりで、知る人とてなかった。
里人に尋ねると、
「先の世に水江の浦嶋子という人がいたが、海に出たままである。 
 それから三百年も経っている」と言われた。

嶋子が亀姫との契りも忘れて玉くしげを開いたところ、たちまちのうちに
彼の若々しく美しい姿が、風雲にともなわれて天へ飛び去ってしまった。
嶋子は、ちぎりにそむいたために再び亀姫と会うことが叶わなくなったと知り、
涙にむせんでさまよい歩くばかりであった。

(日本古典文学大系『風土記』より、服部邦夫氏が要約されたものを、
 ほぼそのまま引用しました。)


こうした話が、やがて時を経て『御伽草子』の「浦島太郎」になったり、
仏教説話として『日本霊異記』に収められたりするようになったようですね。


またまた長くなったので、続きます。


浦島太郎は謎だらけ 3

2006年03月06日 14時46分42秒 | ★古典こてん・ことば遊び

ずいぶん間があいてしまいましたが、「浦島太郎は謎だらけ」の続きです。
浦島太郎のお話は、もともと古代海人族の共同幻想にもとづく浦島子の話が
もとになっているようです。

以下は、『昔話の変容』【異形異類話の生成と伝播】(服部邦夫著)から
引用したものです。


●青森県八戸地方

善助という者がカレイを買い取って海へ放してやると、龍宮から迎えがきて
彼を亀の背に乗せて龍宮へ案内する。
龍宮にはわずか1時間しかいなかったのに、地上に戻ってみると3年も経っていた。


●新潟県見附市

村人が屋根の葺き替えを頼んだ魚釣りが、川で魚を釣っていると美女が現れ、
彼を川底の穴を通って「さかべっとうの浄土」へ案内して歓待する。
彼女との間に子供ができ、孫や曾孫、玄孫までできるが、家に戻ると
まだ屋根の葺き替え中であった。  つまり時間が逆戻りしている。


●福井県の坂井地方

主人公が継子という設定になっている。昔話の継子ものは、継子と継母が
対立関係にあるのが普通だが、この話では、親密な関係になっているし、
みやげにもらうものも、玉手箱ではなく打出の小槌のように何でも欲しいものを
叶えてくれるという珠とリュウガンセイというものである。

※リュウガンセイ…動物のはなしことばを聞き取ることができる呪宝


●四国の讃岐の佐柳島

イカダ舟で釣りをしていた浦島が亀を釣り上げる。その亀を放してやると
また彼の釣り針にかかる。再び放してやると、またまた彼の針にかかる。
というぐあいに、三度繰り返す。龍宮に3年間滞在し、三重ねの玉手箱を
もらって帰ってくる。

※「三」の強調……三を好むのは、昔話本来の文体意志と解することができる。

※海神・水神に恩恵を与えて、返礼として呪宝を与えられる話
     ・龍宮童子
     ・黄金の斧
     ・水の文使い
     ・魚女房


●備讃瀬戸の海に突き出した、香川県の荘内半島

仁尾の家ノ浦に住む予作という男が、浦島の三崎に移り住んで
「おしも」という女との間に生まれたのが太郎だという。
彼は龍宮から七つ宝をみやげにもらって故郷へ戻ってきてみると、
村の様子がすっかり変わっていたので、もう一度亀が現れないか待っていると、
大亀の死骸が粟島の海岸に打ち上げられてきたので、それでねんごろに葬ってやる。

それが粟島の亀戎社である。
玉手箱を開けると、白い煙が出て白髪の老人になる。
煙が紫の雲となって山にたなびいた。その山が紫雲出山である。
山の山頂にある龍王社には、浦島太郎がまつられているそうである。


●横浜市の浦島ヶ丘

龍宮から持ち帰った竜宮守護の本尊をまつって、父母のぼだいを弔ったという。
観福寿寺の本尊である観世音菩薩がそれだという。


●木曾の山中の寝覚の里

龍宮からもどった浦島太郎が、この山中にさまよいこんだという後日談がある。
彼はこの地で毎日釣りばかりしていたが、ある日行方をくらましてしまった。
後に遺されていたのが、龍宮の乙姫様から授かったという弁才天であった。
土地の人がそれをまつって建てたのが、臨川寺だという。

※弁才天……インドの河川サラスバティーを神格化したもので、河川の神。
      わが国では、農業・漁業の神として信仰されるとともに
      七福神の福徳神としても広く信仰され、寿命増益のごりやくがある。

寝覚における別の伝えでは、龍宮の娘と夫婦になった浦島は、地上へ戻ってくると
毎日釣りばかりしていた。妻がときどき龍宮へ戻ろうとするので、龍宮への
道の穴をふさいだところ、妻は呪文を唱えて消え失せた。
妻が忘れていった玉手箱をあけると、浦島は白髪の老人になった。
浦島は夢からさめた気持ちになった。それでこの地を寝覚の床と呼ぶようになった。

※穴………川や池沼・海の中道の境をなす、洞穴を通って龍宮を訪れる話。
       ・龍宮童子
       ・沼神の手紙
       ・黄金の斧


●京都府丹後半島網野町

網野銚子山古墳と、その陪塚だとみられている寛平法皇塚古墳との間の畑の一角に
「皺榎(しわえのき)」とよばれているエノキの古木が一本立っている。
玉手箱を開けた浦島が、たちまち白髪頭になって動転し、おもわず自分の顔に
できた皺をはぎとって投げ捨てたところ、その跡からエノキの木がはえてきた。
それで、この木のことを皺榎と呼ぶようになった。



長くなったので、続きはまた後ほど。


浦島太郎は謎だらけ 2

2006年02月16日 19時27分19秒 | ★古典こてん・ことば遊び

図書室には、『浦島太郎』のお話の収められている本が、数冊ありました。

どれも大差はないだろうと思い、無造作に1冊ずつ手に取り、読んでみると、
どれもこれも、少しずつ話が違うのです。

●1冊目

・「亀=乙姫さま」……乙姫さまが亀に姿を変えて浜に遊びに来ていた。
・「3年で300年」……太郎が竜宮城にいたのは3年、浜に戻ってみると300年後。
・「玉手箱は3段重」…1段目で髭が生え、2段目で白髪になり、3段目で翼が生え、
               太郎は空に舞い上がりました…(え~~~~~?)


●2冊目

・「亀と乙姫さまは主従関係」……亀は乙姫さまの家来。
・「1時間で3年」……… 太郎が竜宮城にいたのは1時間、浜に戻ってみると3年後。
・「玉手箱は1段」………白い煙が出て、腰の曲がった白髪のお爺さんになった。


●3冊目

・「亀=美しい女」……太郎は亀を釣ったが、可哀想に思い海に逃がしてやると、
               美しい女(=亀)が現れ、女の古里へ連れていかれ、
               その女と夫婦になった。
・「3年で700年」……女の古里で3年暮らして、自分の故郷へ帰ると、700年後。
・「煙が3筋のぼる」…太郎は鶴になって、大空に飛び立っていく。
               亀が太郎の700年分の寿命を箱に閉じこめてくれたのに、
               開けてはならないというタブーを犯したために、
               亀(女)のせっかくの計らいがムダになった。


そうそう!3冊目のお話も聞いたことがある。しかも、かなり納得のいくお話です。

この違いは面白いなと思いましたので、大人向けに書かれた本も読んでみました。
その本には、地域によって「カレイを助けたら亀が迎えに来た」というお話も
あるということ、他にも、地域による色々な違いがあることが出ているのです。
(ちなみに以下の本です。)

『昔話の変容』【異形異類話の生成と伝播】服部邦夫著 (青弓社)


『浦島太郎』のような説話文学は、伝説・昔話・世間話など、口頭で伝えられた
説話が文字化されたものですから、伝える人の好みや思想が反映されやすく、
また地域による違いがあっても当然なのでしょう。

具体的な例は、また後ほど。

 (つづく)

浦島太郎は謎だらけ 1

2006年02月16日 18時21分36秒 | ★古典こてん・ことば遊び

実は、むか~しから気になっていたことがあるのです。
「浦島太郎」は、苛められている亀を助けて「良いこと」をしたのに、
どうして「おじいさん」にされてしまったのか…ということ。

わたしの記憶していた『浦島太郎』は、こういう話でした。


貧しい漁夫の太郎は、ある日、村の子供たちに苛められている亀を助け、そのお礼に、竜宮城へ連れて行かれる。

太郎は竜宮城で乙姫様に出会い、そこで美味しい料理をご馳走になったり、鯛や平目などの踊りを見たり、竜宮城を見て回ったりして楽しく暮らす。

しかし、家に残してきた親のことが気になり、帰郷しようとすると、乙姫様から「決して開けてはいけない」という玉手箱をもらう。

浜にもどった太郎は、乙姫様との約束を破って、玉手箱を開けてしまう。すると、箱から白い煙がたちのぼり、太郎はたちまち白髭のお爺さんになってしまった。




ここに書いただけの流れならば、この「結末」は酷すぎると思いませんか?
太郎は、いったいどんな罪を犯したというのでしょう。

「開けてはいけない」という約束を破ったことは悪いことだとしても、
それなら、最初から「開けてはいけないモノ」など贈らなければ良いですよね。

それとも、太郎に恋をしてしまった乙姫さまが、自分のもとを離れ
帰郷してしまう太郎の態度を哀しく思い、意地悪をしたのでしょうか。

太郎が自分の故郷に戻ると、年月が経ちすぎていて、誰一人知っている人が
いない時代に放りだされてしまう。それで、乙姫さまが年を取らせてくれた
という話も聞いたような、聞かなかったような…。
でも、それなら長々と竜宮城に引き留めなければ良かったのでは?


あらためてあらすじを書こうとしてみると、『浦島太郎』の話の記憶は
細かい点でとても曖昧であることに気付きました。

私が小さいときに母が寝る前に話してくれた話、子供の頃に読んだ昔話の本、
浦島太郎の歌詞、我が子の幼稚園の発表会で見た劇、それぞれ微妙に違うのです。
何が本筋なのか、よく分からないのです。

細かいことが分からないから、こんなにも「酷い結末」になった本当の理由が
分からないのかもしれないと思いました。

そこで、『浦島太郎』の本を読み直そうと思い、近所の図書室に行きました。
すると、とても面白いことが分かりました。『浦島太郎』は、謎だらけだったのです。


このことを、ちょっとブログに書いてみようと思ったのですが、思ったよりも
長くなりそうなので、(つづく)にします。

さてさて、この話は、どのカテゴリーに分類しよう。
日記というのも変だし、とりあえず、古典に入れておきますか。

 (つづく)

なるほど!「イメージバトン」ですな?

2005年11月16日 17時45分27秒 | ★古典こてん・ことば遊び

「蛙♪音楽屋」の蛙♪さんから、バトンをいただきました。


今度は、イメージバトンだそうで。
正解のない連想ゲームみたいなものらしいです。


ルール⇒⇒ 最後にキーワードを追加して次の3名さまに受け渡す

海→ブルー→サッカー日本代表チーム→ドイツ→ソーセージ →
バーベキュー→かに→白浜→砂丘→海→太陽→ひまわり →たね→
すいか→うめぼし→和歌山→みかん→あたしンち→猿山→赤ちゃん→
フレンチブルドッグ→おばあちゃん→ボーリング→ハイタッチ→
アメリカ→カジノ →ドラクエ!!! →スライム→キング→トランプ→
マギー審司→ジュエリーマキ→後藤真希ちゃん→モーニング娘。→
テレビ東京→旅→駅弁→牛タン→カルビ→脂肪→カプサイシン→
ナルリョライスンヨプ→金山知憲→ミラクルホームラン→逆転→旗→
体育祭→うちあげ→飲ま飲まイエイ→一気飲み→ウコン→インド人→
ガンジー→ゼンジー北京→バンジージャンプ→SHOKEN JUNP→ナルト→
博多弁→勘弁→給料日前→今→ドラマ→天体観測→タバコ→クソ親父→
酔っ払い→ビール→枝豆→塩→砂糖→蟻→キリギリス→バグズライフ →
脱皮→夏の魔法→アバンチュール→ドラマ→野球→Y田@北京→
フンボルトペンギン→臭い→青春の汗→山下真司


「山下真司」さんかぁ・・・・・・・山口県出身・・・・・くいしんぼう・・・・・

はい。私のキーワードは 『ふぐ』 で決定!!

いいね~。お鍋の季節です~~~(*^0^*)


てことで、バトンをまわすお三方ですが・・・・・

もうずいぶん回っているバトンのようで、すでにみなさんに回っているかも。
どなたにお渡ししたら良いかわからないので、興味のある方が自由にバトンを
持って行ってくだされば、ありがたいかな、と。

ルールを崩してしまって、ごめんなさいね。

バトンを持って行かれた方からのトラバも、ご自由にどうぞ。

★写真は息子が撮影したものです。
 この魚の名前は知りませんが、「ふぐ」ではないと思いま~す(^^)

それって、正しい方言か~い?

2005年08月03日 14時37分08秒 | ★古典こてん・ことば遊び
☆なな☆さんが、面白いサイトを紹介していらっしゃったので、
わたしも飛んで行ってみました。

その名は「方言変換道場」
自分のサイトのurlを貼り付けると、本文が変換されるのかな~?
よくわからないので、お試しになる場合は、よく注意書きをお読みくださいね。

これをやると、ブログ全体が変わってしまうのか、元に戻るのか不安なので、
私は、一部分をコピペして変換する枠を使って、試してみました。

下の原文は、私が昨日書いた本歌取りの解説部分です。
日本中の、特徴ある方言に変換してもらいたいと思って、
色々とためしてみました。

ちょっと微妙~な部分もありますが、けっこう特徴を捉えているのかな?



【私が書いた原文】

私の庵(いおり)は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしている。
だのに、私がこの世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っているそうですね。

「人はいふなり」と言うからには、「自分は違うと思っている」と私は感じる。
というわけで、2の解釈の方が好きなんだけどな。
その方が、喜撰法師が、「自分は自分」という自由な考え方の人に見えて、
面白い歌に思えてくるよ。



【津軽弁】

わの庵(いおり)だば都の東南にあって、このように心おどげかに暮らしてら。
だのに、わがこの世ばつらいど思って逃れ住んでいる宇治山だど、
世間の人だば言ってらんだんずね。

「人だばいふなり」どしゃべるからにだば、「ワだばまじがってるど思ってら」どわだば感じるんず。
てすわけで、2の解釈の方が好きなんだんばてな。
その方が、喜撰法師が、「ワだばワ」てす自由な考え方の人に見えて、
おもしれ歌に思えてくるよ。



【山形弁】

わだすの庵(いおり)は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしったんだず。
だのに、わだすがこの世ばつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言ったそうだずね。

「人はいふなり」と言うからには、「わしはついがうと思った」とわだすは感じるんだず。
ていうわけで、2の解釈の方が好きなんんだげっとな。
その方が、喜撰法師が、「わしはわし」ていう自由な考え方の人に見えて、
おもしぇえ歌に思えてくるよ。



【東京弁】

私の庵(いおり)は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしている。
だのに、私がこの世をつれーと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っているそうですね。

「人はいふなり」と言うからには、「自分は違うと思っている」と私は感じる。
というわけで、2の解釈の方が好きなんだけどな。
その方が、喜撰法師が、「自分は自分」という自由な考え方の人に見えて、
面白い歌に思えてくるよ。



【愛知弁】

私の庵(いおり)は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしとゃあ。
だに、私がこの世をえらぇーと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っとるげなぎゃぁ。

「人はいふなり」と言うからには、「自分は違うと思っとる」と私は感じゃあ。
というわけで、2の解釈の方が好きなんだけどな。
その方が、喜撰法師が、「自分は自分」という自由な考え方の人に見えて、
面白い歌に思えてござるよ。



【大阪弁】

ウチの庵(いおり)は都の東南にあって、こねんうに心のどかに暮らしとるちうわけや。
だけど、ウチがこの世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っとるそうやね。

「人はいふなり」と言うからには、「オノレはちゃうと思っとる」とウチは感じるちうわけや。
ちゅうわけで、2の解釈の方が好きなんせやけどな。
その方が、喜撰法師が、「オノレはオノレ」ちう自由な考え方の人に見えて、
おもろい歌に思えてくるよ。



【京都弁】

わいの庵(いおり)は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしてる。
だのに、わいがこの世をえらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っとるそへんでっせー。

「人へーふなり」としゃべるからには、「麻呂はちゃうと思っとる」とわいは感じる。
ちゅうわけで、2の解釈の方が好きなんせやけどな。
そちらはんが、喜撰法師が、「麻呂は麻呂」ちゅうすきな考え方の人に見えて、
おもろい歌に思えてくるよ。



【広島弁】

わしの庵(いおり)は都の東南にあって、こんように心のどかに暮らしとる。
だのに、わしがこの世をつらいゆぅて思うて逃れ住んどる宇治山だと、
世間の人は言っとるそうじゃの。

「人はいふなり」ゆぅからにゃぁ、「自分は違うゆぅて思うとる」ゆぅてわしは感じる。
っちゅうわけで、2の解釈の方が好きなんじゃがの。
その方が、喜撰法師が、「自分は自分」っちゅう自由な考え方の人に見えて、
おもろい歌に思えてくるよ。



【高知弁】

あしの庵(いおり)は都の東南にあって、このように心のどかに暮らしゆう。
だがやき、あしがこの世をたいそいと思って逃れ住んじゅう宇治山だと、
世間の人はゆうちゅうそうやき。

「人はいふなり」とゆうからにゃ、「自分は違うと思っちゅう」とあしは感じる。
というわけで、2の解釈の方が好きなんやけどな。
その方が、喜撰法師が、「自分は自分」という自由な考え方の人に見えて、
しょうえい歌に思えてくるよ。



【博多弁】

うちの庵(いおり)は都の東南にあって、こんように心のどかに暮らしとるとよ。
だのに、うちがこん世ばつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っとるそうやね。

「人はいふなり」とゆうからには、「うちはちごうとると思っとる」とうちは感じるとよ。
ちうわけで、2の解釈の方が好いとぉんやけどな。
そん方が、喜撰法師が、「うちはうち」ちう自由な考え方の人に見えて、
おかしか歌に思えてくるよ。



【薩摩弁】

おいの庵(いおり)は都の東南にあって、こんごと心のどかに暮らしじぁ。
だのに、おいがこん世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っとるそうなあ。

「人はいふなり」と言うからにな、「おいどんは違うと思っとる」とおや感じる。
ちゅうわけで、2の解釈の方が好きなんほいならっいけな。
そん方が、喜撰法師が、「おいどんは自分」ちゅう自由な考え方のひとい見えて、
おもしとか歌に思えてくるど。



【沖縄弁】

私の庵(いおり)は都の東南にあって、このさいうに心のどいに暮らしている。
だむんぬ、私がこの世をくちさんと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
世間の人は言っているそうですね。

「人はいふなり」と言ういらには、「自分は違うと思っている」と私は感じる。
というわけで、2の解釈の方が好きなんだけどな。
その方が、喜撰法師が、「自分は自分」という自由な考え方の人に見えて、
面白い歌に思えてくるさい。



いかがですか?
ご自分の地域は、それらしい言葉に変換をされていますか?

あ、ちなみに、文語調の短歌は、ぜんぜん変換されない気がしまする(^^)

こうやのしろばかま

2005年01月17日 12時14分13秒 | ★古典こてん・ことば遊び
「こうやのしろばかま」

という言葉を初めて聞いたとき、私は子供だった。
耳だけで聞いて、頭に浮かんが漢字は
「荒野の白袴」
イメージとしては、「七人の侍」。

戦いの後の、荒れ果てた平原のような場所に、
切腹するときの白い着物を着ているお侍さん。
きちんとした切腹の場所も与えられず、
無念の最後を遂げるのか?
気の毒な話だな~。  

とか思ったもんだ。

しかし、本当は全然違う意味だった。

「紺屋の白袴」

「紺屋」は「こんや」の転音で、染物屋のこと。
染物屋の仕事が忙しくて、自分の袴を染める暇がなく、
白い袴のままでいること。

仕事や他人の事で忙しく、専門だったり簡単だったりするはずの
自分の事をする暇がないことのたとえ。

同じような意味のことわざは、「医者の不養生」「大工の掘っ立て」

まあ、思い違いってあるよね。

ため息 と 笑い の ハ行

2005年01月08日 22時39分40秒 | ★古典こてん・ことば遊び
「は・ひ・ふ・へ・ほ」という文字に
」をつけて伸ばしてみよう。

「は~」「ひ~」「ふ~」「へ~」「ほ~」

 ほらね、ため息になったでしょ?


「は・ひ・ふ・へ・ほ」という文字を
 三文字ずつ重ねみよう。

「ははは」「ひひひ」「ふふふ」「へへへ」「ほほほ」

 ほらね、全部笑い声になったでしょ?

美しい日本語~「うざい」という言葉

2005年01月07日 13時59分21秒 | ★古典こてん・ことば遊び
美しい日本語というタイトルで、
うざい」という言葉を挙げるのは、違和感があるでしょうね。

誤解のないようにあらかじめ言っておきますが、
「うざい」=「美しい日本語」ということではありません。
ただ、悪い言葉の代表のように言われる「うざい」も、
ちょっと調べると面白いよというお話です。


現代っ子たちが、何気なく使う「ウザイ」という言葉は、
きっとカタカナで書くのがぴったりでしょう。

カタカナの「ウザイ」が、他人の様子に対して発せられ、
その人の心を傷つけるような使い方をされるならば、
それは私も、悪い言葉だと思います。
不注意に使うと、他人を傷つけますので、
子供にはその言葉を使わないようにと言っています。

さて、もともとの「うざい」とは、どんな意味だったのでしょう。

漢字で書くとこうなります。
①有才
②有罪

漢字で書くと、わざわざ意味を書かなくても分かると思いますが、
①「有才」……才能がある人。物知り。
②「有罪」……罪科があること。ゆうざい。

現代の「ウザイ」は、①から変化していったのではないでしょうか。

物知りな人の中には、薀蓄を語るのが好きな人があり、
そういう薀蓄を長々と聞かされるのは、
鬱陶しい(うっとうしい)ものだったりします。

だから、物知り顔にクドクドと小言をいう大人に対して、
うるさい。わずらわしい。という気持ちになるのでしょう。

有才(うざい)→物知り顔→うっとうしい→ウザイ

という公式ができました。
「褒め言葉」だった単語が、やがて転じて「悪口」になる
というパターンです。

では、このように言葉が変化していくのは、
すべて悪い事なのでしょうか。

去年お亡くなりになった言語学の大家・金田一先生が、
生前何かの番組でインタビューをお受けになっているのを
拝見した記憶があります。

「今の若者の言葉をどのように思われますか?」
というような問いに対して、
「言葉というものは、大昔から変遷してきたものだから」
というようなことを仰り、決して否定をなさいませんでした。

その寛大なお言葉を聞き、日本語を愛していらっしゃるからこそ、
時代によって、地方によって変遷していく言葉を
すべて大切にしていらっしゃるのだと感動しました。

だから、私は現代の若者が使うような言葉も、
けっして否定するばかりが能ではないと思えるようになりました。

私は日本語が大好きです。
とても美しい言葉だと思っているからです。
古典の文章を読むのが好きなのも、昔の言葉にふれるのが面白いからです。

この日本語が、何百年後、どのように変化しているのか、
とても楽しみです。


★ちなみに、去年「トリビアの泉」でやってましたが、
 広辞苑には、「うざいガキ」という言葉があります。
 「有財餓鬼」と書きます。
 ①(仏)祭りなどの時に捨てられた食物を食う得棄鬼。
 ②金銭を多く持ちながら、欲の深い人。
 という意味だそうです。

 なるほど、さっきご飯を食べたばっかりなのに、
 またおやつを欲しがって寄ってくる子供も、
 ちょっと「うざいガキ」ですよね。

悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ⑧

2004年11月26日 13時37分13秒 | ★古典こてん・ことば遊び
古典は、時代を越えてその作品の価値を評価されて
はじめて古典たり得よう。

『堤中納言物語』は、近代に至るまで、その研究が
なされなかったという。
しかし戦後、研究が進む中で、この作品は脚光を
浴びつつあり、今、花開こうとしている。

これはまさに『堤中納言物語』が真の古典である証
なのかもしれない。

その作品と成立年代は不明である。
しかし、この作品を鑑賞する上で、作者名や成立年代は
大した問題ではないだろう。

ただ、一篇一篇を別の作者によって書かれたとする説がある。
あるいはそれが正しいのかもしれない。
だが、一人の作者によって書かれたものであると見た方が、
鑑賞の面白さは増すだろう。

つまり誰によって書かれたかは、さして問題ではないとしても、
同一の作者によって書かれたとだけは見たいものである。
成立年代についても、『源氏物語』の成立以後である
という説を信じ、そう見ていれば、それで十分だと思う。

それが誰によって書かれたものであれ、
何年に成立したものであれ、関係ないのだ。

伝奇物語と歌物語の合流として『源氏物語』は生まれた。
そういう大河を経て、『堤中納言物語』が
王朝物語を大海で結晶させた。
こう見るところに、この作品の文学史上の価値があると
言えるのである。


 参考文献

  『堤中納言物語』塚原鉄雄校注   (新潮日本古典集成)

  『堤中納言物語』三角洋一全訳注  (講談社学術文庫)

  『源氏物語』石田穣二 清水好子校注(新潮日本古典集成)


(というわけで、『堤中納言物語』の読後感想もどきは、これで終了~♪)


悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ⑦

2004年11月26日 13時13分19秒 | ★古典こてん・ことば遊び
古典の代表作である『源氏物語』の成立以後、
その亜流としての王朝物語は数多く生まれた。

確かに『堤中納言物語』にも『源氏物語』を
思い起こさせる場面はあるが、
それが亜流に留まらず、王朝物語の凝縮結晶と
なり得たゆえんは何か。

それは『源氏物語』の裏話的立場をとったこと。
そしてヴァラエティーに富んだ題材
(ナンセンス・メルヘン・頽廃など)と、
奇抜な構図を斬新な手法と奇想天外な展開で描く短篇を
オムニバス形式で一つの物語としたことであろう。

そして何よりも『源氏物語』が「もののあはれ」に
統一された作品であるのに対して、
『堤中納言物語』は作品全体が一貫して流れる
「憂愁と滑稽な喜劇」の絡み合いになっている点であろう。

その軽快なリズムが、『堤中納言物語』に不思議な力を
与えているのにちがいない。

(つづく)

悲劇と喜劇の絡み合い…『堤中納言物語』 ⑥

2004年11月26日 13時04分10秒 | ★古典こてん・ことば遊び
それにしても、王朝文化をこれほど身近に感じられる
作品はめずらしい。

華やかに見える王朝時代の人々が、内側にかかえていた
悲しみを「かいま見」するような思いでこの作品を読んだ。
それは、聖域を侵すような心境である。

身分や親子の上下関係の厳しい時代背景の中で、
男女が愛し合うことの難しさを知った。
そして、だからこそ男女が純粋に深く愛し合うとき、
時代を越えて読者の胸に秘めていた鐘を共鳴させるのだ。
その鐘の音は切なく響き渡り、はるか遠い昔の宮中から
流れ出す琴の音をも思い起こさせる。

恋とはこんなにも切ないものか。
人を深く愛することが、これほど苦しいものなのか。

しかし、その愛が深ければ必ずいつか人は報われるのだろうか。

『堤中納言物語』は、「はいずみ」で報われた女を語り、
「逢坂越えぬ権中納言」で報われぬ男を語る。
そしてまた恋は人を滑稽にさせることもあるのだと語る。

それらの喜びと悲しみを分配していくとき、
その均衡は破られ、天秤は悲しみへと傾く。
そのアンバランスのバランスが、
『堤中納言物語』の生命なのかもしれない。

(つづく)

休み時間ですよ~♪(古典 『堤中納言物語』)

2004年11月25日 14時24分26秒 | ★古典こてん・ことば遊び
読後感想文もどきの、途中ではありますが、
ちょっと休み時間です。

『徒然草』とか『枕草子』とか『源氏物語』
などという作品は、中学や高校で普通に習うものなので、
多くの方が、部分的にでも読まれた経験を
お持ちのことと思います。

それに比較すると『堤中納言物語』などというものは、
あまり一般的に扱われてこなかったように思うので、
「何それ?」っていう方も多いかもしれません。

ですが、実はこの物語はとっても面白いのです。
古典を「古典」のまま読もうとすると、
正直言って面倒だと思います。
そういう場合は、訳文もついたもので構わないので、
ぜひ一度読んでみて頂きたい作品です。

ちょっとエッチなサクセスストーリー満載の
「ハーレクイーンロマンス」シリーズというものが
私の若い頃に流行りましたが、今もそのシリーズは
あるのでしょうか?
そんな感じの読み物がお好きな方なら、
けっこうハマルかもしれませんよ。

出版社の方にお願いですが、こういう面白い古典は
「古典」のまま終わらせないで、
現代語に訳して、文庫本で出版してみたらどうですかね。
え?ありますか?
どうなんでしょう。調べてなくてごめんなさい。

まあ、そういうことです。
まだまだ続きます。
では!