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♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
『 題詠100首blog 』に参加中

42 約束を違へし君へ

2006年02月15日 13時53分32秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


約束を 違へし君を 責むるとも 波しも引くまじ 末の松山

                      短歌:ほにゃらか


【本歌】

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

              「後拾遺集」恋四・七七〇・清原元輔


【本歌の解釈】

約束しましたね。おたがいに涙で濡れた袖を幾度も絞っては、
末の松山を波が越さないように、二人の心は決して変わらないということを。


【本歌の解説】

清原元輔(きよはらのもとすけ)
 ・梨壺の5人の1人として「後撰集」の編纂に関わる。
 ・清原深養父(ふかやぶ No.36)の孫
 ・清少納言(No.62)の父


「後拾遺集」の詞書きに、「心変はりてはべりける女に、人に代わりて」とある。
心変わりした女に対して、相手の男になり代わって詠んだ歌ということである。
この歌は、「古今集」の大歌所御歌の以下の歌によっている。

「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(東歌・一〇九三)

(もしも心変わりしたならば、末の松山を波が越えるだろう。
 そんなことはあり得ない。という誓いの歌)


・契りきな…約束しましたよね(以前、約束を交わしたことを回想)
  「き」…過去の助動詞「き」終止形
  「な」…詠嘆の終助詞

・かたみに…「互いに」の意の副詞

・袖しぼりつつ…涙で濡れた袖をしぼりながら(愛を誓い合った感動の涙)
  「つつ」…反復・継続の接続助詞

・末の松山波越さじとは…波が末の松山を越えないように、心変わりしないと
  「末の松山」…宮城県の多賀城市あたりの地名。歌枕。
         どんな大きな波でも、末の松山を越すことがない
         というところから、不変の愛のたとえに使われる。
         逆に、「波」が越すのは、心変わりや浮気の喩え。
  「じ」…打消推量・打消意志の助動詞

41 恋すてふ

2006年02月10日 15時32分51秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


彼の女を恋すてふかとわが問へば君の自覚も芽生えさせにき

                      短歌:ほにゃらか
                      写真:ほにゃの娘

※彼の女(かのひと)

【本歌】

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

             「拾遺集」恋一・六二一 壬生忠見



【本歌の解釈】

恋をしているという私の噂が、もう立ってしまったのだなぁ。
誰にも知られないように、秘かに慕い始めていたのに。


【本歌の解説】

壬生忠見(みぶのただみ)…壬生忠岑(みぶのただみね)の子

40番の歌の解説にも記したように、「天徳内裏歌会」で平兼盛の歌と競い、
負けたという逸話がある。
鎌倉時代の説話集「沙石集」には、負けた忠見が落胆のあまり食欲もなくし、
病にかかって、ついには亡くなってしまったという話もある。
それが理由で亡くなったというのが真実かどうかは不明であるが、
当時の人々の詠歌に対する思いの強さが垣間見える逸話でもある。


・恋すてふ…「恋す(サ変)」+「てふ」
  「てふ」…「といふ」のつづまった形

・名…………名声・世間の噂・評判

・まだき……「早くも」の意味の副詞

・人知れずこそ思ひそめしか…人知れず思い始めていたのに~

  「こそ」…係助詞
  「しか」…過去の助動詞「き」の已然形

「…こそ~已然形」が、そのまま下に続く時は、逆接の文脈になる。
この歌は3句切れで倒置法になっているので、上の句に続いているので
強調の逆接表現(たしかに…は~だけれども)の意味で解釈する。


40 恋すれば

2006年02月09日 19時31分32秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


恋すればしのぶことなどできぬなり君よりほかに見ゆるものかは

                          短歌:ほにゃらか
                          写真:ほにゃの娘


【本歌】

しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで

             「拾遺集」恋一・六二二・平兼盛



【本歌の解釈】

じっと包み隠していたけれど、とうとう顔色に表れてしまったのだなぁ、私の恋は。
「もの思いをしているのか」と人が尋ねるほどに。



【本歌の解説】

平兼盛(たいらのかねもり)…篤行(あつゆき)王の子。
「後撰集」時代の代表歌人。

「拾遺集」の詞書きでは「天暦(てんりゃく)の御時の歌合」で詠まれた歌とある。
この歌会は、天徳四年(960年)に村上天皇の主催で行われたことから、
一般に「天徳内裏(てんとくだいり)歌合」と呼ばれる。
そこでは、壬生忠見の「恋すてふ」の歌(41)と「忍ぶ恋」の題で番えられた。
これら2首の歌については、判者が両者の歌に優劣をつけられず困っていたところ、
帝が「しのぶれど」の歌をくちずさんだことから、この歌の勝ちとなったという
有名な逸話がある。


・しのぶれど……秘めて(こらえて)きたけれど
・色に出にけり…顔つきや表情などに現れてしまったなぁ
   「けり」…今初めて気付いた詠嘆を表す
・ものや思ふと…恋の物思いをするのかと
   「や」……疑問の係助詞
   「思ふ」…「や」の係り結びで連体形


39 夢あさき

2006年01月13日 00時23分14秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


夢あさき朝の父母(かぞいろ)かぞふれどあまりてなどか里の恋しき

                          短歌:ほにゃらか


【本歌】

浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき

             「後撰集」九・恋一・五七八・参議等


【本歌の解釈】

たけの低い茅萱(ちがや)の生えている小野の篠原、
その「しの」ということばのように、(あなたへの思いを)
じっとこらえ忍んできたけれど、(その思いは)外にあふれ出て、
どうして(こんなにも)あなたが恋しいのでしょうか。


【本歌の解説】

参議等 = 源等(さんぎひとし = みなもとのひとし)
880~951年 嵯峨天皇の曾孫

第二句までは、「しの」を導き出す序詞。
「浅茅生の」…「小野(野原)」にかかる枕詞。
「浅茅」………丈の短い茅。
「生」…………草や木が生えている所。
「小」…………調子を整える接頭語。
「篠原」………細い丈の生えている原。
「などか」……副詞「など」+係助詞「か」(反語の場合が多いが、ここは疑問)
「恋しき」……疑問の係助詞「か」の結びで、連体形。

人目を忍ぶ恋ではあるが、その思いが抑えきれず心のうちにあふれ出てしまいそう
だという。なおも、そのような自分自身の恋の思いの激しさに途惑いながら、
抑えがたい恋の気持ちの不可解さを感じ取っている歌である。


39番の歌の本歌ではないかと言われる歌
         ↓
「浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人知るらめや言ふ人なしに」<古今・恋一>



☆ 039の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります。

37 成人の日 おめでとう

2006年01月10日 01時06分57秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


艶やかに成人の日を粧へる姪はひかりの玉を散りばめ

ちさき日のおまへのぬくみ懐かしくなんとまぶしくなりしか 姪よ

初春の雲ひとつなきハレの日はつらぬく意志をもつ者のため

                       短歌:ほにゃらか


【本歌】

白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

           「後撰集」六・秋中・三〇八・文屋朝康


【本歌の解釈】

草の葉の上の白露に風がしきりと吹きつける秋の野は、
緒を貫き通してとめていない真珠の玉が、散りこぼれている(ような)
ものだったなあ。



【本歌の解説】

文屋朝康(ふんやのあさやす)…九世紀後半から十世紀初頭にかけての人。
文屋康秀(ふんやのやすひで)の子。

「後撰集」の詞書きには「延喜の御時歌召しければ」とあるが、
実際は「寛平の御時の后の宮の歌合」の歌であるという。

露を玉に見立て、それを緒(ひも)で貫くというのは常套的表現であるが、
野分(台風)のような強風が吹くたびにはらはらとこぼれ落ちる露を、
緒で結んでいなかったためにこぼれ落ちた白玉とみたところに発見がある。

「しく」(頻く)…「しきりに~する」の意味
「つらぬきとめぬ」の「ぬ」…打消の助動詞「ず」の連体形。
「ける」…詠嘆の助動詞。
「玉」…水晶などの宝玉や真珠のこと。


☆ 037の本歌取り 他の方の作品は、

makoさんの「二進法の恋」にあります



36 地球ぞ寒き

2006年01月08日 17時15分20秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


冬の日はまだ昼ながら暮るるごとましろき月のひかるなかぞら

大雪の降りたるところあるらしく今日(けふ)の寒さぞ骨まで凍むる

まひるまの月しろしろと見てをれば凍ゆるまへに家路を急げ

寒月もひそと浸れる山の湯をふるはすなかれ 地球ぞ寒き

                        短歌:ほにゃらか



【本歌】

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ

                 「新古今集」夏・一六六・清原深養父                          


【本歌の解釈】

夏の夜は、まだ宵のままで明けてしまったが、いったい雲のどこに、
月は宿っているのだろう。


【本歌の解説】

清原深養父(きよはらのふかやぶ)…九世紀末から十世紀前半にかけての人。
清原元輔の父で、清少納言の曾祖父。

詞書きに、「月のおもしろかりける夜、暁がたに詠める」とある。

美しい夏の月を、感嘆しながら眺めているうちに、夏の夜は短くて、
気がつくともう夜明けになった。
もう朝になってしまったかという気持ちを表している。
こんなにすぐに夜が明けたのでは、月もまだ西の山に辿り着いていないだろう。
雲のどこかに宿っているのだろうか。 と、洒落たもの。

「を」………逆接の接続助詞。
「らむ」……視界外の現在推量。(今ごろ~しているだろう)
「ながら」…~の状態のままで、ということ。


☆ 036の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

34 友の名も知らぬ時代

2005年12月27日 17時06分42秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


誰もかも知らぬ顔して過ぎ行けり胸の名札も下げ得ぬままに

校門に警備員立つご時世の子よおまへらの未来はありや

名も知らぬ級友のゐる教室にひそと降り積む死のアスベスト

                      短歌:ほにゃらか


【本歌】

誰(たれ)をかも 知る人にせむ 高砂(たかさご)の 松も昔の 友ならなくに

                「古今集」雑上・九〇九 藤原興風


【本歌の解釈】

いったい誰を知友にしようか。(私と同じように年老いた)高砂の松も、
(人間ではないから)昔からの友というわけではないしなぁ。


【本歌の解説】

藤原興風(ふじわらのおきかぜ)……九世紀後半から十世紀初頭にかけての人。

一般に長寿は喜ばしいことであるが、ここでは逆に、長寿による孤独な自分を
見つめ、嘆いている歌である。

・誰をかも…「か」「も」 ともに詠嘆的な疑問の意

・知る人にせむ…自分を知る友人にしようか
   「知る人」=自分を理解してくれる人で、親しい友人などの意味
   「む」=意志の助動詞  係助詞「か」を受けて連体形

・高砂…兵庫県の歌枕(播磨国加古群=兵庫県高砂市にある地名)
   「高砂の松」=長寿の象徴として用いられている

・~ならなくに…~ではないので


☆ 034の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

33 桜にやどれ

2005年12月22日 14時35分57秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


春の夜には桜つぼみのゆるむころ逝きたる伯父の御霊ふるらむ

久方の天より御霊かへり来て雪のやうなる桜にやどれ

一升を供へてもなほ心許なし かつて酒豪の伯父の墓前に

                    短歌:ほにゃらか

御霊 (みたま)
天  (あめ)

【本歌】

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ

                  「古今集」春下・八四 紀友則


【本歌の解釈】

日の光がのどかな春の日に、どうして心あわただしく桜の花が散るのだろう。


【本歌の解説】

紀友則=「古今集」の選者の一人。 (紀貫之の従兄弟)


・久方の…「天」「雨」「月」「雲」「空」「光」「日」「夜」など、
      天に関係のあるものにかかる枕詞。

・散るらむ…散るのだろう
  「らむ」=現在の事実の起こる原因・理由について推量する助動詞。
  ここは、「花の」の「の=主格」を受けて、連体形止めになっている。
   
・しづ心なく…桜の花を擬人化して、
       「花が散るのは落ち着いた心がないからだろう」
        と推測しているととる説もある。


☆ 033の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

☆ 写真は、季節の花 300よりお借りしました。

32 流れもあへぬ

2005年12月08日 17時46分17秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


ふるさとのとほく離れてふたつあり山にもゆけず海にもゆけず

均衡のくずるるなかれ父母よ健やかにありませと祈る晩秋

水流の分かるるところ しがらみに流れもあへぬ紅葉ありけり

                      短歌:ほにゃらか
                      写真:ほにゃの娘


【本歌】

山川(やまがは)に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

                 「古今集」秋下・三〇三 春道列樹


【本歌の解釈】

山あいを流れる川に風にかけた柵(しがらみ)は、流れようとしても
流れきれないでいる紅葉であったよ。


【本歌の解説】

「古今集」の詞書きに、「志賀の山越えにて詠める」とある。
「志賀の山越え」とは、京都から山を越えて大津に至る道筋で、
都の人々が志賀寺(崇福寺)参りなどのために、しばしば利用していたらしい。

風を擬人化し、川に浮かぶ紅葉を柵に見立てるという技法によって構成。

・山川…「やまがは」=山の中の川・谷川 (「やまかは」と読むと、山と川)

・風のかけたるしがらみは…風が柵(しがらみ)をかけ渡したとする擬人法。
    「しがらみ」=柵・流れをせきとめるためのもの。
             川の中に杭を打ち、竹などを編んだり結んだりしたもの。

・流れもあへぬ…流れようとしても流れきれずにいる
    「~あふ+打消」=完全に~しきれない の意味。

・紅葉なりけり…風がかけ渡して流れをせきとめていた柵は、実は紅葉であった、
        という見立て。


☆ 032の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

31 キラキラの街

2005年12月08日 02時08分46秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


雪をんな旅居するらし 東京にみぞるる雨の降るゆふまぐれ

街なかのひらきかけたる傘たちと明かりを灯す緑色の傘

ふりしきる雪かと見ゆる明滅をくりかへしつつ街は煌めく

クリスマス・イルミネーションひとつ消えまたひとつ消え迎へる朝(あした)

朝ぼらけ やうやく眠るこの街は夜空の月をいただくtree

                       短歌:ほにゃらか
                       写真:ほにゃの娘


【本歌】

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に ふれる白雪

                 「古今集」冬・三三二 坂上是則


【本歌の解釈】

朝、ほのかに夜が明けていく頃、有明の月(が地上を照らしているのか)と
見間違うほどに、吉野の里に降り積もっている白雪だなぁ。


【本歌の解説】

「古今集」の詞書きに、坂上是則(さかのうえのこれのり)が
「大和の国にまかれりける時に、雪の降りけるを見て詠める」とある。

李白(りはく)の詩

「牀前(しょうぜん)月光を看る、
 疑ふらくは是(こ)れ地上の霜かと、
 頭(かうべ)を挙げて山月を望み、
 頭を低(た)れて故郷を思ふ」

の影響があるといわれる。

月の光を、雪や霜に見立てる発想は、漢詩の影響によるとみられ、
「古今集」でよく見られる。
この歌は、逆転の発想で、雪を月光の白さによって強調し、
雪の名所として知られる「吉野」を、閑寂とした人里の風景として描いている。

・有明の月…夜明けの空にまだ残っている月

・見るまでに…「みる」=思う・判断する の意味
       「まで」=程度の極端さを示す副助詞


☆ 031の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

30 瑠璃色の朝

2005年12月06日 13時42分30秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


漆黒の空は一瞬を瑠璃色の海になりたり 朝ぞ来にける

もう少し眠らむ 海が真白なる朝を溶かして空になるまで

まつさらに消すべくもなき夜なれば始発電車に乗ることもなし

                      短歌:ほにゃらか


【本歌】

有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり 憂きものはなし

                 「古今集」恋三・六二五 壬生忠岑


【本歌の解釈】

①有明の月がそっけないように思われた、その別れの時から、
 暁ほど、つらく思うときはない。

②逢瀬の翌朝、帰ろうとすると、朝だというのに空にはまだ月が出ている。
 自分はこんなにもつれない気持ちで別れてきたというのに。
 まったく、暁ほど辛いものはない。

③あの人のつれない態度に落胆して別れた朝、有明の月が
 (夜明けだというのに)平然と空に残っていた、
 その時から、暁くらい辛いものはないよ。


【本歌の解説】

「ばかり…なし」=「~ほど~はない」

  ばかり=程度を表す副助詞「~ぐらい」の意味)


<「つれなく見えし」を、月のこととみる解釈>

愛を交わした後、立ち去りがたい思いで帰って行く自分に比べて、
月が平然と空に残っているのを恨めしく思う気持ちを詠んだことになる。
(藤原定家の解釈は、こちら側の解釈で理解していたようです。)

<「つれなく見えし」を、女のこととみる解釈>

「古今集」の配列では、この歌は
「女のもとを訪ねたものの、逢えずに帰る歌」を配列した部分にある。
女が冷淡な態度をとったために、むなしく帰らなければならなかった
という解釈になる。


☆ 030の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

029 心なく…

2005年12月04日 21時55分52秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


心なく折らばや折らむ 露おきて泣きけるかとぞ見ゆる白菊

                        短歌:ほにゃらか


【本歌】

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

              「古今集」秋下・二七七・凡河内躬恒


【本歌の解釈】

あて推量に、折るとするならば折ってみようか。初霜で一面真っ白になり、
どれが本当の花か見分けがつかないようにさせている白菊の花を。

「折ってみようか」という解釈と、「折ることができようか」という解釈がある。


【本歌の解説】

二句切れ。倒置法。体言止め。
「折らばや」の「ば」は順接確定条件の接続助詞、「や」は疑問の係助詞なので、
「折らむ」の「む」は係り結びによる連体形。


☆ 029の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

028 朝ぞさびしき

2005年11月02日 19時40分44秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


夢に見し朝ぞさびしさまさりける山里にゐる父母と思へば

                        短歌:ほにゃらか

【本歌】

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

                「古今集」冬・三一五・源宗于朝臣


【本歌の解釈】

山里は、(都と違って)とりわけ冬がとくに寂しさのまさって感じられることだ。
人も訪ねてこなくなり、草も枯れてしまうと思うので。


【本歌の解説】

さびし……心細く孤独だ・荒れすさんで寒々としている
ける………詠嘆の助動詞「けり」の連体形 (「冬ぞ~まさりける」で係り結び)
かれぬ……「かる」(「枯る」と「離る」の掛詞)+完了の助動詞「ぬ」終止形
思へば……思ったので(確定条件)
下二句が上三句の理由にあたる。倒置法。


☆ 028の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

027 もう見ることも…

2005年10月18日 16時09分25秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


粟津野にわかれて咲ける枯れ尾花もう見ることもなきと定めぬ

いつのまに流れつきたる瀬田の川 いとしいとしと雨降りそそぐ

                      短歌:ほにゃらか
                      写真:ほにゃの娘


【本歌】

みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

          「新古今集」恋一・九九六・中納言兼輔


【本歌の解釈】

みかの原から湧き出して、その源流を二分するように流れる泉川。
「いつ見」のように、いったいいつ逢ったというので、
こんなにも恋しいのだろうか。
(まだ逢ったことがあるとも思われないのに。)


【本歌の解説】

みかの原………今の京都府相楽郡にある歌枕。
わきて…………「分き」と「湧き」の掛詞
湧き……………泉川(現在の木津川)の縁語
上三句まで……「いつみ」を導き出す序詞。
らむ……………現在の原因推量の助動詞で、疑問の係助詞「か」の結びで連体形。

「いつ見きとてか」………まだ一度も逢ったことのない恋なのか、
逢瀬をとげた後に逢えないでいる恋なのか、解釈が分かれている。
新古今集」では、この歌は恋一(恋の初めの部分)に配列。


【ほにゃらかの本歌取りの解説】

瀬田川というのは、滋賀県の琵琶湖に流れ込む川らしいです。
1首目の「粟津野」は、今の滋賀県大津市で、瀬田川の河口に至る流域だそうです。
この「粟津野」が<名所歌枕一覧>にあったので、
「あはづ」と「見ることもなき=逢はず」で掛詞にできるかなと思って使ってみました。
瀬田川の「瀬」と逢瀬の「瀬」も、ちょっと掛けてみたりして
ある意味「だじゃれ三昧」です~(^^)

「粟津野の尾花が末にほのみえて霧たちわたる瀬田の長橋」(拾玉集より)
この歌も、参考にしております。

☆ 027の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

026: いかに心を持たぬとて

2005年10月12日 15時45分21秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


降り積もる深雪を分けて来し人を帰さぬやうに降れよ吹雪けよ

ああ雪のいかに心を持たぬとて夜半に月降る飛騨の白山

片敷に君のぬくもり消えぬうち今ひとたびの美雪待たなむ

                    短歌:ほにゃらか
                    写真:ほにゃらか


【本歌】

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

           「拾遺集」雑秋・一一二八・貞信公(=藤原忠平)


【本歌の解釈】

小倉山の峰の紅葉よ、もしもおまえに人間と同じ心があるのならば、
もう一度行幸があるまで、散らずに待っていてほしい。

【本歌の解説】

「拾遺集」の詞書きに、
「亭子院(ていじのいん=宇多上皇)大堰川に御幸(みゆき)ありて、
 行幸(みゆき)もありぬべき所なりと仰せたまふに、
 ことのよし奏せむと申して」とある。

宇多上皇が、大堰川に御幸した折りに、紅葉の美しい光景を賛嘆して、
この紅葉を醍醐天皇にもお見せしたいと仰ったので、
貞信公がその気持ちを歌に託して天皇に奏上した歌といわれている。

擬人化した紅葉に呼びかけるかたちで、間接的に行幸を勧める歌になっている。


みゆき……行幸…天皇のおでまし
     御幸…法皇・上皇・女院のおでまし

なむ………あつらえ(他者への願望)の終助詞(~してほしい)


☆ほにゃらかの2首目は、
 「白山に年ふる雪や積もるらむ夜半に片敷く衣冴ゆなり」(新古今・冬・六六六)
 も参考にしております。

☆ 026の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります