少しの間留守にしてしまいました
ご心配いただきツイやメールなど下さった皆様方
ありがとうございました
実家の父が亡くなったと金曜のお昼に連絡があり
急遽早退して家族で徳島まで車で向かいました
去年は。。。。。だったかな
もう日付があやふやですが
何もなく。。。でも秘かに。。。
認知症がすすんで自宅での介護が困難になりました
足腰を使うために近くの公園を歩くのが日課の元気な父でしたが
ある時転んでしまったのです
それから歩くのがとっても遅くなり
それでも私たちが訪ねると手料理をご馳走してくれました
でもそのあとまた転んでしまって。。。
多分頭も打ったようで翌日吐き気で病院に運ばれたりと。。。
その時は検査をしてなんでもなかったようでした
その後しばらくして 会話で記憶が今現在とずっと以前の私が独身の頃と
そして更に実際に無かったことまで入り乱れていて
父が話してそのことに対して答えても
次に父が話す内容は全く違うことで会話が成り立ちませんでした
それでも今思えばその時は「私」と話をしていたんです
このお正月に会いに行ったときは全く自分で何もできなくなり
立ったまま動けなくなって眠ってしまい倒れてしまうなど。。。
久しぶりに会った息子たちは祖父の変化に驚いていました
もうあの時に
孫が孫であるという認識も薄かったのだと思います
何も会話できずに。。。。。
立ったまま動けなくなっている父をみんなでベッドに寝かせたのです
その前からだんだんこんなことが多くなり
実家近くに住む妹家族はことあるごとに
(たぶん毎日のように)
飛んで行っては父のそばにいてくれました
そんなことがありデイサービスだけでは無理があると
施設にお願いすることになりましたが
その施設も3か月を過ぎると退所のキビシイ催促があったそうです
公の機関では色々あるそうで(ここでは省略します)
それで義母の知り合いを伝って徳島の施設にお世話になることになったのが
8月のはじめでした
もうなかなか会いに行けないからと
7月の終わりに家族で施設にいる父を訪ねました
その時の父の様子はもう私たちを分からない様子でした
記憶の中には私たちがいるのですが
それが私たちと合致しないようでした
masaは「おじいちゃんmasaだよ」という呼びかけに
「うちにも同じ名前の孫がいます」って
そして私には
「あなたは私の娘によく似ている」って
「娘はスキーが好きでよく行っていました」と。。。。。
父の記憶の中の私は20代前半の模様。。なので仕方ないかと
しばらく話をしたりして
長い時間ではなかったけれどゆっくりとした時間でした
後日その時のおじいちゃんのことをmasaが
「とても優しいオーラがあった、今までも優しかったけどそれ以上の」と
そして帰るときに私に
「スキーはうまくなったのか?」と言ってくれました。。。
話ができたのはそれが最後でした
1日の土曜に緊急で病院に運ばれたと妹から連絡があり
すぐでなくても大丈夫だからと妹と4日の火曜に徳島に飛びました
その時は病院のベッドで話すことも動くこともできずに
私たちが行くまではずっと目を閉じていたそうですが
目を開けてくれて、でも瞬きはできません
そして鼓動が大きくなり看護婦さんが様子を見に来ました
ナースセンターにある機械音が激しくなったからと。。。
でもそれは私たちが来たことが分かり喜んでいるということだそうです
主治医の先生のお話では
今回の入院してきた原因は肺炎ですがその炎症はたいしたことは無く
それ以外に腎不全と心不全があるということでした
それまで内臓疾患など全くなかった父でしたから
説明を聞いて驚きました
そしておそらくこの1週間が山だろうと。。。
私も妹も名残惜しかったのですが
今月の25日に もともと父に会いに行こうとふたりで航空券を購入していたので
「25日にまた来るからね、またそのときにね」父に言ってその日のうちに帰ってきました
でも7日訃報が届いたのです
遠方なので家族が揃ったら葬儀をすると聞いていましたが
一足先に行った義母たちで7日に通夜を行い
妹家族と私たち家族は告別式だけの出席になってしまったことはとても残念でした
でも何より父の最期の時に誰一人も立ち会うことができなかったことが悔やまれます
もう少し あと1日でも多く会いに行ってあげられたら良かった。。。
私の母は私が23の時に亡くなりました
闘病生活が長くそれなりの覚悟ができていたので。。。
その時父は病名を誰にも言わずにいましたが
母が調子が良くないと初めて病院に行ったとき付き添って行った私は
検査の様子からなんとなく嫌な予感がしていました
私がそう思ったのだから母本人も気づいていたんだと思います
癌のそれも全身に転移していた母はとてもつらかったと思います
良く耐えたと。。。
亡くなった時にはもう痛くないよと声をかけた気がします
父が亡くなりどんどん時間が過ぎますが
あまりにもバタバタとしていた為か いまだ実感がわきません
父との思い出をひとつ またひとつと思いだすごとに
さみしくなるんでしょうね。。。
今はまだその思い出さえも浮かんできません。。。。。
それと
今回のことで父がくれたものがあります
とても大変な思いで車で四国まで行きましたが
帰りは1泊してきました
本当に寝るだけのようなそんな1泊でしたが
子供が小さかったころはずっとサッカーをしていたので
夏休みも家族旅行をしたことがほとんどありませんでした
大きくなった今子供たちにはそれぞれの時間があり
一緒に出かけることすら無くなったのですが
二日間以上一緒にいるという時間をくれました
どこかでいつも気にかけて見ててくれる
今はそういう気がします
本当に取りとめもないことばかり書いてしまいました
そんなこんなで涙涙にはなっていないんです
心配してくださったみなさん大丈夫ですからね
最後まで読んでいただいてありがとうございます
それから
我が家唯一の免許保持者のだんな様
本当にお疲れさまでした
父の訃報が入ったその時
だんな様はお世話になったおじ様の通夜に行く為出かけるところでした
急遽取りやめて長旅をしてくれました 本当にありがとう